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第二章
第9夜
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シャーサは母のいなくなったリビングで皿を磨く。
毎日丁寧に使い込み、古いながらも反射で自分の顔を写すアルミの深皿が、今は憎い。
この世の終わりのような自分の表情に目を背け、木棚に食器を片付ける。
ふと、皿に注いだミルクを美味しそうに飲んでいた猫の姿を思い出す。
あの猫は、神様にきっと自分の願いを伝えてくれたのだ。
母の幸せ、自分の消失、そして、誰かから愛されること。
全部自分が望んだとおりのはずなのに、どうして満たされないのだろう。
猫の姿で尻尾を揺らしていた魔法使いは、自分の「望んだもの」の一つなのだ。
彼に会いたい。…いや、会いたくない。
だって会ったら、
「会ったら…?」
どうなるっていうんだ。
シャーサは唇を噛む。
魔法使いの言うとおり、考えて、考えて、でも、自分はいまだに答えを出せないでいた。
結局また同じだ。選べない、選びたくない。
シャーサはいつもよりのろのろと階段を上り、自分の部屋の扉に手をかける。
魔法使いと会いたいのは、自分の中の結論を伝えたいわけでは無い。
ただ、会えて嬉しいと、微笑んでくれるのではないかと、そう思ってしまうからだ。
結局自分は、魔法使いの幸せを口先で願いながら、ただ一方的に幸せを享受したいと願う卑怯な人間なのだ。
自己嫌悪をつのらせながら、ドアノブに手をかける。
そして、いつものように扉を開け、中に入った先は、シャーサの部屋では無かった。
ほんのり湿り気のある朝露とハーブの香りに、はっと部屋を見渡す。
その見慣れない部屋にいた人間が、シャーサの方を振り向く。
振り向いた拍子にフードが脱げたその先客の顔は、今まさにシャーサが思い浮かべていた人物だ。
シャーサの扉は、魔法使いの店につながっていた。
***
魔法使いの店のドアが繋がる先は、ランダムだ。
出口を決められるのは魔法使い当人のみか、魔法使いが許可した相手だけである。
たまたま繋がってしまって、時折迷い込む人間もいるが、それも稀なことだ。
だから、ドアを開けた状態で固まっているシャーサを見て、魔法使いは驚いた。
しかし、「自分が無意識に呼んでしまったのだろうか」という焦りは、シャーサから発された言葉に吹き飛んだ。
「あ、会いたかった…」
ぽろ、と涙を流してこちらに近付くシャーサに、思わず手を伸ばす。
ふらつく足元に力を入れ、地面を蹴る。
「ボクも、」
二人の手が触れあったのは、扉がぱたりと閉まる音と同時だった。
「ボクも、会いたかった、」
シャーサは握った魔法使いの右手を、額に当てる。
ひんやりとしたシャーサの手の感触に、魔法使いはほう、と息を吐いた。
いつになく近い距離が嬉しく、鼻先にあるシャーサの頭に頬を預ける。
「ごめんなさい」
「…何に、謝っているんだい?」
魔法使いは空いた手をシャーサの背に回す。
「あ、謝るものが多すぎて、」
「整理できない?」
落ち着かせるように背を撫でると、頷きが返される。
「…なら、ひとつずつ、紐解いていこう。大丈夫、時間はあるさ」
しかし、首が横に振られる気配に、魔法使いは首を持ち上げ、シャーサを見下ろした。
「嫌かい?」
「違う…違うんです、ごめんなさい、私は、」
「うん」
嗚咽で詰まる言葉を必死に絞り出すシャーサを、魔法使いは待つ。
「優柔不断で、何も出来なくて…自分の気持ちも分からなくて。…でも、あなたと、一緒にいたくて」
握られた手に、シャーサの手の震えが伝わってくる。
魔法使いは軽く指先を曲げ、シャーサの額をなぞった。
「こんなの、ただの逃げ、だし、甘えだし」
「うん」
「お母さんからも…の、望まれるような人間に、なれないのに、」
「うん」
そこで言葉を切って、押し黙るシャーサに、魔法使いは静かに耳を傾ける。
二人の脈の音が聞こえてきそうな長い沈黙のあと、シャーサはぽつりと言った。
「す、好きって言って欲しかった、」
背を撫でていた魔法使いの手が、軽くシャーサの服を掴む。
「うん」
「何が、駄目だったんでしょう」
「なんにも駄目じゃなかったさ」
背を丸めて肩を震わせるシャーサを、魔法使いは引き寄せる。
「でもきっと、足りなかった。最初から、何もかも」
「それでも、お母さんのこと、だいすきだもの。ね?」
「だって、嫌いになれるわけない」
「そうだね」
「ごめんなさい」
「いいよ」
魔法使いはシャーサを抱え込むように抱き締めて、頭を撫でる。
まるで子どものように泣きながら、涙と共に流される謝罪を、魔法使いはひとつひとつ許した。
毎日丁寧に使い込み、古いながらも反射で自分の顔を写すアルミの深皿が、今は憎い。
この世の終わりのような自分の表情に目を背け、木棚に食器を片付ける。
ふと、皿に注いだミルクを美味しそうに飲んでいた猫の姿を思い出す。
あの猫は、神様にきっと自分の願いを伝えてくれたのだ。
母の幸せ、自分の消失、そして、誰かから愛されること。
全部自分が望んだとおりのはずなのに、どうして満たされないのだろう。
猫の姿で尻尾を揺らしていた魔法使いは、自分の「望んだもの」の一つなのだ。
彼に会いたい。…いや、会いたくない。
だって会ったら、
「会ったら…?」
どうなるっていうんだ。
シャーサは唇を噛む。
魔法使いの言うとおり、考えて、考えて、でも、自分はいまだに答えを出せないでいた。
結局また同じだ。選べない、選びたくない。
シャーサはいつもよりのろのろと階段を上り、自分の部屋の扉に手をかける。
魔法使いと会いたいのは、自分の中の結論を伝えたいわけでは無い。
ただ、会えて嬉しいと、微笑んでくれるのではないかと、そう思ってしまうからだ。
結局自分は、魔法使いの幸せを口先で願いながら、ただ一方的に幸せを享受したいと願う卑怯な人間なのだ。
自己嫌悪をつのらせながら、ドアノブに手をかける。
そして、いつものように扉を開け、中に入った先は、シャーサの部屋では無かった。
ほんのり湿り気のある朝露とハーブの香りに、はっと部屋を見渡す。
その見慣れない部屋にいた人間が、シャーサの方を振り向く。
振り向いた拍子にフードが脱げたその先客の顔は、今まさにシャーサが思い浮かべていた人物だ。
シャーサの扉は、魔法使いの店につながっていた。
***
魔法使いの店のドアが繋がる先は、ランダムだ。
出口を決められるのは魔法使い当人のみか、魔法使いが許可した相手だけである。
たまたま繋がってしまって、時折迷い込む人間もいるが、それも稀なことだ。
だから、ドアを開けた状態で固まっているシャーサを見て、魔法使いは驚いた。
しかし、「自分が無意識に呼んでしまったのだろうか」という焦りは、シャーサから発された言葉に吹き飛んだ。
「あ、会いたかった…」
ぽろ、と涙を流してこちらに近付くシャーサに、思わず手を伸ばす。
ふらつく足元に力を入れ、地面を蹴る。
「ボクも、」
二人の手が触れあったのは、扉がぱたりと閉まる音と同時だった。
「ボクも、会いたかった、」
シャーサは握った魔法使いの右手を、額に当てる。
ひんやりとしたシャーサの手の感触に、魔法使いはほう、と息を吐いた。
いつになく近い距離が嬉しく、鼻先にあるシャーサの頭に頬を預ける。
「ごめんなさい」
「…何に、謝っているんだい?」
魔法使いは空いた手をシャーサの背に回す。
「あ、謝るものが多すぎて、」
「整理できない?」
落ち着かせるように背を撫でると、頷きが返される。
「…なら、ひとつずつ、紐解いていこう。大丈夫、時間はあるさ」
しかし、首が横に振られる気配に、魔法使いは首を持ち上げ、シャーサを見下ろした。
「嫌かい?」
「違う…違うんです、ごめんなさい、私は、」
「うん」
嗚咽で詰まる言葉を必死に絞り出すシャーサを、魔法使いは待つ。
「優柔不断で、何も出来なくて…自分の気持ちも分からなくて。…でも、あなたと、一緒にいたくて」
握られた手に、シャーサの手の震えが伝わってくる。
魔法使いは軽く指先を曲げ、シャーサの額をなぞった。
「こんなの、ただの逃げ、だし、甘えだし」
「うん」
「お母さんからも…の、望まれるような人間に、なれないのに、」
「うん」
そこで言葉を切って、押し黙るシャーサに、魔法使いは静かに耳を傾ける。
二人の脈の音が聞こえてきそうな長い沈黙のあと、シャーサはぽつりと言った。
「す、好きって言って欲しかった、」
背を撫でていた魔法使いの手が、軽くシャーサの服を掴む。
「うん」
「何が、駄目だったんでしょう」
「なんにも駄目じゃなかったさ」
背を丸めて肩を震わせるシャーサを、魔法使いは引き寄せる。
「でもきっと、足りなかった。最初から、何もかも」
「それでも、お母さんのこと、だいすきだもの。ね?」
「だって、嫌いになれるわけない」
「そうだね」
「ごめんなさい」
「いいよ」
魔法使いはシャーサを抱え込むように抱き締めて、頭を撫でる。
まるで子どものように泣きながら、涙と共に流される謝罪を、魔法使いはひとつひとつ許した。
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