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「……お、降ります。今すぐ降ろしてください。これ以上は三半規管がストライキを起こします」
ルアーノの声は震えていた。
顔色は青を通り越して真っ白だ。
「もう着いたぞ」
ギルバートが涼しい顔で告げる。
馬車の扉が開かれると、そこには懐かしい緑の匂いと、少しひんやりとした風が待っていた。
ルアーノはよろよろと馬車から這い出し、大地を踏みしめる。
地面が揺れていないことに、これほどの感動を覚える日が来るとは思わなかった。
「……現在時刻は?」
「正午少し前だな」
「出発から……わずか四時間……?」
ルアーノは懐中時計を確認し、絶句した。
通常なら五日はかかる道のりだ。
それを四時間。
平均時速を計算しようとして、ルアーノの脳が「今はやめておけ」と警告を発した。
「素晴らしい効率だと思わないか? 魔法による空気抵抗の削減と、摩擦係数ゼロの氷結レール。理論値通りの結果だ」
ギルバートは満足げに腕を組んでいる。
この男、移動手段として魔法を使ったことに微塵も悪びれていない。
「……効率的すぎますわ。おかげで私の髪はボサボサ、胃の中身はシェイカーで振られたカクテルのようです」
「なに、回復魔法もかけられるぞ?」
「結構です。これ以上、貴方の魔法実験のモルモットになるのは御免ですので」
ルアーノは深呼吸をして、乱れた髪を手櫛で整えた。
目の前には、彼女の所有する別荘――もとい、これからの拠点となる屋敷が佇んでいる。
王都の本邸に比べればこぢんまりとしているが、歴史を感じさせる石造りの建物だ。
しかし、長い間主人が不在だったためか、どこか薄暗く、庭木も伸び放題になっている。
「……幽霊が出そうだな」
ギルバートが正直な感想を漏らす。
「失礼な。管理費をケチって最低限の人員しか置いていなかっただけです。……さあ、出迎えが来ましたよ」
屋敷の扉がギギィと開き、数人の使用人たちが恐る恐る出てきた。
老齢の執事に、中年の料理人、そして数人のメイドたち。
彼らの顔には、明らかな「恐怖」が張り付いている。
無理もない。
彼らにとってルアーノは、王都で悪名を轟かせる「悪役令嬢」であり、王太子に婚約破棄されたばかりの「傷モノ」なのだ。
噂に尾ひれがついて、「腹いせに使用人を八つ裂きにする」とでも思われているのかもしれない。
執事が震える声で挨拶をする。
「お、お帰りなさいませ……ルアーノお嬢様。到着は数日後とうかがっておりましたので、準備が……」
「予定が前倒しになりました。出迎えの儀式など不要です。それよりセバス、今のこの屋敷の稼働人数は?」
「は、はい? えっと、私を含めて6名ですが……」
「少ないですね。庭の手入れも行き届いていない。玄関ホールの埃も目立ちます。これでは業務効率が下がりますわ」
ルアーノは鋭い視線で屋敷の入り口をチェックする。
メイドたちが「ひぃっ」と小さく悲鳴を上げた。
叱責されると思ったのだろう。
だが、ルアーノが口にしたのは意外な言葉だった。
「全員、ただちに業務日報とシフト表を提出してください。あと、過去三年分の屋敷の修繕記録と出納帳も。一時間以内にダイニングテーブルへ」
「……は?」
「聞こえませんでしたか? 私はこの屋敷を『黒字化』するために戻ってきました。無駄な怯えに使うエネルギーがあるなら、手を動かしてください。働いた分は、ボーナスとして還元します」
「ボ、ボーナス……?」
聞き慣れない単語に、使用人たちが顔を見合わせる。
「成果に応じた特別報酬です。私は理不尽な暴力は嫌いですが、怠惰と非効率はもっと嫌いです。さあ、解散! 仕事に戻りなさい!」
パン! とルアーノが手を叩くと、使用人たちは弾かれたように屋敷の中へ駆け込んでいった。
恐怖よりも、何やらよくわからない勢いに押された形だ。
その様子を眺めていたギルバートが、クスクスと笑う。
「相変わらずだな。悪役令嬢というより、鬼軍曹だ」
「現場指揮官と呼んでください。さて、私たちも中に入りましょう。……と言いたいところですが」
ルアーノは屋敷の入り口で立ち止まり、眉をひそめた。
開かれた扉の奥、廊下の隅に溜まった埃の塊や、天井の隅にある蜘蛛の巣が目に入ったからだ。
「……汚い」
「古い屋敷だからな」
「ハウスダストは思考能力を低下させます。本格的に荷解きをする前に、大掃除が必要ですわね。ですが、あの少人数の使用人では、今日中に終わるかどうか……」
ルアーノは顎に手を当てて考え込む。
業者を呼ぶ? いや、ここは辺境だ。手配するだけで数日かかる。
自分たちでやる? 非効率だ。
そこで、ルアーノの視線がチラリと横に動いた。
視線の先には、国最強の魔術師。
「……なんだ、その目は」
ギルバートが嫌な予感を察知して一歩下がる。
「ギルバート様。先ほど、魔法で『空気抵抗を削減した』と仰いましたよね?」
「言ったが……それが?」
「風を操れるなら、室内の埃を一箇所に集めることも可能なのでは?」
「……おい。まさか俺に掃除をさせる気か? 俺は国の筆頭魔術師だぞ? 俺の魔法は魔獣を討伐するためのものであって、埃を払うためのものでは……」
「宿代と食事代」
ルアーノが静かに切り札を切る。
「貴方は今、無職の食い扶持なしです。我が家に居候するなら、それなりの労働力を提供していただかないと。等価交換(トレードオフ)です」
「くっ……!」
痛いところを突かれた。
確かに彼は休暇中の身であり、公的な予算は出ない。
財布の中身がないわけではないが、ここで恩を売っておくのも悪くない――と自分に言い聞かせる。
「……わかった。やればいいんだろう、やれば」
「ありがとうございます。では、屋敷中の埃を裏庭の焼却炉前まで誘導してください。家具を傷つけないよう、繊細な魔力操作(コントロール)をお願いしますね」
ギルバートは溜息をつき、杖――ではなく、適当に拾った木の枝を振った。
彼レベルになると、杖などただの飾りである。
「『風よ、巡りて塵を払え(ウィンド・スイーパー)』」
ヒュオオオオオ……!
屋敷の中に、優しく、しかし確固たる意志を持った風が吹き抜けた。
廊下の隅、絨毯の目地、シャンデリアの隙間。
長年蓄積された埃たちが、まるで意思を持った生き物のように舞い上がり、一列になって廊下を移動していく。
「すごい……!」
ちょうどバケツを持って通りかかったメイドが、腰を抜かしてその光景を見ていた。
埃の行進は整然と裏口へと向かい、屋敷の中は一瞬にしてピカピカに磨き上げられたようになった。
「ついでだ。『浄化(クリーン)』」
パチン、と指を鳴らすと、窓ガラスの曇りも消え、床の黒ずみまで消滅した。
「終わったぞ。これで文句ないか?」
ギルバートがドヤ顔で振り返る。
ルアーノは目を輝かせて、パチパチと拍手を送った。
「素晴らしいです! まさかこれほどの精度とは……! ルンバ……いいえ、最新の自動掃除機よりも優秀ですわ!」
「ルンバ? なんだそれは。古代語か?」
「褒め言葉です。ギルバート様、貴方のその能力(スキル)、清掃業界に革命を起こせますよ。時給換算で金貨一枚は出せます」
「俺の魔法を時給で計算するな」
ギルバートは呆れつつも、ルアーノに褒められて満更でもない様子だ。
初めての共同作業(?)は、驚くべき成果を上げた。
***
その後、ピカピカになったダイニングルームで、ルアーノは山積みの帳簿と格闘していた。
使用人たちが出してきた書類は、案の定ボロボロだった。
「……赤字ではないけれど、黒字とも言えない。現状維持(低空飛行)ですね」
ルアーノは溜息をつく。
領地の主な収入源は農業だが、特筆すべき特産品がない。
麦や芋を作って、それを市場価格で売るだけ。
これでは、王都での慰謝料(三千枚)が尽きれば、ジリ貧になるのは目に見えている。
「何か……何か付加価値の高い商材はないの……?」
ページをめくる手が止まる。
ふと、窓の外を見た。
庭では、暇を持て余したギルバートが、氷魔法で即席の彫刻(ルアーノの像)を作って使用人たちを沸かせている。
あんな凄腕の魔術師を遊ばせておくのも勿体無い。
その時、一人の庭師が申し訳なさそうに入ってきた。
「あ、あのお嬢様……」
「何ですか? 今は忙しいのですが」
「はぁ、申し訳ごぜぇません。実は、裏の畑のことなんですが……『雑草』がひどくて、なかなか抜けねぇんです。薬草園を作りたいって話でしたが、あの雑草(しぶとい草)がある限り、他の作物が育たねぇかもしれなくて」
「雑草?」
「へぇ。葉っぱが青紫で、変な匂いがする草でして。引っこ抜いてもすぐに生えてくる厄介者なんですわ」
ルアーノの脳裏に、何かが引っかかった。
青紫の葉。
変な匂い。
しぶとい生命力。
「……案内してちょうだい」
ルアーノは椅子を蹴るように立ち上がった。
庭に出ると、ギルバートも「ん? どうした?」とついてくる。
裏庭の畑には、確かにその草が群生していた。
他の作物を駆逐する勢いで生い茂る、毒々しい色の草。
庭師は忌々しそうに鎌を構えた。
「こいつです。焼いても根っこが残ってまた生えてくるんでさぁ」
ルアーノはその草の前にしゃがみ込み、一枚ちぎって匂いを嗅いだ。
ツンとする刺激臭。
だが、その奥にある芳醇な香り。
(これ……まさか……)
ルアーノの目が、カッ! と見開かれた。
前世の知識はない。
だが、彼女は幼い頃に読んだ『古代魔薬文献集(趣味の読書)』の記述を鮮明に覚えていた。
「『ロイヤルミント』の変種……いいえ、原種だわ!」
「ロイヤルミント?」
ギルバートが首を傾げる。
「ただの雑草じゃないか。魔力もほとんど感じないぞ」
「ええ、魔力はありません。ですが、これには強力な『覚醒作用』と『美容効果』があるんです! 加工方法が難しくて廃れた幻のハーブ……まさかこんな辺境に自生していたなんて!」
ルアーノは震える手でその草を掴んだ。
庭師にとっては厄介な雑草。
しかし、ルアーノには、それがすべて「黄金の延べ棒」に見えていた。
「庭師さん! この草、一本たりとも抜いて捨ててはダメです!」
「は、はぁ!? でもこいつは畑をダメにする雑草で……」
「いいえ、『商品』です。それも、王都の貴族女性が泣いて喜ぶ超高級品になり得る原石です!」
ルアーノは立ち上がり、ギルバートを指差した。
「ギルバート様! 出番です!」
「……今度はなんだ。また掃除か?」
「いいえ、開発です。この草を乾燥・粉砕・抽出するには、繊細な温度管理と粉砕技術が必要です。貴方の氷魔法で瞬間冷凍し、風魔法で微細粉末にする……できますよね?」
「技術的には可能だが……そんなことをして何になる?」
ルアーノはニヤリと笑った。
その顔は、悪役令嬢らしく、最高に意地悪で――そして魅力的に輝いていた。
「決まっているでしょう? これで王都の貴婦人たちから、さらにお金を巻き上げるのです。私のスローライフ資金のために!」
ギルバートは、呆気にとられた後、またしても楽しそうに笑い出した。
「ハハッ! 雑草を黄金に変える錬金術か。いいだろう、乗った。その『悪巧み』、俺も一枚噛ませてもらおう」
辺境に到着してわずか数時間。
ルアーノ・ヴァレンティ商会の、最初の商品開発プロジェクトが始動しようとしていた。
庭師や使用人たちは、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「……お嬢様、なんか楽しそうだな」
「ああ……もしかして、俺たちの生活、これから良くなるんじゃねぇか?」
恐怖の対象だった悪役令嬢は、彼らにとって頼もしい(けれど人使いの荒い)女主人へと変わりつつあった。
ルアーノの声は震えていた。
顔色は青を通り越して真っ白だ。
「もう着いたぞ」
ギルバートが涼しい顔で告げる。
馬車の扉が開かれると、そこには懐かしい緑の匂いと、少しひんやりとした風が待っていた。
ルアーノはよろよろと馬車から這い出し、大地を踏みしめる。
地面が揺れていないことに、これほどの感動を覚える日が来るとは思わなかった。
「……現在時刻は?」
「正午少し前だな」
「出発から……わずか四時間……?」
ルアーノは懐中時計を確認し、絶句した。
通常なら五日はかかる道のりだ。
それを四時間。
平均時速を計算しようとして、ルアーノの脳が「今はやめておけ」と警告を発した。
「素晴らしい効率だと思わないか? 魔法による空気抵抗の削減と、摩擦係数ゼロの氷結レール。理論値通りの結果だ」
ギルバートは満足げに腕を組んでいる。
この男、移動手段として魔法を使ったことに微塵も悪びれていない。
「……効率的すぎますわ。おかげで私の髪はボサボサ、胃の中身はシェイカーで振られたカクテルのようです」
「なに、回復魔法もかけられるぞ?」
「結構です。これ以上、貴方の魔法実験のモルモットになるのは御免ですので」
ルアーノは深呼吸をして、乱れた髪を手櫛で整えた。
目の前には、彼女の所有する別荘――もとい、これからの拠点となる屋敷が佇んでいる。
王都の本邸に比べればこぢんまりとしているが、歴史を感じさせる石造りの建物だ。
しかし、長い間主人が不在だったためか、どこか薄暗く、庭木も伸び放題になっている。
「……幽霊が出そうだな」
ギルバートが正直な感想を漏らす。
「失礼な。管理費をケチって最低限の人員しか置いていなかっただけです。……さあ、出迎えが来ましたよ」
屋敷の扉がギギィと開き、数人の使用人たちが恐る恐る出てきた。
老齢の執事に、中年の料理人、そして数人のメイドたち。
彼らの顔には、明らかな「恐怖」が張り付いている。
無理もない。
彼らにとってルアーノは、王都で悪名を轟かせる「悪役令嬢」であり、王太子に婚約破棄されたばかりの「傷モノ」なのだ。
噂に尾ひれがついて、「腹いせに使用人を八つ裂きにする」とでも思われているのかもしれない。
執事が震える声で挨拶をする。
「お、お帰りなさいませ……ルアーノお嬢様。到着は数日後とうかがっておりましたので、準備が……」
「予定が前倒しになりました。出迎えの儀式など不要です。それよりセバス、今のこの屋敷の稼働人数は?」
「は、はい? えっと、私を含めて6名ですが……」
「少ないですね。庭の手入れも行き届いていない。玄関ホールの埃も目立ちます。これでは業務効率が下がりますわ」
ルアーノは鋭い視線で屋敷の入り口をチェックする。
メイドたちが「ひぃっ」と小さく悲鳴を上げた。
叱責されると思ったのだろう。
だが、ルアーノが口にしたのは意外な言葉だった。
「全員、ただちに業務日報とシフト表を提出してください。あと、過去三年分の屋敷の修繕記録と出納帳も。一時間以内にダイニングテーブルへ」
「……は?」
「聞こえませんでしたか? 私はこの屋敷を『黒字化』するために戻ってきました。無駄な怯えに使うエネルギーがあるなら、手を動かしてください。働いた分は、ボーナスとして還元します」
「ボ、ボーナス……?」
聞き慣れない単語に、使用人たちが顔を見合わせる。
「成果に応じた特別報酬です。私は理不尽な暴力は嫌いですが、怠惰と非効率はもっと嫌いです。さあ、解散! 仕事に戻りなさい!」
パン! とルアーノが手を叩くと、使用人たちは弾かれたように屋敷の中へ駆け込んでいった。
恐怖よりも、何やらよくわからない勢いに押された形だ。
その様子を眺めていたギルバートが、クスクスと笑う。
「相変わらずだな。悪役令嬢というより、鬼軍曹だ」
「現場指揮官と呼んでください。さて、私たちも中に入りましょう。……と言いたいところですが」
ルアーノは屋敷の入り口で立ち止まり、眉をひそめた。
開かれた扉の奥、廊下の隅に溜まった埃の塊や、天井の隅にある蜘蛛の巣が目に入ったからだ。
「……汚い」
「古い屋敷だからな」
「ハウスダストは思考能力を低下させます。本格的に荷解きをする前に、大掃除が必要ですわね。ですが、あの少人数の使用人では、今日中に終わるかどうか……」
ルアーノは顎に手を当てて考え込む。
業者を呼ぶ? いや、ここは辺境だ。手配するだけで数日かかる。
自分たちでやる? 非効率だ。
そこで、ルアーノの視線がチラリと横に動いた。
視線の先には、国最強の魔術師。
「……なんだ、その目は」
ギルバートが嫌な予感を察知して一歩下がる。
「ギルバート様。先ほど、魔法で『空気抵抗を削減した』と仰いましたよね?」
「言ったが……それが?」
「風を操れるなら、室内の埃を一箇所に集めることも可能なのでは?」
「……おい。まさか俺に掃除をさせる気か? 俺は国の筆頭魔術師だぞ? 俺の魔法は魔獣を討伐するためのものであって、埃を払うためのものでは……」
「宿代と食事代」
ルアーノが静かに切り札を切る。
「貴方は今、無職の食い扶持なしです。我が家に居候するなら、それなりの労働力を提供していただかないと。等価交換(トレードオフ)です」
「くっ……!」
痛いところを突かれた。
確かに彼は休暇中の身であり、公的な予算は出ない。
財布の中身がないわけではないが、ここで恩を売っておくのも悪くない――と自分に言い聞かせる。
「……わかった。やればいいんだろう、やれば」
「ありがとうございます。では、屋敷中の埃を裏庭の焼却炉前まで誘導してください。家具を傷つけないよう、繊細な魔力操作(コントロール)をお願いしますね」
ギルバートは溜息をつき、杖――ではなく、適当に拾った木の枝を振った。
彼レベルになると、杖などただの飾りである。
「『風よ、巡りて塵を払え(ウィンド・スイーパー)』」
ヒュオオオオオ……!
屋敷の中に、優しく、しかし確固たる意志を持った風が吹き抜けた。
廊下の隅、絨毯の目地、シャンデリアの隙間。
長年蓄積された埃たちが、まるで意思を持った生き物のように舞い上がり、一列になって廊下を移動していく。
「すごい……!」
ちょうどバケツを持って通りかかったメイドが、腰を抜かしてその光景を見ていた。
埃の行進は整然と裏口へと向かい、屋敷の中は一瞬にしてピカピカに磨き上げられたようになった。
「ついでだ。『浄化(クリーン)』」
パチン、と指を鳴らすと、窓ガラスの曇りも消え、床の黒ずみまで消滅した。
「終わったぞ。これで文句ないか?」
ギルバートがドヤ顔で振り返る。
ルアーノは目を輝かせて、パチパチと拍手を送った。
「素晴らしいです! まさかこれほどの精度とは……! ルンバ……いいえ、最新の自動掃除機よりも優秀ですわ!」
「ルンバ? なんだそれは。古代語か?」
「褒め言葉です。ギルバート様、貴方のその能力(スキル)、清掃業界に革命を起こせますよ。時給換算で金貨一枚は出せます」
「俺の魔法を時給で計算するな」
ギルバートは呆れつつも、ルアーノに褒められて満更でもない様子だ。
初めての共同作業(?)は、驚くべき成果を上げた。
***
その後、ピカピカになったダイニングルームで、ルアーノは山積みの帳簿と格闘していた。
使用人たちが出してきた書類は、案の定ボロボロだった。
「……赤字ではないけれど、黒字とも言えない。現状維持(低空飛行)ですね」
ルアーノは溜息をつく。
領地の主な収入源は農業だが、特筆すべき特産品がない。
麦や芋を作って、それを市場価格で売るだけ。
これでは、王都での慰謝料(三千枚)が尽きれば、ジリ貧になるのは目に見えている。
「何か……何か付加価値の高い商材はないの……?」
ページをめくる手が止まる。
ふと、窓の外を見た。
庭では、暇を持て余したギルバートが、氷魔法で即席の彫刻(ルアーノの像)を作って使用人たちを沸かせている。
あんな凄腕の魔術師を遊ばせておくのも勿体無い。
その時、一人の庭師が申し訳なさそうに入ってきた。
「あ、あのお嬢様……」
「何ですか? 今は忙しいのですが」
「はぁ、申し訳ごぜぇません。実は、裏の畑のことなんですが……『雑草』がひどくて、なかなか抜けねぇんです。薬草園を作りたいって話でしたが、あの雑草(しぶとい草)がある限り、他の作物が育たねぇかもしれなくて」
「雑草?」
「へぇ。葉っぱが青紫で、変な匂いがする草でして。引っこ抜いてもすぐに生えてくる厄介者なんですわ」
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青紫の葉。
変な匂い。
しぶとい生命力。
「……案内してちょうだい」
ルアーノは椅子を蹴るように立ち上がった。
庭に出ると、ギルバートも「ん? どうした?」とついてくる。
裏庭の畑には、確かにその草が群生していた。
他の作物を駆逐する勢いで生い茂る、毒々しい色の草。
庭師は忌々しそうに鎌を構えた。
「こいつです。焼いても根っこが残ってまた生えてくるんでさぁ」
ルアーノはその草の前にしゃがみ込み、一枚ちぎって匂いを嗅いだ。
ツンとする刺激臭。
だが、その奥にある芳醇な香り。
(これ……まさか……)
ルアーノの目が、カッ! と見開かれた。
前世の知識はない。
だが、彼女は幼い頃に読んだ『古代魔薬文献集(趣味の読書)』の記述を鮮明に覚えていた。
「『ロイヤルミント』の変種……いいえ、原種だわ!」
「ロイヤルミント?」
ギルバートが首を傾げる。
「ただの雑草じゃないか。魔力もほとんど感じないぞ」
「ええ、魔力はありません。ですが、これには強力な『覚醒作用』と『美容効果』があるんです! 加工方法が難しくて廃れた幻のハーブ……まさかこんな辺境に自生していたなんて!」
ルアーノは震える手でその草を掴んだ。
庭師にとっては厄介な雑草。
しかし、ルアーノには、それがすべて「黄金の延べ棒」に見えていた。
「庭師さん! この草、一本たりとも抜いて捨ててはダメです!」
「は、はぁ!? でもこいつは畑をダメにする雑草で……」
「いいえ、『商品』です。それも、王都の貴族女性が泣いて喜ぶ超高級品になり得る原石です!」
ルアーノは立ち上がり、ギルバートを指差した。
「ギルバート様! 出番です!」
「……今度はなんだ。また掃除か?」
「いいえ、開発です。この草を乾燥・粉砕・抽出するには、繊細な温度管理と粉砕技術が必要です。貴方の氷魔法で瞬間冷凍し、風魔法で微細粉末にする……できますよね?」
「技術的には可能だが……そんなことをして何になる?」
ルアーノはニヤリと笑った。
その顔は、悪役令嬢らしく、最高に意地悪で――そして魅力的に輝いていた。
「決まっているでしょう? これで王都の貴婦人たちから、さらにお金を巻き上げるのです。私のスローライフ資金のために!」
ギルバートは、呆気にとられた後、またしても楽しそうに笑い出した。
「ハハッ! 雑草を黄金に変える錬金術か。いいだろう、乗った。その『悪巧み』、俺も一枚噛ませてもらおう」
辺境に到着してわずか数時間。
ルアーノ・ヴァレンティ商会の、最初の商品開発プロジェクトが始動しようとしていた。
庭師や使用人たちは、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「……お嬢様、なんか楽しそうだな」
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