英雄の番が名乗るまで

長野 雪

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27.彷徨い人の特典

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 黙れと言われたが、ようやく声を出してもいいらしい、とクレットは口を開く。

「話をする前に確認しておきたいんだけど、過去の彷徨い人は意思疎通に苦労しない――要は、どんな言語でも聞き取り可能って聞いたんだけど、本当かな?」
「フィルさんにも言われましたが、確かに言っていることを理解できています。そのおかげで、魔術言語?も意味が分かりました」

 ユーリの答えに、クレットは「ふぅん?」と顎に手を当てて考える素振りを見せた。

「それなら……『1+1は?』【母上のお茶は美味しかった?】[今日の天気はなんだろう]って言われて分かるのかな」
「はぁ、『計算の答えは2で』【お茶は爽やかな飲み口で好みの味でしたし】[空は雲が多いみたいです]」

 ユーリにとってみれば、質問ごとにイントネーションが違うから、それを合わせた方がいいのかな、という配慮をしただけだったのだが、横で聞いていた王妃は目を丸くして聞いていた。

「なるほど、すごいね。それなら文字の読み書きはどう?」
「ここへ来る途中の街で見た看板などは、ちゃんと読めましたけど……」

 ユーリが自信なさそうに答えるや否や、前触れなく立ち上がったクレットが、青の間に備え付けのライティングデスクから筆記用具一式を引っ張り出して戻って来た。目の前で二つほどの文章をさらさらと書いてユーリに差し出す。

「え、……と」

 差し出されたのは、ガラスで出来たペンとインク壺だった、ボールペンという文明の利器に慣れ親しんでいたユーリは、先程のクレットの動作を思い出し、おそるおそるクレットの書いた字の隣に、拙いながらも文字を付け足した。

「これは……すごい! 字はちょっとアレですが、本当に読み書きできている! あの記述は真実だったということなんだ! それなら、失われたポポニ碑文の解読も夢じゃない! 兄上はなんて素晴らしい人材を連れてきてくべばっ!」

 王妃は迫力のある微笑みを浮かべたまま、隣で暴走するクレットをひっぱたき、「研究のことになるとたまにこんな暴走もあるけれど、基本的には無害だから気にすることはないわ」とユーリに説明をした。ユーリは賢明にも、頭を押さえたままぴくりとも動かないクレットから視線を逸らすことにした。

「もしユーリさんが良ければ、クレットの所で翻訳の仕事をしてみる気はないかしら?」
「翻訳、ですか。私なんかに務まるでしょうか」
「大丈夫よ。クレットがこの様子なのだから、問題なく実務に堪えうる水準はクリアしているわ。それに、正直なところ、ユーリさんにはしばらく目の届く所に居て欲しいの」
「それは、私がフィルさんの番、だからですか?」
「そうね。ただ、問題はフィルの番、というよりは、フィルの番であることが広く知られてしまっていることなの」
「知られていることが、ですか?」
「フィルは元々、軍部の長官として周辺国に睨みをきかせていたわ。そして、今回のことで五英傑という称号まで得てしまった。恨みや嫉みを買っても、フィル自身に危害を加えようという輩はいないのよ。返り討ちに遭うことが明白だから。でも、あなたという存在ができたことで、フィルは強くも弱くもなったわ」
「……私が人質に取られる可能性がある、ということですか?」
「それで済めばいいのだけれど。最悪の想定をしたらキリがないわ。――ごめんなさいね、怯えさせるつもりはなかったのだけど、できれば認識しておいて欲しくて」

 王妃からすれば、シュルツの王の愚行を広めたことが悪手と言えた。フィルは彼の王が番を盾に取ろうとしていたことが許せず、色々な国に対して警告を送ることで報復を考えたのだろうが、それは結果として、フィルが番を得たことを周知することに繋がった。
 王妃は少し青ざめた様子のユーリに同情する。突然、見知らぬ世界に迷い込んだこともそうだが、考えなしの息子のせいで命の危険に遭うかもしれないのだ。元の世界の話を聞けば、随分と危険の少ない世界だったようなことも、その同情に拍車を掛けていた。

「――――あの」

 自分の中で情報の整理がついたのか、口を開いたユーリの目はまっすぐに王妃に向けられていた。

「前向きに検討したいので、詳しい雇用条件について聞かせていただいてもよろしいでしょうか。あと、住まいについて相談させていただきたいのと、可能なら、どなたか私にこの世界の一般常識を教えてくださる方を紹介していただけないかと……」
「そうね。そこは確かに重要ね。――――クレット、あなたはいくらでこのお嬢さんを雇うつもりなのかしら?」

 見た目はもっと幼いと思っていたけれど、予想以上にしっかりした考え方をしているようだ、と王妃はユーリの評価を上方修正した。番という立場に奢ることもなく、この世界で独り立ちする方法を模索する姿は好ましい。

(……でも、きっとあの子は許さないわね)

 同じ城内だというのに、こうして離れることすら拒んだのだ。あの三男坊がこうして自立心旺盛な彼女を円満に繋ぎ止めることができるのか、母としては少し不安だった。

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