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本編
21 舞踏会の招待状
しおりを挟む私ケイトリン・ウォーターハウスがラドルファス大公家の家庭教師になってから八年の歳月が流れていた。
今年15歳になるマルゲリータ様がとうとう成人を目前にしており、私の役目も終わろうとしている。
子供たちは立派に成長した。
まず長女のヴァレンティーナは、数年前から女官として王宮に就職していた。
ミランダ王太后様に可愛がられ、ばりばり稼いでいるようだ。
最近王太后様の紹介でとある貴族を紹介されたらしく、相談したいという手紙を送ってきた。
そろそろ娘の結婚が現実的になってきたと感慨深い。
次女のティファニーは、マルゲリータ様の専属侍女として今も大公屋敷で暮らしている。
本人はマルゲリータ様が嫁いでからも大公屋敷で働きたいと言っていたが、先日思わぬことが起こった。
無事に辺境伯爵となったジュリアン・クルーガー様が久しぶりに大公屋敷を訪ね、いきなりティファニーに求婚したのだ。
二人が文通を続けていることは知っていたが、ジュリアン様がティファニーを本気で妻にしたいと思っていたことに驚いた。
侯爵家の縁者といえど、実父は男爵で、しかも今は侍女なのだ。
ティファニーは辺境伯夫人など自分に務まらないと断ったようだが、ジュリアン様は断られることは予測していたらしく、何度もめげずに求婚している。
長女と次女、どちらの結婚が早いのだろうか…。
大公子のグリフィン様は、二年前に婚約した侯爵家のご令嬢との結婚の準備に追われている。
結婚と同時に大公家の籍から外れ、新たな公爵位と領地を与えられることになっていた。
私との授業では特に語学の成績が目覚ましく、外交に携わりたいとお考えのようだ。
大公女のマルゲリータ様は、本当にお美しく成長された。
紫のドレスばかり身にまとうので、「紫の淑女」と呼ばれているという。
かつての引きこもりがちな面影はなく、妖精のように社交界を泳いでいらっしゃる。
未だに婚約者はおらず、他国の王族に嫁ぐのではというのが専らの噂だ。
成長した娘たちは独り立ちをし始め、生徒だった二人も無事に成人を迎える。
大公家を辞した後の身の振り方を考えねばなるまい。
そんなことを考えていると、私は久しぶりにラドルファス大公…アーロン様に執務室に呼ばれた。
「ケイトリン、折り入って相談があるのだが…」
「まあ、どういったことでございましょうか?」
アーロン様はなんだかもじもじして、話を切り出しにくそうにしている。
いったいどうしたのだろう?
「相談事の前に確認しておきたいのだが…現在付き合っている男性はいるのかな?」
「はい?」
「だから、恋人はいるのか?」
「まさか!私はもう34ですよ。いるはずないじゃありませんか」
「…私は36だ」
「はあ、存じ上げておりますが」
アーロン様が深いため息をついた。
何?
私、呆れられてるの?
戸惑っていると、アーロン様は椅子から立ち上がり、こちらへ歩いてきた。
そして突然片膝をついて私の手を取る。
…えええ!!?
「ケイトリン・ウォーターハウス嬢。どうか私の妻になってほしい」
「…あっ、え?」
「私は一代限りの大公だ。あなたに大したものを残すことはできないが、どうか残りの人生を共に歩んでほしい」
「そ、その…」
「あなたを愛しているんだ」
「!!」
息が止まった。
どうしてアーロン様は家庭教師に過ぎない私に突然求婚し出したのか。
私の頭の中でぐるぐると回っていた疑問を見透かしたかのような、直球の言葉だった。
「アーロン様…」
顔がどんどん火照るのが分かる。
最初の夫を亡くしてから、もう男女の愛なんて枯れ果てたと思っていた。
実際二度目の夫とは愛など育めないまま破綻した。
「ずっと前から結婚を申し込みたかった。だが子供たちの手前気恥しくて…。しかしもうすぐマルゲリータが成人を迎え、あなたは去ってしまう。…それは耐えられない」
「アーロン様…ありがとうございます。とても…とても嬉しいです」
「では…っ」
「でも、突然のことで…。考える時間をくださいませんか?」
「…っ、そうか。…そうだね」
さすがに三度目の結婚となれば慎重にもなる。
アーロン様は残念そうなお顔をされていたが、ケイトリンらしいね、と猶予をくださった。
ごめんなさい、アーロン様。
アーロン様が真摯に私への想いを告げてくれたからこそ、簡単に話を引き受けることはできなかった。
だって、ここは「シンデレラ」の世界なのだから。
この大公家にやってきてから八年…私は自分が「シンデレラの継母」だったことを忘れがちになっていた。
実際エラからもエラの養父となったヨーク準男爵からもコンタクトはなく、「シンデレラ」の世界は私の見た夢だったのではとも思い始めていたのだ。
だが、三年前にその考えを覆す事件が起こった。
この国の王太子であるチャーミング殿下が、長年の婚約者だったメトカーフ侯爵令嬢と婚約破棄したのだ。
どういった事情で婚約破棄に至ったのかは、社交界から離れている私には知りようもない。
そんなことより、チャーミング王太子の次のお相手の方が重要だった。
この国の次期国王とされているにも関わらず、この三年の間、新しい婚約者は候補すら上がらなかったのだ。
「シンデレラ」の世界では、王子の妃となるための女性を選ぶための大々的な舞踏会が開かれる。
その「王子」とは、チャーミング王太子なのではないだろうか。
そんな私の予感は的中した。
アーロン様に結婚を申し込まれてから一週間も経たないうちに、王宮で舞踏会が開かれることになったのだ。
それを知ったのは、王宮から私宛に直接招待状が送られてきたからだった。
何と貴族籍にある独身の女性には全て送られたらしい。
年頃のティファニーはもちろん、婚歴のある私、大公屋敷にいる使用人で貴族籍にある女性皆が招待状を受け取った。
招待状には、出席か欠席かを期限までに提出するように記されている。
一方的に招待状を送りつけ、出欠するか否かを決めろとはさすが王族様だ。
と、それどころではない。
私はもちろん欠席だが、娘たちもできれば欠席してほしい。
舞踏会に出てしまったら、エラに出会う危険がある。
私は早速ティファニーを捕まえて舞踏会に参加するか否かを聞いた。
「ティファニー、王太子殿下のお相手を決める舞踏会に出席しないわよね?」
「まさか!辺境伯夫人だって無理なのに、王太子妃なんて絶対に私に務まらないわ」
良かった…。
ティファニーは欠席するつもりのようだ。
私は次にヴァレンティーナに連絡を取り、半日休みを取ってもらって大公屋敷に来てもらった。
ヴァレンティーナの舞踏会に対する意思を確認するのはもちろんだが、王宮で何が起こっているのかを知りたかった。
「もちろん私も参加しないわよ。王太后様から殿方を紹介されたというのに、チャーミング殿下のお相手を決める舞踏会に出るわけがないじゃない」
「そ、そうよね…。良かった…」
「まさかお母様は参加されるの?」
「しないわよ!するはずないでしょう!!」
「あら、そうなの。大公閣下からの求婚の返事を先延ばしにしているから、てっきり王太子妃の座に興味があるのかと…」
「な、なんでアーロン様とのことを知っているの!?」
「まあまあ。そんなことはいいじゃない」
「良くないわよ!誰からの情報なの?教えなさい!」
私からの追及をヴァレンティーナはにこやかに躱す。
可愛くない!!
「そんなことより、王宮のことを聞きたいんでしょう?」
「…ええ」
ヴァレンティーナに口では敵わず、私は本来の目的を聞き出すことにした。
「舞踏会で王太子の花嫁を決めるなんて前代未聞よね。メトカーフ侯爵令嬢との婚約破棄以来、誰も候補に挙がらなかったの?」
「高位貴族…伯爵家以上の家格の貴族ほど、王太子殿下と縁を結ぶことを嫌がったのよ。社交界では王太子殿下の無能ぶりは有名な話なの」
「…そうなの?でも次期国王でしょう」
チャーミング王太子の妃になるということは、次期王妃になるということだ。
貴族はこぞって娘たちを売り込んでいると思っていた。
「王族の恥だから誰も話題にしないけど、メトカーフ侯爵令嬢との婚約破棄は独断で、しかも他国の客人も招いた夜会で声高に叫んだそうよ。自分が当時気に入っていた男爵令嬢をいじめたという冤罪を着せてね。その前にも公務に真面目に取り組まず、勉強も逃げ出してばかりだったと王太后さまが愚痴ってらしたわ。逆にリリアーナ王女殿下は有能だから、チャーミング殿下は廃嫡されるのではと専らの噂よ」
「…じゃあ、あの王宮からの招待状は?」
「あれも王太子殿下の独断よ。国王陛下がこんな馬鹿なイベントを了承するはずないわ。貴族たちの問い合わせが殺到して、一昨日ようやく両陛下と王太后様も事態をお知りになったのよ。今頃呼び出されてお説教されているところでしょうよ」
ヴァレンティーナの声音は完全に呆れが含まれている。
しかし…馬鹿なイベント、か。
物語では、その馬鹿なイベントで私と娘たちは断罪されるのだが…。
「じゃあ、この舞踏会は開かれないのね?」
「いいえ。お母様のように、王太子殿下が馬鹿で屑で塵だっていうことを低位貴族ほど知らないわ。すでに参加の申し込みをして、遠方から家族で王都に向かっている家だってあるのよ。話が大きくなり過ぎた上、仮にも王族が言い出したことだからと、舞踏会自体は開催されることになったわ」
「そうなの…」
「お母様、何か心配事でもあるの?」
「いいえ、その…。エラは参加するのかと思って」
「エラですって?」
ヴァレンティーナが目を見張る。
私からその名前が出るとは思わなかったのだろう。
王都に居を移してから、エラの名前は禁句だった。
「エラは…準男爵令嬢だから…そうね、結婚していなかったら招待状は届いているでしょうね」
「ヴァレンティーナ、舞踏会に参加しないと言ったけれど、王宮女官としては携わるのでしょう?」
「まだ王太后様からは何も言われていないわ。…エラが気になるのね、お母様」
「不安なの。この頃急にあの子のことを…あの子にされた仕打ちを思い出すのよ」
「だから大公閣下からの求婚に応えないの?」
私はその問いには答えなかった。
「ごめんなさい、ヴァレンティーナ。あなたもティファニーも舞踏会に参加しないというのなら、気を揉んでも仕方がないことだわ。この話は忘れて頂戴」
「お母様…」
「そんなことより、いい機会だから手紙で言っていた殿方のことを知りたいわ。王太后様の紹介だから、きっと素晴らしい方なのでしょう?」
「…お母様もよく知っている方よ」
「あら、誰かしら?」
「シュトロハイム伯爵様よ」
「レイ・シュトロハイム様!?」
シュトロハイム伯爵は、かつてアーロン様と共にクルーガー辺境伯のお家騒動解決に臨んだ副騎士団長だ。
その後、次期当主に決まったジュリアン様が成人するまで代理領主を務め、現在は王都に戻って騎士団長に昇格している。
ヴァレンティーナは頬を染め、幸せそうな顔をした。
「実はもうお返事はしたの。私、シュトロハイム様の妻になるわ」
「そう、なの…。で、でも知らなかったわ。シュトロハイム様は独身だったのね」
「クルーガー辺境伯領の代理領主となって王都を離れている間に、一度目の奥様が別の男と駆け落ちしたらしいわ。奥様はすぐに戻ってきたようだけれど、そのまま離婚したそうよ」
「そんなことが…知らなかったわ」
「お母様、仮にも侯爵令嬢なのに、本当に貴族の情報には疎いんだから」
どうやら当時の社交界では飛び切りのスキャンダルだったらしい。
「侯爵令嬢はやめてちょうだい。もうベンジャミンだって結婚するし、今更ウォーターハウス家には戻らないわ」
先日、弟でウォーターハウス家当主のベンジャミンから連絡があり、とうとう結婚相手が決まったと連絡があった。
どこのご令嬢かはまだ知らせられないということだったが、先代と先代夫人がやらかして没落しかかったウォーターハウス侯爵家に嫁いでくれるご令嬢がいるとはありがたいことである。
去年先代夫人…つまり私の継母が他界した。
それでも私はウォーターハウス家には戻らなかった。
ただでさえ社交界から爪弾きにされているあの家に、小姑がいては弟の婚姻も決まらないだろうと思ったからだ。
ベンジャミンから結婚の報告が来たと知った時はほっとしたものである。
そのままヴァレンティーナとは、時間が来るまで近況を語り合った。
大丈夫、舞踏会には私も娘たちも参加しない。
王子にも、シンデレラにも会わない。
私たちは、もう物語の登場人物ではないのだ。
チャーミング王太子のお妃を決める夜会は三日三晩開かれることになった。
王都では一番の関心事だ。
集まった辺境の貴族たちはタウンハウスを持っていないことが多く、宿屋や飲食店は一時的に賑わっているらしい。
大公屋敷では、ティファニーの侍女仲間が一人参加することに決まった。
ティファニーの三つ年上のその侍女は男爵家の令嬢で、やはりチャーミング王太子の事情を知らない親から参加するよう強要されたらしい。
グリフィン様やマルゲリータ様から王太子殿下の無能ぶりを知らされているその侍女は、妃に選ばれるつもりはなくともひとまず参加だけするという。
身近で参加するのは彼女だけなので、どういった令嬢がチャーミング王太子のお眼鏡にかなったのか観察してほしいとよくよくお願いした。
そうしてやって来た舞踏会。
初日に参加して、戻ってきた侍女に話を聞いた。
「とても美しい令嬢がいましたわ。王太子殿下はその令嬢とばかり踊って、他の令嬢には目もくれませんでした」
「どこの誰だかわかる?」
「準男爵家のご令嬢とのことでした。名前までは…。薄い茶色の髪に、水色の瞳をされていて、すずらんの妖精のようでしたわ。女の私ですら見惚れてしまいました」
「…そう」
間違いない、エラだ。
やはりシンデレラの王子様とはチャーミング王太子だった。
そんなことを考える私の横で、侍女は当時の様子を思い浮かべてため息をついている。
「でも王太子殿下も噂通りの方ですわね。舞踏会には令嬢に同行した貴族の方が挨拶しようとしていたのに、『面倒だから』と解散させていました。目的は王太子妃を選ぶ会ですけれども、最低限の社交もされないなんて…」
「あなたは王太子殿下に興味はないみたいね」
「大公閣下やグリフィン坊ちゃまのような、立派な王族を見ていますから。いくら身分があれど、あれでは王太子妃になったところで苦労するだけですわ」
そうなのか。
でもエラはシンデレラだ。
物語の主人公のエラが王子と結婚したら、幸せになると思うのだが…。
情報をくれた侍女は、翌日の舞踏会から欠席した。
同行していた彼女の親も、どうやら脈なしと判断して早々に諦めたようだ。
そして三日続いた舞踏会が終了し、新たな王太子の婚約者が発表された。
エラ・ヨーク準男爵令嬢。
魔法使いの魔法もガラスの靴もなかったはずだが、シンデレラは無事王子に選ばれたようだった。
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