上 下
12 / 43

10

しおりを挟む
「よっこらどっこいせっ……っと。あー、最近の騎士たちがたるんどると聞いて訓練場に来ただけなのに、変なのにからまれたせいで、余計に腰が痛くなったよ」
「ひいおばあ様……。あのような無礼者、あなたならすぐになんとかできたでしょうに。どうして、言いたい放題させていたのです?」
「ウォーレン、せめておばあ様と言えといつも言っているだろう? いやなに。最近の若者は注意や反論をすると逆上して狂暴になると聞いていたからな。なんといっても、こっちは余命いくばくもない年寄り。怖くてなぁ」
「う……、それを言われると……。だけど、おばあ様なら、あの程度……」
「ウォーレン、そんなことよりも聞いたぞ。お前、どうやら嫁候補ができたそうじゃないか。しかも、その相手は聞いていた以上に、なんとも愛らしく優しい女性のようじゃないか。未熟なひ孫だと思っておったが、女性を見る目だけはあったか。これで、我が家も安泰というもの」
「いや、それは。ああ、やっぱり誤解されてしまっていた。彼女とオレは、ですね。彼女には、あー……」

 腰どころか背も丸く小さく、か弱い老婦人のピーチの言い分は、大柄なウォーレンをからかっているようにも見えた。どうやら、ウォーレンはピーチに弱いらしい。
 訓練場に来てから、本当に色々ありすぎる。ただでさえ、キャパオーバーぎみなのに、さっきのバラ色の人生のような嬉しい言葉で染められていた気持ちが、彼に「嫁候補ができた」というピーチの言葉で一瞬にしてバラの赤が枯れた色に変化してしまった。

(彼にそんないい人がいるだなんて。思ってもみなかった。きっと、とても素敵な女性なんだろうな……。私ったらバカみたいにはしゃいじゃって。彼も好意を向けてくれているんじゃないかだなんて、ほんっと、勘違いにもほどがあるわ。恥ずかしい……)

 アイーシャが、この短時間で自分勝手に浮かれて、今は沈み込んでいると、いつの間にか正面に回っていたピーチができるかぎり背筋を伸ばして、頭とすでに曲がっている腰を下げた。

「お嬢さん、先ほどは助けてくれてありがとう。改めて礼を言う。他の誰も、あの者の剣幕に動けなかったというのに、あなただけは動いてくれた。世の中、まだまだ捨てたものじゃないな。私の名はピーチ。ひ孫のウォーレンが不甲斐ないばかりに、怖い思いをさせてしまったな」
「いえ、そんな。私は当然のことをしたまでで。そんなことよりも、頭をおあげください。ああ、どうぞ楽になさって、椅子におかけくださいませ。そ、それに、騎士団長様のおかげで無事だったのです。感謝することはあれども、そんな、不甲斐ないだなんて。ピーチ様のひ孫様は、常にご立派にされています。全然不甲斐なくなんてありません」

 アイーシャは、ピーチの丸い背にそっと手を添えてすぐそばの椅子に腰かけさせる。昔、騎士団長をしていた名残もあり、言葉遣いが荒っぽいが気にしないようにと言われた。姿かたちは、確かに風が吹けば転んで骨折するほど余命いくばくもなさそうだが、ピーチの全身からは活気があふれ出ており、魔力の欠片もないアイーシャですら、彼女の圧倒的な生命力の輝きを感じ取れた。

「私ときたら、ご挨拶もせず……。高いところから失礼いたします。初めまして、私はコギ伯爵の娘、アイーシャと申します。ピーチ様の武勇伝は、常々聞いておりました。我が国の英雄にお目にかかることができ幸甚に存じます」

 すぐ側にいるウォーレンの視線が痛いほど突き刺さる。彼が自分を見てどう思っているのか気になりつつも、なるべく失礼がないように挨拶をした。緊張のあまりトチっていないかドキドキしながらピーチやウォーレンの様子を伺うと、にこにこしており歓迎されているように思えた。

「ほっほっ。そうかしこまらないでほしい。アイーシャさんは、いずれ私のかぞ……」

 ただでさえ、雲の上の存在であるウォーレンが側にいるのに、伝説級の大物を目の前にして「じゃあ、お言葉に甘えて」と、肩の力を抜けるはずはない。色んな意味でドキドキしていると、一緒に来ていた母がやってきた。

 ウォーレンは、突然近づいてきた女性を少し警戒したものの、アイーシャによく似た夫人を見て警戒を解く。

「あ、あの……、騎士団長様、お話し中失礼いたします。無礼をお許しください。わたくしはハートと申します。そこにいる、アイーシャの母でございます」
「ん? ああ、アイーシャ嬢の母君でしたか。オレ、いえ、私たちのほうこそ、配慮がなく申し訳なかっ、ありませんでした」

 アイーシャのもとに早く来たかったのだろう。本来ならば、会話が終わるまで待つのが礼儀だ。だが、英雄の会話を遮り無礼者として処罰されることになっても、怖い思いをしたうえに初対面の上級の人たちに囲まれ続けている娘のために意を決して側に駆け寄ったようだ。
 ハートは、娘が騎士団長のおかげで傷一つなく守られたことは知っている。だが、彼女の頬に、そっと手を当てて心に傷がついていないか、穴が開くほど見続けた。

「ああ、アイーシャ。心配したのよ? ケガはない?」

 すっかり母の存在が頭からすっぽ抜けていたアイーシャは、彼女の姿を見るや否や、ようやくガチガチに凍り付いていた感情が溶けだした。ぎゅっと抱きしめられ、ハートの胸にすがる。

「お母様……。ケガは、な、な、……ない、ぃ……で、うぅ……ほ、本当はぁ、私だって、こ、怖かった、怖かったの……うぅ……」
「ええ、ええ。勿論そうよ。怖いに決まってるわ。誰だってそう。本当に偉かったわね。あなたは、私の自慢の娘よ。お父様だって国中に自慢するでしょうね。もう大丈夫ですからね。よしよし」

 かろうじて止められていた感情が、堰が切られたようにあふれ出す。ぽろぽろと流れ出した涙は、どんどん増え止まることがなかった。


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

妹に全てを奪われた私、実は周りから溺愛されていました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,086pt お気に入り:1,651

会社を辞めて騎士団長を拾う

BL / 完結 24h.ポイント:584pt お気に入り:34

悪役令息の義姉となりました

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:22,259pt お気に入り:1,366

待ち遠しかった卒業パーティー

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,240pt お気に入り:1,291

だから女装はしたくない

BL / 完結 24h.ポイント:85pt お気に入り:5

毒吐き蛇侯爵の、甘い呪縛

恋愛 / 完結 24h.ポイント:92pt お気に入り:422

百鬼夜荘 妖怪たちの住むところ

キャラ文芸 / 連載中 24h.ポイント:704pt お気に入り:16

処理中です...