婚約破棄されたので全力で『やったー!』と叫んだら、餌付けされています。 

桃瀬ももな

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「……頭が痛い」

玉座に座る国王陛下は、こめかみを指で揉みながら、深いため息をついた。

嵐のような騒動が去ったホール。

残されたのは、微妙な空気の貴族たちと、陛下の前に呼び出された私とアレクセイ公爵だけである。

「父上。頭痛薬なら、私が処方しましょうか? それとも、引退届の用紙をご所望で?」

アレクセイ公爵が涼しい顔で尋ねる。

「黙れ、親不孝者。お前がジュリアンを精神的に追い詰めたせいもあるだろうが」

陛下はジロリと公爵を睨んだが、すぐに力なく肩を落とした。

「だが……認めざるを得ん。ジュリアンの器量は、王となるにはあまりにも不足していた」

陛下は悲痛な面持ちで、天井を見上げた。

「リラの教育不足、自身の管理能力の欠如、そして何より……有能な婚約者(メリーナ)を捨てた判断力のなさ。これらは致命的だ」

「ご明察です」

公爵が淡々と肯定する。

「加えて、先ほどのリラの暴言。『働きたくない』と公言する王妃など、国民が許しません。暴動が起きます」

「うむ……」

陛下は重い口を開いた。

そして、よく通る声で宣言した。

「これより、王命を下す!」

ザッ。

会場の貴族たちが一斉に膝をつく。

私と公爵も、礼儀として頭を垂れた。

「第一王子ジュリアン・ヴァン・ルークを、本日をもって廃嫡とする! 王位継承権を剥奪し、平民の身分へ降格させるものとする!」

「おおぉ……!」

会場がどよめく。

予想はしていたが、やはり決定されると重みが違う。

「処分としては、北方の開拓村への追放。リラ・キャンベルに関しても同様とし、男爵家の籍を抜いた上で、ジュリアンと共に送るものとする。……二人で仲良く、泥に塗れて働くがよい」

「妥当な処分ですね」

私は心の中で頷いた。

農業を舐めていた二人には、土の厳しさを知ってもらうのが一番の教育だ。

「そして……」

陛下の視線が、アレクセイ公爵に移る。

「空席となった王太子の座には、第二王子であり、現在は公爵位にあるアレクセイを据える」

「謹んでお受けします」

公爵は何の躊躇いもなく即答した。

まるで、最初からそうなることが決まっていたかのような落ち着きだ。

「そして、その婚約者であるメリーナ・アシュフォード」

「は、はい!」

急に名前を呼ばれ、私はビクリと顔を上げた。

陛下の目が、私をじっと見つめている。

その目には、懇願と、期待と、そして諦めのような色が混ざっていた。

「そなたを、次期王太子妃として承認する」

「……」

「ジュリアンが作った負債の処理、および崩壊した王城機能の立て直し……そなたの力が必要だ。戻ってきてくれるな?」

その言葉を聞いた瞬間。

私の脳内で、警報が鳴り響いた。

『緊急警報! 緊急警報! 業務レベルが「公爵夫人」から「王太子妃(次期国母)」へ引き上げられました!』
『予想される残業時間:測定不能』
『スローライフ達成率:0%』

「お、お断りします!!」

私は王命であることも忘れ、叫んでいた。

「メリーナ!?」

周囲がざわつくが、今の私に構っている余裕はない。

「陛下! 私はアレクセイ閣下と『公爵夫人』としての雇用契約を結んだのです! 『王太子妃』なんて契約外です!」

私はドレスのポケット(機能性重視でつけてもらった)から、契約書の写しを取り出した。

「見てください! ここに『業務範囲:公爵家の管理』と書いてあります! 国政の管理なんて書いてありません!」

「そ、そこを何とか……! 手当は出す!」

「嫌です! 王城に戻ったら、またあの『睡眠時間三時間』の日々に戻るじゃないですか! 私はカブを育てたいんです! 寝たいんです!」

私は必死に抵抗した。

国母? 知ったことか。

私は自分の睡眠時間の方が、国家の存亡より大事なのだ。

陛下が困り果てて、アレクセイ公爵に助け舟を求める。

「おい、アレクセイ。なんとかしろ。お前の嫁だろう」

「私の嫁ですが、彼女は『契約』にうるさい女でしてね」

公爵は楽しそうに笑っている。

「彼女を納得させるには、それ相応の『条件変更』が必要です」

「条件……? 金か?」

「金だけでは動きません。彼女が求めているのは『快適な労働環境』と『食』です」

公爵は私に向き直り、ニヤリと笑った。

「メリーナ。再交渉だ」

「……どんな条件を出されても、王太子妃は嫌です。責任が重すぎます」

「そうか? 私が王太子になれば、国中の『おやつ』はお前のものだぞ」

「……っ!」

「王室御用達の菓子職人、全員をお前の専属にする。さらに、外交特権を使って、世界中の珍しいスイーツを取り寄せる権利を与えよう」

「せ、世界中の……スイーツ……」

私の心がグラリと揺れる。

東方のとろける羊羹。西方の濃厚なチョコレート。南方の瑞々しいフルーツタルト。

それらが、指一本で手に入る?

「さらに」

公爵は畳み掛けた。

「王城の業務に関しては、私が全権を持って改革を行う。お前が嫌がる『無駄な会議』『意味のないお茶会』は全て廃止する。お前は、実務と、おやつの試食だけしていればいい」

「……定時は?」

「守らせよう。私が王太子の権限で、国法を改正してでもな」

「……週休二日は?」

「維持する。休日に公務を入れた大臣は、私が氷漬けにする」

あまりにも強力な条件提示。

そして何より、アレクセイ公爵の「絶対に逃がさない」という執念が凄まじい。

陛下も横から口を挟んだ。

「わ、わしも約束する! メリーナ、そなたが請求した『慰謝料』と『未払い賃金』、利子をつけて全額払おう! さらに、特別ボーナスとして、王家の離宮を一つ、そなたの別荘として与える!」

「離宮……」

「そこには広大な庭がある。カブでも大根でも、好きなだけ植えるがいい!」

「……カブ畑付きの別荘……」

外堀、内堀、そして本丸まで。

完全に埋められた。

私は天を仰いだ。

これはもう、逃げられない。

王命という強制力に、おやつと金と別荘というアメを山盛りにされたら、断る方が損益計算的に間違っている。

「……はぁ」

私は長く、深く息を吐いた。

そして、諦めの笑みを浮かべて公爵を見た。

「閣下。……いえ、アレクセイ殿下」

「なんだ」

「貴方って、本当に悪徳商人ですね」

「最高の褒め言葉だ」

彼は満足げに頷いた。

私は陛下に向き直り、恭しくカーテシーをした。

「……謹んで、お受けいたします。ただし!」

私は顔を上げ、王族に向かって人差し指を立てた。

「私の安眠を妨害したら、即座に離宮へ引きこもりますからね! それだけは忘れないでください!」

「う、うむ! 約束しよう!」

陛下が安堵の表情で胸を撫で下ろす。

アレクセイ公爵が、私の腰を引き寄せ、耳元で囁いた。

「交渉成立だな、未来の王妃よ」

「……騙された気分です」

「安心しろ。私がお前を酷使する奴らは、全員排除してやる。……お前を独占できるのは、私だけだ」

彼はそう言うと、再び会場に向かって手を挙げた。

「聞け! 諸君!」

彼の声が、新しい時代の幕開けを告げる。

「本日より、私が王太子となる! そして、彼女が私の妃だ! 我々の治世に、無能と停滞は許されない。……ついて来れる者だけ、ついて来い!」

「おおぉぉぉーーーッ!!!」

割れんばかりの歓声と拍手。

貴族たちは熱狂している。

「氷の王太子万歳!」
「賢者メリーナ様万歳!」

私は引きつった笑顔で手を振りながら、心の中で泣いていた。

(さようなら、私のスローライフ……)

(でもまあ、世界中のスイーツが食べられるなら、あと数十年くらいは働いてあげてもいいかな……)

こうして。

断罪劇から始まった私の「婚約破棄騒動」は、なぜか「国母への大出世」という、斜め上の結末で幕を閉じることになった。

……いや、まだ終わらない。

これから始まるのは、アレクセイ殿下との「甘くて激務な」王城生活と、追放された元婚約者たちの「泥沼のその後」だ。

私の戦い(と糖分補給)の日々は、まだまだ続くのである。
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