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最終話 可愛いシャルロッテ

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「姫様。只今戻りました」

 シャリーの元に、大柄な体躯を持つフレッドより、更に一回り大きい赤毛の男が膝をついた。

「ご苦労さまでした。貴方の忠義に心より感謝致します」

 シャリーが赤毛の大男に手を差し伸べると、男はシャリーの手を取り、恭しく口づけを落とした。

「恐悦至極に存じます。姫様もご無事で何よりです」

 シャリーは頭を垂れたまま、自身の手をなかなか離そうとしない大男に、困ったように眉尻を下げる。
 その隣でフレッドが眉間に皺を寄せ、口をへの字に曲げ、肩を怒らせている。口を挟まないものの、フレッドの不機嫌な様は、背後からシャリーもヒシヒシと痛いほど感じている。

「さあ、貴方の御役目はこれで終わりました。わたくしから解放致します」

 シャリーがそう口にした途端、大男は慌てて飛び上がった。

「そんな! 私は、姫様の騎士となってから、姫様にこの命を捧げると心に決めたのです! どうか騎士の誓いをお受け取りください」

 立ち上がった大男が、その大きな体躯でシャリーに覆い被さるようにシャリーへと迫り、シャリーの小さな手を男の大きな両手が包み込むのを見て、とうとうフレッドが声を上げた。

「君には感謝しているが、しかし、シャリーからもう少し離れてくれないか」

 大男はシャリーから手を離さず、距離も取らずそのままで、視線だけフレッドに投げた。
 フレッドの眉間の皺がますます深くなる。

「君がシャリーの騎士だというのなら、その距離は従者として許されざるものではないのか」

 大男はフレッドに冷たい一瞥を投げると、捨てられた子犬のような目でシャリーに縋った。

「姫様、どうぞ御慈悲をお与えください。私の忠義は姫様のもの。如何様にもお使いください。必ず役に立ってみせます」

 シャリーはフレッドへと振り返り、眉尻を下げた。

「フレッド、わたくしの愛はあなたに捧げております。ですからこの者へ慈悲を与えることを許してくれませんか」
「む……」

 フレッドは言葉に詰まった。
 もともと一度はシャリーを信じきることができず、裏切った身。それなのにシャリーはフレッドを赦してくれた。
 そのシャリーがフレッドに許しを乞うている。

「それは……」

 しかしフレッドは目にしてしまった。
 シャリーの小さな愛らしい手を、大男が自身の大きな手でくるみ、そしてフレッドを見下しきった顔をして鼻で笑ったのを。
 フレッドの頬がピクピクと痙攣する。
 しかしフレッドは額に手を当て、目を瞑り、深く息を吸った。
 平民として市井に降りてから、フレッドは感情を顔に露わさない王族としての振る舞いから遠ざかっていたため、とても難儀した。

「許す。いや、本当は僕の許可などいらないんだ」

 フレッドは大男からシャリーをベリッと引き剥がすと、己の腕の中にシャリーを閉じ込めた。

「シャリー。僕の愛も忠義も命も、全て君に捧げる」

 シャリーは眉を顰めた。

「わたくしはフレッドの女王様にはなりませんよ?」

 フレッドは笑った。

「わかっている。君は僕の可愛いお姫様だよ、シャリー」

 フレッドの言葉に、シャリーは目を見開いた。
 そして唇が戦慄き、みるみるうちに顔が青褪める。

「どうした?! シャリー、気分でも悪いのか?」

 シャリーは幼子のようにイヤイヤ、と首を振り、大きなエメラルドの瞳から、涙を溢した。

「ちが……違うのです……。どこも、悪く、あ、ありません……」

 そう言ったきり、シャリーはフレッドの胸に顔を埋めて、声を押し殺し、肩を震わせた。
 フレッドが大男に鋭い視線を投げると、大男は小さく頷き、口を開いた。
 大男は声を出さず、唇だけを動かして、フレッドに伝える。

「ヨハン様がよく、『私の可愛いお姫様』と、姫様を呼ばれたのです」

 フレッドは己の胸で体を震わせるシャリーを強く抱きしめた。
 声を殺そうとしながらも、堪えきれない嗚咽を漏らし、激しく肩を震わせて、小さな体いっぱいに悲しみを溢れさせている。
 フレッドは腰に回した手とは逆の手で、シャリーの頭をかき抱き、シャリーの艶やかな白金の髪に口づけを落とす。
 シャリーの悲しみがフレッドの体に伝わってくる。
 二人は互いの悲しみを抱き合うことで分かち合った。







 シャルロッテとフレデリックの二人を城から逃した赤毛の護衛騎士は、帝国を抜け、二人の元に辿り着く道中で、アステア王国の滅亡を耳にした。

 アステア王国国土の一部は、王国の謀叛を未然に防いだとされる大公令息の功労を称え、レーヴェンヘルツ大公国の所領となった。
 しかし当の大公令息に勲章を与えるその前に、大公令息は世を儚み、亡くなった皇女シャルロッテの形見を手に、自決してしまった。

 亡国の裏切りから始まった、この一連の悲劇は、大陸中に伝わった。
 これを題材とした劇作家達がこぞってペンを取る。そうして国を問わず、あちこちの劇場で演じられた。

 故人アステア王国王太子は軽薄で悪辣な浮気性の王子として描かれた。
 シャルロッテ皇女はそんな王子の所業に胸を痛めながらも、幼き日に王子とかわした愛の誓いを信じ続ける。
 そんな健気なシャルロッテ皇女を支えるのが、麗人ヨハン大公令息。
 シャルロッテ皇女を励まし、守り、慈しむヨハン大公令息は、いつしか年下の従妹を女性として愛するようになる。
 シャルロッテ皇女もヨハン大公令息の愛に気が付き、ヨハン大公令息を愛するようになる。
 だが、裏切り者の婚約者、フレデリック王子が二人を引き裂こうと邪魔をする。

 そして物語は佳境を迎える。

 ヨハン大公令息に心を移したシャルロッテ皇女が許せないフレデリック王子は、口論の末にシャルロッテ皇女を撃ってしまう。
 一足遅く、間に合わなかったヨハン大公令息は、フレデリック王子をその手にかけると、倒れたシャルロッテ皇女を震える手で抱き上げる。
 ヨハン大公令息がシャルロッテ皇女の頬に手を伸ばすと、シャルロッテ皇女は微笑み、最期の力を振り絞って、ヨハン大公令息に愛を告げる。

『ヨハン、愛しています。貴方を救いたかった』と。

 そしてそのままシャルロッテ皇女はヨハン大公令息の腕の中で息を引き取る。
 ヨハン大公令息は慟哭し、愛しいシャルロッテ皇女を胸に抱えたまま、涙を流す。
 ひとしきり嘆いたヨハン大公令息が顔をあげる。

 彼は天を仰ぎ、涙にぬれた頬で微笑むのだ。

『ロッテ、私の可愛いお姫様。今から、君の元へ向かうよ』

 そうして幕は降りる。
 カーテンコールは大喝采に包まれる。







 シャルロッテはヨハンを愛していた。
 シャルロッテはヨハンを救いたかった。

 可愛いお姫様、とシャルロッテを愛おしんでくれた、シャルロッテの従兄。
 シャルロッテに女王たれと言った臣下。

 シャルロッテは本当に心から、ヨハンを愛していた。
 真実、救いたかった。

 ――私の可愛いシャルロッテ。

 ヨハンの声を、シャリーはもう聞くことが出来ない。
 シャリーの脳裏に、ヨハンとの思い出が鮮やかに蘇る。
 シャリーを慈しんでくれた、優しく麗しいヨハン。

 かつて側にあった、シャリーにだけ向けられた、一途で狂おしいほどの愛を想う。
 シャリーがヨハンに思いを馳せ、涙を溢すと、フレッドが、シャリーの名を呼んだ。
 僕の可愛いシャリー、と。






(「私の可愛いシャルロッテ」 了)
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