婚約破棄されたので全力で『やったー!』と叫んだら、餌付けされています。 

桃瀬ももな

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感動的なプロポーズから一夜明けた、公爵邸の朝。

小鳥がさえずり、爽やかな風が吹き抜けるテラスにて。

私は、アレクセイ殿下の目の前に、一枚の書類をバンッ!! と叩きつけた。

「……なんだ、これは」

優雅にモーニングコーヒーを飲んでいた殿下が、カップを置いて書類を覗き込む。

「『婚姻生活における平和維持および福利厚生に関する覚書』……?」

「はい。昨夜のプロポーズは大変感動的でしたが、それとこれとは別です」

私は仁王立ちで宣言した。

「愛は素晴らしいエネルギーですが、生活を維持するのは『ルール』です。結婚後に『こんなはずじゃなかった』と泥沼になるのを防ぐため、事前に条件を明確化しておきます」

私の言葉に、殿下は呆れるどころか、楽しそうに口元を緩めた。

「……くくっ。プロポーズの翌朝に契約書を持ってくる女など、世界中でお前だけだろうな」

「褒め言葉として受け取ります。サインする前に、各条項の読み合わせを行います」

私は指示棒(どこからか持ってきた)で、書類の一条目を指した。

「第1条:【労働時間の厳守】」

私は声を張り上げた。

「王太子妃としての公務、および公爵家の実務は、原則として朝九時から夕方十七時までとします。残業は認めません!」

「ふむ。緊急時はどうする?」

「『緊急時』の定義は、『他国からの侵略』『天変地異』『おやつの在庫切れ』の三点のみとします」

「……最後の一つは緊急か?」

「私にとっては国家存亡の危機です」

私が真顔で答えると、殿下は肩を震わせて笑った。

「いいだろう。承認する。私も、お前との夕食の時間を邪魔されたくはない」

「第2条:【休日の運用について】」

私は次へ進む。

「週休二日制は絶対遵守。ただし、休日の過ごし方については以下の通りとします」

「ほう?」

「午前中は『睡眠優先時間』とし、何があっても私を起こしてはなりません。布団は私の聖域です」

「却下だ」

殿下が即答した。

「は?」

「昼まで寝かせておくなど、時間の浪費だ。休日は朝からデートに行くぞ」

「嫌です! 私は寝たいんです! 平日に酷使された脳細胞を修復する必要があるんです!」

「なら、妥協案だ」

殿下はペンを取り、サラサラと修正案を書き込んだ。

「『朝十時までは睡眠を許可する。ただし、十時以降は夫とのデート(視察という名目の食べ歩き含む)に付き合うこと』。……これならどうだ?」

「……食べ歩き?」

私の耳がピクリと反応した。

「ああ。城下町には、まだお前の知らない隠れた名店があるらしいぞ? 焼きたてのクレープや、揚げたてのドーナツ……」

「承認します!!」

私は即座にハンコを押した。

「ちょろいな」

「うるさいです。食への探究心と言ってください」

「次だ」

「はい。第3条:【食糧供給の保証】」

これが今回の最重要項目だ。

私は熱弁を振るった。

「私の機嫌とパフォーマンスは、血糖値に比例します。よって、一日三回のおやつ、および夜食のデザートは必須とします。また、メニューは『甘い・しょっぱい・甘い』の無限ループ構成を推奨します」

「……太るぞ?」

「そのための第4条です! 【体型維持への協力】!」

私は自分の脇腹を少しつまんで見せた。

「万が一、私が幸せ太りをした場合、殿下は『太った?』と指摘してはいけません。代わりに『今日も愛らしいな』と褒め称え、一緒に早朝ジョギングに付き合う義務を負います」

「……理不尽だな」

「不満ですか?」

「いや。ぽっちゃりしたお前も抱き心地が良さそうで悪くないが……まあいい。ジョギングくらい付き合ってやろう」

殿下は余裕の笑みでサインした。

順調だ。

私の理想的な結婚生活が、条文として刻まれていく。

「そして最後、第5条:【喧嘩時のルール】」

私は少し声を落とした。

「夫婦になれば、意見が食い違うこともあるでしょう。その時は……」

「その時は?」

「翌日に持ち越さないこと。そして、どちらが悪かったとしても、必ず『一緒に美味しいものを食べて仲直りする』こと」

私が上目遣いで言うと、殿下はペンを止め、私をじっと見つめた。

その瞳が、優しく揺れている。

「……いい条項だ」

彼は立ち上がり、テーブル越しに私の頬に触れた。

「だが、一つ足りないな」

「え? 何か抜けがありましたか?」

「第6条だ」

彼は私の手からペンを奪い取り、書類の一番下に、力強い筆跡で書き加えた。

『第6条:夫は妻を生涯愛し抜き、妻は夫の愛を(照れずに)受け入れること。また、一日一回以上のキスを義務とする』

「……っ!?」

私は顔が沸騰するのを感じた。

「な、なんですかこれ! 公的文書に書くことじゃありません!」

「重要事項だ。これがないと契約は成立しない」

「権力の乱用です!」

「嫌ならサインしなくてもいいが? ……その場合、おやつのランクが下がるかもしれんぞ」

「くっ……卑怯な……!」

私は唸った。

アメとムチの使い方が上手すぎる。

この男、本当に私の扱いを完全にマスターしている。

「……分かりましたよ」

私は震える手で、その恥ずかしい条項の下にサインをした。

「これで文句ないですか!」

「ああ、完璧だ」

殿下は満足げに契約書を手に取り、確認した。

「これで我々の結婚生活は安泰だ。……破ったら、違約金(キス百回)を請求するからな」

「そんな罰則聞いてません!」

「今決めた。さあ、契約締結の儀式だ」

彼は書類を執事に預けると、私を抱き寄せた。

爽やかな朝の光の中で、私たちは「契約成立」のキスを交わした。

甘くて、少し長くて、幸せな味がした。

「……ん。これでよし」

殿下は唇を離すと、ニヤリと笑った。

「さて、メリーナ。契約も済んだことだし、仕事に行くぞ」

「えっ、もうですか? まだ余韻が……」

「今日は結婚式の衣装合わせだ。王室専属のデザイナーが待ち構えている」

「うげぇ……また着せ替え人形ですか……」

「安心しろ。終わったら、王都で一番高いパフェをご馳走してやる」

「行きます!!」

私は即答し、ドレスの裾を翻して走り出した。

「マリー! 支度をして! 最速で着替えるわよ!」

「はいはい、お嬢様! 相変わらず現金なんですから!」

メイドのマリーが笑いながら追いかけてくる。

背後では、アレクセイ殿下がそんな私を、呆れつつも愛おしそうに見守っていた。

こうして。

私たちの間には、鉄壁の(そして甘い)契約が結ばれた。

あとは、一大イベントである「結婚式」を迎えるだけだ。

しかし。

「平穏無事に終わるはずがない」

私の予感通り、結婚式当日には、ある「小さなハプニング」が待ち受けていたのである。

それは、私の食い意地が招いた悲劇か、それとも喜劇か。

次回、いよいよ感動の(?)結婚式編。

花嫁のドレスのウエストがきつい問題と、誓いの言葉の最中に鳴り響く「あの音」について。
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