上 下
12 / 57

11 将軍閣下と華麗なる従兄

しおりを挟む
 ラークスパー公爵家の先代当主は先代国王の弟だとはハルも聞かされていた。国王はパーシヴァルの従兄に当たるのだ。
 現国王アーティボルトはパーシヴァルの五歳年上で、今年三十五歳。金髪と明るい褐色の瞳の持ち主で、どことなく印象はパーシヴァルの副官ジョセフと似ている気がする。
 今までも時々公爵邸にお忍びで訪れていて、庭仕事をしていたハルに声をかけてきたこともある。後で相手が国王陛下だと知らされたハルは驚いて言葉も出せなかった。

 とりあえずあまり容姿を隠すのはよろしくないから、とハルが愛用している太い縁の眼鏡以外は全部没収された。長い銀髪を緩やかに束ねて、パーシヴァルが選んだ深い緑色の上着を着せられた。パーシヴァルのものだが、ほとんど軍服で過ごしているので着なかったらしい。寸法は手直ししてもらっているがまだかなり余裕がある。
   通されたのは王の執務室で、重厚な色合いの大きな机に向かって書き物をしていた王が、パーシヴァルとハルが入ってきたのを見て嬉しそうに立ちあがった。
「よく来たね。すまないが書類仕事が溜まっていてね」
 即位十周年の催しが間近で、そのための仕事もあるのだろうか。大きな机には書類が山と積み上がっている。
「私が国王をやっているアーティボルトだ。会ったことはあるよね? ハル」
 ハルはいきなり愛称で呼びかけられて驚いた。けれどここは周りで控えている側近たちの手前、きちんと挨拶するべきだろう、と一礼する。
「はい。陛下にご挨拶申し上げます。このたびラークスパー公爵第一夫人となりましたハロルドにございます。陛下におかれましては……」
「もう、私と君との仲じゃないか。そういう堅苦しいのはなくていいよ」
 ……いやどういう仲ですか。
 ハルが作業しているときにちょっかいだされた記憶しかないし、一度は「うちの子にならない?」という笑えない冗談を言われたこともある。
「君は本当はそんな髪色だったんだねえ。眼鏡の下も見せてくれるかな?」
 言われてハルは眼鏡を外した。アーティボルトがそれを見て目を瞠る。
「そうか……。やっとタフト公爵の気持ちがわかった気がするなあ。当然パーシヴァルは君の素顔を知ってたんだ?」
「いえ。パーシヴァル様は求婚なさる直前まで僕の顔をご存じではなかったはずです」
「え?」
 アーティボルトが怪訝な顔をする。ハルもその心情を察していた。パーシヴァルがハルに好意的になったのは素顔を見るより前だった。眼鏡で顔の半分を隠して、ボサボサの黒髪の鬘を被っていたというのに。
 けれど、それはハリエットと同じ顔に惹かれたわけではなく、ハル自身を見てくれていたということだから、ハルにとっては嬉しいことだった。
 パーシヴァルはそれが何の問題なのかと言いたげに平然としていた。
「ハルの顔を見たのはつい最近です。髪の色すら知りませんでした」
「へえ……」
 アーティボルトはにやにや笑いながら、今度はすっと目を細めた。手で側近たちに出ていくように合図すると、パーシヴァルに問いかけた。
「それで、今日の用件は何かな? まさか新妻自慢のためだけじゃないんだろう? 手土産くらいあるよね?」
 どうやらパーシヴァルの意図は伝わっていたらしい。

 各国の使者たちの意図と、プロテアの王配の話を聞いたアーティボルトは複雑な表情になった。まさか即位十周年記念の舞踏会が各国からの第二妃もしくは愛人売り込み大会になるとは思っていなかったのだろう。
「やれやれ、女王陛下はまだお怒りなのか。まあ、あの王配を特使に寄越すくらいだから嫌がらせする気満々なんだろう」
 隣国プロテアは精霊信仰という固有宗教の国家だ。主たる精霊は女性の姿であることから、女性の立場が認められているらしい。
 だから他の国ではあまり女性に高等教育は要らないとされているが、ハルの母は医術を学ぶ事ができたのだろう。
「とりあえず招待名簿にない者は警備の都合で出席を禁じると通達しよう。各国の来賓も出席するのだから普段の舞踏会とは違うのだと強調すればいい。私は席から離れないし、妃にも側にいるようにさせよう。そうすれば馬鹿な売り込みはしてこないだろう。だが連れてこられるのはそれなりの地位がある家の子女なのだろう? その立場は気になるところだな……。断ったら立場が悪くなるとか、たとえ預かったとしても国に帰れないとかいう訳ありだったら面倒だ」
 アーティボルトは第一妃との間にすでに子供が二人いる。どちらも男の子だ。だから第二妃を急いで迎える理由はない。
 向こうはおそらく愛人でも側仕えでもいいから王宮においてもらおうとするだろう。祝いの席だから事を荒立てたくないこちら側の立場を見透かしている。
「……だが、一度に何人も『贈り物』をされても、私が全員を受け入れるわけがないだろう。もしかしたらパーシヴァルも狙ってないか? むしろ私よりも狙われそうな気はする。何しろ筆頭公爵家当主で各国にとっては痛い目に遭わされた無敗の将軍だ。懐柔したいと考えるだろう? そのうえ、結婚したことがまだ国外には伝わっていない」
 ハルはそれで思い出した。求婚の時に言われたことを。
 タフト公爵よりも家格が上ですぐに結婚できる独身者はパーシヴァルしかいない、と。
 各国が王妃候補にと連れてくる人たちなら少なくとも王家かそれに連なる家を狙っていることになる。国王がダメなら次に狙われるのはパーシヴァルだ。
 パーシヴァルがはっきりと嫌そうな顔をして黙り込んだ。
「では舞踏会でパーシヴァルの結婚を大々的に叩きつけてやれば、出鼻をくじけるぞ」
 アーティボルトは愉快そうに笑う。
「……それが陛下のお役に立つのなら。私はかまいません」
「だが、パーシヴァル。ハルはとんでもない幸運をお前にもたらすかも知れないぞ?」
 アーティボルトがそう言ってパーシヴァルの肩を叩いた。
「どういうことでしょうか……?」
「そのハルの師匠とやらの言葉通りなら、ハルの両親はとんでもない大物だ」
 アーティボルトはそう言ってハルに微笑みかけた。
 大物? ハルは耳を疑った。隣国で王配クリスティアンに圧力をかけられて駆け落ちした両親に何の力があるというのだろう。
「……アルテアだよ」
「アルテア……ですか?」
 パーシヴァルが呟いた。ハルが黙っているとアーティボルトは意味深に口元を緩める。
「そう。ハルは生まれる前だから知らないかな?」

 アルテア神聖王国はプロテアの隣国で同じ精霊信仰の小さな国だった。かつてこのストケシア王国とプロテアの間に存在していた。
 ただ、かの国の巫女は不思議な力を持っていて、そのおかげでとても豊かな国だった。それを見て、かの国だけが巫女を利用して精霊の寵愛を独り占めしていると、プロテア側は言いがかりを付けて武力で攻め入り併合した。三十年前の出来事だった。
「今、旧アルテア神聖王国はどうなっているか知っているかい?」
 それを聞いてハルは地図を頭の中で描いた。アルテアという国はプロテアとこの国の間にあった。つまり今の南部国境あたり? いや、その地名に聞き覚えがある。
 国境近くに飛び地になっているパーシヴァルの領地があるのをハルは思い出した。
「……まさか、ラークスパー公爵領アルテアって……」
 アーティボルトが優秀な生徒を褒める教師のような表情で頷いた。
「そういうこと。一旦は併合されたんだがプロテアの支配に反発した旧国民と我が国が協力して戦った結果、二十年前アルテアの領土は自治領として我が国に併合された。その地は後に度重なる戦争に勝ち続けた救国の英雄に報償として与えられた」
 言われてみれば、あの地はかつて独立国だったから今も自治が認められているという話は聞いたことがある。
「プロテアは今もあの地を返せってしつこいんだけど、流石にパーシヴァルの勇名はあの国にも轟いているらしくて、軍事的にちょっかいは出してこない。まあ、女王が私を恨んでるのはそれも原因だろうね。それが一挙に解決するかもしれないよ。ハルがいれば」
「え?」
 なぜここで自分の名前が?
 ハルは戸惑ってただパーシヴァルとアーティボルトの顔を交互に見上げた。

 アルテアの王族はことごとく殺されたが、一人別方向へ逃亡した幼い王女だけが生死不明だった。
 当時アルテアはストケシアと友邦関係にあって、急ぎ援軍を派遣するも間に合わなかった。だが、その王女の行方をずっと捜していたのだという。
「その後、非公表だけど、元王女はプロテア大神殿で巫女として保護されていたらしいことはわかった。女王も気づいていたはずだけど、一旦神殿側の顔を立てておいて、のちに成長したら王家の者と娶せて取り込もうと考えていたのかもしれない。ところが、それをぶち壊したのが夫のクリスティアンだ。強引にその巫女を口説こうと圧力をかけたりやりたい放題。神殿側はそれを女王の差し金だと思ったんだろう。元王女を秘密理に還俗させて国外へ逃がそうとした。お供に彼女と恋仲だった青年をつけて。誰かさんの両親と似ていると思わないか?」
「……そんな。まさか」
「元王女の名前はローズマリー・ポーラ・アルテア。銀髪と淡緑の瞳、そして、アルテア王家にはしばしば不思議な力の持ち主が現れるらしい」
「母の名はポーラでしたけど……そんな話を聞いたことはありません」

 母には身よりがない。父が母の幼なじみだったということしか知らない。
 だからといって、プロテアに滅ぼされた国の王女だとはにわかには信じられない。
 確かに母には不思議な力があった。触れただけで怪我を治してしまう。弱っている花や生きものを蘇らせたりした。治癒能力というのだろうか。
 ただ、人前でその力を使うことはなかった。診療所は通常の医術で治療を行っていた。
 もしかしたら、それも追っ手に目をつけられないためだったんだろうか。

「……つまり、ハルはアルテア王家の血筋だということですか?」
 パーシヴァルがハルの困惑した様子を見かねてか口を開いた。
「しかも、存命する唯一の直系だ。実は我が国は君たち親子が入国してから監視をつけていたんだ。けれど五年前の混乱で足取りが掴めなくなってしまった。あの頃は疫病騒ぎで王宮も人手不足で大変だったからね。気がついたのはパーシヴァルが持って来たハルの出生証明書のおかげだったんだよ。まさかこんなに近くにいたなんてね……」
 疫病でハルの両親は亡くなった。その頃は毎日のようにあちこちで合同葬儀が行われていた。あの混乱では国王の配下ですら仕事がままならなかったのだろう。
「……では、僕の父は何者だったんですか?」
 先刻、アーティボルトは両親が大物だと言った。つまり父も普通の平民ではなかったのだろうかという疑念がこみ上げてきた。
「君の父の母親は司祭の娘。父親は女王の弟で、権力争いのゴタゴタで謀叛の疑いをかけられて処刑された。その時点で王族から外されて平民になった。だから祖父の許に身を寄せていたんだろうね。同じように保護されていたローズマリー王女とともに育ったということも想像に難くない。つまり君は実質二つの国の王族の血を引いているってことだよ」
「……それって逆にパーシヴァル様にとって厄介なのではありませんか?」
 ハルは思わず問いかけた。プロテアに滅ぼされた国の王家の生き残りと、プロテア王家から追放された王族。隣国プロテアからしたら生きた厄介事みたいな存在だ。
  そんな厄介事の予感しかしない立場だからこそ、両親はハルに何も話さなかったんだろうか。
 もしかしたらハルが成人したら話してくれるつもりだったのかもしれない。けれど、その前に二人とも世を去ってしまった。だからその真意はわからない。
 戸惑っていたハルの肩を大きな手が掴んだ。ハルの気持ちが揺らいでいるのを留めるように。
「……パーシヴァル様」
 それを見てアーティボルトは首を横に振る。
「厄介だなんてとんでもない。元王家の血筋を引くハルを迎えたのだから、ラークスパー公爵家はアルテアの正当な領主と名乗るにふさわしい。旧アルテアの国民も納得するだろう。これでプロテアの女王に嫌がらせができそうだよ」
 アルテアが母の生まれた国。今その地がパーシヴァルの領地になっているのは、運命めいていてハルは高揚感を覚えていた。
 もしかしたら、アルテアの領民には母のことを知っている人がいるんだろうか。いずれ訪ねてみたいとハルは思った。
「君はパーシヴァルの伴侶にこれ以上ない人材だ。どうか今後とも仲良くしてほしい」
 アーティボルトは楽しそうにハルの手を取った。
「舞踏会が楽しみだね。『ハリエット』を見た奴らがどんな顔をするか」
「もったいないから見せたくないんですけどね」
 パーシヴァルがつまらなさそうにぽつりと答える。
「それで? 一曲くらい踊って見せてくれるんだろうね?」
「「……」」
 ハルとパーシヴァルは揃って沈黙した。
 舞踏会に出るからといっても、それは義務ではない……と二人とも思い込んでいた。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ある公爵令嬢の生涯

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:5,452pt お気に入り:16,126

言いたいことはそれだけですか。では始めましょう

恋愛 / 完結 24h.ポイント:4,146pt お気に入り:3,569

婚約破棄されましたが、幼馴染の彼は諦めませんでした。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:3,239pt お気に入り:281

田楽屋のぶの店先日記〜殿ちびちゃん参るの巻〜

歴史・時代 / 完結 24h.ポイント:85pt お気に入り:203

腐違い貴婦人会に出席したら、今何故か騎士団長の妻をしてます…

BL / 連載中 24h.ポイント:24,205pt お気に入り:2,278

悪役令嬢の中身が私になった。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:631pt お気に入り:2,628

転生腹黒貴族の推し活

BL / 連載中 24h.ポイント:2,570pt お気に入り:751

処理中です...