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真実
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しおりを挟む天蓋付きのふかふかのベッドの上でひとり目を醒ました。
起きた時に傍にいて欲しかった人は名前を呼んでも返事は聞こえなくて薄い布のせいで周りも見えない。一瞬心細くなったけれど両手にはしっかりと抜け殻を握り込んでいた。
ソファーで一緒に寝落ちしたと思ったのは勘違いだったのかな。
でも温もりの残るベッドに、握りしめたシャツに、さっきまで隣にいてくれたのは確かだ。起きなかったのは俺が悪いのだけど淋しいから起こしてくれれば良かったのにと思ってしまうのはわがままかな?
だけどひとりじゃ不安だった。だってクラウスが傍に居てくれた事以外は全部都合のいい夢だったかも知れない。
裸足のままベッドを抜け出して隣の部屋へ続く扉をそっと開けてみた。
やっぱりクラウスはいない。けれどその部屋の壁にはちゃんと黒髪の男の人とその傍らで微笑む女の子の肖像画があった。
──夢じゃなかった。
ホッとして潜めていた息をふうっと吐き出し、ゆっくりと近づいて見上げる高さのその絵の正面に立った。
絵の前には横顔をそれぞれレリーフした銀貨が向かい合い、俺が持っていた銀貨も一緒に置いてある。その横に途中で存在を忘れていた白いリボンがついた銀色の小さな匙がかわいい小さなクッションに乗せて並べてあった。
これらがここにあるということは昨日のことが全部現実だと言うことだ。
『失われた皇子様』
100年も前に操られた魔獣に襲われ消えてしまった国で行方不明になったままのその人はこの国の歴史を語る本に必ず描かれている。子供向けの絵本の中にももちろん出てきて、多くの人々に今も愛されている亡きガーデニアの皇子様───それが俺だ。
日本で18年孤児として育ち、冬の夜、桜の木の下に捨てられたと聞かされて1年近く経った。その俺が物語の皇子様。
本当はまだ信じられない。信じられない1番の理由はやっぱりこの年月なのかも知れない。
洗礼の匙を握りしめると浮かび上がる文字は『トウヤ=サクラギ=ガーデニア』
魔法の中で当たり前に生きている王様達に聞き分けの悪い小さな子どもを宥め賺すように優しく諭されてしまった。
偉大なる刻の魔法士のガーデニア王が命を賭し、願い姫と呼ばれたガーデニア王妃がそう願ったのだからと。
この国では100年経ってるけど俺は19才だから俺の中でこの出来事が起きたのは19年前なのかな。
そう思って目を瞑っても余計こんがらがるだけで思い出せるわけはない。だけどこの匙に現れた名前も本当だし俺の持っていた銀貨も間違いなくここにある物と同じ物だ。
親はいないものだと生きてきた。ひとりぼっちの場所から突然この世界に来てもやっぱりひとり。戸惑いはあまりなかったけれど優しい人たちに出会い、助けられ、自分に向けてくれるその優しさに幸せを覚え、人を愛することを知った俺は昨日までずっと元に戻る不安に怯えていた。
それがどうだ、俺にはちゃんとお父さんとお母さんがいて今も語り継がれる亡き国の王様と王妃様で俺はその皇子様。
そんな夢みたいな話は夢じゃなく手のひらの中にある。
「お父さん、お母さん。」
ずっと憧れたその呼び名を口にするのには勇気がいった。もちろん返事は返って来ないのだけどそう呼んだだけで胸がじんわりと温かくなるみたいだった。
トントントントン
廊下に続く扉からノックの音がした。
「冬夜様、近衛騎士クラウス=ルーデンベルクが参りました。」
「はい、今出ます。」
待ち人の畏まった声に返事をすればそれだけでガチャリと鍵の外れる音がした。
「失礼いたします。」
前髪を上げてきっちりと首の後ろで長い金髪を結い白い騎士服姿のクラウスが一礼して部屋に入ってきた。
扉に手を掛けていないのは紺色の騎士が開けてくれているからだろう。背後の扉がパタリと閉じてようやく俺のクラウスの顔になった。
「起きていたのか。」
「うん、おはようクラウス。」
匙と銀貨を元に返して近寄り開かれた腕に身を寄せると「おはよう」の変わりにおでこにキスを落とした。
「あの、シャツごめん。」
「いや、俺も結局起こしてしまったな。」
俺の腕からシャツを抜き取って優しく髪を撫でてくれるクラウスに「ひとりで置いていかないで」と口にしてしまいそうだった。
だって王都の宿だったら目が醒めるまで腕に抱きしめていてくれた筈だから。
こんな広い部屋を用意してもらいながらそんな風に思うなんてなんてやつだと思う。でもクラウスと一緒にいられる時間は短い。それも全部俺のわがままが原因なんだけどこんなに淋しい気持ちが溢れてくるのは自分でもよくわからなかった。
「朝食は『桜の庭』で摂るだろう?それならまだ早いから風呂に入ったらどうだ?」
くっついたままの俺にクラウスが有り難い誘惑をしてくれたけど首を横に振った。
「ノートンさんに上手く話せる自身がないんだ。早く戻って時間があればあるだけ下手でもなんとか伝えられると思って。それに朝早くならセオさんにも聞いてもらえる時間があるかな?」
「そうか。冬夜の支度が終わったらもういつでも出られるぞ。」
俺の気持ちを受け取ってそう言ってくれるのは有り難い反面、心の中は複雑だ。早く戻りたいのに離れたくない。
「……年長さんの2人にはね今日『桜の庭』に戻ったら俺とクラウスの事話す約束をして来たんだ。本当は『結婚したよ』って話すつもりだったんだけど出来なかったからなんて言ったらいいか昨日は自分の事で一杯でまだ全然考えてなくて……。」
グズグズとクラウスの腕の中にいる時間を伸ばしてしまった。でもこれは本当のこと。子供達には神様に認められる前に『結婚した』とは言えない。
俺の願いを叶えるって言ったくせにアルフ様がダメって言うから───
「それじゃあ子供達には俺の事『婚約者』と紹介してくれるか?」
むくれてしまった顔のままクラウスを見上げたら俺の尖らせた口に笑顔のクラウスの唇が一瞬重なり、ちゅっと音を立てて離れた。
そしてその言葉のなんとも言えない甘い響きにキュンとしてしまう。
「う、うん。お…俺着替えて来るね。」
「ああ。」
クスクス笑うクラウスを応接室に置いて洗面所まで一気に駆け抜けた。洗面台の鏡には思ったとおり赤い顔の自分が映る。
今更何だと言われてしまいそうだけど俺とクラウスの今の関係にぴったりな呼び名だ。
もちろん俺の中では指輪をもらった時から『だんなさん』であることは変わらないし昨日は本当の意味で『およめさん』にもしてもらった。
けれど教会を怖がっていて本当の結婚式は出来ないと思っていた自分が大切な人達に『自分達はこれでいい』と言いながらその関係に憧れどれ程強がっていたか気がついてしまった。
『婚約者』
嘘でも見栄でもない。俺とクラウスの関係を誰にでも言い訳せずに堂々と言えるその呼び名が嬉しかった。
そしてやっぱりこんな風に俺をドキドキさせるクラウスをなるべく早く神様に俺だけのにしてもらいたいと思ってしまった。
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