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03:伯爵の褒賞品
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謁見の間を辞した後、フィリベルトはそのまま王宮の一室に案内された。彼はここで前代未聞の褒章品である〝妻〟を受け取るのだ。
「お相手のベアトリクス様はただいま準備をなさっておられます
どうぞ席にお掛けになって、いましばらくお待ちください」
案内してくれた使用人は一方的にそう告げると退出してしまった。
室内をざっと見渡すフィリベルト。
部屋の大きさはそこそこあるが、家具や調度品の数はそれほどない。だが数は少なくともそれらの価値を理解できないフィリベルトが見ても『これは高そうだな』という感想を抱けるほどには一級品揃いであった。
さて座って待てと言われたが。
いま一度ソファを見つめる。
高価であることは一目瞭然。しかしそれ以外は至って普通。つまり彼が唯一家具に求める〝頑丈さ〟が無いと言うこと。
人並み外れた体躯を持つフィリベルトだから、座って壊してしまった椅子の数は多い。
そもそも相手は準備中だそうだし、座って待つまでも無いだろう。
そうひとりごちてフィリベルトは立ったまま過ごした。
だが十分待てど相手は来ない。
ああそうか。どうやら俺は浮かれすぎていたようだ。
今回の婚姻の発端は国王陛下の勅命だ。嫌われている自分を相手に、女性が進んで手を上げる訳も無し、相手の女性は今頃嫁ぎたくないと泣き腫らしているのだろう。
フィリベルトは気持ちを曲げてまで無理を通すつもりはない。
さて国王陛下より賜った縁談だから、すぐに離婚は無理だろうが。一年ほども経てば許されるだろうか?
そこまで考えが行きついた時、ようやくノックの音が聞こえた。
最初に入って来たのは宰相。
それに続いて純白のドレスを着た女性が入って来た。裾がそれほど長くはないからウェディングドレスではない。しかし女性の顔はウェディングドレスと同様にヴェールで覆われていた。
フィリベルトはこれを、形式ではなく泣き腫らした目元を隠すためだと判断した。
「待たせたなシュリンゲンジーフ伯爵。
こちらがクリューガ侯爵家のベアトリクス嬢だ」
使用人らを除けば部屋に入って来たのは宰相と令嬢のみ。彼女の親であるクリューガ侯爵や侯爵夫人の姿はない。
娘の婚姻の場に居ない両親。そのこともフィリベルトの先ほどの仮説に拍車をかけた。
両親が来ていないのは至極簡単、俺は歓迎されていないのだ。
「宰相閣下、私は自分が女性に嫌われていることを知っております。
今回の事は陛下のお言葉で……」
「シュリンゲンジーフ伯爵、それ以上は言ってはいけない」
「ですが、宰相閣下」
その時目線の端で、純白のドレスを着た令嬢の手が動いたのが見えた。その手は宰相の袖を引き、何やら合図を送ったように見える。
「ああそうだったな。
シュリンゲンジーフ伯爵、彼女のヴェールを取ってやってくれ」
「は、はあ」
同僚の結婚式などに参加した事もあり、花嫁のヴェールを取るのは新郎の務めであることくらいは知っているが、このヴェールは望まぬ結婚に対する抗議だと思っていた。
それを取れとは……
心中の思いをグッと抑え、フィリベルトは言われるままに令嬢に近寄った。令嬢の背は決して低くは無かったが、頭の位置は巨漢のフィリベルトの鳩尾ほどしかない。
フィリベルトは失礼しますと断ってからヴェールを取った。
ヴェールを取ると綺麗に結われた亜麻色の髪が現れた。あまりに精緻な結い方に驚き、どうなっているのか目を凝らした所で令嬢の顎がクイと上がる。もっと見ていたいと思った矢先、こちらを向いた彼女の美しさに目を奪われた。
勝気そうなアーモンド形の瞳とその中心にたたずむ深く静かな碧緑色。そこには先ほどまで泣き腫らしていた様子はどこにもない。
「ヴェールを外して頂きありがとうございます」
「ああ」
令嬢、いやベアトリクスは、自分を見て恐れるではなく蕾が綻ぶように笑った。しかしその表情は一瞬で消える。
先ほどのは社交辞令の笑み。ではこれから聞こえるのは悲鳴か、それとも無慈悲な命令に対する罵詈雑言か。
「先ほど女性に嫌われていると仰っていましたか?
この際ですからはっきり言います。それは世の女性に見る目が無いのです。
あら、でもそのお陰でこうして私が妻になれたんですもの、むしろ世の女性の見る目の無さに感謝すべきかしら?」
ベアトリクスは人差し指の関節を形の良い唇に当てながら、うんうんと納得顔を見せていた。
「……は?」
聞こえて来たのは、いままで一度も聞いたことが無い好意的な台詞と強引な論法だ。まったく聞きなれないその言葉の意味を理解するのにかなりの時間を要した。
「だそうだシュリンゲンジーフ伯爵。呆けていないで君も何か返したらどうかね」
「い、いえ。その、このような事を言われたのは初めての経験でして……」
「ははは。さしもの英雄も一人の女性には敵わぬか。
さて引き合わせも済んだことだし、邪魔者はそろそろ去るとするよ。
ではな」
引き合わせるだけ引き合わせるや、宰相はさっさと部屋を出ていってしまった。
部屋に残されどうしたものかと視線を彷徨わせた。その間も形の良いアーモンド形の瞳がこちらをじっと見つめている。
不躾な視線や恐怖交じりの視線と違って、不慣れなこの視線はとても居心地が悪い。
「と、とりあえず座るか」
「フィリベルト様?」
席に誘ったがベアトリクスはそれを遮り一歩こちらへ踏み出してきた。
「なんだろう」
「フィリベルト様は、私が陛下の勅命でここに無理矢理連れてこられたと考えておられますね?」
「ああ。俺は女性に好かれる性質でも風体でもはないのでな」
「私は自分の意思でここに居ます。しかしいまそう言っても信じて貰えないでしょう。
ですからどうでしょう? まずは交際関係から始めませんか」
「交際関係?」
「はい。
あっもちろん私とフィリベルト様はとっくに婚姻済みなのは承知していますよ。ですが今日から夫婦だと言われてすぐにその関係になれるなんて幻想です。
ですからしばらくは恋人と言うことでどうでしょう?」
「なるほど。そう言うことなら願ったりだ。
ベアトリクス嬢、こちらこそよろしく頼む」
しかしベアトリクスは静かに首を振って否定した。
「ベアトリクスです。
だって私はもうお嬢さんでありませんもの」
彼女は再び蕾が綻ぶように笑った。
「お相手のベアトリクス様はただいま準備をなさっておられます
どうぞ席にお掛けになって、いましばらくお待ちください」
案内してくれた使用人は一方的にそう告げると退出してしまった。
室内をざっと見渡すフィリベルト。
部屋の大きさはそこそこあるが、家具や調度品の数はそれほどない。だが数は少なくともそれらの価値を理解できないフィリベルトが見ても『これは高そうだな』という感想を抱けるほどには一級品揃いであった。
さて座って待てと言われたが。
いま一度ソファを見つめる。
高価であることは一目瞭然。しかしそれ以外は至って普通。つまり彼が唯一家具に求める〝頑丈さ〟が無いと言うこと。
人並み外れた体躯を持つフィリベルトだから、座って壊してしまった椅子の数は多い。
そもそも相手は準備中だそうだし、座って待つまでも無いだろう。
そうひとりごちてフィリベルトは立ったまま過ごした。
だが十分待てど相手は来ない。
ああそうか。どうやら俺は浮かれすぎていたようだ。
今回の婚姻の発端は国王陛下の勅命だ。嫌われている自分を相手に、女性が進んで手を上げる訳も無し、相手の女性は今頃嫁ぎたくないと泣き腫らしているのだろう。
フィリベルトは気持ちを曲げてまで無理を通すつもりはない。
さて国王陛下より賜った縁談だから、すぐに離婚は無理だろうが。一年ほども経てば許されるだろうか?
そこまで考えが行きついた時、ようやくノックの音が聞こえた。
最初に入って来たのは宰相。
それに続いて純白のドレスを着た女性が入って来た。裾がそれほど長くはないからウェディングドレスではない。しかし女性の顔はウェディングドレスと同様にヴェールで覆われていた。
フィリベルトはこれを、形式ではなく泣き腫らした目元を隠すためだと判断した。
「待たせたなシュリンゲンジーフ伯爵。
こちらがクリューガ侯爵家のベアトリクス嬢だ」
使用人らを除けば部屋に入って来たのは宰相と令嬢のみ。彼女の親であるクリューガ侯爵や侯爵夫人の姿はない。
娘の婚姻の場に居ない両親。そのこともフィリベルトの先ほどの仮説に拍車をかけた。
両親が来ていないのは至極簡単、俺は歓迎されていないのだ。
「宰相閣下、私は自分が女性に嫌われていることを知っております。
今回の事は陛下のお言葉で……」
「シュリンゲンジーフ伯爵、それ以上は言ってはいけない」
「ですが、宰相閣下」
その時目線の端で、純白のドレスを着た令嬢の手が動いたのが見えた。その手は宰相の袖を引き、何やら合図を送ったように見える。
「ああそうだったな。
シュリンゲンジーフ伯爵、彼女のヴェールを取ってやってくれ」
「は、はあ」
同僚の結婚式などに参加した事もあり、花嫁のヴェールを取るのは新郎の務めであることくらいは知っているが、このヴェールは望まぬ結婚に対する抗議だと思っていた。
それを取れとは……
心中の思いをグッと抑え、フィリベルトは言われるままに令嬢に近寄った。令嬢の背は決して低くは無かったが、頭の位置は巨漢のフィリベルトの鳩尾ほどしかない。
フィリベルトは失礼しますと断ってからヴェールを取った。
ヴェールを取ると綺麗に結われた亜麻色の髪が現れた。あまりに精緻な結い方に驚き、どうなっているのか目を凝らした所で令嬢の顎がクイと上がる。もっと見ていたいと思った矢先、こちらを向いた彼女の美しさに目を奪われた。
勝気そうなアーモンド形の瞳とその中心にたたずむ深く静かな碧緑色。そこには先ほどまで泣き腫らしていた様子はどこにもない。
「ヴェールを外して頂きありがとうございます」
「ああ」
令嬢、いやベアトリクスは、自分を見て恐れるではなく蕾が綻ぶように笑った。しかしその表情は一瞬で消える。
先ほどのは社交辞令の笑み。ではこれから聞こえるのは悲鳴か、それとも無慈悲な命令に対する罵詈雑言か。
「先ほど女性に嫌われていると仰っていましたか?
この際ですからはっきり言います。それは世の女性に見る目が無いのです。
あら、でもそのお陰でこうして私が妻になれたんですもの、むしろ世の女性の見る目の無さに感謝すべきかしら?」
ベアトリクスは人差し指の関節を形の良い唇に当てながら、うんうんと納得顔を見せていた。
「……は?」
聞こえて来たのは、いままで一度も聞いたことが無い好意的な台詞と強引な論法だ。まったく聞きなれないその言葉の意味を理解するのにかなりの時間を要した。
「だそうだシュリンゲンジーフ伯爵。呆けていないで君も何か返したらどうかね」
「い、いえ。その、このような事を言われたのは初めての経験でして……」
「ははは。さしもの英雄も一人の女性には敵わぬか。
さて引き合わせも済んだことだし、邪魔者はそろそろ去るとするよ。
ではな」
引き合わせるだけ引き合わせるや、宰相はさっさと部屋を出ていってしまった。
部屋に残されどうしたものかと視線を彷徨わせた。その間も形の良いアーモンド形の瞳がこちらをじっと見つめている。
不躾な視線や恐怖交じりの視線と違って、不慣れなこの視線はとても居心地が悪い。
「と、とりあえず座るか」
「フィリベルト様?」
席に誘ったがベアトリクスはそれを遮り一歩こちらへ踏み出してきた。
「なんだろう」
「フィリベルト様は、私が陛下の勅命でここに無理矢理連れてこられたと考えておられますね?」
「ああ。俺は女性に好かれる性質でも風体でもはないのでな」
「私は自分の意思でここに居ます。しかしいまそう言っても信じて貰えないでしょう。
ですからどうでしょう? まずは交際関係から始めませんか」
「交際関係?」
「はい。
あっもちろん私とフィリベルト様はとっくに婚姻済みなのは承知していますよ。ですが今日から夫婦だと言われてすぐにその関係になれるなんて幻想です。
ですからしばらくは恋人と言うことでどうでしょう?」
「なるほど。そう言うことなら願ったりだ。
ベアトリクス嬢、こちらこそよろしく頼む」
しかしベアトリクスは静かに首を振って否定した。
「ベアトリクスです。
だって私はもうお嬢さんでありませんもの」
彼女は再び蕾が綻ぶように笑った。
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