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ここでも雨かよ

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「うあぁあー……っっ。布団じゃないとこで寝たからか、体がバッキバキだ」

掘りごたつから出て、思いきり伸びをする。背中がミシミシいってる気がするけど、気のせいじゃないな。これ。

「昨夜はこの部屋しか確認してなかったな、そういや」

ふわぁ…とあくびをしながら、頬を指先で掻く。

顔を洗いたい。歯も磨きたい。っていうか、シャワー浴びてスッキリしたい。

「思ったよりも広い家だな」

とか呟きながら、掘りごたつの部屋から順に部屋を巡っていく。

掘りごたつがあるところとは別に、キッチンのそばにはテーブルとイスが四脚セッティングされている。

キッチンは一人暮らしにしては広すぎるほどで、デカい冷蔵庫に調理台もバカ広い。

それと、やたらお高そうなオーブンレンジがあるのを確認する。

その横には、いわゆるマニュアルがあり、普通のオーブンレンジじゃないんだってことを知る。

『自動調理器』

とか書かれている。

しかも俺の食事関係が出てくるのと同じような仕組みで、材料を入れて、どこまでやってほしいかを思い浮かべながらボタンの場所に触れるといいんだとか。

全部をやってもらうか、途中までやってもらい仕上げだけは自分でというのもアリ。

材料の皮を剥くとかもなしに、ドーン! と入れてしまってもいいと。

元いた場所にあった調理器の類は、皮を剥いてある程度の大きさに切ってから調味料とか水とか入れてスイッチを押す感じのやつ。

それのもっと楽出来ます版か。

本気で楽する気なら、1から10までだよな。

「……そこまではなんか嫌だな」

楽したくないわけじゃないけど、楽ばっかもちょっと気が乗らない。そういう性分という言葉で片付ければ、そこまでなんだけど。

「…お。こっちが寝室か」

パソコンあるけど、ネット環境とどこまで何を調べられるとか、制限はあるのかな。

昨夜みた元いた場所のこととかも調べられるのか?

(そこまでやれたら、どこに住んでるかとか無関係な話だよな)

とか思いながら、昨日見た動画の時間軸を思い出して、現時点でどれくらい時間が経過しているのかは気になった。

っていっても、それを調べたところで戻れやしないんだけどさ。

「無駄な時間にしかならないか、そうなると」

頭をガリッと掻いて、ベッドの方へと近づいた。

よくあるシングルベッドに、表が黒で裏側がダークグレーのカバーが掛けられてる。ベッドまわりからいい匂いするのは、なぜ?

机の方にもベッドの方にも、スマホらしいのは無い。…いや、これか…代わりのものは。

それを手にして、ポケットに突っ込む。

「これは後にして、ひとまず…トイレトイレ」

次の部屋へと向かい、トイレを探す。

見つけたトイレは洋式のトイレに似ているけど、タンクがない。

どうやって流すんだろうと思ったけど、用が済んだら勝手に流れていく。

これも魔法の一種か?

スッキリしたところで、もう一つだな。

洗面所とバスルーム。

その二か所を探しながら、部屋の数をカウントしていった。

部屋と部屋の間がやけに広く感じられる。どういう仕組みだよ。

5LDK、か。初めての広さだけど、一人暮らしには向かないよな? どう見ても。

何か自宅で仕事してるとか事務所持ってるとかなら、わからなくはない広さではあるが。

「これで家賃とか支払いが発生していたら、めちゃくちゃ無駄過ぎんだろ」

1LDKもしくは2LDKで十分だっての。

やっと見つけたバスルーム。脱衣所の隅っこに洗面所がついている。

歯磨きをしてから、シャワーを浴びる。

さっきポケットに入れたものを、一旦洗面所にある棚に置いて…っと。

バスルームに入るとあちこちに宙に浮かぶ正方形があり、よくみるとパネルっぽいもので。その小さなパネルに触れれば、使い方のポイントが小さな画面になって浮かび上がった。

『触れながら希望の温度を思い浮かべて下さい』

とか、シャンプーやボディーソープのボトルは、パッと見は中身がなさそうなのにふたの部分に触れると押すこともなく出てくる、とか。

シャワーを浴び終わったらバスルームから出てすぐの壁に、さっきまでなかったバスタオルがタオル掛けにあった。

「うっわ、ふわふわじゃん」

ザッと拭いて、体にタオルを巻き、洗面所にもう一度。

「これもさっきまでなかったな、たしか」

男性用の化粧水とかのセットだ。ヘアオイルまである。ここまで使ったことないぞ。時間もなかったし、誰かに顔を見られるって意識なんか皆無だったわけで。

「うわ…ぁ。ひっでえ隈。数日まともに寝たところで、完全に回復なんてするはずがないか」

とかボヤきながら思い出した。

「そういや、俺って…洞窟で熱出して寝てたっけ。ようするに病み上がりでもあるってことか。…そりゃ、こんな顔になるわな」

鏡の中の情けない顔つきの自分に呆れつつ、パシャパシャと化粧水をつけていく。つけていく順にボトルの上に数字が浮かんでいるのに気づき、うなずきながらつけていった。なかなかに気持ちがいい。

アッシュグレーの髪には、ヘアオイルを適当に。いつもと髪の感触が違って、なんか変。

それから電気コードのない、謎仕組みのドライヤーで髪を乾かす。こういうのも魔法でパパッと乾かせられたらいいのにと思いながらも、まだちゃんとどんな魔法が使えるのかは把握していない。

なんか文字数がやたら多すぎて、途中から目が拒否しかかってたから、魔法の分類すら見てないや。攻撃とか回復とか支援系とかいろいろ書かれていた気はするけど。生活魔法って分類があったかどうかは、記憶がない。

「ふ…ぅむ」

髭を剃る時以外にそこまで鏡をまじまじと見ることもなかった俺。

「ずいぶん、若返ったと思ったのにな。顔の造りが違ってても、なんとなく元の自分の顔に見えてしょうがないな。クッタクタさは、そのままなのかもな」

鏡にかなり顔を近づけて、よーく自分の顔を見て。

「こんなん、俺じゃねぇな」

なんでこの顔で、この髪や目の色なんだろうなと思いながらタオルを巻いたままで、さっき訪れた寝室へと向かった。

寝室にはクローゼットの扉があった。中には何かしらの服があるといいな。…とか願っとけば、服があるんだろ? そういう仕組みで合ってるんだよな?

クローゼットのドアの取っ手を両手で掴み、勢いよく扉を観音開きのようにして開いた。

「お……おぁ?」

途中から変な声が出た。

普通の服とかパジャマとかだけならいざ知らず、なぜかタキシードとか、着ぐるみまでもがあった。

「俺、そういうのは想像の範囲外だったと思うけどな」

思い浮かべてもいない服があるのは、今後必要になることでもあるのか? こんな服、着るような用事ってなんだよ。

「特に着ぐるみな?」

着ぐるみのハンガーには、キャラの名前だろう紙がぶら下がっている。

『くまのクマっ太郎』

『あらいぐまの洗っちゃうおじさん』

「…どんなイベントで着るんだよ!」

思わずツッコミを入れてしまう。

名前そのままならば、くまが困るような話のイベントとかか? 「クマっちゃうー」とかなんとかいうとか言わないとか。

え? 違うのか? 普通にクマ太郎だと可愛げがないからクマっ太郎?

あらいぐまの方は、クリーニング屋のイベントでもない限り着る機会はないんじゃないのか?

見なかったことにして、その二つを端の方に寄せる。

とりあえず、と、よくあるデニムパンツにちょっとした英文が書かれているTシャツに着替える。

そうして戻るのは、昨夜寝ていた掘りごたつの部屋。

「さて。朝飯、朝飯」

んんんーーー…と食いたい朝食を想像して、出てこーいと心の中で呟く。

バターたっぷりのトーストに、レタスやキュウリが乗った生野菜の上にポテトサラダ。人参やキュウリ入りのやつだ。

プラスでコーンスープに、ベーコンエッグ。玉子は半熟だな。

「よっしゃ!」

想像したものがどの程度再現されるのか、試したところがある。

まともな朝食なんて何年振りか。

パチンと手をあわせてから、黙々と食っていく。

もう一枚トーストをと思ってチーズトーストを思い浮かべたら、チーズがいい匂いをさせてとろっとろにとけてのっていた。

スープも二杯目をクラムチャウダーで考えたら、すこしのアサリが入ったのが出てきた。

「やっぱ、あったかいもんは体に染み入る…」

ほう…と息を吐き、頬をゆるめた。

「はい、ごちそうさまでした。美味かった!」

どこかの誰かに感謝しながら、手をあわせる。…とどこぞへと、使用済みの食器が消えていった。

食うものを食って腹が満たされたら、今度こそ考えなきゃと思う。

頭の端っこでメインじゃないけど、ずっとどこかで引っかかってたこと。

昨日、あの映像を見てから、自分の中で今までよりも輪郭を感じるほどに思ったことがあった。

――何かっていうと、会社の話だ。

後任者が、俺が時間をかけて作りあげたマニュアルに評価に近い言葉をくれてた。

ま、俺っていう作成者本人が目の前にいたら、同じ称賛が贈られていたかどうかは別の話として。

こうして後任者が育とうとしてて、俺が土台を作ったマニュアルがあって。それが後任者によって軌道に乗ったら…? の話だ。

もしかしてだけど、本当の本当に俺って人間がいなくっても会社ってどうにかなってた? 回ってた? 俺じゃなくてもよかった?

あんなに我慢しながら、毎朝会社に行きたくないって思いながらも日々追いかけてくるタスクをこなすのに必死にならなくてもよかった?

「あんなにも嫌な思いをしながら勤めてなくてもよかったんじゃないのか?」

あの営業マンを見ていたら、ある意味一目瞭然。わかりきったこと。

『俺じゃなくてもよかったし、俺じゃない方がまわり的にはよかった? むしろ入れ替えを待ってた?』

俺って人間には、何の期待もしていない様子だった。俺じゃなきゃ、まわりは協力をしてくれるようだった。仕事を円滑に回さないようにしてしまっていたのは、むしろ…俺だった?

期待をされない、は、寂しい。

つまりは、あの営業マンの態度が答えだ。

『俺はあの会社には要らなかった』

そこまで考え至って、ふと今の状況を思い返す。

楽な生活を許された俺。

それもこれも、たまったま決算前の漂流者だったが故。

願えば、特に金が絡んだものは叶えられることの方が増えた。

いいことだろう。今まで会社のために心身ともにギリギリまで削って生きてきたんだし。それくらい許されてもいよと、自分に言ってやりたくもなり。けど、真逆にそれでいいのか? と問いただす自分もいて。

そこで思い出すのが、少ない知識の中にある異世界設定。

浄化の旅も求められない、魔王を倒せとも言われない、文化を発展させてくれとかもない。

頼まれたことといえば、せいぜい予算を使ってください! って程度。

ラッキーと思っていいですと言われはしたけれど、そこまで棚ぼたな状況をガキのように受け入れられないし、どっかにデメリットが降ってわきそうだって警戒せずにはいられない。

小説やマンガだと、意外と早い段階で受け入れて生活に馴染もうとすることを優先するのが多いって聞いた。

その方がきっと楽なんだろうけど、これまでがこれまでだから、何もせずに楽して生きてくださいって環境に飛びこめない。

「せいぜい、受け入れられているのが…食事ってくらいか」

叔母さんのところで夕食だけは食いに行っていた俺。あの一食がなきゃ、もっと早い段階で体調を崩すなりなんなりしていた可能性だってあったはず。

そっちの未来の方が、きっと…叔母さんはガッカリもしたかもしれないし悲しませたかもしれない。

俺にかろうじて残されていた身内だったのに、なんの別れも告げられないまま別離を迎えた。

こっちで生きてるよと伝えられたらいいけど、無理だ。

あんな風に思い出してもらえる程度には、無価値じゃなかったって思っていいのかな。人として、存在しててよかったのかな。

…と思いながら、その真裏で揺らいでしまう原因は会社のことで。

会社の方だけで考えれば、俺は無価値だったと言われていそう。

心と体を癒すって、どうだと俺は癒される? その終わりの定義はあるのか? 俺は…何もしないで過ごさなきゃダメなのか? 普通の漂流者は余計に金が欲しければ働いてもいいという仕組みになっている。

じゃあ、俺みたいな決算前の漂流者扱いは? 働くのは無意味?

根っこが真面目で頑固な性格が、こういう考え事をする時には足を引っ張る。

自分でも好ましいとは思えない、めんどくさくって扱いにくい性格だと思う。

「ただ、生きてください。そう言われてるってのが、いろんな意味で受け入れられない…」

んなこと言われてないのに、期待してないから何もしないで生きてって言われてるようにも取ってしまう。

存在理由が、欲しい。

会社で、あんな思いまでして働いていたのは、自分が前任者とそれを取り巻く環境の悪さをどうにかしたかった。

じゃなきゃ、まともな仕事が出来ない、ちゃんと自分の仕事を見てもらえない、どこか斜めから見下ろされるのは嫌だと思ってた。

仕事をスムーズにというのと、ちっさい承認欲求もあったんだろ。

俺だって頑張ってるのに、文句しか言われないのはなんで? っていつも思ってたから。

そう思いつつも、あの後任者と営業マンの会話を思い出すとどうしても思ってしまう。

辞める準備が整っていようがいまいが、俺の場所はとっくになかった可能性もあって。

会社に行きたくないって思った回数は、とっくに両手を超えているから把握してないけどさ、休んでよかったんじゃんってマジで思う。

辞めて、すこしの間だけ、叔母さんのとこで朝昼晩って一日三回、まともな飯を食って。人間らしく過ごすって選択をしたってよかったんじゃないの?

「あんな無理も無茶もして、言い返す気力もなくなるまで、いろいろすり減らさなくても…よかったんじゃ?」

俺に価値があるなし関係なく、本来どこの会社だって人がいなきゃいないでもどうにか回る。回し方に問題がある会社が世の中に多いだけで…。

「自分を優先しても…よかった?」

そういう思考をしたことがなかったから、あえて言葉にして自分に言い聞かせるようにしてみたところで、心が追いつかない。それに、会社で必要最低限の会話しかしてこなかったから、俺の様子がおかしいって言ってくれるような相手なんか居もしなかったから、自力で気づくまでこんな状態だったわけだ。

「もっと自分を大事にしても許された? 両親もいなくて、たまに会う叔母さんしか身内がいない世界で。そんな社会人は自分勝手だって言われなかったのか?」

まさしくこれは、自問自答。

そもそもでこの場には俺しかいないんだから、状況的にもそういうことだよな。

「それこそ、癒してやってよかったってこと?」

返ってこない答えを待つでもなく、俺の呟きが静かな部屋に響いてすぐに消えていく。

気づけば掘りごたつのテーブル板に両肘をつき、まるで頭を抱えるような格好になっていた。

それに気づいて、ふ…とその姿を解く。

この世界にやってきて、洞窟からよくわからないままにバスで街中に移動して。

手続きがすんで、新居の鍵を使ったらこの家にいた。

心と体を癒すとして、俺って人間がこの場所で何もする必要がないって言われていても。

「出かけてみるか。何かしたいことが見つかるのか、食事以外に何が俺を癒すものになるのか。…それと、魔法についても使い方が頭ん中にあるって言われても、ちゃんとした使い方を知らないのは危険だ。どこかで知れるなら学びたいしな」

そうしていくってことは、何かや誰かと出会わずにはいられないだろう。

そういうのが積み重なっていけば、袖振り合うも他生の縁って感じでいつか誰かとかかわるんだよな。もしかしたら、元の場所で縁があった誰かがここでも縁があって…とか気づかないうちにあるかもとか…ないか? どうだろな。

元の場所では、縁があってもそのつながりを太く強くすることは叶わなかった。

けど、もしも。

もしもこっちでその他生の縁がみつかれば、もしかして…今度こそやり直せる? 何かが見つかる?

――わからない。

わからないけれど、動かないことには始まらない。

それっくらいは、26年間生きてきて、知らないわけじゃない。

ただ、動く気力も希望もなかったから何もしなかっただけだ。

すこしずつ俺ってものを見つけていけば、なにかが変わるかもしれない。

変えられる自信は、現時点では何一つないんだけど。

マニュアルを読み、カードと鍵と、さっき洗面所に置き忘れていたアイテムを手にする。

スマホじゃないけど、いわゆるなんちゃらウォッチみたいな時計型の端末だ。

玄関に用意されていたスニーカーを履き、玄関を出る。

「…マジかー」

俺にしては珍しくやる気満々でドアを開けたはずなのに、思いきり出鼻をくじかれる。

「そういや俺、雨男って言われていたっけ」

別の世界でもそれが適用されるのかは知らないけども、目の前でしとしとと雨が降っている。

「ま、いっか。…いつものことだ」

玄関の中に戻ると、傘があった。

よくあるビニ傘に、黒い縁取りがされた傘だ。

鍵をかけて、傘を開き。

「…さ。いってみよっか」

俺は雨で濡れる地面に、一歩踏み出した。



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