婚約破棄されたので全力で『やったー!』と叫んだら、餌付けされています。 

桃瀬ももな

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王都の夜空を、花火が彩る。

今宵は、王家主催の建国記念パーティ。

国内の全貴族が招待される、一年で最も華やかで、かつ最も面倒くさいイベントである。

王城の正門前には、着飾った貴族たちを乗せた馬車の列が長蛇をなしていた。

その中の一台。

漆黒の車体に、銀の装飾が施されたヴァン・ルーク公爵家の馬車の中で、私は死んだ魚のような目をしていた。

「……帰りたいです」

「まだ着いてもいないぞ」

向かいに座るアレクセイ公爵は、今日も完璧な美貌で微笑んでいる。

夜会服を隙なく着こなした彼は、まさに「歩く芸術品」だ。

対する私はというと。

「重い……。このネックレス、肩が凝ります。ドレスの腰回りもきついし……」

「文句を言うな。そのドレスは、王都のトップデザイナーが徹夜で仕上げた最高傑作だ。それに、そのネックレスのダイヤは、私の鉱山で採れた中でも最大級のものだぞ」

「換金したらいくらになるかしら……」

「売るな」

公爵に即座に釘を刺された。

今日の私は、彼の宣言通り「ジュリアンが直視できないほど眩しい女」に仕立て上げられていた。

ドレスは、真夜中の海を思わせるディープブルー。

そこに散りばめられた宝石が、照明を浴びるたびに星屑のように煌めく。

化粧も、いつもの地味なナチュラルメイクではなく、プロの手によって妖艶さと気品を兼ね備えた「勝負メイク」が施されていた。

「いいか、メリーナ。今夜のミッションは二つだ」

公爵は私の手を取り、真剣な眼差しを向けた。

「一つ。ジュリアンとリラに、お前がどれほど素晴らしい女性かを見せつけ、彼らを絶望の縁に叩き落とすこと」

「性格が悪いですね」

「二つ。国王陛下に、お前が私の『不可侵領域』であることを認識させ、二度と手出しをさせないこと」

「それは重要ですね。頑張ります」

私が頷くと、馬車が停止した。

どうやら、正面玄関に到着したようだ。

「行くぞ。……背筋を伸ばせ。お前は今夜、この会場の誰よりも美しい」

彼は私の耳元で甘く囁くと、馬車の扉を開けた。



「ヴァン・ルーク公爵閣下、ならびに……アシュフォード公爵令嬢、ご到着ー!!」

衛兵の声が響き渡る。

ざわめいていた大広間が、一瞬で静まり返った。

誰もが固唾を飲んで入り口を見つめる。

それもそうだろう。

数日前の婚約破棄騒動。

そして、「氷の公爵」による突然の婚約発表。

噂が噂を呼び、今の社交界は私たちの話題で持ちきりなのだ。

『メリーナ様、やつれているんじゃないかしら……』
『無理やり連れてこられたという噂よ』
『可哀想に、ジュリアン殿下に未練たらたらで泣き腫らしているのでは……』

そんな、同情と好奇の視線が突き刺さる中。

巨大な扉が、ゆっくりと開かれた。

私は大きく息を吸い込み、アレクセイ公爵の腕に手を添えた。

「(……よし、仕事モード、オン!)」

カツン、カツン。

ヒールの音と共に、私たちは光あふれるホールへと足を踏み入れた。

その瞬間。

「…………ッ!!」

会場の空気が、凍りついたのではない。

爆発したかのように、どよめきが走った。

「な、なんだあの美女は!?」
「メリーナ様……? 嘘でしょう!?」
「あんなに美しかったか!? まるで女神じゃないか!」

人々の視線が、私に釘付けになる。

やつれている? 泣き腫らしている?

とんでもない。

公爵邸での快適な睡眠と、最高級の栄養(お菓子)により、今の私の肌はゆで卵のようにツヤツヤだ。

さらに、アレクセイ公爵の見立てたドレスが、私の隠されていたプロポーションを完璧に引き立てている。

そして何より。

隣に立つアレクセイ公爵が、私をエスコートしながら、周囲に凄まじい「ドヤ顔」を振りまいているのだ。

『見ろ。これが俺の婚約者だ。美しいだろう? だが触るな。見ることすら有料にしたいレベルだ』

そんな心の声が聞こえてきそうなほど、彼の態度は堂々としていた。

「(……注目されすぎて、胃が痛い)」

私が小声で呟くと、彼はニヤリと笑った。

「堂々としていろ。お前が歩く道が、そのままレッドカーペットになる」

私たちは人混みを割り、会場の中央へと進んだ。

モーゼの十戒のように、貴族たちが左右に分かれていく。

「ごきげんよう、メリーナ様……! その、とても素敵ですわ!」

「公爵閣下とお似合いです!」

今まで私を「地味で堅苦しい女」と敬遠していた令嬢たちが、掌を返したように媚びた笑顔を向けてくる。

私は営業スマイルで優雅に会釈を返した。

「ありがとう。皆様もお美しいわ」

心の中では「現金な人たちね」と毒づきながら。

と、その時だった。

人垣の向こうから、明らかにオーラの違う集団――いや、どんよりとした空気を纏った二人組がこちらを見ていた。

金髪が乱れ、目の下にクマを作ったジュリアン王太子。

そして、以前着ていたのと同じドレス(しかもシワが寄っている)を着た、リラ男爵令嬢。

彼らは、シャンパングラスを持ったまま、私たちを見て石化していた。

「あ……」

リラが掠れた声を出す。

「メ、メリーナ……様……?」

ジュリアンもまた、信じられないものを見る目で私を凝視している。

「嘘だ……。あれが、あの地味なメリーナだと……?」

彼らの知る私は、常に眉間にシワを寄せ、地味な色のドレスを着て、書類を抱えて走り回っていた。

今の、宝石のように輝き、国一番の美男子に愛されている私とは、まるで別人のように見えたのだろう。

「やあ、ジュリアン」

アレクセイ公爵が、わざとらしく明るい声で声をかけた。

「久しぶりだな。……随分と顔色が悪いようだが、何か悩み事でも?」

白々しい。

悩み事の原因(請求書と三行の手紙)を作った張本人が言うセリフではない。

ジュリアンはハッとして、悔しげに顔を歪めた。

「あ、兄上……! よくもぬけぬけと……! メリーナを返せ!」

彼は叫びながら詰め寄ろうとしたが、アレクセイ公爵の一睨みで足を止めた。

「返せ? 誰に向かって口を聞いている」

公爵の声が低くなる。

「彼女は私の正式な婚約者だ。お前が捨て、私が拾い、磨き上げた。……所有権は完全に私にある」

公爵は私の肩を抱き寄せ、見せつけるように髪にキスをした。

「きゃっ!?」

会場から黄色い悲鳴が上がる。

ジュリアンは顔を真っ赤にして、ワナワナと震え出した。

「ぐ、ぐぬぬ……! 父上! 父上はどこだ! こんな不当な婚約、認められるはずがない!」

彼は周囲を見回し、壇上に座っている国王陛下に助けを求めた。

しかし。

国王陛下は、私たちの方を見て、さっと視線を逸らした。

そして、額に脂汗をかきながら、侍従に何やら耳打ちをしている。

『(……目を合わせるな。あいつらに関わると、また請求書が来るぞ……)』

そんな王の声が聞こえてきそうだ。

ジュリアンは孤立無援だった。

周囲の貴族たちも、すでに勝敗は決したと悟り、冷ややかな目で王太子を見ている。

「可哀想な殿下……」

「逃がした魚は大きすぎたわね」

そんな囁きが聞こえる中、私はジュリアンとリラに向き直り、ニッコリと微笑んだ。

「ごきげんよう、殿下、リラ様。本日のパーティ、楽しんでいらっしゃいますか?」

余裕の笑み。

それは、かつて彼らが私に向けた「勝ち誇った笑み」の、百倍返しの輝きを持っていた。

「くっ……!」

ジュリアンは言葉を失い、リラは涙目で俯く。

勝負あり。

入場からわずか数分で、私たちは完全勝利を収めた――かに見えた。

だが。

物語はここで終わらない。

追い詰められたネズミは、猫を噛むという。

窮地に立たされたリラが、震える声で、とんでもない爆弾発言を投下しようとしていたのだ。

「……ず、ずるいです!」

リラが突然叫んだ。

「メリーナ様だけ、そんな綺麗なドレスを着て……! それは王家の税金で作ったんでしょう!? 横領ですわ!」

会場が静まり返る。

横領。

それは、公爵令嬢に対して決して言ってはならない、致命的な侮辱だった。

アレクセイ公爵の目が、スッと細められる。

「……今、なんと?」

パーティ会場の気温が、一気に氷点下へと叩き落とされた。
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