婚約破棄されたので全力で『やったー!』と叫んだら、餌付けされています。 

桃瀬ももな

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王城への殴り込み――もとい、婚約報告と請求書の提出という一大イベントは、思いのほかあっけなく終了した。

帰りの馬車の中、私はぐったりとシートに沈み込んでいた。

「……疲れました」

「そうか? お前のおかげで、私は十年ぶりに父上(国王陛下)が白目を剥いて気絶する姿を見られたぞ。傑作だった」

隣でアレクセイ公爵が、上機嫌にワインを揺らしている。

事の顛末はこうだ。

謁見の間にて、アレクセイ公爵が私の作成した『未払い請求書・決定版(厚さ五センチ)』を陛下に提出。

陛下は最初「ふん、小娘の小遣い稼ぎか」と鼻で笑っていたが、ページをめくるごとに顔色が青→白→土気色へと変化し、最終ページの合計金額を見た瞬間、「ヒッ」と短い悲鳴を上げて玉座から崩れ落ちたのである。

『こ、これを払ったら国が傾く……! だが、内容は全て事実……ぐぬぬ……!』

震える陛下に対し、アレクセイ公爵は悪魔の笑みで提案した。

『ご安心を。彼女が私の妻となり、アシュフォード公爵家とヴァン・ルーク家が完全に結びつけば、この請求は家庭内の問題として処理できます。……ただし、今後一切、彼女の自由を侵害しないという条件付きですが』

結果、陛下は涙目で私たちの婚約を即時承認。

ジュリアン殿下とリラ嬢については「今は顔も見たくない」とのことで、呼び出しすらされなかった。

つまり、完全勝利である。

「これで晴れて、お前は私の公認の婚約者だ。文句はあるか?」

「ありません。……ありませんが、なんだか釈然としません」

私は窓の外に広がる公爵領の景色を眺めた。

「結局、私は『国の借金』のカタに売られたようなものでは?」

「人聞きが悪いな。国の危機を救った救世主として、最高の待遇で迎え入れたと言ってくれ」

そんな軽口を叩いている間に、馬車は再び「氷の城」ことヴァン・ルーク公爵邸へと到着した。

時刻は午後二時。

さあ、これからが私の「新生活」の始まりだ。

契約によれば、定時は十七時。

あと三時間ほど、適当に書類を眺めて過ごせば、あとは自由時間である。

「(ふふふ……夕食までは読書でもして、夜は泥のように眠るのよ)」

私は甘い計画を立てながら、屋敷の玄関をくぐった。

しかし。

その一歩目で、私の眉間には深いシワが刻まれることになった。

「……閣下」

「なんだ」

「この屋敷の使用人たちは、全員『反復横跳び』の練習中なのですか?」

「?」

私が指差した先では、数人のメイドと執事が、書類や荷物を抱えて右往左往していた。

Aの部屋からBの部屋へ荷物を運び、そこで何かを確認して、またAの部屋へ戻る。

別の場所では、二人の文官が「あの書類どこだっけ?」「三日前の棚じゃないか?」「いや、昨日あっちへ移動したはずだ」と探し回っている。

「……効率が、悪い」

私の社畜センサーが、危険信号を発した。

見ていられない。

あのメイドが持っている掃除用具、動線的に一番遠い物置に取りに行っている。

あの文官が探している書類、さっき玄関の受付で無造作に積まれていた山の中にある。

「放置だ、メリーナ」

私の殺気を感じ取ったのか、アレクセイ公爵が面白そうに言った。

「彼らも一生懸命やっている。ただ、少し要領が悪いだけだ」

「少し? あれが? あれは資源の無駄遣いです!」

私は頭を抱えた。

私は楽をしたいのだ。

だが、私の職場(公爵邸)がこんな非効率な環境では、私が頼んだ紅茶が出てくるまでに三十分かかるだろう。

私が「あの資料が見たい」と言っても、「紛失しました」と言われるのがオチだ。

そんなストレスフルな生活、耐えられるわけがない。

「……決めました」

私はドレスの袖をまくり上げた。

「私の快適なスローライフのために、まずはこの『職場環境』を整えます」

「ほう? 初日から飛ばすな」

「自分のためです。勘違いしないでくださいね!」

私はカツカツとヒールを鳴らし、混乱の中心地である事務室へと乗り込んだ。

「あ、あの……メリーナ様? どちらへ……?」

慌てる執事長を無視して、私は部屋の中央で手を叩いた。

パンパンッ!!

乾いた音が響き、全員の動きが止まる。

「注目! ただいまより、この屋敷の『業務フロー改善』を行います! 全員、私の指示に従ってください!」

呆然とする使用人たち。

しかし、私が次期公爵夫人(予定)であることは周知の事実だ。

誰も逆らえない。

私はまず、書類の山と格闘している文官たちの元へ向かった。

「そこ! あなたたちが探しているのは『領地境界線の確認書』ですね?」

「は、はい……昨日から見当たらなくて……」

「玄関ホールの右端、下から三番目の茶封筒に入っています。さっき通った時に見ました」

「えっ!?」

文官がダッシュで確認に行き、数秒後、「ありましたァァァ!!」という歓喜の叫び声が聞こえた。

私は次に、メイドたちに向き直る。

「あなたたちの掃除用具入れは東館の端にありますが、掃除区域は西館がメインですよね? 移動だけで往復二十分のロスです。西館の空き部屋をサブ倉庫に改装し、よく使う道具はそこへ移動させなさい」

「は、はいっ! すぐに!」

「それから厨房! 夕食の下準備リストを見せなさい。……やっぱり。在庫管理表と発注書が連動していません。これでは食材ロスが出ます。私が今から作るフォーマットに書き写しなさい!」

私は執務机を一つ占拠すると、猛烈な勢いでペンを走らせた。

カリカリカリカリッ!!

十分後。

そこには、誰が見ても一目で在庫状況が分かる『魔法の管理シート』が完成していた。

「これを壁に貼りなさい! 使った分だけ『正』の字を書くこと。以上!」

「す、すごい……! これなら計算間違いもしないし、何が足りないか一目瞭然です!」

料理長が震える手でシートを受け取る。

私の勢いは止まらない。

王城での十年間、無能な上司(ジュリアン殿下)の尻拭いをし続けた経験が、ここで火を噴いたのだ。

ファイリングのルール化。
報告・連絡・相談のルート短縮。
お茶出しのタイミングのマニュアル化。

私は嵐のように屋敷中を駆け回り、滞っていた「血流」を次々と開通させていった。

「(これで……これで明日からは、私は指一本動かさずに快適なサービスを受けられる……!)」

その一心だった。

決して、公爵家のために尽くそうなどという殊勝な心がけではない。

全ては、私の「怠惰」のための努力なのだ。

そして、午後五時。

定時の鐘が鳴るのと同時に、私は最後の一枚の書類――『公爵邸業務改善マニュアル・初級編』を書き上げた。

「ふぅ……終わった」

ペンを置き、大きく伸びをする。

周囲を見渡すと、そこには奇妙な光景が広がっていた。

使用人たちが全員、私を拝むような目で見つめているのだ。

「メ、メリーナ様……」

執事長が、涙目で歩み寄ってきた。

「信じられません……。いつもなら深夜までかかっていた来客リストの整理が、もう終わっております……」

「奇跡だ……」

「女神様だ……」

あちこちから、すすり泣きや感謝の声が聞こえる。

大げさな。

私はただ、自分が読みやすいようにリスト化しただけなのに。

「これにて本日の業務は終了です。私は部屋に戻って休みますので、夕食まで起こさないでください」

私は颯爽と立ち上がった。

と、その時。

背後からパチパチパチ、とゆっくりとした拍手が聞こえた。

振り返ると、執務室の入り口に、いつの間にかアレクセイ公爵が立っていた。

彼は満足げに頷きながら、私の元へと歩み寄ってくる。

「見事だ、メリーナ」

「……見ていたのですか?」

「ああ。最初から最後までな」

彼は私の書き上げたマニュアルを手に取り、パラパラとめくった。

その瞳が、怪しく輝く。

「たった三時間で、我が家の慢性的な業務渋滞を解消するとは。……やはり、私の目に狂いはなかった」

「大したことではありません。自分のためですので」

「自分のため、か」

彼は愛おしそうに目を細めると、不意に私の腰を引き寄せた。

「きゃっ!?」

至近距離。

冷徹なはずの彼の体温が、ドレス越しに伝わってくる。

「お前が優秀であればあるほど、私はお前を手放せなくなる。……覚悟しておけ」

「か、覚悟って……」

「この屋敷には、まだまだ改善すべき点が山ほどある。領地の帳簿、騎士団の兵站管理、そして――私の私生活の管理だ」

彼の指先が、私の頬をなぞる。

ゾクッとした悪寒と共に、私は悟った。

(しまった……やりすぎた!?)

私が有能さを見せつければ見せつけるほど、この「仕事人間」の公爵様は私を気に入ってしまい、さらなる「仕事」を与えようとしてくるのだ。

これは、自分で自分の首を絞める行為ではないか。

「い、嫌です! 私は明日からは絶対に働きません! 庭でカブを育てるんです!」

私が抵抗すると、彼はニヤリと笑った。

「安心しろ。カブの種なら、最高級のものを取り寄せておいた」

「本当ですか!?」

「ああ。ただし、そのカブ畑の管理表も、お前が作ってくれるならな」

「むぐぐ……」

「さあ、夕食だ。今日は特別に、お前の大好物のローストビーフを用意させた」

「……行きます」

またしても、食欲には勝てなかった。

私は公爵にエスコートされながら、心の中で涙を流した。

屋敷は快適になった。

使用人たちの尊敬も集めた。

ご飯も美味しい。

でも、肝心の「スローライフ」だけが、なぜか遠のいていく気がする。

「(明日こそは……明日こそは絶対にダラダラしてやるんだから!)」

そんな私の決意をあざ笑うかのように、翌日には王城から「SOS」という名の、新たなトラブルが持ち込まれることになるのだが――それはまた、別のお話。
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