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消えてよかったじゃん、

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そこそこデカめのモニターくらいの画面が、こたつの向かい側あたりに現れた。

地味に近い。チカチカする(笑)

目に悪そうな距離に、気持ちすこしだけ体を後ろにズラした。

――――最初に映ったのは、俺が住んでいた場所。

「え、…な、んで」
 
思わず声が出た。

画面の中には、たくさんの野次馬に消防士らの姿。

見えている画面に、ニュース画面が割り込むように映し出される。

もしも…の話。
 
いつものように、叔母さんのとこで食事をして、大した話もしないで退散していたら。

そんな時間帯に、自分が住んでいた部屋の真上から火が出てて。とか。

いつもよりも仕事が早く終わって、飯よりも睡眠時間を優先して深く眠っていたら? とか。

もしもを想像して、ゾッとしてしまう。

でもどっちにしろ自分の部屋が焼けてなくても、消火のための水で住む場所はなくなっていたようだ。

――あの時、あの瞬間に。

ここに召喚されていなきゃ、巻き込まれていたか、もしくは放心しながらその光景を野次馬に混ざりながら眺めていたかもしれない。

運がよかったのか、悪かったのか。

「なんつーか、微妙だな」

ため息をついたタイミングで、目の前に可愛いクマが描かれたラテアートが出てくる。

別にラテが飲みたいとか思ってなかったが、内心荒むなぁと頭によぎったと同時に癒しが欲しい、と、コーヒーかなんか飲んで目を覚ましたい、とかは考えたかも。出てくる物の判定が、こんな風にザックリ判定なことってあるんだな。これが正解だったらいいんですが…みたいな。

「……クマ、でいーのか? よく見りゃ、ハムスターぽくもあるし。前歯あるから、げっ歯類のハムスターか? ラテアートにハムスターって、なんで(笑)」

ふはっと吹き出して笑い、そーっと口をつける。

泡の下は、めちゃくちゃ熱い。

肩先がビクッ! と揺れて、反射的に口を手のひらでおさえた。

わずかな沈黙の後の二口目は、ものすごく警戒しながら飲む。

んなことをしてる間にも、映像はずっと流れていく。

次に流れたのは。

「叔母さん!」

相手に聞こえるはずもないのに、思わず声をあげた。

手を伸ばそうが呼ぼうが、二度と触れられないし気づかれもしない人。

画面の中では、1ヶ月くらい経過してるようで、叔母さんが常連さんに話しかけられているところだ。

「最近、甥っ子くん…来ないね」

なんて。

「そうなんだけど、元気だから来ないし知らせもないって思うことにしたのよ」

叔母さんは、そんな感じに返してて、やがてその常連さんが帰るとひとり言を呟いていた。

「でも…たしかにあの夜、あの子が入り口に立ってたように見えたのよね…」

って。その視線は、あの日俺が入りかけた店の入り口へ。

俺があの場から消える前。ドアを開け、あとは暖簾をくぐるだけだった。なんなら一歩入りかけていたタイミングで、魔方陣だかが俺をこっちに引っ張った。

「心配すぎちゃって、幻覚まで見るようになるなんて、ね」

帰ったばかりのカウンター客の皿をトレイに乗せ、ダスターでテーブルを拭き。

「あの二人に代わって、みれる面倒はみてあげたいって思っていたのに。どうしたらもっと頼って、甘えて、小さい時みたいに笑う子に戻せるのかしらね」

そう呟く叔母さんは寂しそうにみえる。身内フィルターでそう見えるだけなのかもしれないけどな。

「…ごめんな、叔母さん。もう会いに行けないよ、きっと」

ハッキリと言葉にしてみて、この距離が現実なんだと痛感させられる。

「もう、帰れないよ。叔母さんのハンバーグ、食いたかったのにな」

言葉にまでしたのに、目の前にはさっきまでのようにハンバーグが現れることもなく。

(変なとこ、気が利くシステムなんだな)

ここで、叔母さんのハンバーグなんかが目の前に出てきてたら、多分…俺らしくなく落ち込んでいたかもしれない。

複雑な気持ちで叔母さんの姿を見ていると、暖簾をくぐって新しい客が入ってきた。

「あら。いらっしゃい! 今日もお疲れさま! …はい、お茶よー。今日は何にします? 今日の日替わりはサバの味噌煮よー」

少し甘めの味噌を使って煮てくれる、叔母さんのサバの味噌煮か。

それ食えばいいのにとか思った瞬間、叔母さんが厨房にオーダーを通しに行く後ろ姿を追った格好で映像が切り替わった。

「……え」

次に映ったのは、俺が毎日のように独りでこもっていた作業室。

なのに、どれくらいの時間が経過しているのかはよくわからないけど、彼は後任なんだろう。

いきなり消えた俺。無断欠勤した扱いにでもされたのかもな。

就職する時に緊急連絡先に、叔母さんの携帯番号を書かせてもらっていたけど、あの叔母さんの様子じゃ連絡はいってないのかもしれない。

時間軸が叔母さんの店の方と職場の方とで同じくらいだったならって、話なんだけどさ。

俺の時とは違って、数人の営業マンや上司に囲まれて、笑顔で会話をしながらパソコンで入力をして。

「いやぁ…前任者がいらっしゃらない状態でも、ここまでスムーズに作業にとりかかれる環境はあまりないんですけどね」

彼がそういいながらファイルを指でなぞりながら、そこに書かれている数値を打ち込んでいる。

その彼の背後から覗きこむようにして、ヘビースモーカーの営業マンが同じように笑顔でこう言った。

「前任者は仕事が出来ない奴だったけど、アンタは仕事が出来るみたいでよかったよかった。何年も使い物にならない奴が居座ってたから、上の方に辞めさせてくれって話をしてたのに、なかなかいなくならんくてなー。いいタイミングで入れ替えになってよかったよかった」

タバコは所定の場所で吸ってくれって何回言っても、ここ最近の風潮もあるんだからタバコは社内で吸うのはやめた方が? とか何回やり取りしたっけな。

「このマニュアルがしっかりしているんで、問題なく。まあ…このマニュアルに最初に書かれているファイルナンバーとファイルが合っているのかを確認してから作業に…って書いてあるのがよくわからないんですけど」

「ん? 何の話だ、それ」

後任の彼がそう、マニュアルの注意書きを指さしながらそう話すのを、怪訝な顔つきで営業マンが聞いてから、顔を歪めて言い放つ。

「…あぁ、前任者が仕事できない奴だったからな。ファイルはファイルにあったデータしか入ってなくて当然だってのに、何の話をしてんだか。自分が仕事が出来ないのを、誰かのせいにしたがってたんだろ。あれだよ、あれ。責任転嫁」

この営業マンの彼は、よっぽど俺に腹を据えかねていたんだな。

「ここまで嫌われてたのか。そりゃあ、いちいちタバコの煙ふきかけていくわけだ。俺がむせこんで、咳してても笑ってたくらいだし」

何度となくあったやりとりを思い出す。

俺が作った資料を基にして、営業マンのその月その月の報奨金が決定する。そんな重要な書類の一番大事な数値が違ってしまうと、正しく自分の仕事を評価してもらえない。

そりゃ、必死にもなるしムキにもなる。わかるんだよ、俺にだって。

人とそんなにかかわるようなバイトもしてこなかったし、学生の頃だって自分から誰かに話しかけるとかしてこなかった俺だから尚のこと、自分から人や会社にかかわってそれを会社の利益へと換えられるその意味を。

信用だの信頼だの、そういった関係を築くのはそんなに簡単なことじゃないってことも。

相手が欲しがってるものをリサーチし、それを知りつつも自分の方にも利があるように話を持っていくことの難しさも。

俺が苦手とするジャンルだから、そのすごさがわかるんだよ。人の懐に入ることの怖さも度胸がどれくらいいるのかも、タイミングをどう計っていくのかの難しさも。

「そう……なんですかねぇ。このマニュアルは、元々あったものなんですか?」

後任の彼がそう話しかけると、さも興味なさそうに営業マンが返す。

「さあ?」

と。

そうして「じゃあ、会議は週末だからそれまでに頑張って資料作ってくれよな? 部数のコピーもその後の作業も、あっちにいる女の子らに頼めば、助けてくれるから。俺の方でも頼んでおくし」と、俺の時にはなかった気づかいの言葉を置いてから出ていった。

あっちの女の子ら。

それって、あのファイリングを間違いまくる子と、似たような感じで入ってきた暇そうにしてる子たちのことか?

「俺の時にはそんなこと頼める感じじゃなかったし、そもそもであの仕事を見てたら頼みたいって思えなかったもんな」

データが出来たらそれをプリントアウトしたものを、会議に必要部数を係長に確認をしてその部数をコピー。んで、ステープラでパチンパチンと止めていく。

いつまでアナログなんだよってくらい、アナログだ。企業によっては、タブレット使うところも増えてるってのに。

その時期になったら、出来上がったコピーを抱えてまとめあげるのに会議室のテーブルが円形に並んでいる部屋を短時間だけ借りて、ページ順に重ねていく作業を黙々とやったっけな。

(あれ、地味に疲れるんだよな)

昔やっていた新聞配達。それのチラシ入れにどこか似てて、やってる途中あたりから無になってくるんだよ。

淡々と同じ作業ばかりやってると、そんな感じだよな。

「いいなぁ……。俺よりも楽そう」

たしかに彼の作業は、俺の時のようにアチコチに確認をしに走ったり、入力してから急にこれも入れてくれって割り込み作業が入ったりしてない。

作業に直接じゃなくても、かかわる相手とは本当は円滑な関係が一番いいってことくらい…俺だってわかってたさ。

「それでもどうすることも出来ないまま、こっちに来ちゃったからな」

羨むように彼の作業の様子を見守るみたいに、眺めみている俺。

「……ああ言ってたけど、このマニュアル…すごく優秀だぞ? これ作った人、どれくらい時間かけたんだろうな」

ぽつりと、彼が作業の手を止めて傍らに置いといたんだろう飴を口に放り込みながら呟いたそれ。

「ファイルのことも、何か意図か背景がある気がする。……まだ三か月しか経ってたいんだ。気を引き締めてやっていこう」

マニュアルと手書きで書かれたノートの表紙を、彼がそっと指先で撫でる。

その表情は、ななめ後ろから映されているものだから、ハッキリは見えないけれど。

「…よし。がんばろう。この飴舐め終わったら、コーヒーでも買ってくるかな。この部屋、かなり乾燥しすぎ」

彼の声のトーンから、悪い印象を持たれたとは思えなくて。

カタカタカタタタタタタ…と打鍵する音だけが響く作業室から、フェイドアウトするように映像が薄くなっていっても、胸の中はすこしだけあたたかかった。

プツンと切れた映像。俺が気にしていた部分だけが映像化されたってことかもしれないな。

さっきまで見ていた映像を、反芻するように思い出しては脳内で繰り返していく。

「なんか、いろいろ複雑だけど」

そう呟いてから、掘りごたつに足を突っ込んだままでごろんと寝転がって天井を仰ぐ。

「最終的に俺、あそこから消えてよかったじゃん」

あまり深く考えずに、勝手に俺の口からこぼれたその言葉に「…え」と、驚いたのも俺。

消えてよかったじゃん、って。

反射的にガバッと体を起こす。

「俺……なんて言った? 今、なんて言った?」

心臓が強くドクドクと鳴り響く。

「消えてよかったって……冗談、だろ」

自分のことなのに、消えてよかったって死んでよかったみたいな言い方だろ。それに、俺って人間がいなくなってよかったって言葉にも聞こえて、それはまるで自分の存在を否定した言葉にも聞こえる。

「なんでこんなこと口にして……」

口をはくはくと動かして、何かの言葉を飲み込んで。

テーブル板の上に置きっぱなしの手は、自然と強く握りこんでいて。

「つっ…っ」

爪が手のひらに食い込んだその痛さにあげた声で、かなり強く手を握っていたことに気づく。

「あ……」

そっと両手を開き、手のひらを見下ろす。

(爪の痕がクッキリ残ってる。なんなら、片方はかすかに血が滲みかけてる)

その手のひらには、かなり前に見覚えがあって。

(そういや、入社して最初に資料を作った後につるし上げられるように営業マンたちに囲まれて、時間にしては短かっただろう30分がひどく長く感じた時のことを思い出した。あの時も、こんな風に手をこぶしにしてたっけ)

どこか懐かしむようにではあるけれど、痛い思い出だ。悔しさに噛んだ唇からも血の味がしたのは忘れてない。

「…………ああ。なんかめりこむ。ダメだ……」

自分を否定してしまう。

たった一人、後任の彼だけは俺の頑張りを認めてくれるような発言をしていたのに。

その嬉しさとさっき胸に感じたあたたかさを忘れてしまえるほどに、どんどん自分が冷えていくのを感じられる。

それもこれも、ある事実にも気づいてしまったからだ。

たしかに俺があの作業環境を整えたに違いない。だから彼は戸惑うこともすくなく、後任としてスムーズに作業には入れているのかもしれない。彼の頑張りももちろんあるとして。

(そうなんだよな、それが当たり前なんだよ)

――――気づく。

『俺という人間がいてもいなくても、世界は回るし、代わりはいくらでもいる。俺じゃなくても、いい』

という事実に。

俺がやらなきゃと必死になって、サービス残業ばっかりしながら何年もかけて環境を整えて。一日一食の時もあって、体調悪いなと感じる時があったって、毎月毎月決まった日にちに決まった資料を準備出来ていないと会社が困るからと休むこともままならず。

上司が作業について助けてくれる状態でもなく、頼る場所も人もない中でひたすらモニターと向き合う日々を過ごしながら、何の問題も起きなかった時だって粗さがしをしてきた営業マンに文句を言われ続けて。

心と体が疲弊していたって、行かなきゃいけない義務感と責任感だけで会社に通っていただけ。

そこまでやってたけど、誰かが褒めてくれも評価してくれもしなかったのに。

冷えた関係だけが残った。誰かと仲良くしたかったつもりはないけど、同じ会社に勤める者同士の普通の関係くらいあってもいいんじゃないかってどこかで思ってた気がする。

でも、だ。

「結局、俺は一人で死ぬかかなにかして、ここに来て。何をするとも何かしてくれとも言われずに、ただただ…いい環境に放り込まれて」

なにも、この手には残らなかった。

そして、同じくらい誰の中にも俺は残ってないんだろう。

(かろうじて、後任のあの彼の中に俺っていう誰かよくわからない前任者って程度の関係だけが残っただけで。それだって、そのうちどこかに霧散するみたいになくなる)

「……寝よ」

考えるのをやめた。

考えれば考えるだけ痛くなるだけだ。

どこかにあるんだろう布団かベッドをさがしに立ち上がるのも面倒になり、掘りごたつに足を突っ込んだままで寝転がって目を閉じる。

こんな状態で眠れるとも思えないけど、余計な情報はもう入れたくなくて目を閉じた。

「……はあ」

ため息がいくつもいくつも吐き出されていく。ため息が視認化できちゃったら、きっと部屋中ため息で満たされているんじゃないか?

とかバカげたことを考えられる程度ではあるらしい俺。

「まだ、壊れちゃいないみたいだな」

なんてボソッと呟いたのとほぼ同時に、畳の感触を頬で感じながら吸い込まれるように眠りに落ちていく。

その時の俺の髪色が、紫と青のグラデーションになっているだなんて知らずに。

髪色の変化を本人だけが気づけない事実と、髪色がポンポン変わっていく理由も知らないままで。


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