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 誠に遺憾であるが、今回もアネッサは、ライオットの脊髄を粉砕することはなかった。

 代わりに感情を落ち着かせるように、大きく息を吸って、吐いた。
 けれども、深呼吸程度では毛ほども役に立たなかったようだ。

 肩を震わせたまま俯き、ライオットから表情を隠す。そしてか細い声で、こう告げた。

「そうですか、わかりました。……では」

 文字だけで見たらアネッサは、随分、淡白な言葉を吐いた。

 妙齢の女性が、ゴミクズ以下のような理由で婚約破棄をされたのに、だ。
 流れとしては、二度と調子こいたことができぬよう、そのチャラ臭い顔面に拳を埋め込むべきであるのに、だ。

 それはきっとアネッサが、今、何も考えることができないからであろう。
 もしかして、貴族令嬢という矜持が邪魔をしているからなのかもしれない。

 ただ一つ言えることは、彼女は、ここにいるのが何よりも辛いということだけ。息をすることすら苦痛を覚えている。

 だからアネッサは、罵倒も恨み節も何もかも、胸の内に収めて立ち上がる。次いで、足早に扉へと向かった。

 今まで空気のように気配を消していたエリサも、後に続く。

「───……ああ、アネッサ」

 流石に良心の呵責に耐えきれなかったのか、ライオットは慌てた様子でアネッサに声を掛けた。

 呼び止められたアネッサは、うっかり振り向いてしまう。

 その瞳は潤んでいた。もしかしたら、全て嘘。そんな言葉を期待しているかのようにも、見えてしまう。

 けれど、現実はなかなか手厳しいものだった。

「結婚式には呼んであげるよ。どうか僕たちの幸せが末永く続くように祈ってくれ」

 この男、言うに事を欠いて、何をのたまってくれるのだろうか。この国にクズ男を即刻処刑できる法律がないのが、誠に残念である。
 
 再び、応接間が凍りつく。

「……」

 けれどアネッサは、無言のまま部屋を後にするだけであった。

 ただアネッサが、呼び止められた時になぜ無視をして部屋を出なかったのかと、ひどく後悔したのは、言うまでもない。

 



 部屋を後にして、アネッサは玄関ホールからすぐの応接室に通されて、本当に良かったと思った。
 なぜなら、あんな仕打ちを受けて、かつその後、長々と廊下を歩かされたら、今みたいに無表情を貫き通すことができなかったから。

「エリサ」

 震える声音でアネッサは、後ろを歩く侍女の名を呼ぶ。

「はい。何でしょう」

 すかさず侍女であるエリサは、アネッサに短い返事をした。

 それをきちんと背中で受け止めたアネッサは、足を止めることなく、侍女に指示を出す。

「自宅には戻らないわ。このまま、フォレット邸へ向かって」
「かしこまりました」

 一礼したエリサは、早足にアネッサを追い越すと、すぐさま御者にそれを伝えに行った。
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