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相変わらず、ファーリは男たちを上手く利用して、自分が住む場所だけをリフォームしていった。本邸のメイドたちよりもきれいで豪華な室内に満足する。
一方、フェルミの部屋は、壁紙は剥がれ、ベッドも赤ちゃん用で小さいまま。丸まって眠るが、シーツは汚れてしわだらけだった。カビが生えているのか、部屋には墨汁のような臭いがした。
「あーぁ、4歳になる伯爵家のご令嬢の誕生日だっていうのに、あたしはここに閉じ込められたまま。つまんなーい」
普段一緒にいる男たちは、誕生会のために仕事をしている。今日は、誕生会だからとフェルミにも小さなケーキを貰っていた。目を輝かして、傷んだイチゴが乗せられているスポンジの端切れのケーキを美味しそうに頬張ばる。ファーリは、そんな彼女をちらっと見てぼやき続けていた。
「ファーリは食べないの?」
「お気遣いなく。そもそも、メイドには、そんなスイーツなんて貰えませんからね。ほんとなら、お嬢様のメイドとして、もっといい待遇だったのになぁ。ほら、ゴーヤとピーマンをまた残して。全く、好き嫌い出来る立場かっつーの。ゴミをチェックされた時に、残飯があったら怒られるのはあたしなんですけど?」
確かに、伯爵家でメイドにスイーツなどは出されない。しかし、ファーリは常日頃から男たちに美味しいスイーツを貰っていた。あれっぽっちの端切れケーキで満足する、本当なら伯爵令嬢であるフェルミが、平民の自分よりも惨めに見えたが、罪悪感や同情心が沸くどころか、逆に胸がすく。
「ごめんなさい……」
フェルミは、火が通りすぎて焦げたのゴーヤとピーマンの炒め物を口に入れる。ただでさえ苦いのに、黒い消し炭が口の中でじゃりじゃりとして飲み込めなかった。
「う……」
「あー、吐かないでくださいよ! うわ、きったなーい。もう、自分で汚したんだから、ちゃんときれいにしてくださいね!」
「ごめんなさい……」
フェルミは、今日は伯爵令嬢の誕生日だからと、新しいワンピースを貰っていた。サイズは少し大きめだが、ふんわりとした真っ白のワンピースは着心地が良い。会った事がない父からのプレゼントだと、ファーリから聞き喜んでいた。5日ぶりにお風呂に入れてもらって、ブラシで整えられた髪にも、ワンピースとおそろいのフリルのついたリボンが結ばれている。
そのワンピースの白にも、ゴーヤとピーマンの汁がついてしまった。それよりも前にテーブルを拭かなければ叱られる。慌ててテーブルや床をきれいにしていると、いつの間にかファーリは消えていた。
いつものように、ケーキもワンディッシュに盛られていたので、大きな皿を洗う。どろどろのワンピースが、胸に張り付いて気持ち悪い。つんとする刺激臭がして、シンクの中に再び吐いてしまった。
「う、うう……」
ファーリは、食事が食べられるだけでも十分幸せだという。でも、本当にそうなのだろうか。ファーリの側には、いつも誰かがいた。自分には彼女だけで、そのファーリすら食事を持ってきたり、気が向いた時しかいない。
「うぇ、うぇ……。グス……ふぇーん」
泣くと彼女が怒り出すから泣けない。それでも、皿と自分が作った汚れを洗い流していると、どうしてもそれを止めることができなかった。
「グスッ、グスッ。うぇええん……」
皿洗いのあと、服を着替えて一生懸命洗った。手が氷を握っているように冷たいというよりも痛い。指先が赤くなり、感覚がなくなるまでゴシゴシ擦った。しかし、せっかく貰った白いワンピースの上半身に、緑と黄いろのシミが大きくついてしまい、涙が止まらなくなったのである。
フェルミは、自分がここの家の子だということを、なんとなく理解している。だが、ファーリ以外と会った事がないため、自分に妹が出来たことなど知らなかった。
一度、気持ちのよい朝に庭に出て歩いていると、血相をかかえてファーリがとんできた。ものすごく怒鳴られ、その日一日食事を与えられなかったのである。
それ以降、フェルミはここから出たことがない。蔦でほとんど隠れ、ひびの入った窓の向こうには、一体何があるのだろうか。隙間からのぞき込もうとするが、何も見えなかった。
小さな手で、ワンピースを絞ると体が濡れてしまった。夢中で洗い物をしていた時は感じなかった水の冷たさが、全身を襲う。唇は真っ青になって、体がガタガタ震えだした。ほぼ濡れた状態のワンピースを持ち、部屋に干す。
ボロ布のようなパジャマに着替えて、ベッドに包まった。
「~~~~っ」
手や足を必死に擦る。氷のようになったそこは、一向に温もらなかった。ぞく、ぞくりと、シバリングが全身を震わせていく。
なんだか息が苦しい。目の前が暗くなり、気が付けば翌日の朝になっていた。
「お嬢様、いつまで寝てるんですか? 全く、手間をかけさせないで欲しい……お嬢様? ちょ、やめてよ!」
朝食を運んできたファーリが、ベッドで高熱を出して苦しんでいるフェルミを見つけた。干されたワンピースは、まだずぶ濡れのまましわだらけの状態で干されているが、それに目もくれなかった。
「お嬢さま! 目を覚ましてくださいよ!」
ファーリが必死にフェルミを揺する。あり得ないほど熱い頬をぺちぺち叩いても反応がなかった。
「どーしよ……。これって、ヤバくない……?」
ファーリの仕事は、人知れずフェルミを成人まで育てることだ。それが、食事もまともに与えず、必要最低限の世話すらしなかった。今まではここには監視する人が近づくことがなく好き放題できていた。だが、ひとめ見れば、これまでの実情が知られてしまう。そうなればただではすまない。
彼女は、自分の保身のためだけに、フェルミを何とか助けようとしたのである。
一方、フェルミの部屋は、壁紙は剥がれ、ベッドも赤ちゃん用で小さいまま。丸まって眠るが、シーツは汚れてしわだらけだった。カビが生えているのか、部屋には墨汁のような臭いがした。
「あーぁ、4歳になる伯爵家のご令嬢の誕生日だっていうのに、あたしはここに閉じ込められたまま。つまんなーい」
普段一緒にいる男たちは、誕生会のために仕事をしている。今日は、誕生会だからとフェルミにも小さなケーキを貰っていた。目を輝かして、傷んだイチゴが乗せられているスポンジの端切れのケーキを美味しそうに頬張ばる。ファーリは、そんな彼女をちらっと見てぼやき続けていた。
「ファーリは食べないの?」
「お気遣いなく。そもそも、メイドには、そんなスイーツなんて貰えませんからね。ほんとなら、お嬢様のメイドとして、もっといい待遇だったのになぁ。ほら、ゴーヤとピーマンをまた残して。全く、好き嫌い出来る立場かっつーの。ゴミをチェックされた時に、残飯があったら怒られるのはあたしなんですけど?」
確かに、伯爵家でメイドにスイーツなどは出されない。しかし、ファーリは常日頃から男たちに美味しいスイーツを貰っていた。あれっぽっちの端切れケーキで満足する、本当なら伯爵令嬢であるフェルミが、平民の自分よりも惨めに見えたが、罪悪感や同情心が沸くどころか、逆に胸がすく。
「ごめんなさい……」
フェルミは、火が通りすぎて焦げたのゴーヤとピーマンの炒め物を口に入れる。ただでさえ苦いのに、黒い消し炭が口の中でじゃりじゃりとして飲み込めなかった。
「う……」
「あー、吐かないでくださいよ! うわ、きったなーい。もう、自分で汚したんだから、ちゃんときれいにしてくださいね!」
「ごめんなさい……」
フェルミは、今日は伯爵令嬢の誕生日だからと、新しいワンピースを貰っていた。サイズは少し大きめだが、ふんわりとした真っ白のワンピースは着心地が良い。会った事がない父からのプレゼントだと、ファーリから聞き喜んでいた。5日ぶりにお風呂に入れてもらって、ブラシで整えられた髪にも、ワンピースとおそろいのフリルのついたリボンが結ばれている。
そのワンピースの白にも、ゴーヤとピーマンの汁がついてしまった。それよりも前にテーブルを拭かなければ叱られる。慌ててテーブルや床をきれいにしていると、いつの間にかファーリは消えていた。
いつものように、ケーキもワンディッシュに盛られていたので、大きな皿を洗う。どろどろのワンピースが、胸に張り付いて気持ち悪い。つんとする刺激臭がして、シンクの中に再び吐いてしまった。
「う、うう……」
ファーリは、食事が食べられるだけでも十分幸せだという。でも、本当にそうなのだろうか。ファーリの側には、いつも誰かがいた。自分には彼女だけで、そのファーリすら食事を持ってきたり、気が向いた時しかいない。
「うぇ、うぇ……。グス……ふぇーん」
泣くと彼女が怒り出すから泣けない。それでも、皿と自分が作った汚れを洗い流していると、どうしてもそれを止めることができなかった。
「グスッ、グスッ。うぇええん……」
皿洗いのあと、服を着替えて一生懸命洗った。手が氷を握っているように冷たいというよりも痛い。指先が赤くなり、感覚がなくなるまでゴシゴシ擦った。しかし、せっかく貰った白いワンピースの上半身に、緑と黄いろのシミが大きくついてしまい、涙が止まらなくなったのである。
フェルミは、自分がここの家の子だということを、なんとなく理解している。だが、ファーリ以外と会った事がないため、自分に妹が出来たことなど知らなかった。
一度、気持ちのよい朝に庭に出て歩いていると、血相をかかえてファーリがとんできた。ものすごく怒鳴られ、その日一日食事を与えられなかったのである。
それ以降、フェルミはここから出たことがない。蔦でほとんど隠れ、ひびの入った窓の向こうには、一体何があるのだろうか。隙間からのぞき込もうとするが、何も見えなかった。
小さな手で、ワンピースを絞ると体が濡れてしまった。夢中で洗い物をしていた時は感じなかった水の冷たさが、全身を襲う。唇は真っ青になって、体がガタガタ震えだした。ほぼ濡れた状態のワンピースを持ち、部屋に干す。
ボロ布のようなパジャマに着替えて、ベッドに包まった。
「~~~~っ」
手や足を必死に擦る。氷のようになったそこは、一向に温もらなかった。ぞく、ぞくりと、シバリングが全身を震わせていく。
なんだか息が苦しい。目の前が暗くなり、気が付けば翌日の朝になっていた。
「お嬢様、いつまで寝てるんですか? 全く、手間をかけさせないで欲しい……お嬢様? ちょ、やめてよ!」
朝食を運んできたファーリが、ベッドで高熱を出して苦しんでいるフェルミを見つけた。干されたワンピースは、まだずぶ濡れのまましわだらけの状態で干されているが、それに目もくれなかった。
「お嬢さま! 目を覚ましてくださいよ!」
ファーリが必死にフェルミを揺する。あり得ないほど熱い頬をぺちぺち叩いても反応がなかった。
「どーしよ……。これって、ヤバくない……?」
ファーリの仕事は、人知れずフェルミを成人まで育てることだ。それが、食事もまともに与えず、必要最低限の世話すらしなかった。今まではここには監視する人が近づくことがなく好き放題できていた。だが、ひとめ見れば、これまでの実情が知られてしまう。そうなればただではすまない。
彼女は、自分の保身のためだけに、フェルミを何とか助けようとしたのである。
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