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 マーレヤの態度は気になっていたが、聞かれたくない事は誰にでもあるだろう。私はそう思って、深く追求しなかった。マーレヤに、『愛の証』を贈るくらいなので、善人ではあると思う。そもそも、この神殿に、悪人がいるとは思いたくなかった。

 私は、執務、と称して六百年前の手記を翻訳していたが、どうやら、異世界から北というクロノという男が書いた部分が大半を占めているようで、日々をどのように過ごしていたか、詳細に書かれている。しかし、それほど頁は多くない手記なので、クロノ自体は、この世界に来てから、早々に亡くなったのだろう。クロノは、異世界にいたときから習慣として日記を付けていたと言うことも書かれていた。手記の冒頭に、その説明があった。貴族というのは、伝統を後世の子孫に伝える必要がある。その為、貴族は習慣として日記を付けるのだという。クロノの家は、先代の時に、下級の貴族から騎士の階級に転じたと書かれていた。クロノがこの時代に持ち込んだ剣(シンはカタナと言った)を手に取り、馬を操り、戦場を駆け巡っていたことも、垣間見られた。また、魔力は持っていたようで、カタナに魔力を帯びさせ、的を斬っていたという記載もある。

 その中で、クロノは、この世界で肉体関係を結ぶ相手が出来た、ようだった。感情面は解らない。ただ、主君のような相手と、肉体的に結ばれたと言うことが書かれていた。シンに確認したことは無かったが、クロノの時代の異世界では、身分の高い男性が、男と肉体関係になるのは珍しいことではないらしい。当時の高名な貴族なのか、誰それと誰それのような関係という添え書きがされていた。そして、その相手から、クロノは『とても高価な護符』を与えられたと書いている。

 私は、それを見た時、「あ」と声を漏らしてしまった。『護符』の形状は、『赤々とした透明な水晶の一粒』でそれを、守り袋に入れたもので、首から提げることにしたと書いてあったので、間違いない。マーレヤが恋人から贈られたという『愛の証』だ。

 必ず、それを贈る必要はないかも知れない。ただ、なにか、形として『記念』が欲しいのならば、やはり、私は、『愛の証』を、シンに贈りたいと思う。シンが、私達の風習を知らないとしても、私は、贈りたいと思った。ふいに、私は、シンが、私の為に、スティラに『木の実の蜂蜜漬け』を手配していることを想い出す。あの、シンの態度を見る限り、シンは、知らない。けれど、それでも良いと思う。私の魔力から紡ぎ出した『護符』が、たった一度でも、シンを守る効果があるのだとしたら、これから、役に立つかも知れない。本当は、役に立つような機会があるのは困るが。

 神殿の祭壇で作り出すことが出来るだろうから、後で、祭壇に行ったときにでも、作ることにしよう。私は、そう決めて、手記を閉じた。そろそろ、就寝の時間だ。まだ、対面のシンの居室は、灯りがつかない。そういえば、まだ、シンは、あの魔石だけで夜の時間を過ごしているのだろうか。そう、おもって、じっとシンの居室を見ていたら、不意に、薄ぼんやりとした灯りが、シンの部屋に揺らめいた。

「あっ……」

 シンが、部屋に帰ってきたのだろう。会いたい、と強烈な衝動が湧き上がる。月は、傾きかけていた。今から行けば、お互いの明日の執務に支障が出るだろう。けれど、私は、会いたくて、溜まらない。あなたは、こんな狂おしい気持ちにならないのだろうか。私は、逡巡する。シンの部屋のぼんやりとした光が、窓際に移った。その瞬間、私は衝動を抑えられなくなった。

 部屋を飛び出して、廊下を駆ける。大理石が敷き詰められた廊下は、靴音を響かせる。できるだけ、靴音がしないように気を配っていたが、カツカツという靴音は、静まりかえった廊下に、やけに、うるさく響く。

 シンの部屋の前までくると、私の到着を待っていたかのように、扉が開いた。

「……ルセルジュ……!」

 驚いて目を丸くしているシンに飛びついて、私は、「会いたかったんです」と小さく告げる。腕一杯で抱きしめて、感じる、シンの体温と、シンの匂いに、私は、心から安堵した。

「ルセルジュ……」

「私は、あなたに、会いたくて、会いたくて、いたくて、溜まらなかったんです……」

 あなたは? とは聞かなかった。シンは、小さく笑って「こんな風に、会いに来てくれるとは思わなかった」と言ってから、ぎゅっと抱き返してくれた。

「俺だって、会いたかった」

「……あなたの部屋へ入っても?」

「どうぞ」

 シンは私を部屋へ招き入れてくれた。部屋の中に、甘い香りが立ちこめていると思ったら、蝋燭を使っているようだった。魔力がないのは、不便だろうに。

「灯りを付けますか?」

「いや、こうして、薄暗いほうが、ちょっと、ロマンティックだと思う」

 ロマンティック。どういう、状態なのか、理解出来ない、異世界の言葉の響き。ただ、悪い状態ではないのだと、それだけは解る。シンに抱きついたまま、部屋の中へ入り、寝台の端に腰を下ろした。

「なにか、あった、とか?」

 シンが、私の顔を心配そうな顔をしてのぞき込んでいる。黒曜石の瞳に、蝋燭の暖かな光が映り込んで、柔らかく揺れている。

「調べているうちに、嫌なことも、知りました。それで、あなたに会いたかった」

「そっか……」

「でも、我慢したんです。あなたが、私に、警告したのを思い出したから。あなたに、溺れるなと……私に警告したでしょう?」

 シンが苦笑する。

「俺の世界の、国を滅ぼした王の話なら……」

「ええ。だから、何もかも放り出すのは止めました。あなたは、それを、望まないでしょう」

「うん。あんたは、絶対に、俺じゃなくて、あんたの方を優先してくれ。あんたの命と、あんたの役目を。俺は、嫌だよ? 『傾国の男娼』なんて後世に伝わったりするのは」

 シンはおどけて言うが、それは、もしかしたら、あり得る未来だ。私は、ぞっとした。それを、選ぶのは、私だ。

「そんな不名誉は、私が絶対に阻止します」

「はは、それなら良かった。俺の方も、会いたかった。スティラが、人使いが荒いのなんの……。もう、一日中あいつにつきっきりで走り回ってたから、クタクタだよ」

「そんなに、忙しく立ち回っていたとは、存じませんでした」

「あいつは、それを見せないからね……それで、俺も、ちょっとは、気力の回復がしたいんだけど」

「ええ、それなら……」

 大歓迎だし、是非そうして欲しい。けれど、どうやって気力を回復するものか……と思っていたら、シンに口づけをされていた。私は、この、触れるだけの優しい感触が、とても好きだった。もっと、深い口づけになると、快楽の波に呑まれそうになって、苦しくなるし、少し怖いという気持ちもまだ抜けないけれど……それも、好きだ。深く、ふれあえる気がするから。

 触れるだけの優しい口づけを何度か繰り返してから、シンが、少し離れる。すこし、困ったような顔をしている理由は、解る。私が触れるシンの身体は、とても、熱い。そして、私も……炎の塊を飲み込んだみたいに、身体の内側が、燃え上がるように。熱い。

 シンは、何も言わない。

「私は、帰った方が良いですか?」

 私が問いかけると、少し、ためらってから、シンが私の腕を強く引いて、耳元に甘く囁く。

「……夜明け前まで、側にいて」

 背中に、柔らかな寝具を感じながら、私は彼の首に腕を回して、彼から受ける口づけを心から味わった。


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