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にじくす まさしよ

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近い、距離

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 ハーティおにいさまと泳いでいると、少し前までフィーノと一緒にこうして海を楽しんでいた事が思い出される。

 フィーノは甘えたがって、体を擦り付けて来たりしていたな、なんて彼のそんな下心さえもほろ苦さを秘めた楽しい思い出となっていて口元がほころぶ。

 おにいさまの青みがかった黒い体躯は、フィーノそれよりもかなり大きい。わたくしを傷つけない彼の側は、力強くて優しくてとても安心できる場所だ。

 この間、他の子と遊ばないと言いつつ、フィーノが仲の良い公爵家のご令嬢とイルカの姿で泳いでいるのを見かけた。男女の交流もたくさん済ませているふたりは、まるで相思相愛の恋人同士のようだ。ぴったり寄り添い、時々口をつけてはふたりの体でハートの形を作っているかのように絡み合っている様子は、誰が見てもお似合いのカップルだと口をそろえるほど。

 彼女には婚約者がいたが、わたくしとフィーノが婚約解消に向けて動いている事を知るや否や、婚約を解消してフィーノと結婚したいと猛アピールしている。
 フィーノのご両親も、変わり者であるわたくしよりも、格上の彼女とこのまますんなり結婚してくれたらいいという考えがあるのは、フィーノから聞いた。

『ディリィちゃん、いいの? 期限以内に条件に合う男なんて、どうせ現れないよ? 両親も彼女の事を歓迎しているし、彼女と婚約して結婚しろって連日言われてるから、僕だってそういう気になりそう……。でもさでもさ、そうなったらディリィちゃんがひとり取り残されちゃうんだよ? だからさー、もういいじゃないか。僕とこのまま結婚しようよ』

 フィーノにしてみたら、そうやって独身のままかもしれないという不安や焦燥感を煽り、やっぱりフィーノが好きだから彼と一緒になるという返事が聞きたかったのだろう。

 だが、そういう言い方は逆効果だ。仕方なしにわたくしと結婚なんてしようとしなくてよろしい。彼女がいいなら彼女とお幸せにと思う。ムカっとするし、イラッとしたけど、悲しい気持ちなんてクマノミほども生まれなかった。

『まあ、それはおめでとう。どうぞ、わたくしの事なんて捨て置いて、ドルフィーニィ様とご結婚なさって』

『また、そんな風に意地を張って……! 思ってもいない事を言っちゃダメだよ。そんなディリィちゃんも可愛いけどさ。ねえ、この間まで僕たち相思相愛だったでしょ? 新しい夫候補がみつからなかったら僕と結婚してくれるって言うんなら、今すぐに僕と一緒になったって同じじゃないか!』

『どこが同じなのよ。それに期限まであと半年ほどあるわ』

『……ハーティあにうえだって迷惑だろ。あと半年も護衛役させられててさ』

『俺は迷惑なんて思っていない』

『あにうえ、まさかとは思うけど……僕が近づけないからって、抜け駆けはなしだからね!』

『抜け駆けって何よ? おにいさまにはずっと好きな方がおられるのよ。わたくしとどうこうなんてあるわけないじゃない。全く……フィーノ、とにかく今日はもう帰って。これから、ドゥルフィーニィ様とデートの約束あるんでしょ?』

『う……どうしてそれを』

『……カマかけただけよ。まさかと思ったけど、この状況で……呆れるわ! 性懲りもなく、そんな様子じゃフィーノとなんて無理。帰って!』

『そんな、ディリィちゃあん……彼女がどうしてもってお願いしたから僕は断れなくて……それだけなんだってば。だから……!』

 体も仲良しをするデートでしょ、とツッコミを入れたくなった。幼馴染でずっと婚約者だった彼とは長い付き合いだが、こんな事を言うなんて、と頭が痛くなる。

『……フィーノ、言い訳はみっともないし、どんどん墓穴を掘ってるぞ。これ以上ディリィに嫌われたくなかったら帰れ』

 おにいさまに言われて、フィーノはしぶしぶ帰って行った。なんだかんだで絆されて、今頃は彼女とよろしくヤっているだろう。


 流石にちょっとは自重するかと思ったら……。すでに想定をはるかに超えたフィーノの女の子遊びが続いているので、彼との結婚の可能性は0どころかマイナスに振り切れる一方だ。
 フィーノの家にしてみても、一度揉めたわたくしよりも、棚から牡丹餅状態で、彼を愛している彼女と縁が結ばれるほうがいいだろう。どうしても、わたくしじゃないとダメだとフィーノだけが言っているので、あちらの家も困っている状況だ。


 そんなやりとりを思い出しても、今はのびのびと海で遊んでいるからか、おにいさまが側にいてくれるからか、とても心が凪いでいる。

「ピューイ? ピュ?」

「ピュー! ピュイピュイ!」

 おにいさまが、少しぼうっとなっていたわたくしを心配して声をかけてくれた。自分もイルカだから、言葉としてではなく感覚として彼が何を言っているのか分かる。でも、その音に載せられた彼の気持ちが嬉しくて、わたくしは元気に返事をする。

 すると、おにいさまが体を寄せて、なぐさめるように軽く頭を擦り付けて来た。落ち込んでいると思われたのだろう。彼のそういう優しさや包容力は、わたくしのどんよりした心を穏やかな色に変えてくれる。イルカセラピーじゃないけど、回復魔法の使い手だし、本当にセラピストのよう。

「ピュイ」

「ピュイピュイ」

 穏やかな時間が流れる。海の心地よい波と流れにに逆らわないように、ふたりで並んで進む今の時間がとても幸せに感じる。

 気が付けば、おにいさまとの距離が、フィーノと泳いでいた頃の男女の近さになっていて慌ててしまった。

 陽も傾き、海が朱色に染まっていく。おにいさまが先に海から上がり、わたくしが服を着るのを見ないように、周囲を警戒しつつ待ってくれた。おにいさまは、海水を魔法で肌から落とし、脱ぎ去ったワンピースを身にまとう間、フィーノや男どもと違って覗こうとしない。

「おにいさま、お待たせしました!」

「ああ。じゃあ、帰ろうか」

「うん!」

 わたくしとフィーノが婚約してから暫くして、おにいさまには心に決めた相手がいるというのをフィーノから聞いた事がある。その方にしか興味がないみたいで、今まで女の人と遊んだりしていなかったそうだ。

 今もその人の事を想っているのか、ちっとも色めいた話を聞かない。

 おにいさまは、相変わらず優しい。頼もしくて素敵な彼が婚約者だったら良かったのになあ、なんて考えてしまう。

 わたくしは妹のような存在だ。こうしてよくしてくれているのもその延長線上。だから、おにいさまは夫候補として考えてはいけないのだ。

「ディリィ、抱っこしてやろうか?」

 わたくしが、考えごとをしながらのろのろ歩いているからか、心配してくれたおにいさまがそう言ってお姫様抱っこしてくれる。

 わたくしが大切だと、まるで彼の想い人のような錯覚を覚えてしまいそうな言動と、柔らかくて揺れる瞳。

 大きな胸板に、体をぽすんと預けて力を適度に抜いた。

「ありがとう、おにいさま」

「疲れただろ? 目がとろんとしているな。眠っていいよ」

「うん……」

 疲れすぎていて、瞼が痛い。眠りたいのに眠気なんて一向にやってこない。だけど、なんとなく目を閉じて眠りたかった。

 こんな風に優しくされたら、勘違いして期待しちゃうよ……

 胸が少しだけピリっとした痛みを感じる。おにいさまの好きな人が羨ましいなんて思う。いつまで、こうして妹として甘えさせてくれるんだろう。

 ゆらゆらと、まるで地中海の穏やかな海の中で揺蕩っているみたい。わたくしは、彼の胸の中で、いつの間にか眠りについたのである。
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