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45話 『この恋に気付いて』

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ふらふらとした足取りで私は自分の部屋へと帰ってきた。
夢見心地の気分でベッドに腰掛けると、ベッドの傍らのサイドテーブルに手紙が置いてあった。
私は何となくその手紙を手に取った。

「っ……!」

私は息を呑んだ。
差出人にドニール・マリヤックと書いていたのだ。
父からの手紙が何故サイドテーブルに置かれていたのかは分からない。
基本、実家から来た手紙はノエル様が私に見せることなく捨てている、と言っていたし、私もそれに同意していた。手紙の内容はほとんど嫌がらせしかなかったからだ。
恐らく私の事情を知らない使用人が私宛の手紙を届けてくれたのだろう。

私は震える手で手紙を開けた。
どんなことが書かれていても決して心を乱されないように決意をしながら。
しかしそんな決意は無駄だった。
私は手紙の内容を読み進めていく。
手紙の内容は実家であるマリヤック家がカルシール男爵家に多額の借金を背負っていて、その催促に苦しんでいること。そして貴族社会の中でマリヤック家は孤立しており、どの家からも借金ができず、返済の見通しが立っていないこと。最後にカルシール男爵に借金の代わりに娘を要求されたので、私を差し出したい。ノエル様には代わりにローラを婚約者として嫁がせる、というものだった。
考えるに値しない内容だった。

何回か無視をされているためか、手紙に書かれている言葉は乱暴なものではなく丁寧な口調になっていたが、私を使い捨てたいという目的が見え透いていた。
何より私がノエル様の元を離れるなんてあり得ない。それにローラを代わりに嫁がせるなど言語道断だ。
馬鹿馬鹿しい。
だから私は手紙をすぐに捨てようと思った。
しかし最後の一文が目に入って、私は固まった。

『愛する娘、リナリアへ』

そう書かれていた。

「……っ!?」

嘘に決まってる。
この言葉は私を騙すための言葉で、父は本心でそんなことを考えていない。
頭では分かっていた。でも心が追いついてなかった。
目に涙が溜まる。
それは、『愛する娘へ』という言葉は私が七年間、泣いて、絶望して、それでもなお渇望し続けた言葉だった。
呼吸が苦しい。
あれだけ苦しめられて、辛い記憶も植え付けられたのに、そのたった一言で私の心はぐちゃぐちゃにかき混ぜられて、思考もままならない。
この一文は私への同情を引き出そう、という目的のための一文なのだろうが、その目論見は嫌なほどに成功していた。

「リナリア」
「ノエル様……」

名前を呼ばれて振り返ればそこにはノエル様がいた。
私の表情を見てただごとではないと察した。
震える唇を引き結んで、私はそんなノエル様にたった今心に決めたことを話した。

「私……マリヤック家のお屋敷に帰ろうと思います」

ノエル様は私の言葉に一瞬目を見開いて、すぐに私が持っている手紙へと目を向けた。

「リナリア……その手紙を見せてくれませんか」
「……」

私はノエル様に手紙を渡す。
そしてノエル様は手紙の内容に目を通す。
書かれていることを読みながら、ノエル様は怒っていた。
その綺麗な顔がはっきりと歪んでいる。

「こんな……こんなの……!」

ノエル様は吐き気を堪えているのか、手で口を押さえていた。
そして手紙を最後の一文まで読み終えると怒りを露わにした。

「リナリア、こんな手紙を読んで本当に戻るつもりなのですか……!」
「……はい」

私は頷いた。
ノエル様が息を飲み込む音が聞こえた。

「なぜだ! 君は騙されているんだぞ! 帰ったところで君に待ってるのはカルシール男爵との婚約だけだ!」

分かってる。
このまま帰っても、十中八九父は私へいつものような侮蔑の目を向けて、暴言を吐くのだろう。
だけど、それでも。

「でも、家族ですから。助けないと」

目を伏せながら私は無機質な声でそう言った。

「なぜ君がそこまでする必要があるんだ! 奴らは君のことを利用してるんだぞ! あんな奴のために──」
「あんなのでも、私の家族なんです!」

私の叫びに、ノエル様は一歩後ずさった。

「っ!」
「私にとってはたった一人の、家族なんです……!」

ノエル様は目に涙を溜めている私を見てたじろぐが、私のことを引き留めようと説得する。

「家族だったからどうしたんだ! 君が奴を助ける義理は──」
「ノエル様には分かりませんっ!」

私はノエル様を突き飛ばす。

「あっ……」

私はすぐにそのことを後悔するが、一度溢れ出した本音を止めることはできなかった。
拳を握りしめてノエル様を睨む。

「あんなに優しいご両親に育てられたノエル様には私の気持ちは分かりませんっ!」
「っ……!」

ノエル様のご両親がやって来た時、感情には出さないようにしていたけれど、ずっと疎外感を感じていた。
ご両親とノエル様との間にある深い絆と愛情を感じて、私は苦しかった。
私が望んでいたものを目の前で何度も見せられることは、私にとってどんな責苦よりも辛いことだった。
もちろん、ご両親との交流は心が温かくなった。
でも、すぐに私の心にポッカリと空いた穴に消えて、消えていった。
七年前に空いた穴に。

「私はずっと誰かに愛して欲しかったんです!」

この七年間、求め続けたのは親からの愛だった。
瞼を閉じれば、いつでもそこには母が生きていた頃の幸せな光景が浮かんでくる。
母が私に微笑んでいて、父はその光景を見て幸せそうに笑顔を浮かべている光景だ。
私にとってはあの時間が真実であり、全てだった。
一度経験してしまったからこそ、失うのはもっと辛いのだ。

「今帰れば、父はもう一度私を娘として扱ってくれるかもしれないんです! あの日みたいに私を抱き上げて、「流石は私の娘だ」って笑ってくれるかも……! だから私は帰らないといけないんです!」

幸せな時間が突然失われたあの日から、私の時間はそこから止まってしまっていた。

「だが、それはまやかしだ! 君は騙されているんだぞ!」
「それでも構いません!」

私はそれでも構わなかった。
そもそも帰ったところでいいように使い捨てられて、実際には私を愛してくれることなんてないと分かってる。
だが、そうだとしても。

「騙されていたとしても、またもう一度父が私を愛してくれるかもしれない、その希望だけで十分なんです!」

七年間、それを待ち続けた私にとってはその希望だけで満足だった。
たとえ騙されていたのだとしても。
ずっと望んでいたものだったから、私にはそれに縋るしかないのだ。

「だから、申し訳ありません。私はマリヤック家に戻ります……」

私はノエル様に頭を深く下げる。
そして部屋から出て行こうとした。

「リナリア……っ!」

しかしその瞬間、後ろからノエル様に抱き止められた。

「ノ、ノエル様……!?」

私はいきなり強引に体を引き寄せられたせいか、それともノエル様に密着しているからか分からないが心臓の鼓動が高まっているのを感じる。
耳からどくどくと音が聞こえる。これはノエル様の心臓の音だ。

「私が……私が愛しています!」
「えっ?」

全く予想していなかったその言葉を聞いて、私はしばらくポカンとすることになった。

「そ、それはどういう……」

私は振り返ってノエル様の顔を見る。

「っ……!」

ノエル様の表情を見て私は息を呑んだ。
この表情は勘違いしようがない。
紛れもなくノエル様からの愛の告白だった。

「あなたは前向きで、それなのに繊細で。嬉しいことがあったら花みたいな笑顔を浮かべて、一緒にいるだけで幸せな気持ちになれる。そんなあなたが──好きです」

ノエル様が私の手を握った。
その手は温かくて、じんわりと伝わる熱はノエル様の幸せな気持ちを注ぎこまれているみたいだった。

「リナリアは本当に魅力的な女性で、私にとってとても大切な人です。あなたの胸に空いた穴を埋めれるかは分かりません。ですが私がリナリアを愛しています。それではダメですか?」
「…………本当に私なんかを?」

私は恐る恐るノエル様に確認した。

「ええ、私はリナリアを愛しています。心から」
「っ……!!」

ノエル様の瞳に見つめられた途端、私の心臓が飛び跳ねた。
そしてどくどくと心臓が脈打ち、私の身体全体に血を送っているのが感じ取れた。

「で、でも私……」

どんな返事をしたらいいのかが分からなくて、混乱した私は後ずさる。
もしかしたら、と思うことは今まであった。
しかし本当にノエル様が好意を寄せてくれているなんて考えたこともなかった。
ノエル様が私を好きだなんて、そんな幸せなことあっていいはずがない、と今まで思っていた。
ノエル様と目が合う。
無理だ。顔に熱が昇って、ノエル様の顔を直視できない。
後退り続けた私はついに扉に当たった。
私はハッとなって扉を開けると、部屋から逃げ出した。
いても経ってもいられなくなった私は弾かれるように走り出した。




「はぁっ……! はぁっ……!」

私は花園へと走って来た。
ここなら背の高い生垣が私を隠してくれる。
ここまで走ってきたからなのか、それとも別の理由なのか、ずっと大きな音で鳴っている心臓を落ちつかせるために私はしゃがみ込む。
両手を頬に当てた。まだ熱い。

「ノエル様が、私のことを、好き……」

私は噛み締めるようにその言葉を呟く。
その言葉は呟くだけで私の心を幸せで満たして、今まで感じたことの無いような感情を溢れさせた。

「う……」

胸に苦しさを感じて呻く。
だけどそれは寂しさを感じて胸が締めつけられる時のような苦しさではない。
胸の内から溢れ出す感情を抑えきれない苦しさだった。
視界の中に、ひらひらと花弁が落ちてきた。
その花の名前は私の名前と同じ、リナリアの花だった。
リナリアの花言葉は『この恋に気付いて』。

「…………私は」

もう誤魔化せない。
もう目を逸せない。
だって、分かってしまったのだから。

「…………好き」

どれだけ抑えようとしても溢れ出すこの感情を。何度深呼吸しようとも鳴り止まないこの鼓動を。
きっと、恋というのだ。

「私はノエル様が…………好き」

私は、ノエル様が好きなのだ。
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