愛? 不要です。私が欲しいのは『慰謝料』と『商機』だけ!

桃瀬ももな

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「……快適です。実に快適です」

王都から辺境へと向かう街道。
王家紋章入りの最上級馬車の中で、ルアーノはふかふかのクッションに背を預け、満足げに呟いた。

「揺れ(振動)はほぼゼロ。空調は魔導式。軽食には王室御用達のフルーツ。……これで料金がタダ(王家持ち)なのですから、コストパフォーマンスは無限大ですね」

「君な、王家の馬車をタクシー代わりに使うのは、この国の歴史上君くらいだぞ」

向かいの席で、ギルバートが苦笑しながら足を組んでいる。
彼もまた、王都での緊張感から解放され、リラックスした表情だ。

「いいじゃな~い、ギルバート様! このブドウ、すっごく甘いわよ!」

隣では、ミーナが皿に盛られたフルーツをリスのように頬張っている。
彼女は「王都撤退」に際し、自分の店を文字通り『畳んで』(調理器具や看板を全て荷台に詰め込んで)ついてきたのだ。

「ミーナ様。食べ過ぎて衣装がきつくなっても、経費でサイズ直しは認めませんよ」

「平気よ! 私、動くから! ……ねえ、お姉様。私、辺境に行ったらどんなお仕事をするの?」

ミーナがブドウの皮を飛ばしながら尋ねる。
ルアーノは手元の手帳を開いた。

「貴女には『食品開発部・部長』のポストを用意しました」

「えっ、部長!?」

「はい。貴女の『カロリーと糖分に対する飽くなき執着』は、才能です。ドーナツに続く第二、第三のヒット商品を開発し、辺境の食文化を豊かにしてください」

「やったぁ! 食べ放題ってことね!」

「試食(業務)です。あと、売れ残りの廃棄ロスを出したら給与から引きます」

「うっ……き、厳しくない?」

「商売とは戦いです。甘いのはドーナツだけで十分です」

ルアーノはピシャリと言い放つが、その口元は微かに緩んでいた。
かつては敵対していた(一方的に絡まれていただけだが)ミーナが、今や頼もしい部下だ。
人生、何が資産になるか分からないものである。

***

馬車は順調に進み、数日後。
懐かしい景色が見えてきた。

「……見えてきました」

ルアーノが窓の外を指差す。
荒々しい岩肌と、深い森。
そして、その中に切り拓かれた、活気ある領地。

煙突からは煙が上がり、整備された道路を行商人の馬車が行き交う。
王都の煌びやかさはないが、ここには『生産』と『成長』の熱気がある。

「我がホーム(拠点)です」

「ああ。いい眺めだ」

ギルバートも窓の外を見やる。

「王都の石造りの街並みより、俺にはここの土埃の方が性に合っているらしい」

「同感です。あそこは空気が淀んでいましたから(主に人間関係で)」

馬車が領都の広場に入ると、誰かが叫んだ。

「お、おい! お嬢様だ! ルアーノお嬢様が帰ってきたぞー!」

その声を合図に、工場から、畑から、商店から、人々がわらわらと集まってきた。

「お帰りなさいませー!」
「お嬢様、王都の王様をシメてきたって本当ですか!?」
「新しい機械の調子、最高っすよ!」
「俺たちの給料、ボーナス出ますよね!?」

口々に叫びながら、馬車を取り囲む領民たち。
その顔は皆、笑顔だ。
かつての「悪役令嬢」に向けられていた恐怖の眼差しは、もうどこにもない。
あるのは、頼れるリーダーへの信頼と親愛だ。

「……ふふっ」

ルアーノは思わず笑みをこぼした。

「現金な人たちです。ボーナスのことばかり気にして」

「君がそう教育したんだろう。『対価に見合う働きをせよ』と」

ギルバートが優しく言う。

「愛されているな、君は」

「……愛ではありません。これは『利害の一致』による強固なパートナーシップです」

ルアーノは照れ隠しにツンと言い返し、馬車の扉を開けた。

「ただいま戻りました! さあ、全員持ち場に戻りなさい! 不在の間の日報提出期限は今日中です! サボっていた者は減給ですよ!」

「ひえぇぇ! やっぱり鬼だー!」
「でも、そんなお嬢様が好きだー!」

ドッと沸く広場。
その中心で、ルアーノは大きく息を吸い込んだ。

ミントの香りと、工場の排気と、土の匂い。
ああ、やはりここが一番落ち着く。
王宮の最高級アロマよりも、この雑多な匂いこそが、彼女にとっての「成功の香り」なのだ。

***

その夜。
帰還祝いという名の簡単な宴が終わり、屋敷が静寂に包まれた頃。
ルアーノは自室のバルコニーで、月を見上げていた。

「……ふぅ」

怒涛の数週間だった。
婚約破棄から始まり、辺境開拓、王都の危機、そして帰還。
まるでジェットコースターのような日々。

「……計算通りにいかないことばかり」

カチャリ。
グラスの中の氷が音を立てる。
手には、ギルバートが淹れてくれたアイスミントティー。

「眠れないのか?」

背後から声がした。
振り返らなくても分かる。
この冷涼な気配と、安心感。

「……ギルバート様こそ。不法侵入ですよ」

「バルコニーは共有スペースだと言ったのは君だぞ」

ギルバートが隣に立ち、同じように月を見上げる。

「……いい夜だ」

「ええ。工場の稼働音も順調。夜警の巡回ルートも最適化されています」

「そういうことじゃないんだがな」

ギルバートは苦笑し、そしてゆっくりとルアーノの方を向いた。

「さて、ルアーノ」

声のトーンが変わる。
ビジネスモードから、あの「求婚者」のモードへ。

「王都からの帰路、ずっと我慢していた件だが」

「……はい」

「保留(ペンディング)にしていた『契約』の回答。……そろそろ、期限(デッドライン)じゃないか?」

ルアーノはグラスを握る手に力を入れた。
王都での夜、彼からプロポーズされ、「考えさせて」と逃げたあの一件。

「……まだ、一週間経っていません」

「俺の体内時計では、もう一年待った気分だ」

ギルバートが一歩近づく。
逃げ場はない。
いや、逃げたくない自分がいる。

「君は王都で、国王からのオファーを蹴った。『辺境には可能性がある』と言って」

「……はい」

「その可能性の中に……俺との未来は含まれているか?」

真剣な瞳。
冗談めかしているが、その奥には不安と、強烈な渇望が見える。
最強の魔術師である彼が、たかが一人の女の返事に、これほど怯え、期待している。

ルアーノは目を伏せ、そしてゆっくりと顔を上げた。

「……ギルバート様。私は強欲です」

「知っている」

「金も欲しい。名誉も欲しい。事業の成功も、領民の生活も、全部私の手でコントロールしたい」

「ああ」

「ですから……貴方のような『最高級の魔術師』かつ『優秀な護衛』かつ『目の保養になるイケメン』を、みすみす逃すような非効率なことはしません」

ルアーノなりの、精一杯の肯定。
ギルバートの目が輝く。

「つまり……?」

「ただし!」

ルアーノは人差し指を突きつけた。

「結婚には準備が必要です! 契約書の作成、財産分与の取り決め、式場の予算組み、招待客の選定……やることは山積みです! これらを全てクリアし、完璧な『事業計画』として成立させなければ、私はサインしません!」

照れ隠しの条件闘争。
素直に「はい」と言えないのが、ルアーノ・ヴァレンティという女だ。

しかし、ギルバートにはそれで十分だったらしい。

「フッ……ハハハ!」

彼は愉快そうに笑い、ルアーノを抱き寄せた。

「いいだろう。受けて立つ。君が納得する最高のプランを練り上げようじゃないか。……俺の全財産と全魔力を賭けてな」

「……予算オーバーには気をつけてくださいね」

ルアーノは彼の胸に顔を埋め、小さく呟いた。
その耳は、夕焼けのように赤かった。

「ああ。だが、愛の予算は無制限(アンリミテッド)だ」

「……バカなこと言ってないで、明日の会議の資料を作ってください」

「厳しいな、未来の奥さんは」

月明かりの下。
二人の影が重なる。
辺境の夜風は冷たいが、二人の間にある温度は、火竜の心核よりもずっと熱かった。

こうして、ルアーノとギルバートの『結婚準備』という名の、新たなプロジェクトが始動したのである。
それは、国の復興よりも難易度が高く、そして甘美な戦いとなるはずだった。
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