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2巻
2-2
賑やかな旅は順調に進み、数週間の旅を経てついにヘーラクレール王国へ辿り着いた。簡単な手続きだけで入国することができたのは、国王陛下の委任状のおかげだ。
イグリス様の容態を重く見た陛下が、私たちに手紙を持たせてくださった。表向きはヘーラクレールで珍しい薬草を買い付けるということになっている。
ヘーラクレール王国内に入り一日目の夜。国境付近の町の宿に宿泊した私は、助けを求める声で目を覚ました。深夜で灯りを消しているから、辺りは真っ暗で何も見えない。でも小さな子供のような声が聞こえてきた。
《くるしいの……たすけて……ねえ、ボクをたすけて……》
「もちろん。そのために私たちはこの国に来たの。大丈夫、『みなさま』も了承してくれたから、あなたを元気にするお手伝いができるわ……どうしたら元気になれるかしら?」
《すこしのあいだでいいから……ボクをたすけてくれるってけいやくして……すこしでいいから》
「契約……」
その言葉に、私は少しためらった。契約という言葉に良い印象がない。私はそれに縛られて、リアム王国で辛い目に遭ったのだから。
あの頃の思い出が蘇り、背筋が震えた。
《ボク、マーガレッタにいじわるしない。マーガレッタ、あったかい。ボクにすこしあったかいをわけてくれる道をつくるだけのけいやく。おねがい》
「……わかったわ、私はあなたを信じる。契約をしましょう、私はあなたを助けるわ」
《ありがとうマーガレッタ! ボク、マーガレッタだいすき!》
目を閉じると、暗闇の中に小さな光の点が見える。その点までうっすらと細い糸みたいなものが繋がっている。きっとこの糸の先に、神獣様がいるのだろう。
《はやくきてね、マーガレッタ。ボク、まってる……》
「分かったわ、もうちょっと頑張ってね」
《うん》
光の点がどんどん小さくなっていき、ついに消えた。きっと助けを求めた神獣様が眠ってしまったんだろう。それでも微かに契約の糸が繋がっているのを感じるから、迷わず辿り着けそうな気がする。
「きっと、イグリス様もこれでゆっくり眠れるようになるはず」
明日の朝、メリンダさんにお願いしてグラナッツお祖父様にイグリス様の様子を見てもらおう。そして契約のことをアーサーや皆にきちんと話そう。
早く神獣様のもとに行ってあげようと思い、私はか細い契約の糸を感じながら眠りについた。
「朝の定期連絡でグラ爺に言っといたよ~」
「ありがとうございます、メリンダさん」
「よゆーよゆー」
翌朝。私はメリンダさんにお願いして、グラナッツお祖父様に連絡してもらった。
女性が二人の旅なので、私とメリンダさんは同じ部屋に泊まっている。なので、朝一番にイグリス様の様子を見てくださいと伝えてもらったというわけだ。
遠距離の通信魔法を易々と使いこなすメリンダさんだけれど、通信魔法がとても複雑で高度な魔法だと知った時はとても驚いた。
メリンダさんもカールさんと同じくS級の冒険者らしい。リアム王国から逃げるとき、そんな凄腕の人に護衛してもらっていたんだと改めてびっくりした。
身支度を終わらせて、アーサーたちと合流し、朝食をとりながら昨日の夢の話を包み隠さず話す。契約という単語が出た瞬間、やっぱりアーサーは顔を曇らせた。
「……契約、ねぇ……」
「でもこの契約のおかげで、その子がどの方向にいるかは分かります」
「ちなみにどっち?」
「ヘーラクレール王国の王都の方角で間違いないです」
他のみなさんも、ふむ、と少し考えこんでいたが、私を少し見てから笑みを浮かべた。
「わかんねえけど、今んとこ痛いとか苦しいとかなきゃ大丈夫だろう」
「そうだな。マーガレッタ、何か不調があったらすぐ知らせてね」
「はい、分かりました」
朝食を終えた私たちは、ヘーラクレール王国の王都を目指して再び馬車に乗る。
夜、寝るたびにあの光の点が現れて、二言三言会話をする日々が続いていた。光の点は王都が近づくにつれて少しずつ大きくなっていき、今はちょうど両手にすっぽり収まるくらいの大きさになった。声も少し元気が出てきた。
《けっこう、ちかくだね。マーガレッタ、はやくあいたい》
「そうですね、私も早く会いたいです。あなたはいま、どこにおられるのですか?」
契約の糸を辿れば見つかるだろうけれど、聞いたほうが早く見つかると思い尋ねてみる。すると光の玉はぷるっと少し震えてから、はっきり告げた。
《街のまんなかにあるしんでんにきて。ボク、まってる》
「分かりました」
そして今日も光は消えていき、私は眠りにつく。
ヘーラクレール王国の城下町の中央に、大神殿があると聞いている。神獣様は間違いなくそこにいるんだろう。早く会いたいな。
翌日。ヘーラクレール王国の王都に馬車で入った私たちは、その異様な空気に思わず目を瞠った。空気は淀み、住人たちの顔色は悪く、咳をしたり辛そうにしたりしている人ばかりだった。
「うっ……」
「これは」
「み、皆さん。毒の耐性を上げる飴をお配りしますので、一日一個は食べてください」
「そんな便利な物あんのか!」
「試作品です。何の毒か分かればもう少し効き目を良くすることができると思いますが、これでもないよりマシです」
「ありがてえ」
間違いなく微量の何かしらの毒が、王都の空気中に混じり込んでいる。私は慌てて、鞄の中から飴を取り出して皆に渡す。
来る前に色々試作品を作っていたけど、すぐに使うことになるなんて。ヘーラクレール王国はよっぽど酷い状態なのかもしれない。
街の中をゆっくり走る馬車の窓から外を窺うと、視界に入るのは沈んだ顔の人たちばかりで、こちらまで気分が滅入ってくるような気がする。
「そういえば『みなさま』が、封印が緩んでいると言っていました。これがそういうことなんですね」
「たしか、ヒュドラの遺骸と毒はヘーラクレールの子孫が封じ続けているんだよな?」
「きっと何かあったんでしょうね。そしてそれを解決するために神獣が送り込まれたんでしたね」
「けどその神獣が助けを求めてきた。なんでだろ?」
最後、メリンダさんの質問には誰も答えを返せなかった。
「急ぎましょう。神殿に行けばわかるはずです」
私は契約で繋がった糸を見る。この糸は王都の中心へ続いている。助けを求める神獣様の言ったとおりだ。
なるべく急いで神殿の前まで向かうと、神殿は多くの人々がお祈りにきており混雑していた。
やはり体力のない女性やお年寄り、子供にはもう症状が現れていて、息苦しそうにしていたり、咳き込んで体調が悪そうな人が大勢いた。おそらく皆さん、体調が良くなるように祈りに来ているのだろう。
「さすが神殿。近くまで来ると少しマシだな」
「本当ですね、空気が少し澄んでいる気がします」
私はアーサーの言葉に頷く。
神殿からは浄化の力が広がっているようで、王都に入ったときのような空気の淀みはなかった。でも、王都の街に毒や瘴気が流れ出しているということは、浄化の力は全く足りてないということだ。
私たちは神殿から少し離れた場所で馬車を降りると、足早に神殿へ向かう。とその時、神殿の中から僧服に身を包んだ女性がこちらに駆け寄ってきた。
「お、お待ちしておりました! せいじょ……いえ! えーと薬師様!!」
「えっ」
私たちは神殿への先触れは出していない。なぜこんなにタイミングよく私たちを待っていたのだろう。
「神託により……あっ違う『みなさま』が教えてくださったのと、神獣様のお言葉です! せいじょ……いえ、薬師様が来てくださると。すぐに中へ! ご案内いたします。お連れ様もこちらです!」
なんだか歯切れ悪い言葉が多くあって、カールさんとアーサーは首を傾げる。けれど私は二人に向かって言う。
「神獣様が心配です、話は道々聞きましょう」
「……マーガレッタがそう言うなら」
「なあに、なんかあったら俺たちで対処できるだろ、行こうぜ」
メリンダさんとトリルさんもカールさんの提案に頷き、私たちは神殿の中へ駆けていく神官の後ろ姿を追いかけた。
「あ、あの」
「遠い所わざわざご足労をいただき、さらにこんなに急がせて申し訳ございません。ですが、一刻も早く神獣様に会っていただきたくて」
「分かりました。神獣様のご体調は……」
「悪いです……さらに悪いことに」
顔色が悪い女性神官は話を続けようとしたが、奥から聞こえてきた、金属製の何かを勢いよく倒したような大きな音にびくっと体を竦めた。
音の鳴った方向にアーサーたちは視線を移すや否や、最も前を歩く私を庇うようにいつの間にか私の前に立っていた。
カールさんとアーサーは一番後ろにいたはずなのに……素早い!
「目障りなのよッ!! この役立たずッ!」
耳を覆いたくなるような、とても不快な甲高い女性の叫び声が辺りに響いた。
「私はこの国の第一王女にして唯一の聖女なのよ!! その私がこうして来てやってるというのに、この役立たずがっ」
「ジーーッ!!」
先ほどと同じ大きな音がまた響く。さらに何かを蹴った音、何かが空中に放り投げられ床に叩きつけられたような音がして、そして小鳥の悲痛な鳴き声が重なった。
この声はイグリス様の執務室の前で聞こえて、引き続きここまで聞いてきたあの声!!
《ぎゃんっ! い、いたいっ! こわいっ、たすけてーっ》
「アーサー、急いで! 痛がってる!」
「あっちか!?」
神獣様と契約で繋がった私の頭の中に、恐怖に震える声がはっきり聞こえた。
神の使いをこんなに怖がらせるなんて、一体誰がそんな罰当たりなことをしているんだろう。それに祝福された存在である神獣様が怯えるなんて……
悲しみできゅっと心臓が締め上げられる。
「音が聞こえたほう!」
「分かった!」
アーサーはほんの一瞬だけカールさんたちと視線を交わすと、案内してくれた女性神官を押しのけ、先ほどから不快な音が聞こえる部屋の扉を開けた。
「な、なによ……」
アーサーがノックもなしに開けたため、中にいた一人の女性が驚いてこちらを見る。私は皆さんの後ろからその様子を窺った。
その女性はとても派手な紫色の髪をしていた。そして、真っ白な布地に銀糸や金糸の美しい刺繍で飾られているとても高価そうなドレスをまとっている。
さらに女性神官がかぶっているヴェールと似たものを身に着けているけれど、それは髪を隠すためじゃなくて、神職に見えるように手が加えられている装飾品のようだ。頭の上には大きな銀のティアラが載っていて、彼女が一体何者なのか一目では分からなかった。
ただ、その声は先ほど聞こえた癇癪を起こしていた女性の声と一緒だったから、叫んだのはこの目の前の謎の女性で間違いないだろう。
女性の足元には、鉄でできた大きな鳥籠のようなものがあり、辺りには白い鳥の羽根が数枚舞っている。
「ジッ!」
「アーサー!」
「見えてるっ……おっと!」
鳥の鳴き声が聞こえたと思ったら、何か白いものがこちらにまっすぐ向かってきて、アーサーが綺麗に両手でキャッチした。
「なんだこれ……うおっ」
「大丈夫かアーサー! って……お?」
「アーサー様、一体何が……ん?」
「そ、それは」
さすがに一番後ろにいる私の場所からでは、一番前にいるアーサーが何をキャッチしたのかはわからない。でもカールさんたちの声から察するに、それを見て驚いているようだ。
「……シュー・ア・ラ・クレーム……」
「アーサー、何かあったの!?」
後ろから声をかけると、カールさんたちが左右に避け、道を空けてくれた。アーサーは振り返ると、手に持つそれを見せてくれた。
「ねえ、マーガレッタ。ちょっと大きいけど、兄上が言ってたシュー・ア・ラ・クレームってコレだよね?」
「ジッ!」
「まあ!」
私も驚いて思わず声を上げた。
アーサーの腕には白くて丸い、たしかにお菓子のシュー・ア・ラ・クレームそっくりの生き物が抱きかかえられていた。
「ジッ!」
「か、可愛い……」
真っ白でふわふわした体に黒いつぶらな瞳と短いくちばし、折りたたまれた羽根は黒く、長めの尻尾も黒い。可愛らしい見た目だが、大きさは少し大きめのキャベツほどある鳥が、アーサーの腕の中にすっぽりと納まっていた。
「ジッ!」
小鳥は鋭く声を上げる。それは鳥の声なのだけれど、私にはきちんと意味のある言葉に聞こえた。これが契約の効果なのかしら?
《マーガレッタ! たすけて》
「あなたが神獣様なのですね!?」
《そうだよ、マーガレッタ、だっこして》
「アーサー、その子を私にください!」
「え、このまんまるが神獣様? 白いシュー・ア・ラ・クレームだろ! ちょっと大きいけど」
そう言いながらもアーサーは、ふわふわの体の神獣様を差し出してくれる。きゅっと抱きしめると繊細な羽毛が頬に当たるけれど、体は少し冷えている気がする。何か温める物が必要かもしれない。
《あったかい……いいにおい……お姉ちゃんみたい》
神獣様はカタカタと小さく震えていたが、ぎゅっと抱きしめていると少しずつ治まってくる。どうして大切な神獣様がこんなことになっているのか、不思議でならなかった。地上に降りた神獣様は聖女や神官の手で保護されているはずなのに。
「ちょっとあなたなんなの? その役立たずをこちらに寄越しなさい!」
白いドレスの女性が鋭い声を私にぶつけていた。ふわふわの神獣様を害なしと判断して笑顔になっていたアーサーとカールさんたちが、すぐに女性のほうを向き警戒態勢を取った。それくらい彼女の声は悪意に満ちていた。
「だから、その使えない役立たずをこちらへ渡すのよ! 何が神獣よ、何の力もないくせに偉そうに!」
「こちらの方は神獣様です、今はお力が封印されている状態でしょう。むしろどうして早く封印を解いて差し上げないのですか?」
「は? 封印? 何のことよ」
「え、だって、神獣様は神界から渡る時にこの世界に歪みを発生させないよう、封印されてからやってくるのでしょう?」
「知らないわよ!」
……知らない?
私が周りの神官さんたちを見ると、皆さん激しく頷いている。神官さんたちは分かっているようだから、たぶんこの場にいてその事実を知らないのは、神殿について詳しくないアーサーとカールさん、そしてこの白いドレスの女性だけだろう。メリンダさんやトリルさんは聞いたことがある、って顔をしている。
「そうなのかい? マーガレッタ」
「なるほど、納得はできるな」
アーサーとカールさんは小さく頷く。
しかし女性は眉間に皺を寄せて金切り声をあげた。
「私が知らないって言ったら、そんな事実はないのよ! 私を誰だと思っているの!? この国の聖女なのよ!」
この方が聖女!? 私は驚いて目を丸くした。
「あなたが聖女様なのですか!? 本当に?」
「ええそうよ、私がこのヘーラクレール王国第一王女にして現在唯一の聖女、タニアよ。私の顔と名前を知らないなんて、どこの平民なのかしら? 信じられないわ!」
私は出発する前に読んだヘーラクレール王国に関する書類を思い出していた。
そこには、ヘーラクレールでは王女の中で一番神聖力が高い人が聖女となると書かれていた。読んだ書類に王女の姿絵は載っていなかったけれど、聖女である女性の名前はタニアだった。
……でも、あまりにも……
「ほ、本当に……聖女様なのですか?」
「そうだって言ってるでしょう!!」
もう一度尋ねて怒らせてしまったけれど、私はどうにも気になってしまう。
私は聖女ではないから、神聖力というのがどういうものかあまり分からない。それでもいつも身近に「みなさま」がいてくださるから、神聖な気配というものはなんとなくわかるつもりだ。
その神聖な気配を、この怒っている白いドレスの女性――タニア王女からは全く感じないのだ。彼女の後ろには五、六名の護衛の騎士らしき人物も立っているから、それなりに高い地位にいる女性と言われれば頷けるが、聖女だと言われると首を傾げるしかない。
《そいつ、きたない。そんなやつ聖女なんて言えないよ! そいつからまともに力をもらえなくて、ボクはずっとこのままなんだ……たすけて、マーガレッタ》
「やはりですか……」
腕の中で神獣様が悲しそうにふるりと震えた。
いくら強い力を持った神獣様でも、封印されたままでずっと過ごしていては自分を保つだけで精一杯……いえ、今の神獣様はそれも怪しい。このままでは存在が消えてしまうところまで追い込まれているだろう。
だから無理をしてまで、遠いレッセルバーグに助けを求めたんだ。
「早くその役立たずを寄越しなさい。そいつにはやらなきゃいけないことがあるのよ」
「あなたにはお渡しできません。あなたでは神獣様のお力を解放することができないので、このままでは神獣様が消えてなくなってしまう。あなたに聖女の任は重すぎるようです」
「なっ……なんですって!? 平民の癖にっ!!」
タニア王女が顔を真っ赤にし、ヒールの音を響かせてこちらに近づき手を振り上げる。
――叩かれる!
神獣様をぎゅっと抱え込んで、振り下ろされる腕から遠ざける。この子は守ってあげなくてはいけない。
こんなに弱っている子が力強く叩かれたら、今度こそ消えてしまうかもしれない!
しかしその衝撃はいつまで経ってもやってこなかった。
「いくら王女だろうと、私の婚約者に手を上げてもらっては困る」
「悪いが俺たちも護衛として雇われているんでね、暴漢から彼女を守るのが仕事だ」
「は、放しなさいっ! 誰が暴漢よ」
神獣様を抱きしめたまま顔を上げると、タニア王女の腕はアーサーとカールさんに掴まれていた。よ、良かった……思わずホッとして床に座り込んでしまう。
《マーガレッタ、ありがとう……あいつは汚れているから、あいつに触られるだけでボクの力がへっちゃうの……》
「え? 汚れているとはどういうことですか?」
神獣様の呟きに驚いて、私は思わず聞き返してしまった。
《ボクはこう見えても一角獣の血もひいているんだ。だから純潔でない人に触られるはイヤなの》
「えっとつまり……タニア王女は純潔ではないとおっしゃるのですね?」
《そだよ! だからあいつはイヤなんだ》
「そうだったんですね……あっ!」
目の前のタニア王女の顔がますます怒りで真っ赤になっていく。
そういえば、神獣様の声は他の人には聞こえず、単に鳥の鳴き声に聞こえてる。でも私の呟きは皆に聞こえている……
だから私の呟きである「タニア王女は純潔ではない」という言葉は、ここにいる全員に聞こえてしまったんだ。
しまった、と口を押さえた時にはもう遅く、タニア王女には冷たい視線が注がれることになってしまった。未婚の王女が純潔ではない……これは知られてはいけない大問題では!?
「そ、そんな……そんな訳ないじゃないっ!! なんて失礼な!」
タニア王女は否定の言葉を喚き散らすけれど、神官さんたちはどうやら全員私の言葉を信じているようだ。元々そういう噂があった方なのか、日頃の態度がそうなのかは分からないけれど、とにかく彼女にこの神獣様をお世話する資格がないことははっきりわかった。
「な、な、何を証拠に!」
アーサーとカールさんが手を放したら飛び掛かってきそうなほど、タニア王女は罵詈雑言を叫んでいる。私は彼女が万が一にも神獣様に近づかないよう、神獣様を後ろに隠した。
「こちらの神獣様は一角獣の血を引くお方だそうですから、お世話は純潔な者のみで行うのが望ましいのです。申し訳ないのですが、タニア王女にはちょっとご遠慮いただいてよろしいでしょうか」
「なっ!!」
言葉に詰まるタニア王女だったけれど、これはどうしようもないことだ。少し部屋の中を見渡すと、数人の神官さんが近づいてきた。
「なるほど、そういうことだったのですね。私は妻も恋人もおりません。神獣様のお世話のお手伝いができるかと思います」
「私もいません、大丈夫でしょうか?」
そうやって近くに来てくれた方を神獣様は怯えなかったので、頷いて助力を求めた。
「大丈夫のようです、私は契約でこちらの神獣様のお声が聞き取れます。しかし私は聖女ではなく神聖な力を注いであげることはできませんので、皆様のお力が必要です」
「ええ、分かりました。人によってお世話を嫌がる理由がわかって安心いたしました。たしかに妻帯者が触れるのを嫌がっていた……早く気がつけなかった我々の落ち度です」
「お助けするつもりで、力を削いでしまっていたのですね。申し訳ございません、神獣様」
《いいよ、みんなは優しいもん……大丈夫、許すよ》
小さく鳴いて目を細めた神獣様の言葉を神官さんに伝えると、神官さんたちはホッと安堵のため息をついた。私の膝の上でフワフワの羽根を少し逆立てていたけれど、少しずつ落ち着いてきている。
「羽毛が乱れておられますね」
「お水をお持ちします」
神獣様は神官さんたちに優しい言葉をかけられて嬉しそうにしている。
こうやって皆に愛され大切にされながらお力を蓄えて、封印が解けたら地上の毒素や瘴気を払ってくれるのが、神獣様という存在。
それなのに神獣様を鉄の鳥籠の中に入れようとしてただなんて、信じられない。
「もう大丈夫ですからね。アーサーやカールさんも守ってくれますから、安心してください」
神獣様は小さな丸い目をぱちぱちさせてから、私の腕の中で丸くなった。ともかく無事に保護できたことを喜ぼう。
イグリス様の容態を重く見た陛下が、私たちに手紙を持たせてくださった。表向きはヘーラクレールで珍しい薬草を買い付けるということになっている。
ヘーラクレール王国内に入り一日目の夜。国境付近の町の宿に宿泊した私は、助けを求める声で目を覚ました。深夜で灯りを消しているから、辺りは真っ暗で何も見えない。でも小さな子供のような声が聞こえてきた。
《くるしいの……たすけて……ねえ、ボクをたすけて……》
「もちろん。そのために私たちはこの国に来たの。大丈夫、『みなさま』も了承してくれたから、あなたを元気にするお手伝いができるわ……どうしたら元気になれるかしら?」
《すこしのあいだでいいから……ボクをたすけてくれるってけいやくして……すこしでいいから》
「契約……」
その言葉に、私は少しためらった。契約という言葉に良い印象がない。私はそれに縛られて、リアム王国で辛い目に遭ったのだから。
あの頃の思い出が蘇り、背筋が震えた。
《ボク、マーガレッタにいじわるしない。マーガレッタ、あったかい。ボクにすこしあったかいをわけてくれる道をつくるだけのけいやく。おねがい》
「……わかったわ、私はあなたを信じる。契約をしましょう、私はあなたを助けるわ」
《ありがとうマーガレッタ! ボク、マーガレッタだいすき!》
目を閉じると、暗闇の中に小さな光の点が見える。その点までうっすらと細い糸みたいなものが繋がっている。きっとこの糸の先に、神獣様がいるのだろう。
《はやくきてね、マーガレッタ。ボク、まってる……》
「分かったわ、もうちょっと頑張ってね」
《うん》
光の点がどんどん小さくなっていき、ついに消えた。きっと助けを求めた神獣様が眠ってしまったんだろう。それでも微かに契約の糸が繋がっているのを感じるから、迷わず辿り着けそうな気がする。
「きっと、イグリス様もこれでゆっくり眠れるようになるはず」
明日の朝、メリンダさんにお願いしてグラナッツお祖父様にイグリス様の様子を見てもらおう。そして契約のことをアーサーや皆にきちんと話そう。
早く神獣様のもとに行ってあげようと思い、私はか細い契約の糸を感じながら眠りについた。
「朝の定期連絡でグラ爺に言っといたよ~」
「ありがとうございます、メリンダさん」
「よゆーよゆー」
翌朝。私はメリンダさんにお願いして、グラナッツお祖父様に連絡してもらった。
女性が二人の旅なので、私とメリンダさんは同じ部屋に泊まっている。なので、朝一番にイグリス様の様子を見てくださいと伝えてもらったというわけだ。
遠距離の通信魔法を易々と使いこなすメリンダさんだけれど、通信魔法がとても複雑で高度な魔法だと知った時はとても驚いた。
メリンダさんもカールさんと同じくS級の冒険者らしい。リアム王国から逃げるとき、そんな凄腕の人に護衛してもらっていたんだと改めてびっくりした。
身支度を終わらせて、アーサーたちと合流し、朝食をとりながら昨日の夢の話を包み隠さず話す。契約という単語が出た瞬間、やっぱりアーサーは顔を曇らせた。
「……契約、ねぇ……」
「でもこの契約のおかげで、その子がどの方向にいるかは分かります」
「ちなみにどっち?」
「ヘーラクレール王国の王都の方角で間違いないです」
他のみなさんも、ふむ、と少し考えこんでいたが、私を少し見てから笑みを浮かべた。
「わかんねえけど、今んとこ痛いとか苦しいとかなきゃ大丈夫だろう」
「そうだな。マーガレッタ、何か不調があったらすぐ知らせてね」
「はい、分かりました」
朝食を終えた私たちは、ヘーラクレール王国の王都を目指して再び馬車に乗る。
夜、寝るたびにあの光の点が現れて、二言三言会話をする日々が続いていた。光の点は王都が近づくにつれて少しずつ大きくなっていき、今はちょうど両手にすっぽり収まるくらいの大きさになった。声も少し元気が出てきた。
《けっこう、ちかくだね。マーガレッタ、はやくあいたい》
「そうですね、私も早く会いたいです。あなたはいま、どこにおられるのですか?」
契約の糸を辿れば見つかるだろうけれど、聞いたほうが早く見つかると思い尋ねてみる。すると光の玉はぷるっと少し震えてから、はっきり告げた。
《街のまんなかにあるしんでんにきて。ボク、まってる》
「分かりました」
そして今日も光は消えていき、私は眠りにつく。
ヘーラクレール王国の城下町の中央に、大神殿があると聞いている。神獣様は間違いなくそこにいるんだろう。早く会いたいな。
翌日。ヘーラクレール王国の王都に馬車で入った私たちは、その異様な空気に思わず目を瞠った。空気は淀み、住人たちの顔色は悪く、咳をしたり辛そうにしたりしている人ばかりだった。
「うっ……」
「これは」
「み、皆さん。毒の耐性を上げる飴をお配りしますので、一日一個は食べてください」
「そんな便利な物あんのか!」
「試作品です。何の毒か分かればもう少し効き目を良くすることができると思いますが、これでもないよりマシです」
「ありがてえ」
間違いなく微量の何かしらの毒が、王都の空気中に混じり込んでいる。私は慌てて、鞄の中から飴を取り出して皆に渡す。
来る前に色々試作品を作っていたけど、すぐに使うことになるなんて。ヘーラクレール王国はよっぽど酷い状態なのかもしれない。
街の中をゆっくり走る馬車の窓から外を窺うと、視界に入るのは沈んだ顔の人たちばかりで、こちらまで気分が滅入ってくるような気がする。
「そういえば『みなさま』が、封印が緩んでいると言っていました。これがそういうことなんですね」
「たしか、ヒュドラの遺骸と毒はヘーラクレールの子孫が封じ続けているんだよな?」
「きっと何かあったんでしょうね。そしてそれを解決するために神獣が送り込まれたんでしたね」
「けどその神獣が助けを求めてきた。なんでだろ?」
最後、メリンダさんの質問には誰も答えを返せなかった。
「急ぎましょう。神殿に行けばわかるはずです」
私は契約で繋がった糸を見る。この糸は王都の中心へ続いている。助けを求める神獣様の言ったとおりだ。
なるべく急いで神殿の前まで向かうと、神殿は多くの人々がお祈りにきており混雑していた。
やはり体力のない女性やお年寄り、子供にはもう症状が現れていて、息苦しそうにしていたり、咳き込んで体調が悪そうな人が大勢いた。おそらく皆さん、体調が良くなるように祈りに来ているのだろう。
「さすが神殿。近くまで来ると少しマシだな」
「本当ですね、空気が少し澄んでいる気がします」
私はアーサーの言葉に頷く。
神殿からは浄化の力が広がっているようで、王都に入ったときのような空気の淀みはなかった。でも、王都の街に毒や瘴気が流れ出しているということは、浄化の力は全く足りてないということだ。
私たちは神殿から少し離れた場所で馬車を降りると、足早に神殿へ向かう。とその時、神殿の中から僧服に身を包んだ女性がこちらに駆け寄ってきた。
「お、お待ちしておりました! せいじょ……いえ! えーと薬師様!!」
「えっ」
私たちは神殿への先触れは出していない。なぜこんなにタイミングよく私たちを待っていたのだろう。
「神託により……あっ違う『みなさま』が教えてくださったのと、神獣様のお言葉です! せいじょ……いえ、薬師様が来てくださると。すぐに中へ! ご案内いたします。お連れ様もこちらです!」
なんだか歯切れ悪い言葉が多くあって、カールさんとアーサーは首を傾げる。けれど私は二人に向かって言う。
「神獣様が心配です、話は道々聞きましょう」
「……マーガレッタがそう言うなら」
「なあに、なんかあったら俺たちで対処できるだろ、行こうぜ」
メリンダさんとトリルさんもカールさんの提案に頷き、私たちは神殿の中へ駆けていく神官の後ろ姿を追いかけた。
「あ、あの」
「遠い所わざわざご足労をいただき、さらにこんなに急がせて申し訳ございません。ですが、一刻も早く神獣様に会っていただきたくて」
「分かりました。神獣様のご体調は……」
「悪いです……さらに悪いことに」
顔色が悪い女性神官は話を続けようとしたが、奥から聞こえてきた、金属製の何かを勢いよく倒したような大きな音にびくっと体を竦めた。
音の鳴った方向にアーサーたちは視線を移すや否や、最も前を歩く私を庇うようにいつの間にか私の前に立っていた。
カールさんとアーサーは一番後ろにいたはずなのに……素早い!
「目障りなのよッ!! この役立たずッ!」
耳を覆いたくなるような、とても不快な甲高い女性の叫び声が辺りに響いた。
「私はこの国の第一王女にして唯一の聖女なのよ!! その私がこうして来てやってるというのに、この役立たずがっ」
「ジーーッ!!」
先ほどと同じ大きな音がまた響く。さらに何かを蹴った音、何かが空中に放り投げられ床に叩きつけられたような音がして、そして小鳥の悲痛な鳴き声が重なった。
この声はイグリス様の執務室の前で聞こえて、引き続きここまで聞いてきたあの声!!
《ぎゃんっ! い、いたいっ! こわいっ、たすけてーっ》
「アーサー、急いで! 痛がってる!」
「あっちか!?」
神獣様と契約で繋がった私の頭の中に、恐怖に震える声がはっきり聞こえた。
神の使いをこんなに怖がらせるなんて、一体誰がそんな罰当たりなことをしているんだろう。それに祝福された存在である神獣様が怯えるなんて……
悲しみできゅっと心臓が締め上げられる。
「音が聞こえたほう!」
「分かった!」
アーサーはほんの一瞬だけカールさんたちと視線を交わすと、案内してくれた女性神官を押しのけ、先ほどから不快な音が聞こえる部屋の扉を開けた。
「な、なによ……」
アーサーがノックもなしに開けたため、中にいた一人の女性が驚いてこちらを見る。私は皆さんの後ろからその様子を窺った。
その女性はとても派手な紫色の髪をしていた。そして、真っ白な布地に銀糸や金糸の美しい刺繍で飾られているとても高価そうなドレスをまとっている。
さらに女性神官がかぶっているヴェールと似たものを身に着けているけれど、それは髪を隠すためじゃなくて、神職に見えるように手が加えられている装飾品のようだ。頭の上には大きな銀のティアラが載っていて、彼女が一体何者なのか一目では分からなかった。
ただ、その声は先ほど聞こえた癇癪を起こしていた女性の声と一緒だったから、叫んだのはこの目の前の謎の女性で間違いないだろう。
女性の足元には、鉄でできた大きな鳥籠のようなものがあり、辺りには白い鳥の羽根が数枚舞っている。
「ジッ!」
「アーサー!」
「見えてるっ……おっと!」
鳥の鳴き声が聞こえたと思ったら、何か白いものがこちらにまっすぐ向かってきて、アーサーが綺麗に両手でキャッチした。
「なんだこれ……うおっ」
「大丈夫かアーサー! って……お?」
「アーサー様、一体何が……ん?」
「そ、それは」
さすがに一番後ろにいる私の場所からでは、一番前にいるアーサーが何をキャッチしたのかはわからない。でもカールさんたちの声から察するに、それを見て驚いているようだ。
「……シュー・ア・ラ・クレーム……」
「アーサー、何かあったの!?」
後ろから声をかけると、カールさんたちが左右に避け、道を空けてくれた。アーサーは振り返ると、手に持つそれを見せてくれた。
「ねえ、マーガレッタ。ちょっと大きいけど、兄上が言ってたシュー・ア・ラ・クレームってコレだよね?」
「ジッ!」
「まあ!」
私も驚いて思わず声を上げた。
アーサーの腕には白くて丸い、たしかにお菓子のシュー・ア・ラ・クレームそっくりの生き物が抱きかかえられていた。
「ジッ!」
「か、可愛い……」
真っ白でふわふわした体に黒いつぶらな瞳と短いくちばし、折りたたまれた羽根は黒く、長めの尻尾も黒い。可愛らしい見た目だが、大きさは少し大きめのキャベツほどある鳥が、アーサーの腕の中にすっぽりと納まっていた。
「ジッ!」
小鳥は鋭く声を上げる。それは鳥の声なのだけれど、私にはきちんと意味のある言葉に聞こえた。これが契約の効果なのかしら?
《マーガレッタ! たすけて》
「あなたが神獣様なのですね!?」
《そうだよ、マーガレッタ、だっこして》
「アーサー、その子を私にください!」
「え、このまんまるが神獣様? 白いシュー・ア・ラ・クレームだろ! ちょっと大きいけど」
そう言いながらもアーサーは、ふわふわの体の神獣様を差し出してくれる。きゅっと抱きしめると繊細な羽毛が頬に当たるけれど、体は少し冷えている気がする。何か温める物が必要かもしれない。
《あったかい……いいにおい……お姉ちゃんみたい》
神獣様はカタカタと小さく震えていたが、ぎゅっと抱きしめていると少しずつ治まってくる。どうして大切な神獣様がこんなことになっているのか、不思議でならなかった。地上に降りた神獣様は聖女や神官の手で保護されているはずなのに。
「ちょっとあなたなんなの? その役立たずをこちらに寄越しなさい!」
白いドレスの女性が鋭い声を私にぶつけていた。ふわふわの神獣様を害なしと判断して笑顔になっていたアーサーとカールさんたちが、すぐに女性のほうを向き警戒態勢を取った。それくらい彼女の声は悪意に満ちていた。
「だから、その使えない役立たずをこちらへ渡すのよ! 何が神獣よ、何の力もないくせに偉そうに!」
「こちらの方は神獣様です、今はお力が封印されている状態でしょう。むしろどうして早く封印を解いて差し上げないのですか?」
「は? 封印? 何のことよ」
「え、だって、神獣様は神界から渡る時にこの世界に歪みを発生させないよう、封印されてからやってくるのでしょう?」
「知らないわよ!」
……知らない?
私が周りの神官さんたちを見ると、皆さん激しく頷いている。神官さんたちは分かっているようだから、たぶんこの場にいてその事実を知らないのは、神殿について詳しくないアーサーとカールさん、そしてこの白いドレスの女性だけだろう。メリンダさんやトリルさんは聞いたことがある、って顔をしている。
「そうなのかい? マーガレッタ」
「なるほど、納得はできるな」
アーサーとカールさんは小さく頷く。
しかし女性は眉間に皺を寄せて金切り声をあげた。
「私が知らないって言ったら、そんな事実はないのよ! 私を誰だと思っているの!? この国の聖女なのよ!」
この方が聖女!? 私は驚いて目を丸くした。
「あなたが聖女様なのですか!? 本当に?」
「ええそうよ、私がこのヘーラクレール王国第一王女にして現在唯一の聖女、タニアよ。私の顔と名前を知らないなんて、どこの平民なのかしら? 信じられないわ!」
私は出発する前に読んだヘーラクレール王国に関する書類を思い出していた。
そこには、ヘーラクレールでは王女の中で一番神聖力が高い人が聖女となると書かれていた。読んだ書類に王女の姿絵は載っていなかったけれど、聖女である女性の名前はタニアだった。
……でも、あまりにも……
「ほ、本当に……聖女様なのですか?」
「そうだって言ってるでしょう!!」
もう一度尋ねて怒らせてしまったけれど、私はどうにも気になってしまう。
私は聖女ではないから、神聖力というのがどういうものかあまり分からない。それでもいつも身近に「みなさま」がいてくださるから、神聖な気配というものはなんとなくわかるつもりだ。
その神聖な気配を、この怒っている白いドレスの女性――タニア王女からは全く感じないのだ。彼女の後ろには五、六名の護衛の騎士らしき人物も立っているから、それなりに高い地位にいる女性と言われれば頷けるが、聖女だと言われると首を傾げるしかない。
《そいつ、きたない。そんなやつ聖女なんて言えないよ! そいつからまともに力をもらえなくて、ボクはずっとこのままなんだ……たすけて、マーガレッタ》
「やはりですか……」
腕の中で神獣様が悲しそうにふるりと震えた。
いくら強い力を持った神獣様でも、封印されたままでずっと過ごしていては自分を保つだけで精一杯……いえ、今の神獣様はそれも怪しい。このままでは存在が消えてしまうところまで追い込まれているだろう。
だから無理をしてまで、遠いレッセルバーグに助けを求めたんだ。
「早くその役立たずを寄越しなさい。そいつにはやらなきゃいけないことがあるのよ」
「あなたにはお渡しできません。あなたでは神獣様のお力を解放することができないので、このままでは神獣様が消えてなくなってしまう。あなたに聖女の任は重すぎるようです」
「なっ……なんですって!? 平民の癖にっ!!」
タニア王女が顔を真っ赤にし、ヒールの音を響かせてこちらに近づき手を振り上げる。
――叩かれる!
神獣様をぎゅっと抱え込んで、振り下ろされる腕から遠ざける。この子は守ってあげなくてはいけない。
こんなに弱っている子が力強く叩かれたら、今度こそ消えてしまうかもしれない!
しかしその衝撃はいつまで経ってもやってこなかった。
「いくら王女だろうと、私の婚約者に手を上げてもらっては困る」
「悪いが俺たちも護衛として雇われているんでね、暴漢から彼女を守るのが仕事だ」
「は、放しなさいっ! 誰が暴漢よ」
神獣様を抱きしめたまま顔を上げると、タニア王女の腕はアーサーとカールさんに掴まれていた。よ、良かった……思わずホッとして床に座り込んでしまう。
《マーガレッタ、ありがとう……あいつは汚れているから、あいつに触られるだけでボクの力がへっちゃうの……》
「え? 汚れているとはどういうことですか?」
神獣様の呟きに驚いて、私は思わず聞き返してしまった。
《ボクはこう見えても一角獣の血もひいているんだ。だから純潔でない人に触られるはイヤなの》
「えっとつまり……タニア王女は純潔ではないとおっしゃるのですね?」
《そだよ! だからあいつはイヤなんだ》
「そうだったんですね……あっ!」
目の前のタニア王女の顔がますます怒りで真っ赤になっていく。
そういえば、神獣様の声は他の人には聞こえず、単に鳥の鳴き声に聞こえてる。でも私の呟きは皆に聞こえている……
だから私の呟きである「タニア王女は純潔ではない」という言葉は、ここにいる全員に聞こえてしまったんだ。
しまった、と口を押さえた時にはもう遅く、タニア王女には冷たい視線が注がれることになってしまった。未婚の王女が純潔ではない……これは知られてはいけない大問題では!?
「そ、そんな……そんな訳ないじゃないっ!! なんて失礼な!」
タニア王女は否定の言葉を喚き散らすけれど、神官さんたちはどうやら全員私の言葉を信じているようだ。元々そういう噂があった方なのか、日頃の態度がそうなのかは分からないけれど、とにかく彼女にこの神獣様をお世話する資格がないことははっきりわかった。
「な、な、何を証拠に!」
アーサーとカールさんが手を放したら飛び掛かってきそうなほど、タニア王女は罵詈雑言を叫んでいる。私は彼女が万が一にも神獣様に近づかないよう、神獣様を後ろに隠した。
「こちらの神獣様は一角獣の血を引くお方だそうですから、お世話は純潔な者のみで行うのが望ましいのです。申し訳ないのですが、タニア王女にはちょっとご遠慮いただいてよろしいでしょうか」
「なっ!!」
言葉に詰まるタニア王女だったけれど、これはどうしようもないことだ。少し部屋の中を見渡すと、数人の神官さんが近づいてきた。
「なるほど、そういうことだったのですね。私は妻も恋人もおりません。神獣様のお世話のお手伝いができるかと思います」
「私もいません、大丈夫でしょうか?」
そうやって近くに来てくれた方を神獣様は怯えなかったので、頷いて助力を求めた。
「大丈夫のようです、私は契約でこちらの神獣様のお声が聞き取れます。しかし私は聖女ではなく神聖な力を注いであげることはできませんので、皆様のお力が必要です」
「ええ、分かりました。人によってお世話を嫌がる理由がわかって安心いたしました。たしかに妻帯者が触れるのを嫌がっていた……早く気がつけなかった我々の落ち度です」
「お助けするつもりで、力を削いでしまっていたのですね。申し訳ございません、神獣様」
《いいよ、みんなは優しいもん……大丈夫、許すよ》
小さく鳴いて目を細めた神獣様の言葉を神官さんに伝えると、神官さんたちはホッと安堵のため息をついた。私の膝の上でフワフワの羽根を少し逆立てていたけれど、少しずつ落ち着いてきている。
「羽毛が乱れておられますね」
「お水をお持ちします」
神獣様は神官さんたちに優しい言葉をかけられて嬉しそうにしている。
こうやって皆に愛され大切にされながらお力を蓄えて、封印が解けたら地上の毒素や瘴気を払ってくれるのが、神獣様という存在。
それなのに神獣様を鉄の鳥籠の中に入れようとしてただなんて、信じられない。
「もう大丈夫ですからね。アーサーやカールさんも守ってくれますから、安心してください」
神獣様は小さな丸い目をぱちぱちさせてから、私の腕の中で丸くなった。ともかく無事に保護できたことを喜ぼう。
感想 356
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