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第3章 前世の私が邪魔して、今世の貴方の気持ちがわかりません
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シュン──現世で二度と耳にすることはない言葉が、イクセルの口から紡がれてフェリシアは目を見張った。
「……どういう、関係って……それは……」
言葉にしようとして、戸惑い、口を閉じる。なんと言うつもりだったのか。
前世で自分を振った恋人だと?だから、もう関係ないとでも?
(そんなの、信じてもらえるわけないじゃない)
自分だけが知っている事実は、絵空事のように真実味がなく、言葉にすれば嘘にしか聞こえない。
ただでさえ、想い人がいると知っているのに、口づけを受け入れた無節操な女と思われている自分がありのままを伝えても、イクセルには見苦しい言い訳にしか聞こえないだろう。
「シュンと貴女は、私に言えない関係なのですか?」
イクセルの抑揚のない口調は、まるで尋問のようだ。すぐに答えなければいけないと、無駄に気持ちが急いてしまう。
でも、イクセルに正確に伝える言葉も、勇気も、持ち合わせていないフェリシアは俯くことしかできない。
「答えてください。それとも、無言は肯定とでも?」
「ち、違いますっ」
「なら、私にわかるよう説明をしてください。私を騙し続けるのは、得策ではありませんよ」
手のかかる子供を言い含めるようなイクセルの口調には、しっかりと苛立ちがある。
過剰なほどの苛立ちに、フェリシアは更に俯いてしまう。
「……ごめん……ご、ごめんなさい」
謝罪してはいるものの、あの雨の日の出来事を蒸し返すなんてという思いは、少なからずある。
しかし恋とは、なんと愚かなものなのだろう。何度生まれ変わっても、冷静な判断ができなくなる。
今はただただ、イクセルに誤解されてしまった事実だけが辛くて、苦しい。この胸の痛みは、指輪の契約を破った代償なのだろうか。
「もう……もう、無理だと思うの」
思いのまま口にした言葉は、最善の選択だと自分に言い聞かせる。
「藪から棒にどうされました?何が無理なんですか?」
せせら笑うように問いかけるイクセルは、フェリシアが何を伝えたいのかわかっているはずだ。
でも、察してくれる素振りはない。きちんと自らの口で、言わせたいのだろう。
「明日、いえ……今日にでも、王都に戻るわ。だから、契約を終わらせたいの」
血を吐くような思いで伝えた瞬間、夏の暑さが消え、眩しいほどに飾り付けられた街の景色が色を失った。
幸せだった時間の──幕引きだ。
「今の……口づけしてしまったことは、お互い忘れましょう……わたくしも、貴方も、ただの気の迷いだったのよ」
顔を背けてそう言ったのに、イクセルに顎を掴まれ強制的に視線が絡む。
「気の迷い?忘れろ?はっ、冗談じゃない」
「なっ、なぜ……そんな……覚えていたって何の得にもならないのに」
「私は、ある」
「いつかセーデル家を脅すネタにでもするおつもり?」
「そうだと言ったら?」
クツクツと喉で笑うイクセルの目は、本気だ。
「それだけは、おやめになって。お願いします」
「はぁー……真に受けるなんて、貴女が私のことをどう思っているのか良くわかりました。言っておいきますが、元からそんな愚行を犯すつもりなんてないですよ。ただ」
「ただ……?」
「シュンとは、誰か。それだけは教えていただきたいものですね」
グッと顔が近づき、吐息が頬に触れる。
身体も密着して、まるで口説かれているような状況だが、これは恐喝に近い。いや、間違いなく脅されている。
我が家の未来を考えたら、正直に語るべきだ。しかしどんなに言葉を尽くしても、信じてもらえないだろう。
自分しか知らない出来事を証明するのは、難しい。はたして、自分は信じてもらえないことを主張し続けられるだろうか。
好きな人から、嘘をつくなと言われて、心がポキリと折れたりしないだろうか。
そんな不安と葛藤を抱えていれば、フェリシアの瞳から涙がこぼれる。
「……それは、ちょっとずるいんじゃないですか」
泣きだしたフェリシアを見て、イクセルは困り果てた表情で両手を上げた。降参、とでも言いたげに。
「はいはい、わかりました。貴女を泣かすのは本意ではないので、終わりにして差し上げますよ」
吐き捨てるように言われ、フェリシアはおずおずと顔を上げる。
イクセルは口調とは裏腹に、切なげな眼差しをこちらに向けていた。
「……イクセル様」
名を呼び、手を伸ばそうとして、すぐにその手を引っ込める。
一方的に彼を詰って、誤解を解くことを放棄し、泣いて困らせた。そんな自分が、彼に触れる権利はない。
「……最初から、こんな終わり方になる予感がしてたんですよ」
息苦しい沈黙を破ったのは、イクセルの掠れ声だった。
誰に向けて、というよりも、空を見上げる彼は、自分自身に語りかけているようだ。
「上手くやろうとすればするほど、上手くいかない。ははっ、部下が良く口にする言い訳をまさか私が言うなんて、笑えるな。もう、あいつらを叱ることができない」
自嘲したイクセルは、視線を下に向ける。ごく自然に目が合った。
「私との契約を終わらせるためだけに、無理して王都に戻る必要はないです。急いで戻ったところで、事故に遭うかもしれないし、貴女の身体にも負担がかかる」
さっきまでの怒りも、苛立ちも消えたイクセルは、労わりに満ちた言葉をかけてくれる。
その一つ一つに感謝をしなくてはいけないけれど、とても苦しくて悲しい。フェリシアの瞳から、再び溢れてくる。
「……泣かないでください」
親指の腹で頬に伝う涙を拭ってくれるイクセルから逃げるに、フェリシアは一歩後退しようとして──抱きしめられた。
「貴女の望み通りにします。でも、ほんの僅かでも私への罪悪感があるなら、明後日……時間をください。それで、最後にしますから」
これは取引ではなく、お願いです。
好きな人からの願いを叶えたい気持ちは、フェリシアとて同じ。
「わかりました」
フェリシアがこくんと頷いた途端、イクセルの抱きしめる腕に力がこもった。
「……どういう、関係って……それは……」
言葉にしようとして、戸惑い、口を閉じる。なんと言うつもりだったのか。
前世で自分を振った恋人だと?だから、もう関係ないとでも?
(そんなの、信じてもらえるわけないじゃない)
自分だけが知っている事実は、絵空事のように真実味がなく、言葉にすれば嘘にしか聞こえない。
ただでさえ、想い人がいると知っているのに、口づけを受け入れた無節操な女と思われている自分がありのままを伝えても、イクセルには見苦しい言い訳にしか聞こえないだろう。
「シュンと貴女は、私に言えない関係なのですか?」
イクセルの抑揚のない口調は、まるで尋問のようだ。すぐに答えなければいけないと、無駄に気持ちが急いてしまう。
でも、イクセルに正確に伝える言葉も、勇気も、持ち合わせていないフェリシアは俯くことしかできない。
「答えてください。それとも、無言は肯定とでも?」
「ち、違いますっ」
「なら、私にわかるよう説明をしてください。私を騙し続けるのは、得策ではありませんよ」
手のかかる子供を言い含めるようなイクセルの口調には、しっかりと苛立ちがある。
過剰なほどの苛立ちに、フェリシアは更に俯いてしまう。
「……ごめん……ご、ごめんなさい」
謝罪してはいるものの、あの雨の日の出来事を蒸し返すなんてという思いは、少なからずある。
しかし恋とは、なんと愚かなものなのだろう。何度生まれ変わっても、冷静な判断ができなくなる。
今はただただ、イクセルに誤解されてしまった事実だけが辛くて、苦しい。この胸の痛みは、指輪の契約を破った代償なのだろうか。
「もう……もう、無理だと思うの」
思いのまま口にした言葉は、最善の選択だと自分に言い聞かせる。
「藪から棒にどうされました?何が無理なんですか?」
せせら笑うように問いかけるイクセルは、フェリシアが何を伝えたいのかわかっているはずだ。
でも、察してくれる素振りはない。きちんと自らの口で、言わせたいのだろう。
「明日、いえ……今日にでも、王都に戻るわ。だから、契約を終わらせたいの」
血を吐くような思いで伝えた瞬間、夏の暑さが消え、眩しいほどに飾り付けられた街の景色が色を失った。
幸せだった時間の──幕引きだ。
「今の……口づけしてしまったことは、お互い忘れましょう……わたくしも、貴方も、ただの気の迷いだったのよ」
顔を背けてそう言ったのに、イクセルに顎を掴まれ強制的に視線が絡む。
「気の迷い?忘れろ?はっ、冗談じゃない」
「なっ、なぜ……そんな……覚えていたって何の得にもならないのに」
「私は、ある」
「いつかセーデル家を脅すネタにでもするおつもり?」
「そうだと言ったら?」
クツクツと喉で笑うイクセルの目は、本気だ。
「それだけは、おやめになって。お願いします」
「はぁー……真に受けるなんて、貴女が私のことをどう思っているのか良くわかりました。言っておいきますが、元からそんな愚行を犯すつもりなんてないですよ。ただ」
「ただ……?」
「シュンとは、誰か。それだけは教えていただきたいものですね」
グッと顔が近づき、吐息が頬に触れる。
身体も密着して、まるで口説かれているような状況だが、これは恐喝に近い。いや、間違いなく脅されている。
我が家の未来を考えたら、正直に語るべきだ。しかしどんなに言葉を尽くしても、信じてもらえないだろう。
自分しか知らない出来事を証明するのは、難しい。はたして、自分は信じてもらえないことを主張し続けられるだろうか。
好きな人から、嘘をつくなと言われて、心がポキリと折れたりしないだろうか。
そんな不安と葛藤を抱えていれば、フェリシアの瞳から涙がこぼれる。
「……それは、ちょっとずるいんじゃないですか」
泣きだしたフェリシアを見て、イクセルは困り果てた表情で両手を上げた。降参、とでも言いたげに。
「はいはい、わかりました。貴女を泣かすのは本意ではないので、終わりにして差し上げますよ」
吐き捨てるように言われ、フェリシアはおずおずと顔を上げる。
イクセルは口調とは裏腹に、切なげな眼差しをこちらに向けていた。
「……イクセル様」
名を呼び、手を伸ばそうとして、すぐにその手を引っ込める。
一方的に彼を詰って、誤解を解くことを放棄し、泣いて困らせた。そんな自分が、彼に触れる権利はない。
「……最初から、こんな終わり方になる予感がしてたんですよ」
息苦しい沈黙を破ったのは、イクセルの掠れ声だった。
誰に向けて、というよりも、空を見上げる彼は、自分自身に語りかけているようだ。
「上手くやろうとすればするほど、上手くいかない。ははっ、部下が良く口にする言い訳をまさか私が言うなんて、笑えるな。もう、あいつらを叱ることができない」
自嘲したイクセルは、視線を下に向ける。ごく自然に目が合った。
「私との契約を終わらせるためだけに、無理して王都に戻る必要はないです。急いで戻ったところで、事故に遭うかもしれないし、貴女の身体にも負担がかかる」
さっきまでの怒りも、苛立ちも消えたイクセルは、労わりに満ちた言葉をかけてくれる。
その一つ一つに感謝をしなくてはいけないけれど、とても苦しくて悲しい。フェリシアの瞳から、再び溢れてくる。
「……泣かないでください」
親指の腹で頬に伝う涙を拭ってくれるイクセルから逃げるに、フェリシアは一歩後退しようとして──抱きしめられた。
「貴女の望み通りにします。でも、ほんの僅かでも私への罪悪感があるなら、明後日……時間をください。それで、最後にしますから」
これは取引ではなく、お願いです。
好きな人からの願いを叶えたい気持ちは、フェリシアとて同じ。
「わかりました」
フェリシアがこくんと頷いた途端、イクセルの抱きしめる腕に力がこもった。
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