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少女飛鳥
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14階の小児病棟はいくらかざわついていた。よりにもよって、お祭りの日に自殺企図の患者がやって来るというのだから、スタッフは溜息をもらすばかりだった。
「ああ、それにしてもどうして自殺なんてするのかね・・・」
「分かりませんな。最近の子供というのは、多分虐めとかじゃないですか?」
「虐めだって?虐められない人間なんていないだろうさ。虐められたくらいで死のうと思うだなんて・・・最近の子供たちは本当に理解出来ないな・・・」
所謂おじさん世代の先達には理解出来ないだろう。因みに、僕も何回か自殺を真剣に考えたことがある。そのプロセスを考えるのがなんとも心地いい。それと、自分が死んでいくことでどれだけ周囲に影響を与えることが出来るか・・・僕を誤って産んでしまった両親にどれだけの精神的な損害を与えることが出来るのか。
答えは否・・・だから僕は止めた。そして、自分で新しい人生を切り開くことを決めたのだ。その結果、こうして社会の交通整理を行うようになったのだ。
僕は少女が入院している部屋の前までゆっくり歩いた。個人的な興味だった。今まで個別化された事象に関心を抱くことなんてなかった。小児もたくさん見てきた。そのまま生き続ける者がいる一方で、その日に死んでいく者もたくさんいた。その瞬間に思考を巡らせるだけで、後から振り返ることはなかった。
そんな僕の心を動かすことになった少女・・・一体何者なのか。僕はしばらく考えることになった。
「飛鳥は、飛鳥は無事なんですか!?」
病室の前で先達に詰め寄る大人がいた。恐らくは家族・・・母親だと直感した。
「幸い、検査の方では大きな問題はありません。経過観察目的に入院となります。私が主に担当させていただきます・・・」
中肉中背の男が、母親に雑な説明を行っていた。母親はその場で少し泣いていた。
「飛鳥が・・・どうしてこんなことに・・・」
男は説明を終えると、その場を離れてしまった。母親の精神的フォローはどうやら専門外のようだった。
「メインをあと一本追加しておいて。それと明日の採血をオーダーしておいて・・・」
レジデントと勘違いしたのか、僕に向けて声をかけた。
「あっ、はい・・・」
よく分からないけど、とりあえず適当に答えておいた。男の姿が完全に消えるのを確認して、僕は母親の横を素通りして病室に入った。
「失礼しますよ・・・」
簡単に声をかけた。少女は外の世界をずっと見ていた。
「あの・・・」
声をかけても、少女は僕の方を見なかった。
「大丈夫ですか?」
何度か声をかけてみた。でも一向に振り向かなかった。得体のしれない力に支配されて、僕たちの声の届かない世界に行ってしまったのか。色々と考えてみた。
声かけで反応がないんだったら、触れてみたらいいんじゃないか。学生時代に習った。意識障害を患った人間の診察に有効な手法:声かけの次は身体に触れて揺さぶること。少女に近づき実践してみた。
まだ実際に触れているわけではないが、少女との距離が近づくにつれ、失神しそうなほど鼓動が速くなっていくのを感じた。今まで人間を診察して、これほど不可解な鼓動を感じたことはなかった。やはり、この少女の内面にはただならぬ力を秘めているのだと感じた。距離が縮まるほど、鼓動は留まることなく速くなる・・・本当に失神するんじゃないか、と思った。
なんとか意識を保った状態で、雪のように白く脆弱な皮膚面を掴むことに成功した。両手で少女の両肩を掴み、大きく揺さぶった。
「分かりますか!」
耳元で叫んだ。最初はやはり無反応だったが、段々と僕の方を向くようになって声を出すようになった。
「あなたは・・・神様ですか?」
少女は質問した。
「僕は人間です」
正直、返答に困ってしまった。なので、思わず真面目に答えてしまった。
「人間・・・ああ、ここはまだ変わっていない。死んでないんですね・・・」
だんだんと顔面に血の気が戻ってきた。彼女はしっかり生きている・・・肩に触れてから血の気が戻ってきたようだった。
「あれ、私・・・ここで何をやっているんだろっ・・・。あなたは?」
意識も段々戻ってきた。話が噛みあうようになってきた。自殺企図と入院になった経緯を簡単に説明した。すると飛鳥は不意に笑い出した。
「うそっ・・・そんなことしちゃったんですか?ええっ・・・ショックですね。どうして、そんなことしちゃったんだろう・・・」
「ひょっとして・・・無意識だったんですか?」
「・・・というか、よく覚えてないんですよね。私、本当に自殺しようとしていたんですか?」
「どうも、そのようですね・・・」
現場を見ていたわけではないので、そう答えるしかなかった。
「自殺・・・そんなこと、考えたこともないのに・・・」
少女が本心から言っているのか、それとも強がっているのか・・・この時はまだ分からなかった。ひとまず、血の気が回復して意識も改善したのはいい徴候だった。おかげさまで昂ぶりはすっかり冷めてしまった。少女は普通の人間に戻ってしまったのだ。
単なる14歳の中学生。その後母親が病室に入ってきて、学校帰りの同級生と思しき少女たちも複数人顔を出した。僕は病室の外からなんとなく、その光景を見ていた。母親も同級生もみな、口をそろえて、「生きていてよかった・・・」と言った。
本当にそうなのか?彼女は本当に生きようとしていたのか?
本来であれば自分の意思で紡ぐ物語・・・この世界に生き続ける限り、たくさんの糸が複雑に絡み合って目的を達成することが出来なくなってしまうのだ。彼女が救いを求めていた場合・・・この世界に生き続けることが耐えがたい苦痛なのだとしたら、僕らはみな単なる偽善者なのだ。彼女の意思を無理やりに捻じ曲げる偽善者・・・その一人がこの僕なのだとしたら、とっととこの仕事を辞めるべきだと思った。
僕はしばらくして仕事場に戻った。ちょうど勤務が終わる時間だった。
「やっぱり、神様の力は素晴らしいですな!」
中年男の総括を聞いて、この日の勤務は終わった。
「さあて、今日はお祭りだな・・・」
「俺はボッチが確定していらあっ!」
同僚や先達たちは一目散に銀世界へ逃げ出した。僕は寒空を睨み付けながら、冷蔵庫に入れてあるチョコレートとコーヒーを口にした。職場の寮は歩いて5分の距離にあるが、帰る気力が起きなかった。だから、そのまま仮眠室に泊まることにした。そうとなると、明日の朝までは長い。インターネットを見ながら過ごすもよし、テレビを見るもよし、勉強をするもよし、幾つか選択肢を浮かべた。
新しい12月25日・・・その後半戦も出だしは順調に経過した。
「ああ、それにしてもどうして自殺なんてするのかね・・・」
「分かりませんな。最近の子供というのは、多分虐めとかじゃないですか?」
「虐めだって?虐められない人間なんていないだろうさ。虐められたくらいで死のうと思うだなんて・・・最近の子供たちは本当に理解出来ないな・・・」
所謂おじさん世代の先達には理解出来ないだろう。因みに、僕も何回か自殺を真剣に考えたことがある。そのプロセスを考えるのがなんとも心地いい。それと、自分が死んでいくことでどれだけ周囲に影響を与えることが出来るか・・・僕を誤って産んでしまった両親にどれだけの精神的な損害を与えることが出来るのか。
答えは否・・・だから僕は止めた。そして、自分で新しい人生を切り開くことを決めたのだ。その結果、こうして社会の交通整理を行うようになったのだ。
僕は少女が入院している部屋の前までゆっくり歩いた。個人的な興味だった。今まで個別化された事象に関心を抱くことなんてなかった。小児もたくさん見てきた。そのまま生き続ける者がいる一方で、その日に死んでいく者もたくさんいた。その瞬間に思考を巡らせるだけで、後から振り返ることはなかった。
そんな僕の心を動かすことになった少女・・・一体何者なのか。僕はしばらく考えることになった。
「飛鳥は、飛鳥は無事なんですか!?」
病室の前で先達に詰め寄る大人がいた。恐らくは家族・・・母親だと直感した。
「幸い、検査の方では大きな問題はありません。経過観察目的に入院となります。私が主に担当させていただきます・・・」
中肉中背の男が、母親に雑な説明を行っていた。母親はその場で少し泣いていた。
「飛鳥が・・・どうしてこんなことに・・・」
男は説明を終えると、その場を離れてしまった。母親の精神的フォローはどうやら専門外のようだった。
「メインをあと一本追加しておいて。それと明日の採血をオーダーしておいて・・・」
レジデントと勘違いしたのか、僕に向けて声をかけた。
「あっ、はい・・・」
よく分からないけど、とりあえず適当に答えておいた。男の姿が完全に消えるのを確認して、僕は母親の横を素通りして病室に入った。
「失礼しますよ・・・」
簡単に声をかけた。少女は外の世界をずっと見ていた。
「あの・・・」
声をかけても、少女は僕の方を見なかった。
「大丈夫ですか?」
何度か声をかけてみた。でも一向に振り向かなかった。得体のしれない力に支配されて、僕たちの声の届かない世界に行ってしまったのか。色々と考えてみた。
声かけで反応がないんだったら、触れてみたらいいんじゃないか。学生時代に習った。意識障害を患った人間の診察に有効な手法:声かけの次は身体に触れて揺さぶること。少女に近づき実践してみた。
まだ実際に触れているわけではないが、少女との距離が近づくにつれ、失神しそうなほど鼓動が速くなっていくのを感じた。今まで人間を診察して、これほど不可解な鼓動を感じたことはなかった。やはり、この少女の内面にはただならぬ力を秘めているのだと感じた。距離が縮まるほど、鼓動は留まることなく速くなる・・・本当に失神するんじゃないか、と思った。
なんとか意識を保った状態で、雪のように白く脆弱な皮膚面を掴むことに成功した。両手で少女の両肩を掴み、大きく揺さぶった。
「分かりますか!」
耳元で叫んだ。最初はやはり無反応だったが、段々と僕の方を向くようになって声を出すようになった。
「あなたは・・・神様ですか?」
少女は質問した。
「僕は人間です」
正直、返答に困ってしまった。なので、思わず真面目に答えてしまった。
「人間・・・ああ、ここはまだ変わっていない。死んでないんですね・・・」
だんだんと顔面に血の気が戻ってきた。彼女はしっかり生きている・・・肩に触れてから血の気が戻ってきたようだった。
「あれ、私・・・ここで何をやっているんだろっ・・・。あなたは?」
意識も段々戻ってきた。話が噛みあうようになってきた。自殺企図と入院になった経緯を簡単に説明した。すると飛鳥は不意に笑い出した。
「うそっ・・・そんなことしちゃったんですか?ええっ・・・ショックですね。どうして、そんなことしちゃったんだろう・・・」
「ひょっとして・・・無意識だったんですか?」
「・・・というか、よく覚えてないんですよね。私、本当に自殺しようとしていたんですか?」
「どうも、そのようですね・・・」
現場を見ていたわけではないので、そう答えるしかなかった。
「自殺・・・そんなこと、考えたこともないのに・・・」
少女が本心から言っているのか、それとも強がっているのか・・・この時はまだ分からなかった。ひとまず、血の気が回復して意識も改善したのはいい徴候だった。おかげさまで昂ぶりはすっかり冷めてしまった。少女は普通の人間に戻ってしまったのだ。
単なる14歳の中学生。その後母親が病室に入ってきて、学校帰りの同級生と思しき少女たちも複数人顔を出した。僕は病室の外からなんとなく、その光景を見ていた。母親も同級生もみな、口をそろえて、「生きていてよかった・・・」と言った。
本当にそうなのか?彼女は本当に生きようとしていたのか?
本来であれば自分の意思で紡ぐ物語・・・この世界に生き続ける限り、たくさんの糸が複雑に絡み合って目的を達成することが出来なくなってしまうのだ。彼女が救いを求めていた場合・・・この世界に生き続けることが耐えがたい苦痛なのだとしたら、僕らはみな単なる偽善者なのだ。彼女の意思を無理やりに捻じ曲げる偽善者・・・その一人がこの僕なのだとしたら、とっととこの仕事を辞めるべきだと思った。
僕はしばらくして仕事場に戻った。ちょうど勤務が終わる時間だった。
「やっぱり、神様の力は素晴らしいですな!」
中年男の総括を聞いて、この日の勤務は終わった。
「さあて、今日はお祭りだな・・・」
「俺はボッチが確定していらあっ!」
同僚や先達たちは一目散に銀世界へ逃げ出した。僕は寒空を睨み付けながら、冷蔵庫に入れてあるチョコレートとコーヒーを口にした。職場の寮は歩いて5分の距離にあるが、帰る気力が起きなかった。だから、そのまま仮眠室に泊まることにした。そうとなると、明日の朝までは長い。インターネットを見ながら過ごすもよし、テレビを見るもよし、勉強をするもよし、幾つか選択肢を浮かべた。
新しい12月25日・・・その後半戦も出だしは順調に経過した。
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