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騙されたエミリー

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「信じられない!そんなのあんまりだわっ!酷すぎる!」

私は大きな声で叫んでそのまま店を飛び出した。マダム・ボニータから聞かされたダニエルの真実に、私の脳は追いついてこなかった。

想像した一番最悪のシナリオよりも酷い真実に、私は心を痛めた。頭の中が混乱して涙が溢れて止まらない。胃の中がむかむかして吐きそうになる。

王都の町の中を人目も気にせずに泣きながら思い切り走った。靴のヒールが石畳に引っかかって、恐らく靴は使い物にならないくらいに傷がついているだろうが、そんなことはお構いなしに走り続ける。

通りを歩く紳士や淑女たちが私を驚いたような顔で見ていたが気にならなかった。そのまま人気のない川沿いの芝生に向かって走っていく。くるぶしに草の先が当たってこそばゆい。

「おい待て!!何があったんだ!全くそんなドレスと靴であれほど速く走れるなんて思わなかった!お前は猫か何かなのか?!」

突然背後から誰かに抱きかかえられて体が宙に浮く。足が地面についていないので何度も空中をかくように足をバタバタとさせた。その声で背後の人物が誰なのかはわかったものの、息が切れて思うように声が出ない。

「・・・お前・・・泣いているのか?!」

驚いたような口調で私の耳元に低い声が響く。ようやく息が楽になってきた私は、小さな声を出して答えを返した。

「・・・・泣いて・・・なぃ・・・うぅ」

私の背後に立って抱き上げている状態で私の顔は見えないとしても、さすがに私の嘘は完璧にばれているだろう。なのにクライブ様はそのことについて何も触れなかった。そのまま私を40センチ上空に持ち上げ、低い絞り出すような声でこういった。

「・・・こういう時はどうすればいいんだ。お前なら良く知っているんだろう。・・・俺にはこういうことはさっぱりわからん」

「ふっ・・・女性が泣いている時は、何も聞かないで上げて静かに頭を撫でるのよ・・・」

思わず口から笑いがこぼれる。まさか自分があの事実を知った後で、まだ笑えるだなんて思ってもみなかった。この男の粗忽さは純粋さの表れなのだ。思ってもみなかった奇妙な質問に自然と頬が緩む。

けれどもいまだに涙は次々にあふれ出して私の頬を流れていく。顎まで垂れた涙の滴がクライブ様の手にまで落ちて伝っていく。

私の両脇の下を両腕で抱えあげたまま、クライブ様が器用に手を私の頭の上にのせて撫でつける。でも髪の毛と反対方向に撫でているので、髪が顔の前に垂れてきて涙と一緒に顔に張り付いて息がしにくくなってきた。

「・・・ありがとう。もう大丈夫よ、落ち着いたわ。だから降ろしてちょうだい」

クライブ様が無言のままで私を地面に降ろす。春の柔らかい風が吹いて私の髪とドレスを軽く吹き上げた。なかなか涙が止まらないので、彼から目を逸らしたままで少し顔を横に向けた。

「・・・・あの店で何かされたのか?誰かに何か酷いことを言われたのか?!」

「あの店は関係ないわ。個人的なことよ・・・」

そういって無意識のうちにチョーカーの下のダニエルの噛み痕を指でなぞる。歯列の痕に触れるたびに、噛まれた時の口の中の熱を思い出す。

それを見たクライブ様が私の両肩に手を置いて、辛そうな目でじっくりと私の目を見つめた。相変わらずの三白眼だが、その黒い瞳の中には憤怒が渦巻いていた。

「あいつか・・オルグレンか・・あいつがあんたを泣かせているんだな!!」

「・・・・・・・・」

私はその質問に答えなかった。この獣のような大男の分かりにくい私への微妙な感情に、この時点で気が付いてしまったからだ。

そのまま目を伏せて乱れた髪を手ぐしで直す。目をしばらく閉じて頭を冷やすと涙も止まった。そうしてからクライブ様の方を向き、精一杯の笑顔を作った。

「ノーグローブ様、ありがとうございました。私はもう大丈夫です。キャサリンと騎士様たちが待ちくたびれているかもしれませんわ。早く戻りま・・・・・」

最後まで言い終わらないうちに、視界が黒一色になる。固い分厚い筋肉のおうとつが顔に押し付けられて痛い。クライブ様が私をその胸の中に抱いたのだ。そうして大きな声で私の名を呼ぶ。

「エミリー・スタインズ!!」

抵抗をしようと腕に力を込めた瞬間、クライブ様が今まで聞いたこともないような弱弱しい声を出したので思わず力が抜ける。

「オルグレンがこんな風にお前を泣かせるなら絶対に離さんぞ・・・。俺は・・・好きなんだ・・・お前がっ・・・」

突然のクライブ様の無骨だけれども情熱の溢れる愛の告白に胸が躍る。ダニエルに抱きしめられると顔が胸の位置に来るのに、クライブ様だとそのもっと下のお腹の部分に顔が来てしまう。

丸太のような大きな躯体に抱きしめられて、息ができない。クライブ様の気持ちはものすごく嬉しい。何と言っても私は男性に好かれるといった経験がほとんどないに等しい。ダニエルのことを除くと、私のことを好きだと面と向かって言ってくれたのは彼が初めてだ。

だから好意を寄せられて単純に嬉しい。胸がドキドキする。でもこの気持ちはダニエルのことを考える時とは全然違う別物だ。

私はダニエルを愛している。

クライブ様を愛せればこんな辛い目に遭わずに済んだのに・・・仕方がない。

あの夜会の日、私が判断を誤ったときからダニエルとのことは運命で決まっていたに違いない・・・いやそれよりも以前・・・八年前のあの日から・・・きっと・・・。

「ごめんなさい、クライブ様。私、ダニエルが好きなの。だから貴方の気持ちには答えられないわ」

私がそういうと、私を抱きしめる腕の筋肉がピクリと動いた。そうして大きくため息をつく音が聞こえたかと思うと、私の体を抱きしめていた腕の力が緩められてゆっくりと離された。

私は申し訳ない気持ちで一杯になりながら、それでもクライブ様の黒い瞳から目を逸らさずに言い切った。

「私をこんな目にあわせたダニエルとは自分で決着をつけるから心配しないで。必ず報いは受けてもらうつもりよ」

「・・・あのオルグレンに勝てるのはお前くらいだろう。俺の加勢が必要だったらいつでもいえ。サルテイン語の翻訳の礼だ」

「ふふ・・ありがとう。クライブ様」

私たちは互いに見つめ合って、互いに無言のまま帰り道に向かって歩き始めた。キャサリンと騎士二人が待つ場所に戻るまで、私たちは一言も口を開かなかった。クライブ様が私の正体にいつ気が付いたのだろうかと、そんなことを考えながらひたすら歩く。

ダニエルはいま事件の後始末で多忙を極めているに違いない。四日ぶりに解放されたとはいえ、隣国のスパイを一網打尽にするといった微妙な国際的事件だ。我が王国が有利になるように物事を運ぶため政治的なことで奔走しているのだろう。

でもきっと彼は絶対に私に会いに来るわ・・・。

絶対的な自信とともに、私は鉄壁の決意を胸に誓った

「よくも私を騙してくれたわね。私の靴を舐めて跪きながら泣いて縋っても絶対に許さないんだから、ダニエル」

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