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第七章:騎士・小隊長・後編
第46話 包囲網
谷の両側から一斉に放たれた無数の矢が灯りを遮り、黒い雨となって降り注ぐ。つぎの瞬間、悲鳴が上がった。
荷車や置楯の陰に飛び込めなかった兵たちが次々に倒れる。鏃が鎧に突き立つ鈍い音、肉を貫く湿った音。馬が狂ったように嘶き、倒れた兵を踏み潰しながら暴れ回る。
「盾を上げろ!」
声を上げたが、すでに遅かった。第二射が来る。
矢の雨に続き、今度は崖上から〈火球〉が降ってきた。荷車が吹き飛び、積み上げていた補給物資に火が移る。炎が広がるたびに周囲が赤く染まり、今まで見えなかった敵の姿が浮かび上がる。
数え切れないほどの公国兵だ。射手や魔術師が岩陰に潜みながらこちらを見下ろしている。最初から準備されていた待ち伏せだ。それも周到に。
剣を抜き放つと同時にゴーストが咆哮する。巨大な魔狼の声が谷全体を震わせた。兵たちが顔を上げる。恐怖で崩れかけていた視線がこちらへ向く。
「踏み止まれ!」
火の粉が舞い、血と煙の臭いが肺へ入り込む。
「前線を突破されれば全員死ぬ!」
それは脅しではなく、事実だった。もはや逃げ場はない。背後も前方も封鎖されている。戦う以外に選択肢は存在しない。
「前を見ろ! 敵も同じ人間だ!」
その時だった。崖斜面を公国兵たちが駆け下り始めた。黒い波だった。数十、いや百を超える。槍と剣を掲げながら、一斉に谷底へ雪崩れ込んでくる。
ゴーストと共に前に出る。黒い巨体が炎の中を突き抜け、公国兵の隊列へ真正面から衝突する。骨が砕ける音、悲鳴。兵士が宙へ吹き飛ぶ。ゴーストの牙が喉元へ食い込み、そのまま別の兵を蹴り飛ばし、隊列を崩していく。
俺は躊躇うことなく、前線に飛び込んだ。〈瞬間移動〉の直後、視界が歪む。つぎの瞬間には敵隊列の中央にいた。
剣を振るう。火花と血飛沫が舞い、敵兵が倒れる。さらに一歩、また斬る。止まらない。止まれば押し潰される。左右から槍が伸びる。横に回避し、返す刀で斬撃を繰り出す。視界の中で敵と味方が入り乱れる。
戦線は最初から崩壊寸前だった。しかし、兵士たちは諦めていなかった。
「撃て!」セリスの声が響いた。
夜空が赤く染まる。
魔術師部隊が一斉に術を解放した。数十の〈火球〉が放たれ、燃え盛る炎の塊が空を横切り、公国軍の密集地帯へ着弾する。凄まじい轟音と衝撃。土砂と火炎が噴き上がり、隊列が吹き飛ぶ。
続いて第二波。今度は〈氷槍〉だった。薄明かりを受けて青白く輝く巨大な氷の槍。それが雨のように降り注いだ。地面へ突き刺さり、兵士を貫き、盾ごと串刺しにする。氷の破片が周囲へ飛散し、悲鳴が谷に反響した。
セリスの魔術は圧倒的だった。崖上の敵魔術師部隊すら押し返している。〈火炎〉が敵陣を焼き払い、〈氷槍〉が突撃隊を薙ぎ倒す。一時的にではあるが、敵の攻勢は止まった。
だが、それでも戦況は好転しない。敵が多すぎた。崖の上、正面、後方。至る所から新しい兵が姿を見せる。炎に照らされた谷は、まるで巨大な蟻地獄だった。
さらに魔術が降る。防壁代わりの荷車が砕かれ、兵が吹き飛ぶ。誰かが叫び、誰かが倒れる。戦線が徐々に縮んでいく。我々は中央へ押し込まれ始めていた。
それでも兵たちは踏み止まった。ゴーストが前線を駆け回り、公国兵を引き裂く。俺は瞬間移動を繰り返しながら穴の空いた戦線を埋める。セリスは後方で術式を維持し続ける。
だが誰もが理解していた。このままでは削り殺される。敵はそれを知っている。だから焦らない。包囲を維持したまま、ゆっくりと締め上げてくる。まるで獲物の息が止まるのを待つ狩人のように。
俺は血と泥に濡れた剣を握り直した。火の粉が風に流れる。崖の上には、まだ数え切れない敵影が見えていた。長い夜になる――そんな予感だけが、妙にハッキリしていた。
感想
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