婚約破棄されたので全力で『やったー!』と叫んだら、餌付けされています。 

桃瀬ももな

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「なんで……なんで誰も来ないんですかぁっ!?」

王城の庭園にある、白亜のガゼボ(西洋風東屋)。

そこには、パステルピンクのドレスを着て、可愛らしく着飾ったリラ・キャンベル男爵令嬢が、一人で癇癪を起こしていた。

今日は、リラが主催する初めての「親睦お茶会」の日だった。

彼女の計画ではこうだ。

1.「未来の王妃」として、高位貴族の令嬢たちを招待する。
2.みんなに「リラ様は可愛くて素敵ですわ!」とチヤホヤされる。
3.美味しいケーキを食べながら、流行のドレスの話で盛り上がる。

完璧な計画のはずだった。

しかし、現実は残酷だった。

テーブルに用意された席は二十席。

埋まっている席は――ゼロである。

「招待状はちゃんと送ったの!? 侍従!」

リラは近くに控えていた若い侍従に当たり散らした。

侍従は困り果てた顔で答える。

「は、はい。間違いなく送付いたしました。しかし……」

彼は銀の盆に乗った、大量の「欠席届」を差し出した。

「皆様、急な体調不良や、領地の用事、あるいは『飼い猫が産気づいた』などの理由で、ご欠席とのことです」

「猫が産気づいたくらいで、未来の王妃の誘いを断るんですか!?」

リラは欠席届をひったくった。

『サザーランド公爵令嬢:風邪気味のため欠席(昨日、元気に乗馬していたという目撃情報あり)』
『モンゴメリ伯爵令嬢:親戚の法事のため欠席(今夜の舞踏会には出席予定)』
『ハミルトン侯爵令嬢:所用により欠席。追伸:メリーナ様はお元気ですか?』

「キーッ!! なんですかこれ! 全員、仮病じゃないですか!」

リラはその場で手紙をビリビリに破り捨てた。

彼女は気づいていなかった。

貴族社会において、リラの立場がいかに危ういものかを。

伝統ある公爵家の令嬢(メリーナ)を冤罪で追い出し、その座に居座った男爵令嬢。

しかも、後ろ盾である王太子は現在、業務崩壊でパニック中。

まともな貴族なら、泥舟に乗りたがるはずがない。

さらに言えば、多くの令嬢たちは、陰ながらメリーナの有能さと苦労を知っていたため、今回の件で王家に静かな怒りを抱いていたのだ。

「うぅ……ひどい……。私、ただみんなと仲良くお茶したかっただけなのに……」

リラは涙目で椅子に座り込んだ。

目の前には、誰も食べないケーキと、冷めきった紅茶。

「せめて、ケーキだけでも食べます……。侍従、切り分けて」

「かしこまりました」

侍従がケーキナイフを入れる。

しかし。

カツン。

硬質な音がした。

「……? 硬いですね」

侍従が力を入れるが、ナイフが通らない。

まるでレンガのようだ。

「な、何よこれ! シェフを呼びなさい!」

呼び出された料理長代理(本物の料理長は過労でダウン中)は、悪びれもせずに言った。

「申し訳ございません。予算不足のため、小麦粉のグレードを下げ、バターの代わりにショートニングを使い、砂糖を半分に減らしました。あと、焼き時間を間違えて、ちょっと焦げました」

「ちょっと!? これ、鈍器じゃないですか!」

「予算がないのですから、仕方ありません。メリーナ様がいらした時は、安い材料でも美味しくなる魔法のレシピ(※ただの工夫)をご存知でしたが、我々には分かりませんので」

「またメリーナ様……! どいつもこいつも、メリーナ、メリーナって!」

リラは硬いスポンジケーキを投げ捨てた。

カコン、と乾いた音を立てて転がるケーキを、通りがかりの野良犬すら無視して去っていく。

「私だって! 私だって頑張ってるのに!」

リラはテーブルクロスを掴んで引っ張った。

ガシャンガラガラッ!!

高価なティーセットが地面に落ち、砕け散る。

「あーあ……」

侍従たちが冷ややかな目でそれを見ている。

「これ、誰が片付けるんだ?」
「俺たち給料未払いだぜ?」
「やってらんねーよな」

ヒソヒソという話し声が、リラの耳に突き刺さる。

彼女が夢見ていた「王妃教育」とは、綺麗なドレスを着て、皆に愛され、優雅に微笑むことだった。

しかし現実は、予算管理、根回し、人望、そしてスタッフへの配慮が必要な「高度なマネジメント業務」だったのだ。

メリーナはそれを涼しい顔で(裏では死に物狂いで)こなしていた。

リラには、その「氷山の下」にある巨大な努力が見えていなかった。

「……ジュリアン様ぁ」

リラは泣きじゃくりながら、王太子の執務室へと走り出した。

彼女が頼れるのは、同じく現実逃避中の恋人しかいない。



「ジュリアン様ぁ! 聞いてください、いじめですぅ!」

執務室に飛び込んだリラは、ジュリアンの胸に飛び込んだ。

「どうしたリラ! 今度は何があった!」

ジュリアンもまた、山積みの書類と格闘し、髪を振り乱していたが、リラの涙を見ると手を止めた。

「誰も……誰も私のお茶会に来てくれないんです! 料理人も意地悪するんです!」

「なんだと!? 不敬な奴らだ! 全員クビにしてやる!」

「そうですわ! クビにして、もっと優しい人を雇いましょう!」

「そうだな! ……と言いたいところだが」

ジュリアンは苦渋の表情で言葉を濁した。

「今は人を雇う予算も、求人を出す人手もないのだ……」

「えぇ……? じゃあ、私はどうすればいいんですか?」

「……やはり、あれしかない」

ジュリアンは、机の上に置かれた一通の手紙を手に取った。

封筒には、王家の紋章。

宛先は『ヴァン・ルーク公爵邸 メリーナ・アシュフォード様』。

「メリーナを呼び戻す。あいつがいれば、料理人も、貴族たちも、手のひらを返したように戻ってくるはずだ」

「で、でもぉ……メリーナ様が戻ってきたら、私の立場が……」

「心配するな。あくまで『実務担当』だ。私の妻はお前だけだ、リラ」

ジュリアンは甘い声で囁き、リラの頭を撫でた。

「メリーナには、お前の補佐をさせる。面倒な計算や手配は全部あいつにやらせて、お前は美味しいところだけ持っていけばいい」

「本当ですか? ……それなら、許してあげてもいいです」

リラはケロリと表情を変えた。

「じゃあ、早くその手紙を出してください! 私、明日は絶対にフワフワのケーキが食べたいんです!」

「ああ、任せておけ。あいつも、私の手書きの手紙を見れば、感激して飛んでくるに決まっている」

ジュリアンは自信満々に従僕を呼んだ。

「これを、大至急アレクセイ公爵邸へ! 王太子の親書である!」

「は、はい!」

従僕が手紙を持って駆け出していく。

二人は手を取り合い、窓の外を見つめた。

「これで元通りだ」
「楽しみですわ、ジュリアン様」

彼らは本気で信じていた。

自分たちが「許す側」であり、メリーナが「許しを乞う側」であると。

その手紙が、メリーナにとっての爆笑ネタであり、アレクセイ公爵にとっての「宣戦布告」になるとも知らずに。



翌日の午後。

ヴァン・ルーク公爵邸のテラスにて。

私は、アレクセイ公爵と優雅なティータイムを楽しんでいた。

今日のメニューは、マスカットのタルトと、冷たいアールグレイ。

「……んーっ! 最高です!」

私が至福の表情でフォークを運んでいると、執事が銀の盆を持って現れた。

「閣下、メリーナ様。王城より、急使が参りました」

「王城?」

アレクセイ公爵が眉をひそめる。

「ジュリアン殿下からの親書とのことです」

執事が差し出したのは、無駄に豪華な封蝋がされた手紙だった。

私と公爵は顔を見合わせた。

「……来たな」

「来ましたね」

予想通りのタイミング。

そして予想通りの差出人。

公爵はペーパーナイフで封を切ると、中身を取り出し、さっと目を通した。

瞬間。

ピキッ。

公爵の持っていたティーカップに、亀裂が入る音がした。

周囲の気温が、一気に五度は下がった気がする。

「……閣下?」

「……ああ、すまない。あまりにも名文だったので、感動で手が震えてしまった」

アレクセイ公爵の顔は、完璧な笑顔だった。

ただし、目は全く笑っていない。

むしろ、瞳の奥で吹雪が吹き荒れている。

「メリーナ。読んでみろ。笑い死にするかもしれんぞ」

彼は手紙を私に手渡した。

私は恐る恐る、その文面に目を落とした。

『親愛なるメリーナへ』

書き出しからして寒気がする。

私は深呼吸をして、その衝撃的な内容を読み進めた。

『君が今、深い後悔の中にいることは分かっている。君のような地味な女が、公爵家とはいえ、兄上のような堅物と暮らすのは辛いだろう?』
『私は慈悲深いから、君にチャンスを与えようと思う』
『今すぐ王城に戻り、リラの補佐として働くなら、側仕えとして置いてやってもいい』
『君の得意な書類仕事をやらせてやる。喜びたまえ』
『追伸:戻る時は、私の好きな菓子折りを持ってくるように』

「…………」

私は手紙を静かにテーブルに置いた。

そして、手元のマスカットを一つ、口に放り込んだ。

うん、甘い。

でも、この手紙の書き手の脳内ほど甘くはない。

「……閣下」

「なんだ」

「この手紙、燃えるゴミに出してもいいですか? あ、いえ、資源の無駄なのでヤギの餌に……いや、ヤギが腹を壊しますね」

私が真顔で言うと、アレクセイ公爵は腹を抱えて笑い出した。

「くくく……ははははッ! 傑作だ! まさかここまでとは!」

彼はひとしきり笑った後、スッと真顔に戻り、氷のような声で言った。

「さて、メリーナ。返事はどうする?」

「決まっています」

私はニッコリと微笑んだ。

王城で鍛えられた営業スマイルではなく、心からの邪悪な笑みで。

「たったの三行で、現実(地獄)を教えて差し上げましょう」

こうして、伝説となる「三行の返信」が作成されることになったのである。
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