婚約破棄されたので全力で『やったー!』と叫んだら、餌付けされています。 

桃瀬ももな

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王城の奥にある、豪奢な応接室。

そこには、重苦しい沈黙が漂っていた。

上座には、脂汗を流す国王陛下と、扇子で口元を隠し険しい顔をしている王妃殿下。

対面には、私とアレクセイ公爵。

そして、その少し離れた場所に、ジュリアン王太子とリラ男爵令嬢が座らされていた。

「……さて」

国王陛下が、重い口を開いた。

「事態の収拾を図りたい。ジュリアンは『メリーナが不当に奪われた』と主張し、アレクセイは『正当な契約だ』と主張している。……双方の言い分を聞こう」

「父上! 聞くまでもありません!」

ジュリアンが身を乗り出した。

「兄上は武力と財力に物を言わせて、メリーナを脅しているのです! メリーナは被害者だ! なあ、そうだろメリーナ!」

同意を求められた私は、出された紅茶(ぬるい)を一口飲み、静かに首を横に振った。

「いいえ。私は極めて自由意志に基づいて、幸福な生活を送っております」

「嘘だ! 兄上に言わされているんだな!?」

「いいえ。言わされているなら、『おやつが足りない』とは言いません」

「ぐぬ……ッ!」

話が通じないことに焦れたのか、隣のリラが声を張り上げた。

「へ、陛下! 私は信じません! だってメリーナ様は、性根が腐った悪女なんですもの!」

「リラ、言葉を慎みなさい」

王妃殿下が冷ややかに注意するが、リラは止まらない。

「本当なんです! 私、昨日も嫌がらせを受けたんです!」

「……昨日?」

私が眉をひそめる。

昨日は一日中、公爵邸に引きこもっていたはずだが。

リラは涙ながらに語り始めた。

「昨日の午後三時頃です! 私が街へ買い物に出かけた時、路地裏でメリーナ様に待ち伏せされたんです!」

「ほう」

アレクセイ公爵が、面白そうに目を細める。

「それで?」

「メリーナ様は、私に向かって『調子に乗るな』と罵声を浴びせ、私の大切な扇子を奪って、ドブ川に捨てたんです! 怖かったぁ……!」

リラはジュリアンの胸に顔を埋めて泣き出した。

ジュリアンが激昂して私を睨む。

「聞いたか父上! メリーナは公爵邸にいるふりをして、こっそりと抜け出し、リラを襲ったのだ! こんな危険な女を兄上のそばに置いておくわけにはいかない! 牢屋に入れるべきだ!」

なるほど。

「冤罪で牢屋に入れて、恩赦と引き換えに私を手元に戻す」という作戦か。

浅はかすぎて涙が出る。

国王陛下が困惑した顔で私を見た。

「……メリーナ。反論はあるか?」

「あります」

私は即答した。

「というか、物理的に不可能です」

「不可能?」

「はい。その時刻、私は『アリバイ』がありますので」

私は懐から一冊の手帳を取り出した。

表紙には『至福のスイーツ・ログ vol.4』と書かれている。

「それはなんだ?」

「私の食べたおやつの記録帳です」

私はパラパラとページをめくり、昨日の日付のページを開いて、陛下に見えるように提示した。

「昨日の午後三時。私は公爵邸のテラスにて、シェフ特製の『ピスタチオと木苺のミルフィーユ』を実食しておりました」

「は? おやつ?」

ジュリアンが呆けた声を出す。

「はい。これがその時の記録です」

私は朗々と読み上げた。

『午後三時〇五分。一口目を投入。パイ生地のサクサク感は、まるで天使の羽音のよう。ピスタチオクリームの濃厚なコクを、木苺の酸味が引き締める。これはもはや芸術。評価:星五つ』

あまりの熱量に、陛下が引いている。

しかし、私は止まらない。

「このミルフィーユは非常に繊細で、食べるのに四十五分かかりました。一言一句、感想を書き留めています。路地裏で扇子を捨てている暇など、一秒たりともありません」

「そ、そんなメモ、後からいくらでも捏造できるだろう!」

ジュリアンが叫ぶ。

「証人はいるのか! お前一人で食べていたんだろう!」

「いいえ」

答えたのは、私ではなく、隣のアレクセイ公爵だった。

「私が一緒にいた」

公爵は優雅に足を組み替えた。

「そのミルフィーユ、私も一口もらったが、実に美味だった。……なにより」

彼は妖艶な笑みを浮かべ、私の唇を指差した。

「彼女が口の端にクリームをつけたのを、私が指で拭ってやったのが、ちょうど三時三十分頃だ。……その感触まで、鮮明に覚えているが?」

「ぶふッ!!」

王妃殿下が噴き出した。

陛下も顔を赤くして咳払いをする。

「……詳細すぎる証言、感謝する」

「う、嘘だ! 二人で口裏を合わせているんだ!」

リラが食い下がる。

「大体、そんなお菓子のことばかり覚えているなんて不自然です! 普通は忘れます!」

「リラ様」

私は冷ややかな目で見下ろした。

「貴女と一緒にしないでください。私にとって『おやつ』は、一日の活動エネルギーであり、生きる喜びそのものです。誰をいじめたとか、誰の扇子を捨てたとか、そんな非生産的な記憶よりも、クリームの甘さの方が重要なんです」

「……っ」

私の「食への執念」という狂気に触れ、リラが言葉を失う。

さらに、私はダメ押しの一撃を加えた。

「それに、もし私が本当に貴女を襲うなら、扇子を捨てる程度では済ませません」

「え?」

「私なら、貴女のドレスの背中の糸をこっそり切って、公衆の面前ではだけるように細工します。その方が効率的に社会的ダメージを与えられますから」

「ひぃっ!?」

リラが青ざめて後ずさる。

「……冗談ですわ」

私はニコリと笑った。

「そんな面倒なこと、頼まれてもしません。おやつを食べている方が百倍有益ですので」

陛下は大きなため息をつき、疲れた顔でジュリアンたちを見た。

「……ジュリアン。リラ。お前たちの負けだ」

「ち、父上!?」

「メリーナのアリバイは完璧だ。それに比べて、お前たちの証言には具体性がない。……これ以上、恥を晒すな」

陛下は投げやりに手を振った。

もはや、息子を庇う気力すら失せているようだ。

「……くっ、くそぉぉぉ!!」

ジュリアンは拳を床に叩きつけた。

「なんでだ! なんでいつもメリーナばかり! 私だって王太子なのに! なんで誰も私の味方をしないんだ!」

それは、貴方が誰も味方につける努力をしてこなかったからです。

そう言ってあげたかったが、時間の無駄なのでやめた。

「さて、疑惑は晴れましたね」

アレクセイ公爵が立ち上がる。

「我々はパーティ会場に戻らせていただく。……ああ、そうだ」

公爵は帰り際、ふと思い出したようにジュリアンを見下ろした。

「ジュリアン。お前、さっき『メリーナを返せ』と言ったな?」

「……だったらどうした!」

「残念だが、それはもう不可能だ」

公爵は私の腰を抱き寄せ、勝利宣言とも取れる言葉を告げた。

「なぜなら、私は今夜のパーティで、ある『重大発表』をするつもりだからだ」

「重大……発表?」

「それを聞けば、お前も二度とメリーナに近づこうとは思わなくなるだろう。……首を洗って待っていろ」

公爵は不敵に笑い、私をエスコートして部屋を出た。

扉が閉まる瞬間、中からリラの泣き声と、ジュリアンの叫び声が聞こえたが、それはすぐに遠ざかった。

廊下に出た私は、公爵を見上げた。

「……閣下。重大発表って、なんですか?」

「ん? 言わなかったか?」

彼は悪戯っぽく微笑んだ。

「お前が食べたミルフィーユより、もっと甘くて、もっと刺激的な話だ」

「……また、何か企んでいますね?」

「ああ。とびきりの演出を用意した」

私たちは再び、煌びやかなパーティ会場へと向かう。

冤罪は晴らした。

次は、公衆の面前での「確定演出」だ。

私の手帳には『本日のディナー:フルコース』と書かれているが、どうやらメインディッシュは、料理ではなく「ざまぁ」になりそうである。
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