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本編
15 王宮での夜会
しおりを挟むあれからよくわからないうちに支度を整えられ、夜会に向かうことになった。
執務室を出た途端、笑顔の侍女長に拉致されあちこち体を採寸された。
夜会が行われる日にドレスが出来上がって届くのだから驚きだ。
最初の夫のトムリンソン男爵も服飾を扱っていたから知っているが、貴族女性のドレスはどんなに急いでも三週間はかかる。
私の場合、デザインをデザイナーに完全に任せたことで最短で仕上げてもらったと聞いた。
それでも顧客が大公家でなければ絶対にありえないスピードだっただろう。
当日は昼から風呂に放り込まれ、全身を磨かれ、香油を塗りたくられてから出来上がったドレスを着せられた。
男爵家でも甘やかされていたが、ここまで手取り足取りじゃなかったよ!
恐るべし大公家…。
ドレスは青緑色を基調とした、清廉な感じがするドレスだった。
子持ちの私には少し若過ぎる色ではないかと思ったが、娘たちをはじめグリフィン様やマルゲリータ様もとても褒めて下さった。
そういえばどうしてこうなったんだっけ?
首をかしげている間に私は豪奢な馬車に押し込まれ、初めての王宮に向かったのだった。
「緊張していますか、ケイトリン」
「え、ええ。最初の夫は男爵でしたから、王宮に上がれる身分ではなかったので…」
「無理に連れてくる形になってすみません」
「いえ、それは別に…。でも、大公様…アーロン様でしたら、わざわざ私をパートナーとして連れてくる必要はなかったのではありませんか?」
夜会は基本的に男女パートナーで参加することが鉄則だ。
奥方を亡くした当主など事情がある者は免除されることもあるが、それでも基本的には親族から見繕い、一晩のパートナーを務めてもらうのが普通だ。
しかしアーロン様は再婚はしないと明言されているし、現国王の弟君だ。
彼がパートナーなしで参加したところで非難する人間がいるとは思えない。
「いくつか理由があるのですが…。実は王太后に、あなたに会わせてほしいと頼まれまして」
「ええ!?」
「そんなに驚くことではないでしょう。あの事件のことは当然王宮にも伝わっています。マルゲリータは王太后にとっては孫ですからね」
「ああ、そういうことですのね」
「是非あなたに直接会って感謝を伝えたいと言われまして。王太后という立場上、あまり外にも出られませんから」
現国王とアーロン様のご生母である王太后ミランダ様は、隣国の元王女殿下だ。
私の母と同じ出身国でもある。
それもあって、是非にとおっしゃっているらしい。
「ほかの理由としては…覚えていらっしゃいますか、クルーガー辺境伯のジュリアンの話を」
「え、ええ。そういえば、色々あって聞きそびれていましたが、いつ大公家にいらっしゃるのですか?」
「それが今日なのです。この夜会で彼を連れて帰るつもりです」
「…もしかして、今回の夜会の主旨に関係があるのですか?」
王家主催の夜会ともなれば、必ず目的がある。
ただの遊興のためや己の権力を誇示するために開く王族も過去にはいたが、現在の国王夫妻は共に堅実な方々だ。
王国創立記念日を祝うための夜会は年一回は必ず行われるが、それ以外は国に貢献した貴族を慰労するためのものがほとんどで、今年に入ってからは初めての開催だった。
「今回の夜会は、北方の蛮族の侵入を退けたクルーガー辺境伯の功績を称えるためのものです。ですが辺境伯は戦いで負った傷が深く、王都にはとても来られませんでした」
だからこそ、代わりにご嫡男のジュリアン様がやってきたらしい。
辺境伯への受勲もジュリアン様が代行して受けられるようだ。
ジュリアン様が王都に来る理由は分かったが、どうして大公家に身を寄せることになるのか。
しかしその疑問を口にする前に、馬車は王宮の門を潜ってしまった。
王宮すごい!
眩しい!!
年代物の建物のはずなのに、全てがきらきらと輝いて見える。
回廊でさえそうだったのに、会場に入るとそのきらきらは増した。
もう目を開けていられないレベルだ。
とはいえ、浮かれてばかりもいられなかった。
アーロン様に手を引かれて会場に足を踏み入れた途端、一気に視線を浴びたからだ。
見定めるような、なめるような視線を感じる。
臆してはならない…。
自分を必死に叱咤するも、足が震えて歩みが遅くなった。
アーロン様はそれに気づいてゆっくりとエスコートしてくれる。
私は真っ直ぐ歩くことに必死で、一組の男女が近づいてくることに直前まで気が付かなかった。
「ラドルファス大公閣下、夜会にパートナーをお連れになるとは珍しいですな」
「メトカーフ宰相、お久しぶりです」
メトカーフ宰相ならば、中央に疎い私も名前を聞いたことがある。
やり手の宰相閣下で、爵位は侯爵。
さらにご長女のナタリア様は第一王子の婚約者だったはずだ。
黒髪に合う黒いフロックコートを着こなされ、青い眼光は宰相を務めるだけあって鋭い。
恐らく奥様だろうパートナーの女性は臙脂色のドレスを品よく着こなし、宰相夫人に相応しい威厳があった。
「メトカーフ宰相、こちらが先日お話ししたウォーターハウス侯爵令嬢です」
「おや、あなたが例の武勇伝の」
「…ケイトリン・ウォーターハウスと申します。宰相閣下におかれましてはご機嫌麗しく」
武勇伝ってなんだ。
いいや、それより、侯爵令嬢ってすごくこそばゆい!
もう二人の子持ちだよ!!
「ケイトリン、メトカーフ宰相がウォータハウス侯爵籍に戻る手続きをしてくださったんだよ」
「まあ、それは…」
「いやいや、私は宰相としての仕事をしただけだよ。ウォータハウス侯爵の訴えは正当なものだったからね」
通常、貴族の令嬢が嫁いだ後に夫を亡くし、実家に籍を戻す例は山ほどある。
私の場合も跡継ぎには恵まれなかったのでウォーターハウス侯爵家に戻るのは何の問題もなかったのだが、トムリンソン男爵が亡くなった直後は継母が強固に反対していたのだ。
「ご苦労されたようですわね。なんでもご生母はミナージュ王国のご出身とか」
「はい。ですが幼いころに亡くなってしまったので、どういった経緯でこの国に来たのか知らないのです」
「もしかしたら、王太后様がご存知かもしれませんわ。あなたに会ってお話しするのを楽しみにされていましたよ」
宰相夫人は優雅に笑うと、礼をして公爵閣下と別の貴族への挨拶へ行ってしまった。
「少しは落ち着いたかい?」
「え、ええ。とても感じのいい方々でしたわね」
最初に会場に入った際の緊張は大分緩んでいた。
外面が良くても腹に一物抱えた貴族はたくさんいるが、メトカーフ宰相夫妻にそういった印象は受けなかった。
もしあれで二人揃って本性を覆い隠していたのなら、大した役者夫妻である。
他に話しかけてくる貴族はいない。
前を通りかかると会釈してくるが、大公であるアーロン様が話しかけない限りは下の爵位の者が話しかけるのはマナー違反だ。
それをいうと侯爵も大公の下ということになるが、メトカーフ侯爵家はご令嬢が王太子の婚約者なので、実質王家の一員扱いされているから例外ということだろう。
メトカーフ家が飛ぶ鳥を落とす勢いであることがあの会話で分かるわけだ。
…やっぱり食わせ物夫婦だったのかも。
「国王陛下のお成りです」
場が暖まったところで、王族の方々が登場された。
アーロン様の実の兄上で、この国の国主であられるウィルフレッド陛下。
王妃のモルガン殿下。
王太子のチャーミング殿下。
チャーミング殿下の双子の妹のリリアーナ王女殿下。
宰相閣下のご息女で王太子の婚約者、ナタリア・メトカーフ侯爵令嬢。
そして王太后のミランダ様は、アーロン様と国王陛下の母君だ。
…うーん。
想像通り、全員お美しい。
アーロン様の金髪は、ミランダ王太后様譲りらしい。
国王陛下、王妃様、王太子殿下、そして王女殿下は皆銀髪だ。
王妃様は国王陛下とアーロン様のご従妹にあたり、王家の血が濃いという。
ちなみにナタリア様は、黒髪に澄んだ水色の瞳をした、王家の方々に負けず劣らずの美形である。
と、ここで私は何かを忘れているような気がした。
なんだろう…?
私ったら、何を忘れているんだろう。
でも答えは出ないまま、夜会は進行していく。
「ここで、功績を称えたい者がいる。知っての通り、先日北方で蛮族どもが国境を侵した。蛮行を食い止め、国民と国土を守ったのは北のクルーガー辺境伯とその兵たちである。今回のことに限らず、辺境伯は常に国境を警備し、我らの平穏な生活を守ってくれている。この機会にクルーガー辺境伯とクルーガー軍の功績に対して受勲を行おうと思う」
わあっ、と歓声が上がった。
この国、ヒドルストン王国は大大陸の一国で、東側を海、他の領土は他国に接している。
現在はどの隣国とも平和条約を結び、戦争らしい戦争はないのだが、北方ではまだ国同士の小競り合いが続いていて、難民や盗賊が国境を縫って侵入することが多々ある。
北の国境を領土として有しているのがクルーガー辺境伯領で、その軍の勇猛さは有名だった。
二か月前のこと、北方の国で権力争いに敗れて南下してきた蛮族が、食料と女を求めてヒドルストン王国に流れ込んできた。
これまでにもそういったことはあったが、今回の侵入者は二百名近い人数がおり、警備隊だけでは歯が立たなかったという。
彼らは八つの村と町を焼き、奪い、犯し、さらに豊かな街を目指した。
そこに立ちふさがり、蛮族と激闘を繰り広げたのがクルーガー辺境伯と彼が育て上げた軍だ。
「戦いは四週間にも及び、多くの兵が命を落とした。クルーガー辺境伯も重傷を負い、現在は領地で療養中だ」
ざわっと、歓声とは違うざわめきが上がった。
辺境伯が重傷だということを知らない者が多かったのだろう。
怪我はどの程度なのか、などといった会話が聞こえてくる。
「ジュリアン・クルーガーよ、前へ」
名前を呼ばれ、一人の少年が王の前に進み出た。
亜麻色の髪に鳶色の瞳をしていて、身長や顔つきからグリフィン様より少し年上だと分かる。
ジュリアン少年は貴族たちの視線を一身に浴び、緊張で頬が紅潮していた。
それでも気丈に、しっかりした足取りで王の前に歩み寄ると膝をついて礼を取る。
「傷を癒しているクルーガー辺境伯と、戦いが終わってなお国境を守っている辺境伯領の兵の代わりに、クルーガー家の嫡男ジュリアンに王都に足を運んでもらった。代理で受勲を受けてもらおうと思う」
拍手が沸き起こった。
そうして受勲の儀が行われ、クルーガー辺境伯には名誉勲章が、兵たちにはそれぞれ特別手当が、
亡くなった兵はこれから創設される石碑に名前が刻まれる名誉と、遺族への慰謝料が約束された。
式が終わると、国王夫妻と王太后様は会場を後にされた。
そしてチャーミング王太子とナタリア様がファーストダンスを踊られ、夜会は一気に社交の場と化した。
「ではケイトリン、王太后様を紹介しよう」
騒がしくなった会場内をアーロン様に手を引かれ、入ってきたのとは反対側の回廊へと案内された。
「まあ、シュトロハイム様」
「お久しぶりです、ケイトリン夫人…いえ、ウォーターハウス侯爵令嬢でしたね」
入り口で待っていたのは、中庭襲撃事件で知己を得たレイ・シュトロハイム伯爵だった。
「やめてください、こんな年増を令嬢などと…」
私が軽く睨みつけると、シュトロハイム伯爵はその顔はやめたほうがいいですよ、と呆れたように言いながら先導し出した。
いくら王位継承権があるとはいえ、表向きは大公の地位を賜っているアーロン様が王宮の奥向きを闊歩することはできない。
王宮の騎士団に所属するシュトロハイム伯爵が案内役兼監視役として王太后様の控室へと同行して下さった。
少し歩き、豪奢な扉の前にたどり着く。
その中に、この国で最も高貴な女性がいらっしゃった。
ミランダ・ヒドルストン様。
前王妃であり、海を隔てた隣国ミナージュ王国の元王女であり、アーロン様のお母上だ。
私は王族に対する最上礼を取った。
「お初にお目にかかります、王太后様。ケイトリン・ウォーターハウスでございます。この度はお目通りがかない、恐悦至極でございます」
「まあ、貴族令嬢の家庭教師を務めるだけあって、完璧な礼だわ。…さあさあ、こちらへいらして下さいな。ミナージュから取り寄せた紅茶がありますから」
ミランダ王太后様は、三十代の息子が二人もいるとはとても思えない若々しさを保っている。
アーロン様と同じ金髪は少し色あせているものの、上品にまとめて灰青色のドレスと合わせていた。
「まずはお礼を申し上げますわ。マルゲリータを身を挺して守ってくださったそうね」
「とんでもございません。大したことはしておりませんわ」
「謙遜しなくてもいいのですよ。あなたの武勇伝は知れ渡っていますから」
だから、武勇伝ってなに!?
「これからグリフィンとマルゲリータのことをよろしくお願いするわ。…不思議な縁ね、一緒に海を渡ったペネロペの娘が私の孫たちを養育するのだから」
「母をご存じなのですか?」
ペネロペとは私の母の名前だ。
先ほど宰相夫人が匂わせていたが、やはり王太后様は私の母をご存知らしい。
「私が前国王…当時はもちろん王太子だったけれども、彼の婚約者に決まってこの国にやってきたのは12歳の時よ。あまりに幼いということで歳の近い高位貴族の令嬢が幾人か同行したの。そのうちの一人がペネロペよ」
「…そうだったのですか」
母がミナージュ王国出身だということは、母の存命中に聞いた。
母が亡くなってから母方の親戚のことを調べようとしたのだが、父や継母はそれを許してくれなかった。
「私が16歳で王太子妃となってからペネロペ以外の令嬢は帰国したわ。ペネロペは伯爵令嬢だったけれど帰国直前に当主だったお父様が亡くなり、叔父が後を継いだことで帰れなくなってしまったの」
「お家騒動ですね」
「その叔父にも令嬢しかいなかったから、後ろ盾なしに戻れば命が危ないと思ったのね。ミナージュ王国では女性も爵位を継ぐことができるから。そこで当時の国王陛下がウォーターハウス侯爵との縁談を整えたのよ」
当時のウォーターハウス侯爵…つまり私の父は、幼いころから決まっていた婚約者を病気で亡くしていた。
父が婚約者の挿げ替えをどうとらえたのかは分からないが、王太后様によると母はそれなりに幸せそうだったという。
「あなたが生まれてからペネロペとは滅多に会えなくなったけれど、手紙のやり取りはしていたわ。あなたという娘を授かったことをとても喜んで、慈しんでいるのが伝わってきたわ。…ああ、その時の手紙は取ってあるからあとで読ませてあげるわね」
「…」
「ケイトリン?」
「あ、すみません。手紙は是非拝見したいですわ」
ぼんやりしていた私を、アーロン様が気遣うように覗き込む。
「大丈夫か?」
「違うのです。…母が幸せだったというのが嬉しくて。父は私を嫌って遠ざけていたので、母は不幸だったのではと勝手に思っていました」
涙腺が勝手に緩む。
最初の結婚をしてから、生家のことはなるべく考えないようにしてきた。
亡母のことは愛していたし、異母弟を想っていたが、やはり幼少時代のウォーターハウス家は辛い記憶だった。
「今日は遅いし、このくらいにしましょう。今度はグリフィンたちを連れて遊びに来て頂戴。マルゲリータも外に出るようになったのでしょう?ここ二年ほどはほとんど会えてないの。楽しみだわ」
「二人とも大きくなっていますよ」
「じゃあ来週にでもお願いね。むさくるしい息子の顔は、見飽きたわ。もう沢山よ」
「むさくるしいはないでしょう…」
母ペネロペが王太后様に宛てた手紙は後日大公家に届けていただくことになり、私たちは王太后様の控室を後にした。
会場に戻ってきたとき、時刻は二十三時を回ろうかとしていた。
応援ありがとうございます!
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