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公爵令嬢のひとりごと

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「面倒くさいことになったわね」



 公爵令嬢ロザリーは、手の中にある扇をパチンと閉じた。



「市井を垣間見るなんて、くだらない視察をさせた側近のせいだわ」



 ロザリーの婚約者である王太子シメオンは、先日、若い側近たちと連れ立って城下町へと繰り出した。

 仰々しく視察と銘打ってはいたが、単なる息抜きだ。

 とは言うものの、シメオンが息抜きを必要とするほど、執務をしているとは思えない。

 だいたいの仕事は事務官に割り振られ、決められた場所へ承認印を押すだけなのだから。



「庶民の慎ましい暮らしぶりと比べて、自分たちがいかに恵まれているのかを確認したかったのね。……悪趣味ですこと」



 フンと鼻を鳴らす。

 しかしロザリーは、それでも自分に実害がなければ、関わろうとは思わなかった。

 シメオンとの間に恋愛感情はなく、お互いに義務や政略で結ばれた関係だ。



「役目を果たすだけの間柄なのに、それさえもまともにこなせないなんて。大切に育てられた箱入り息子は、これだから駄目ね。宰相であるお父さまにいいようにあしらわれて、次の世代も貴族が肥え太るだけの政治が続くでしょう」



 気概のない……と、不敬な言葉がロザリーの口からまろび出た。

 だが、ロザリーの私室にいるのは、忠節を誓った侍女のみ。

 ここで話したことが、外へ漏れる恐れはない。



「調べてちょうだい、その食堂の看板娘とやらを」



 ロザリーが命じると、侍女は静かに頭を垂れ、音もなく部屋から出て行った。

 あの侍女の仕事が早いのは分かっている。

 明日にでも、詳細がロザリーへもたらされるだろう。

 

「朝から晩まで懸命に働いて、難病の母の薬を買う勤労少女ですって? 一体、薬がいくらすると思っているの? 今や薬は貴族だけが使用できる高級品。そんなことも知らないから、シメオンさまは簡単に騙されるのだわ」



 最近、シメオンは事あるごとにロザリーをたしなめる。



『なんて棘のある表情だ。それに比べて、コレットは愛嬌があって可愛らしい』

『飾り立てるだけが女性の美ではないだろう? 何ひとつ宝飾品をまとわないコレットが、どれほど輝いていることか』

『君もコレットの親孝行ぶりを見習うべきだよ。あの娘には感心させられる』

『僕は不幸だ。結婚するなら、コレットのような女性がよかった』



 二言目には、コレットコレットコレット――。

 数か月後に結婚する相手のロザリーを、貶してばかりのシメオンが正直に言って煙たい。



「いい加減、私もうんざりよ。シメオンさまは、現実を見るべきね」



 扇を開くと、ロザリーはそれで口元を隠す。

 侍女の報告を待ちわびるまでもなく、ロザリーは確信していた。



「話を聞いただけで、想像がつくというものだわ。庶民には手の届かない高価な薬のために、その娘が何をしているのか。そんな状況をつくった政治を、誰が行っていると思っているのかしら。シメオンさまの代では無理でも、その次、さらに次の代くらいには――」



 女が消耗品扱いされない世になるといいわね。

 ロザリーの呟きは、扇に遮られどこにも届かなかった。



 ◇◆◇◆



「こんな夜更けに外出なんて、父上に怒られはしないだろうか?」

「シメオンさま、庶民は陽が落ちても働いているのです。それを視察せずして、分かったような振りをしていませんか?」

「っ……! そんなことはない! 僕はきちんと、コレットの苦労を理解している!」



 ロザリーとシメオンが乗った馬車は、コレットが働く食堂が見える位置に、隠れるように停車していた。

 侍女が調べてきた情報によれば、そろそろ始まるだろう。



「どなたか食堂から出てきましたわね。あれがシメオンさまの仰る看板娘ですか?」

「そうだ、あの赤毛は間違いなくコレットだ! しかし……連れの男は誰だ? 馴れ馴れしくコレットの肩を抱くなど不届き者め。僕が注意をしてこよう」

 

 そう言って馬車を下りたシメオンを、ロザリーは止めなかった。

 コレットと男が路地裏に入って行ったときから、そこで何が始まるのか知っていたからだ。

 

 ◇◆◇◆



「っん……ん、んぅ……ぶ」

「ああ、いいぜ、コレットの口の中は最高だ。温かくて柔らかくて、ベロが絡みつくのがたまらねえ」



 風呂にも入っていないような、むさ苦しい男の股間に顔を埋め、コレットが肉棒をしゃぶっていた。

 唇をすぼめ、唾液を滴らせ、根元をしごきながら頭を前後させている。

 赤毛の三つ編みがコレットの動きに合わせて揺れるのを、シメオンは放心状態で眺めていた。



「よし、完全に勃った。コレット、前からと後ろからと、どっちがいい?」

「あなたは前からのほうが好きでしょ?」



 慣れた様子でスカートの裾をたくし上げると、コレットはそれを口に咥える。



「もう濡れてるから、入れていいよ」

「なんだ、すでに今日は誰かとヤッた後か。一番乗りだと思ったのに」



 それでも男はいそいそと、コレットの脚を持ち上げる。

 シメオンのいる位置からも、こぼれた外灯にてらてらと反射するコレットの股座が見えた。

 そこは処女のように可憐な桃色をしているが、これまでの経過を鑑みるにそんなはずはなかった。



「あ、あん! あっ……」



 挿入されてすぐに、コレットの喘ぎが始まった。

 男は声に調子を合わせて腰を振る。

 ふたりの息はぴったりだ。

 

「長旅帰りで、溜まってるんだ。今日は一回で終わりそうにない」

「いいよ、この後も、っ……時間は空いてるから。あ……ちゃんと、二回分、ん、払ってくれれば……」



 交渉している間も、男はがんがんと突き上げ、コレットはそれを華奢な体で受け止める。

 久しぶりの交合だったのか、男は最初の一回目を呆気なく放った。



「うぅ……出る!」



 体を震わせ、気持ちよさそうに息を吐くと、男は一旦コレットから体を離した。

 その瞬間、コレットの両脚の間から、ボタボタと白濁したものが地面に零れ落ちる。



「っ……耐えられぬ!」



 胸やけをもよおしたシメオンは、その場で踵を返すと、ロザリーの待つ馬車へと駆け戻った。

 苦虫を嚙み潰したような顔をしているシメオンを、ロザリーはあえて優しくなだめる。



「いかがでしたか? 庶民の働きぶりは?」

「怖気が走る。金のためなら何でもするのか。あの娘が、あれほど卑しいとは――」



 もうシメオンは、執心していたコレットの名前を呼びもしない。

 勝手に働き者の娘だと煽てあげ、違う一面を見たら手のひらを返す。

 傲慢が過ぎるシメオンの仕草に、ロザリーは内心で溜め息をついた。



(私からしてみれば、今の彼女の姿のほうが、よほど献身的に見えるわ。母のために若い体を売って薬代を稼ぐなんて、同じ女として見事としか言えないもの)



 しかしシメオンには、そうは感じられないのだろう。



「帰る。気分が悪い」



 御者に言いつけると、シメオンは行儀悪く座面に横たわった。

 城へ向かって走り出した馬車の中で、ロザリーは黙考する。



(こうして碌に世情を知らない男が王座につくから、庶民は薬ひとつまともに買えない)



 この国では政治は男のもので、女が口を挟むことは許されない。

 女は跡継ぎを生むためか、性欲を発散するための道具としか、見なされていないからだ。

 ロザリーだとて、その法則からは逃れられない。

 さっさとシメオンの子を生んで、その役割から解放されたいと望むばかりだったが――。



「ロザリー、君の貞淑さは僕も認めるところだ。決してあのあばずれのようには、ならないでくれ」



 その一言を最後に、寝入ってしまったシメオンを、ロザリーは凝視する。



「このような男たちに躾もせず、放置してきた女のせいでもあるわ。せめて私が生んだ子には、まともな教育を受けさせましょう」



 隣国では男女平等が掲げられ、政治の世界にも女が進出しているという。

 弱者の代表のような女が、隣国では高らかに声を上げ、国に変革をもたらしている。



「隣国出身の乳母をつけるのはどうかしら? きっとシメオンさまは、私の意図に気づきもしないはず」



 問題があるとしたら、宰相である父だろう。

 ロザリーの浅はかな考えなど、見抜いてしまうに違いない。

 下手な思想を吹き込む乳母など、不要だと切り捨てられる可能性が高い。



「それでも、やらなければならないわ。上が変わらなければ、下も変わらない。コレットのような憐れな娘を、これ以上増やさないためにも」



 コレットに夢中になっているシメオンの眼を、覚醒させて婚約者のロザリーへ向ける。

 今夜はそれで終わるはずだった。

 ただ少しだけ、ロザリーはコレットの身の上に同情し、責任を感じてしまったのだ。

 

「本当に、面倒くさいことになったわね」



 侍女が持ち帰った話によると、コレットの母の命は残り僅かだそうだ。

 それでもコレットは諦めずに、少しでも生き長らえて欲しくて、薬を買うための日銭をああして稼いでいる。

 

「薬を贅沢品として、庶民から取り上げる法令に承認印を押したのは、シメオンさまなのに。そんなあなたに、コレットを責める資格はないわ」



 まもなく馬車は城の門をくぐる。

 この中では私腹を肥やすことしか頭にない男たちが、いかに庶民から税を巻き上げるかに知恵を絞っている。

 

「腐った果実はいずれ破裂する。私もそれを促す、一矢となりましょう」



 ロザリーのひとりごとを聞く者は誰もいない。

 それでもロザリーは己に誓った。

 

 ――ロザリーはその後、決して政治の表舞台に立つことはなかったが、この国で男女平等の声が広まるきっかけとなった。
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