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7月(最終章)
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しおりを挟むその夜、自宅に帰った奈々は松井宅を訪ねて詳細な話を聞いた。
「……そう、ごめんなさいね、いきなり…」
「いいえ、礼儀正しくてしっかりしたお嬢さんで…ナナさんによく似てて可愛かった」
「あら…私より?」
「…娘に張り合わないでよ…でも今時の子ってあんなにお化粧するもんなの?」
「あら、見たことないけど…高校生になって色気付いたのかしら」
「本店に来てないんですか?」
「そうなのよ、そっちに先に行くなんて…淋しいわ。連れも居たでしょ?男の子の。幼馴染みなんだけどね、その子とホテル取ってるんですって。うちには明日来るって…夏期講習があってね、来月からお盆以外は学校なんですってよ」
昼間に連絡を取ってみたところ桃は観光もしたいらしく、今夜は駅前のビジネスホテルに宿をとっているらしい。
「へぇ…大変…ちょっと着替えてくるね」
「うん…ふふっ…そうだ、聞いたわよ。旭くん、昇進するんですって?」
「あ、自分で言いたかったのに」
まだ帰宅直後だった松井は、ワイシャツを剥がしながら寝室よりリビングへ声を投げた。
松井の北店ではかつて本店にも在籍した和田フロア長が神戸へ転勤してしまい、その席がふた月ほどぽっかりと空いてしまっている。
順当にいけば松井がそこに上がるのだがいかんせん経験値が、ということで昇進が先延ばしになっていたのだ。
しかし日々の実績と勤務態度諸々を評価されて本社人事と面接も済ませ、来シフトよりフロア長に昇格することが本日決定したのだという。
「ごめんなさい、社内人事メールで見ちゃったのよゥ……おめでとう」
「ありがとう。まぁ……穴埋め人事というか…そんなのですけどね…研修合宿もあるし忙しくなっちゃうな…」
ゆるいTシャツに着替えて戻った松井は髪を纏め始めた奈々にしばし見惚れ、目が合うと彼女は
「すごいことよ……頑張りましょ、ふふ、お祝いしようと思ってね、急遽スパークリングワイン買ってきたの♡後で飲みましょ、冷蔵庫に入れとくわね」
と細長い瓶を掲げた。
「わ、ありがとう…なんか、ナナさんと出逢ってから僕の人生、すごく変わった。幸運の女神だね」
「あら、嬉しい」
「女神で…ボスで…女帝?」
「なんでもいいわ、行動したのは旭くんよ」
「ふふ……よーし…メインは焼くだけだから…スープとサラダだけ作っちゃおう」
松井は手を洗い調理器具を並べ、夕飯の支度に入る。
「洋食にして正解だったなー、♪~♪」
機嫌良くハミングする松井の横に奈々は立ち手を洗い、ぽつり
「……旭くん、私…秋くらいに…産婦人科に行こうと思うの」
と伝えた。
「うん?うん…」
「ここに入れてるリング…外そうかなって」
「…………ナナさん、」
それは奈々の胎を守ってきた避妊リング、性行為を生殖行為にしないための彼女の護身対策である。
外すとなれば妊娠が可能になる。
それはつまり奈々が松井との子供を望むということ、松井をパートナーとして共に責任を負う相手だと決断したということを示していた。
「取り替え期限はまだまだなんだけどね、ダラダラ付き合うのも変かなって…一緒に暮らして…籍は…まぁおいおい…普通にね、仲良くして…授かったら儲けものかなって…狙って作らなくてもね、…………旭くんと…家族になりたいなァって」
「…な、ナナさん、あ、ありがとうございます!」
「もちろんすぐに妊娠はしないかもしれないわよ?体調整えて、時期とか考えて、ね、」
「ええ、いいですよ…嬉しい…」
抱きつきたいが奈々がピーラーを持っていたために一旦諦め、松井はそわそわと玉ねぎの皮剥きを再開する。
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