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明日からちゃんと義兄になるから。その言葉を最後に遥は私の前に現れなくなった。会社の前で待ち伏せしていることも、義父のマンションで鉢合わせすることもなく、再会する前の状態に戻った感じだ。おかげで先輩達からは、お持ち帰りの君に振られたのかと質問攻めにあった。

「最近出かけないんだな」

長閑な土曜日の昼下がり。和室で義母と雛人形をしまっている私に、秋ちゃんが不思議そうに訊ねてきた。このところ平日の夜も休日も自宅で過ごしているからだろう。

「お誘いがないから」

雛人形をしまい忘れると行き遅れる、そんな言い伝えを聞いたことがあったが、出戻りの私の場合もはや該当しない。でも義母はちゃんと早めにしまってくれる。

「あいつは?」

義母の前なのであえて名前を伏せる秋ちゃん。私は片付けの手を止めずに答えた。

「義兄になるって。とっくに義兄なんだけど」

この台詞で義母も誰を指しているか勘づいたらしい。私の隣に片膝をついた秋ちゃんを凝視している。

「やべー、薬が効き過ぎたか」

意外と真面目だからな、と言いつつ秋ちゃんは頭を掻く。

「蒼はそれでいいのか?」

「意味が分からないんだけど」

眉間に皺を寄せる私にふんと鼻を鳴らし、迷うような素振りを見せてから義母に視線を移した。

「話してやれば?」

どこか躊躇う義母を説得するように秋ちゃんは念を押す。

「親父は俺が捕まえておくから」

二人のやり取りに首を傾げていた私は、残り少ない雛人形を丁寧に箱に収めながら、踏ん切りがつかずにいる義母を眺めた。話すことで義母と父が何かに苛まれるなら、わざわざ聞く必要はない。

「ねぇ、お義母さん」

代わりに私は別の問いを口にした。

「お父さんと再婚した理由って何?」

お互いに子供もいて、うちでは祖母が健在で、最初の結婚で姑で苦労したのなら、決して良い条件ではなかった筈だ。そんな中で何故再び誰かと縁を結ぶことを決められたのだろう。

「お父さんならきっと、ずっと味方でいてくれると感じたから、かしら」

ふんわりと微笑みながら義母は懐かしそうに目を細める。

以前秋ちゃんが教えてくれた通り、姑の義母への風当たりは相当厳しかった。ただ義母にとってもっと辛かったのは、夫である前のご主人が寄り添ってくれなかったことだという。嫁と姑の板挟みになって大変だったのだろうが、他人ばかりの家の中で義母の味方は夫一人。

「表立って何かしなくても、ただ分かってくれたらそれだけで心強かったんだけれど」

だから父と出会ってプロポーズされたとき、また同じ結果になるのではないかとすぐに頷くことはできなかった。でも招かれた我が家で秋ちゃんと遊ぶ私を見て覚悟が決まった。

「蒼にはあまりにも屈託がなかったの。事情はともあれ両親が離婚して、母親と引き離されたにも関わらず、負の影が全く見受けられなかった」

その理由が別れた母親を恨まぬよう、捨てられたと誤解させぬよう、父親も祖母も誰一人として私の実母を非難しなかったせいだと知り、この家でなら新しい人生を始められると思えたのだそうだ。そして家族の諍いを目の当たりにしてきた秋ちゃんにとっても、例え血の繋がりがなくても必要な環境だったと。

「実際再婚してから、幸恵さんの悪口を聞いたことはないわ。蒼と秋を差別されていると感じたことも。それだけでお父さんとお祖母ちゃんの人柄が分かるでしょう?」

ふふっと恥ずかしそうに義母はお雛様に手を伸ばす。きっとずっとお父さんはお義母さんの味方なんだね。

「俺も初めて聞いた。ちょっくらむず痒いが」

自分の子供時代の話題にも触れたせいか、秋ちゃんは珍しく照れくさそうにそっぽを向いた。

「でも今の話であいつが蒼に惹かれた理由、何となく分かった気がするわ」

同じだからな、という呟きは私の耳には届かなかった。


 


あの夜遥は一晩中ただ私を抱き締めていた。私のために選んだ可愛らしいベッドで、まるで自分の腕の中に私がいることを確かめるように。服を身に着けたまま。キスすらもせず。

「こんなことなら、判なんて押すんじゃなかったな」

離婚した当時を振り返っているのか、諦めの入り混じった口調で静かに私の頭を撫でる。

「そうしたら例え離れ離れになっても、ずっと繋がっていられたのに」

それは夫婦でいたかったということなのだろうか。八年も音信不通で、両親の再婚がなければきっと現在も会うことはなかったのに。

「もう遅いけど」

「何が遅いの?」

再会したばかりで、兄妹としてつきあっていくのはこれからだ。

「それを俺に言わせるのか?」

全くとため息をついて、遥は私の額に自分のそれをこつんと合わせた。

「幸せにな、蒼。今度こそ」

涙はないけれど、まるで泣いているような表情に胸が詰まった。これじゃ別れの挨拶みたいじゃないか。

「私は不幸じゃなかったよ? 遥のこと嫌いじゃなかったよ?」

己の口から飛び出した台詞に驚いた。でも再会した頃にまた不幸のどん底に落とすつもりかと責めたことがあったので、これだけは伝えなければいけないような気がした。

「だからどうして今それを言うかな」

困ったように笑いながら、私に軽く頭突きを食らわせる遥。痛いと口を尖らせたとき、彼の目が心なしか潤んでいるように見えた。

「ちゃんと、義兄になる」

自分に言い聞かせるように繰り返した遥は、翌朝私が目覚めたときには既に義父のマンションから消えていた。

あれから二週間。以前の生活に戻って万々歳の筈なのに、私は正体のない淋しさに捕らわれている。






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