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第92話 薬も目的だった

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 で、通されたのはギルドの建物の奥にある、ちょっと高そうなソファセットが置いてある応接室だ。窓がないせいで、そこそこ広い部屋だというのに圧迫感を感じた。
 三人目の天使、ガブリエルは俺たちにソファに座るように促し、そわそわしたままじっと俺を見つめてくる。ばたんと閉めたドアの前には、何故かタークがここから逃がさない、と言いたげに立ち、興味を惹かれてやってきたパトリスを追い返していた。
 明らかにちょっと、他人には聞かせられない話をこれからするぞ、という雰囲気だ。
 ミカエルやアルト、ポチは座る場所が足りないから立ったまま。いや、正確にはポチは座る気満々だったが、ミカエルに腕を掴まれて引き戻されていた。

 ガブリエルは俺の他の連れについてはほとんど無視して、俺が腰を下ろした瞬間から話し始める。
「前置きはなしにしましょう。『あの』薬はどこで手に入れたんですか?」
 長い足を組み、僅かに前のめりになって自分の膝の上に肘をついて両手を合わせる。ちょうど彼女の口元が指で隠れていたが、その唇が笑みの形になっているのがかろうじて見えた。
「これでもわたし、薬師として長く働いてきています。薬についての鑑定も確かな実力があると自負していますが、使っている薬草の特定ができないのは初めてです。あれを持ち込んだ男が言うには、あれは精力剤であると。確かに、効能は確認しました。間違いなくあれは男性器を勃起させる能力があります」

 その単語を言っちゃったよ、この人。

 え、女性だよな? 男装の麗人で合ってるよな? と俺が眉を顰めている間にもどんどん彼女の言葉が連なっていく。

「ただ、効き目が強いのです。わたしが今まで見てきたどんな薬よりも即効性、持続性があります。それ以上に気になるのは、やはりどうやって調合したか、です。あれほどの薬が調合できるなら、名のある薬師だと思うのですが、全く心当たりがありません。いえ、それより、本当にあの薬は我々が知っている知識で調合できるものだとは思えない、そんな気がするのです」
「あ、すみません」
 俺はそこで立て板に水の彼女の台詞を遮り、タークたちにも説明した言い訳を繰り返す。気難しい人だから名前を教えたら怒られる、的な。
「しかし」
「いやいや、待ってください。俺……わたしたちをここに連れてきたのは、『それ』が目的ですか? 薬を調合した人間を知りたいから?」
「もちろんです」
「じゃあ、力にはなれません」
 俺は手を振りつつそう言うと、彼女の目が悲壮な輝きを帯びた。そして、ソファから立ち上がったかと思えば中腰になった体勢のまま、俺の手を握ってきた。
「お願いします、何でもします」

 ん? 今、何でもするって……っていう、ちょっとネタ的な台詞が頭の中に浮かんだが、それどころではない。
 ミカエルがすかさず彼女の手を俺から振り払ったし。
 何でそこ、敵対心を出してくるかな。

「実は昔の話で申し訳ないんですが」
 ミカエルの突き刺すような瞳も気づかないまま、彼女は背筋を伸ばしてその場に立つ。「わたしが薬師として活躍し始めた辺りでしょうか、不思議な女性と会いましてね。彼女が言ったんですよ。いつか、この世界の人間が瘴気に犯されて、死んでいくかもしれない、と。それを防ぐために、今はこの世界に存在しない薬草が必要になる、と」
「は?」
 俺は眉を顰めていただろう。
 でも彼女はふっと笑い、小首を傾げた格好で続ける。
「絶滅した薬草なんだそうです。失われた薬草だから、それを種として復活させるにはかなりの魔力と運が必要になるんだとか。その辺りはわたしには理解できませんでしたがね。しかしどちらにしろ、運よく復活したとしてもこちらの大地で育成できると思えないから、新しい環境を作るしかないと」

 ――ああ、と俺は息を吐いた。
 そして、短く訊く。

「その女性の名前は?」
「マチルダ、と名乗りました。とても美しい人でした」

 潤んだ目で見下ろしてくる彼女の表情は、どことなく恋に落ちたもののそれである。昔会ったという女性のことを思い出しながら、明らかに病んでる感じの目をしているんだが。

 いや、それより。
 マチルダ、か。
 この世界に存在しない薬草を育てるために――と。
 なるほど。

 俺は思わず、横に座ったサクラとカオルに目をやった。二人とも、何となく納得したように苦笑している。
 マチルダ・シティ・オンラインというゲームは、『そのために』作られたんだ。こちらの世界を救うために、マチルダが作った虚構の世界。そこで、魔物と戦える能力を持つアバターを選んで引き寄せたマチルダとやらは、薬も目的だった、ということだ。

 新しい環境がマチルダ・シティ・オンラインという、閉ざされたゲームの世界。そこに設置できる畑で薬草を育てさせる。
 でも――運が必要?
 畑のレベルが上がって育てられる野菜や花、薬草が増えていくけれど。
 それはもしかしたら、運が悪ければ増えていかなかった?
 俺みたいに幸運持ちでなければ無理だった?
 蘇生薬とか作るのも、それ以外の薬を作るのも。

 いやそれより。
 マチルダって何者だ、と考えてしまう。ゲームとはいえ、新しい世界を作れる能力を持っている。魔女は彼女のことを魔王だと言ったけれど、それは本当か? 単に他の世界に飛ばされたからといって、そこまで二つの世界に介入できるような力を持っているものだろうか。

 だってまるでそれは、神様の力じゃないか。神様が作った箱庭がマチルダ・シティ・オンライン。それはまるで、新しい世界そのものだ。

「そうだ、これも役に立つ感じですか?」
 やがて、俺がさりげなくアイテムボックスから取り出した薬をガブリエルに差し出すと、目にもとまらぬ速さで彼女はそれを奪い取った。透明な瓶に入っている、俺が新しく調合できるようになった薬、解毒薬(小)である。
 蘇生薬を出すのはヤバいと感じたから、まずはコレ、だ。何の毒に利く薬なのか知りたかったし、都合がいい。
 彼女の瞳の中で、小さな魔法陣のような、文字列のような模様が浮かび上がる。そして、驚いたように頷いた。
「これ、大量にありますか?」
「いや、まだ少しだけ……」
 それにまだ、レベルが低いから(小)しか作れないし。
 俺が困惑しつつ笑って見せると、彼女は噛みつくように言った。
「じゃあ、もっと大量にお願いします!」

 お、おう。

 つい、身を引いてしまう。

 そんな時だ。応接室のドアの向こう側でばたばたと足音が響いて、乱暴にどんどんと叩かれる。無表情のままタークがドアを開けると、年配の男性がすげえ真剣な顔をしながらどかどかと入ってきた。
「君たちがあの薬を持ってきたのか!」
 そう叫んだ男性は、いわゆるロマンスグレーと呼んでもいいような中年のおっさんである。白髪交じりの髪を綺麗に後ろに撫でつけ、一目で質のいいと解る服を身に着けている背の高い男。
「ありがとう、本当にありがとう!」
 そう叫んだ彼は、僅かに目元を赤くして笑った。「きっとあれなら、我が子を抱く日も近い! 婚期を逃し、自分の子供の顔も見ることができずに死ぬのかと思っていたが、あれは素晴らしい!」

 あっはい。

 予想した通り、そのおっさんがこのギルドの長だった。そうか、アレを使ったんだ。そうか、使ったんだね? 効き目は(大)だった精力剤。
 イナス・シャブールと名乗った彼は浮かれた様子で「このお礼は何でも」とか言い出したので、これはチャンスとばかりに頼んでみたわけだ。
 協力して欲しいことがあるんだけど、お願いできるだろうか、と。
 彼はその内容も聞かないまま満面の笑みで頷き、「何でも協力しよう!」と口走った。
 よし、これで言質は取った。証人もたくさんこの場にいる。やっぱり嘘でしたとは言わせない。俺はニヤリと笑い、ギルド長と握手をする。
「必要なら薬はまた提供できます。その代わり――」
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