婚約破棄されたので全力で『やったー!』と叫んだら、餌付けされています。 

桃瀬ももな

文字の大きさ
18 / 28

18

しおりを挟む
国王陛下との面談を終え、私たちは再びパーティ会場の大広間へと戻ってきた。

扉が開いた瞬間、ざわめきが波のように押し寄せてくる。

先ほどの「横領騒ぎ」と、その後の「別室への呼び出し」。

貴族たちの好奇心は最高潮に達しており、まるで餌を待つ鯉のように口をパクパクさせながら、私たちの帰還を待ちわびていたようだ。

「……視線が痛いですね」

「気にするな。今からもっと痛くしてやる」

アレクセイ公爵は不敵に笑うと、私の手を引き、会場の最奥にある一段高いステージ――本来なら王族が挨拶をするための場所へと向かった。

「え、閣下? そっちは……」

「黙ってついてこい。お前の『時給』には、この茶番劇への出演料も含まれている」

「なら、やります」

私は即座に覚悟を決めた。

特別手当が出るなら、ピエロにでも何にでもなろう。

ステージに上がった公爵は、片手を挙げた。

たったそれだけの動作で、楽団の演奏がピタリと止まり、会場が静まり返る。

王族以上のカリスマ性。

いや、恐怖政治と言うべきか。

「諸君」

よく通るバリトンボイスが、ホールに朗々と響く。

「今宵、このめでたい席で、私の口から正式に発表したいことがある」

ゴクリ、と誰かが喉を鳴らす音が聞こえた。

公爵は一呼吸置き、隣に立つ私を腕の中に引き寄せた。

「私、アレクセイ・ヴァン・ルークは、ここにいるメリーナ・アシュフォード嬢と婚約したことを報告する」

「おおぉ……!」

会場からどよめきが上がる。

ここまでは想定内だ。

すでに噂は広まっているし、陛下への根回し(脅し)も済んでいる。

だが、公爵の「重大発表」はここからだった。

彼は愛おしそうに私の肩を抱き、全貴族を見渡して宣言した。

「これは、家同士の政略結婚でも、王家の命令によるものでもない。……私自身が、彼女を渇望し、求婚したのだ」

「……は?」

私は思わず、公爵の横顔を見上げた。

渇望?

求婚?

いやいや、あれは「ヘッドハンティング」でしたよね?

条件闘争でしたよね?

公爵は私の視線に気づかないふりをして、さらに言葉を続ける。

「彼女は、私の凍てついた心を溶かした、唯一無二の女性だ。彼女の聡明さ、強さ、そして……愛らしさに、私は魂を奪われた」

会場の令嬢たちが「きゃあぁぁ!」と黄色い悲鳴を上げ、紳士たちが「あの氷の公爵が……!」と驚愕している。

私は冷や汗をかきながら、公爵の袖をちょいちょいと引っ張った。

「(……あの、閣下? 閣下?)」

私は極小の声で囁く。

「(設定が盛りすぎではありませんか? 契約書には『業務上のパートナー』としか書いてありませんが……)」

「(……シッ。黙っていろ)」

公爵は口元を動かさずに囁き返した。

「(これが一番、手っ取り早く周囲を黙らせる方法だ。それに……見ろ、あそこの柱の陰を)」

彼が目線で示した先。

そこには、亡霊のように青ざめたジュリアン王太子と、化粧が崩れたリラ男爵令嬢がへたり込んでいた。

二人は、公爵の「魂を奪われた」という言葉を聞いて、絶望的な顔をしている。

「(あいつらに『自分たちが捨てたものが、いかに価値あるものだったか』を理解させるには、私が狂ったように溺愛してみせるのが一番効果的なのだ)」

「(……なるほど。精神攻撃ですか。性格が悪くて安心しました)」

私は納得した。

これは演技だ。

完璧なビジネス・ロマンスだ。

そう思うと、恥ずかしさも消え失せ、私は「愛される婚約者」の顔を作った。

「アレクセイ様……嬉しいですわ」

私はうっとりとした表情で、公爵の胸に頭を預けた。

「私も、貴方様をお慕いしております……(特に財力を)」

「ああ、愛しいメリーナ……(特に事務処理能力を)」

私たちは見つめ合い、完璧な愛の劇場を演じた。

会場は感動の渦に包まれている。

「なんて素敵なお二人なの!」
「真実の愛だわ!」
「それに比べて、あっちの元婚約者は……」

空気は完全にこちらに味方した。

公爵は満足げに頷くと、再び会場に向き直った。

「よって、宣言する! 彼女は私の『最愛の婚約者』であり、ヴァン・ルーク家の次期女主人となる! 彼女に対する無礼は、私に対する宣戦布告と見なす!」

「ヒィッ……」

貴族たちが一斉に背筋を伸ばす。

「今後、彼女の過去(婚約破棄)について陰口を叩く者がいれば、即刻我が領地との取引を停止し、全鉱山の供給を止める。……覚悟しておけ」

脅迫だ。

愛の告白の皮を被った、国家規模の経済制裁予告だ。

しかし、その圧倒的な力強さに、令嬢たちはさらに熱狂した。

「素敵! 守られたい!」

「最強のスパダリだわ!」

公爵は勝ち誇った顔で、私に向き直った。

「さあ、メリーナ。誓いのキスだ」

「……はい?」

私は耳を疑った。

「え、誓いのキス? ここで? 契約書には『身体的接触は手繋ぎまで』と……」

「オプション追加だ。特別ボーナスを出す」

「金貨十枚」

「五枚だ」

「八枚」

「……よかろう。交渉成立だ」

小声での価格交渉が一瞬でまとまる。

公爵は私の腰を引き寄せ、ゆっくりと顔を近づけた。

会場の視線が一点に集中する。

ジュリアンが「やめろぉぉぉ!」と叫ぼうとして、リラに口を塞がれているのが見える。

(仕事よ、メリーナ。これは金貨八枚分の仕事……!)

私は目を閉じ、心を無にした。

触れるか触れないかの距離。

公爵の吐息がかかる。

そして。

チュッ。

唇に、温かい感触が落ちた。

それは予想に反して、とても優しく、甘く、そして長かった。

(……ん?)

長い。

契約では「フリ」か、一瞬の接触のはずだ。

これでは、まるで本当に……。

数秒後、ようやく唇が離れると、公爵は少しだけ顔を赤らめ、そして満足げに微笑んでいた。

「……悪くない」

彼はボソリと呟いた。

会場からは割れんばかりの拍手喝采。

私は呆然と立ち尽くし、熱くなった自分の唇に指を触れた。

「(……今の、本当に演技?)」

私の心臓が、契約外の速度で跳ねている。

これは不整脈だろうか。

それとも、糖分の摂りすぎだろうか。

「さあ、降りるぞ。主役の座は十分に堪能した」

公爵は何食わぬ顔で私の手を取り、ステージを降りていく。

その背中は、いつもの冷静な彼に戻っていたが、繋いだ手は痛いくらいに強く握られていた。

人混みの中、私たちはジュリアンの前を通り過ぎる。

彼は、魂が抜けたように座り込んでいた。

「兄上……嘘だろ……」

彼は譫言のように繰り返している。

「あんな……あんな顔、見たことない……。兄上が、女にあんな……」

彼には分かったようだ。

兄であるアレクセイ公爵のキスが、単なる演技や嫌がらせのレベルを超えていたことが。

ざまあみろ、と言いたいところだが。

今の私は、それどころではなかった。

(どうしよう……。明日から、どんな顔をして『定時退社』を主張すればいいの?)

公爵の「公言」と「キス」によって、私たちの関係(ビジネスライク)は、大きく狂い始めていた。

それは、私にとっても、そしておそらく公爵にとっても、「誤算」を含んだ甘いトラブルの幕開けだったのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

一年後に離婚すると言われてから三年が経ちましたが、まだその気配はありません。

木山楽斗
恋愛
「君とは一年後に離婚するつもりだ」 結婚して早々、私は夫であるマグナスからそんなことを告げられた。 彼曰く、これは親に言われて仕方なくした結婚であり、義理を果たした後は自由な独り身に戻りたいらしい。 身勝手な要求ではあったが、その気持ちが理解できない訳ではなかった。私もまた、親に言われて結婚したからだ。 こうして私は、一年間の期限付きで夫婦生活を送ることになった。 マグナスは紳士的な人物であり、最初に言ってきた要求以外は良き夫であった。故に私は、それなりに楽しい生活を送ることができた。 「もう少し様子を見たいと思っている。流石に一年では両親も納得しそうにない」 一年が経った後、マグナスはそんなことを言ってきた。 それに関しては、私も納得した。彼の言う通り、流石に離婚までが早すぎると思ったからだ。 それから一年後も、マグナスは離婚の話をしなかった。まだ様子を見たいということなのだろう。 夫がいつ離婚を切り出してくるのか、そんなことを思いながら私は日々を過ごしている。今の所、その気配はまったくないのだが。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ

恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。 王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。 長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。 婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。 ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。 濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。 ※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

【完結】好きでもない私とは婚約解消してください

里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。 そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。 婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。

処理中です...