愛? 不要です。私が欲しいのは『慰謝料』と『商機』だけ!

桃瀬ももな

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「……おはよう、奥様」

結婚式翌日の朝。
目覚めたルアーノの視界いっぱいに、見慣れた(しかし破壊力抜群の)美貌があった。
ギルバートが枕に頬杖をつき、愛しげにルアーノを見下ろしている。

「……おはようございます、旦那様」

ルアーノは少し照れくさそうに、シーツを口元まで引き上げた。
昨夜は――その、色々と『契約履行』が激しかったため、身体の節々が少し重い。
だが、不思議と不快感はなく、むしろ満たされた倦怠感だった。

「どうだ、目覚めは? 『氷の魔術師』の腕枕の性能は」

「……悪くありません。適度な弾力と、体温調整機能。安眠効果は『ハーブ枕』の1.5倍と算出しました」

「それは光栄だな。では、契約更新ということでいいか?」

「ええ。永久更新で」

甘い朝の会話。
チュッ、と軽いキスを交わし、二人の新婚生活初日が始まった。

***

「さて、ギルバート様。着替えてください。出発の時間です」

朝食(ミーナ特製『新婚さん用ハート型パンケーキ』)を終えるなり、ルアーノはビシッとスーツに着替えていた。
手には分厚いファイルを持っている。

「出発? 今日はゆっくりする予定じゃなかったか?」

ギルバートがコーヒーカップを止める。
彼は休暇モードで、ラフなシャツ姿だ。

「何を言っているのですか。今日からは『新婚旅行(ハネムーン)』ですよ」

「ああ、そうだったな。どこかのんびりできる温泉地でも……」

「いいえ。行き先は隣国との国境付近、『未開拓エリア』です」

ルアーノはバサァッ! と地図を広げた。

「結婚式の宣伝効果で、我が商会の知名度は爆上がり中です。この機を逃さず、隣国への輸出ルートを開拓し、シェアを一気に拡大します。名付けて『愛と野望の弾丸ツアー』です!」

「……前言撤回だ。君はちっとも変わっていない」

ギルバートは溜息をついたが、その顔は笑っていた。
こうでなくては、彼の愛した女ではない。

「移動手段はもちろん、貴方の魔法を使います。馬車で行くと往復10日かかりますが、貴方の『氷結滑走』なら日帰りも可能です」

「……俺は移動手段か?」

「いいえ、『最愛のパートナー』兼『高性能エンジン』です」

「言い方がズルいな」

***

屋敷の玄関前。
特注の二人乗り馬車(というより、氷の上を滑るためのソリに近い形状)が用意されていた。
荷台には、サンプル商品と契約書が山積みだ。

「いってらっしゃーい! お土産は現地の珍しい食材でお願いねー!」

ミーナがハンカチを振っている。
彼女も同行したがったが、今回はルアーノが「重要機密(イチャイチャ)が含まれるため」と却下したのだ。

「セバス、留守は任せましたよ。アレクセイ殿下からの『ヒート・モス』が届いたら、すぐに加工ラインに回して」

「承知いたしました。行ってらっしゃいませ、旦那様、奥様」

「ああ。行ってくる」

ギルバートが御者台……ではなく、ルアーノの隣に座り、指を鳴らす。
馬車の足元に氷のレールが出現した。

「しっかり掴まっていろよ。新婚旅行らしく、最高速で飛ばすからな」

「望むところです。タイム・イズ・マネー!」

ヒュンッ!!
馬車は弾丸のように飛び出した。
風を切り、景色が後方へとすっ飛んでいく。

「きゃあああああ! 速い! 速すぎます! これでは景色を楽しむ暇もありませんわ!」

「景色? 君が見たいのは『市場』だろう?」

「そ、そうですけど! 前髪が崩れます!」

騒がしくも楽しい旅の始まりだ。

***

数時間後。
二人は国境近くの『霧の湖』に到着した。
ここは豊かな水源があるものの、魔獣が出るため人が寄り付かない秘境だ。

「……素晴らしい」

ルアーノは湖のほとりに立ち、電卓を叩きまくっていた。

「この水量……水力発電に使えます。それに、湖底の泥は美容パックの原料になりそう。さらに、この神秘的な景観を活かして、富裕層向けの隠れ家リゾートを建設すれば……」

チャリン、チャリン。
彼女の目には、湖の水が全て金貨に見えているようだ。

「ルアーノ」

ギルバートが背後から彼女の肩を抱いた。

「仕事の話はそこまでだ。少しは『今』を楽しめ」

「ですが、このチャンスを……」

「見ろ。水面が綺麗だぞ」

ギルバートが指差す。
霧が晴れ、静寂に包まれた湖面に、周囲の山々と青空が鏡のように映り込んでいた。
息を呑むような絶景。
人工的な美しさとは違う、圧倒的な大自然の美。

「……綺麗ですね」

ルアーノは計算の手を止めた。

「ああ。……君に見せたかったんだ」

ギルバートは優しく微笑む。

「君はいつも、先のことや利益のことばかり考えている。それは君の強みだが、たまには立ち止まって、ただ美しいものを美しいと感じる時間も必要だ」

「……非効率な時間、ということですか?」

「いいや。『心の充電期間』だ。これを経費削減すると、いつか心がガス欠を起こすぞ」

ルアーノはハッとした。
確かに、ここ最近はずっと走り続けてきた。
心に余裕がなければ、良いアイデアも浮かばない。
休息もまた、重要な仕事(タスク)なのだ。

「……分かりました。では、今の時間は『リフレッシュ休暇』として計上します」

ルアーノは電卓をポケットにしまい、ギルバートの腕に頭を預けた。

「……静かですね」

「ああ。俺たち以外、誰もいない」

「……誰も、いない?」

ルアーノが上目遣いに彼を見る。
誰もいない。
絶景。
そして新婚旅行。

「……ギルバート様」

「ん?」

「もしここで、貴方が私にキスをしたとしても、誰にも見られませんし、公序良俗に反するリスクもありませんね」

遠回しな誘い文句。
ギルバートは眉を上げ、それからクツクツと笑った。

「……計算高い妻だ」

「合理的と言ってください」

ギルバートは彼女の顎を持ち上げ、湖畔の風の中で唇を重ねた。
甘く、長い口づけ。
鳥のさえずりと、水音だけがBGMだ。

「……ん」

唇が離れると、ルアーノは少しトロンとした目で呟いた。

「……充電、完了しました」

「俺はまだ足りないが?」

「過充電はバッテリーを痛めます。……続きは、宿(ホテル)にとっておきましょう」

ルアーノは顔を赤らめて視線を逸らす。

「さて! リフレッシュも終わったことですし、次は隣国の街へ行きますよ! 現地の商人たちとアポを取ってありますから!」

「……切り替えが早いな」

「当然です。私はルアーノ・クライヴ。氷の魔術師の妻にして、敏腕経営者ですから!」

ルアーノは颯爽と馬車に戻る。
その背中は、以前よりもずっと伸びやかで、楽しそうだった。

ギルバートは苦笑しながら彼女を追う。

「やれやれ。……まあ、退屈はしなさそうだ」

二人の乗った馬車は、再び疾走を始める。
愛と利益を両立させる、最強夫婦の旅路。
その行く先には、まだ見ぬ金脈と、たくさんの幸せが待っているはずだ。

(待ってなさい、世界! 私の計算と、旦那様の魔法で、すべてを黒字に変えてみせるわ!)

ルアーノの高笑いが、青空に吸い込まれていった。
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