婚約破棄されたので全力で『やったー!』と叫んだら、餌付けされています。 

桃瀬ももな

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「ぐっ……! ま、マリー、待って……!」

「お嬢様! 息を止めてください! あと三センチです!」

「三センチ!? 無理よ、肋骨が悲鳴を上げているわ!」

「昨日、パフェの『大盛り』を食べた代償です! 我慢してください!」

王都の大聖堂、花嫁の控え室。

そこでは、優雅な結婚式の準備とは程遠い、命がけの攻防戦が繰り広げられていた。

原因は明白。

アレクセイ殿下との「甘い契約」により、毎日供給される極上のおやつと、昨日の前祝いパフェ(生クリーム増量)が、私のウエスト周りに「幸せの厚み」をもたらしていたのだ。

「ぎギギ……っ! 入ったぁぁぁ!!」

マリーが渾身の力でコルセットの紐を締め上げる。

私は酸素を求めて喘いだ。

「はぁ、はぁ……。死ぬかと思った……」

「間に合いました! さあ、鏡をご覧ください!」

私はフラフラと鏡の前に立った。

そこには、純白のウェディングドレスを纏った私が映っていた。

レースとシルクをふんだんに使い、無数の真珠が縫い付けられたドレスは、息を呑むほど美しい。

ウエストも(物理的に締め上げられたおかげで)綺麗にくびれている。

「……すごい」

「世界一美しい花嫁様ですよ! さあ、行きましょう! 殿下がお待ちです!」

私は重いドレスを引きずりながら、控え室を出た。

扉の向こうでは、正装した父――アシュフォード公爵が待っていた。

父は私を見るなり、少し目元を潤ませた。

「……メリーナ。綺麗だ」

「ありがとう、お父様」

「あんなに小さかったお前が、まさか国の母になるとはな……。苦労をかけるが、幸せになるんだぞ」

「はい。……慰謝料と別荘も確保してありますので、老後は安泰です」

「お前は本当にブレないな」

父は苦笑しながら、私の手を取った。

パイプオルガンの音が響き渡る。

重厚な扉がゆっくりと開かれた。

光あふれる大聖堂。

そこには、国中の貴族たちと、招待された王族たちがひしめき合っていた。

バージンロードの先。

祭壇の前には、白の礼服に身を包んだアレクセイ殿下が立っている。

いつもの黒い服とは違い、白を着た彼は、まさに物語に出てくる王子様そのものだった。

(……かっこいい)

悔しいけれど、見惚れてしまう。

私たちはゆっくりと歩を進めた。

一歩、また一歩。

父から、アレクセイ殿下へと手が渡される。

「……待っていたぞ」

殿下は私の手を握り、小声で囁いた。

「美しいな、メリーナ。……だが、顔色が少し青いぞ? 緊張しているのか?」

「いいえ。コルセットが限界なだけです」

「……昨日のパフェか」

「自業自得とは言わないでください」

私たちが祭壇の前に並ぶと、司祭様が厳かに聖書を開いた。

「汝、アレクセイ・ヴァン・ルークは、このメリーナ・アシュフォードを妻とし、病める時も、健やかなる時も、これを愛し、敬い、慰め、助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

「誓います」

殿下の力強い声が、聖堂に響く。

迷いのない、確信に満ちた声だ。

「汝、メリーナ・アシュフォードは、このアレクセイ・ヴァン・ルークを夫とし……(中略)……その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

「誓います」

私も答えた。

そして、指輪の交換。

私の指には、あのピンクダイヤの指輪が。殿下の指には、私が選んだシンプルなプラチナの指輪が嵌められる。

ここまでは完璧だ。

マニュアル通り、滞りなく進んでいる。

「では、誓いの口づけを」

司祭様の言葉と共に、殿下がベールを上げる。

彼の顔が近づいてくる。

聖堂内は静まり返り、数千人の視線が私たちの一挙手一投足に注がれている。

緊張の瞬間。

神秘的な静寂。

(……あ)

その時、私の体に異変が起きた。

朝からバタバタしていて朝食を抜いたこと。

コルセットで締め付けられた胃が、逆に活発に動き出したこと。

そして何より、私の体内時計が「正午(ランチタイム)」を告げたこと。

全ての条件が揃ってしまった。

殿下の唇があと数センチに迫った、その瞬間。

グゥゥゥゥゥ~~~~~~ッ!!!

雷鳴のような音が、マイクを通したかのように大聖堂に響き渡った。

「…………」

シーン。

時が止まった。

司祭様の手が止まる。

最前列の国王陛下が口を開ける。

そして、目の前のアレクセイ殿下が、キョトンとした顔で固まっている。

(終わった……)

私は真っ白になった。

国一番の結婚式。

次期王太子妃の誓いのキス。

その一番ロマンチックな瞬間に、花嫁の腹の虫が鳴り響くなど、前代未聞の失態だ。

これは歴史書に残る。

『腹ペコ王妃の悲劇』として、後世まで語り継がれるだろう。

私は恥ずかしさのあまり、このまま蒸発して消えてしまいたかった。

穴があったら入りたい。

いや、穴を掘って埋まりたい。

私が顔を真っ赤にして俯いていると。

「……ふッ」

頭上から、空気が漏れるような音がした。

恐る恐る見上げると、アレクセイ殿下が肩を震わせていた。

怒っている?

呆れている?

いいえ。

「……くくく……あははははッ!!」

彼は、聖堂の天井を仰いで、盛大に笑い出したのだ。

腹を抱え、涙を流し、王族としての品位も忘れて大爆笑している。

「で、殿下!?」

「あはは! 最高だ、メリーナ! まさかこのタイミングとは!」

彼は私の肩を掴み、笑い続けた。

「緊張して損した! そうだったな、お前はこういう女だった!」

彼の屈託のない笑い声に釣られるように、会場からもクスクスと笑いが漏れ始めた。

最初は控えめだった笑い声が、次第に大きな波となり、やがて会場全体が温かい爆笑の渦に包まれた。

「さすがはメリーナ様だ!」

「腹の虫まで元気とは縁起がいい!」

「これぞ我らが王太子妃だ!」

誰も私を嘲笑っていない。

むしろ、「飾らない人柄」として受け入れ、祝福してくれている。

「……もう、笑いすぎです!」

私がポカポカと殿下の胸を叩くと、彼は笑い涙を拭いながら、優しく私を見つめた。

「すまん、すまん。……愛おしくてたまらん」

彼は私の腰を引き寄せた。

「腹が減っているんだろう? 早く終わらせて、披露宴のご馳走を食べに行こう」

「……はい」

「だが、その前に」

彼はニヤリと笑うと、私の返事を待たずに唇を重ねた。

今度は、静寂の中ではない。

割れんばかりの拍手と、歓声と、笑い声に包まれた中でのキスだ。

「ヒュー! お熱いね!」

「ご馳走様!」

野次が飛ぶ中、私たちは長くキスをした。

唇が離れると、殿下は私の耳元で囁いた。

「誓うよ、メリーナ。一生、お前を腹ペコにはさせない」

「……最高の誓いの言葉ですね」

私は満面の笑みで答えた。

こうして。

私の結婚式は、厳粛なムードをぶち壊す「腹の虫」によって、国中が笑顔になる最高のハプニングとして幕を閉じた。

この日、国民たちは知ったのだ。

新しい王太子妃が、完璧な人形ではなく、食いしん坊で人間味あふれる女性であることを。

そして、冷徹だと思われていた王太子が、妻の前ではあんなにも楽しそうに笑うことを。

私たちの治世が、明るく楽しいものになることを、誰もが予感した一日だった。

さあ、式は終わりだ。

次は披露宴。

メインディッシュのステーキが、私を待っている!
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