婚約破棄にはなりました。が、それはあなたの「ため」じゃなく、あなたの「せい」です。

百谷シカ

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9 誓いのキス

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 恐ろしい出来事だった。
 けれど、それがあって私たちは出会い、今この時がある。

 蝋燭の灯がゆれる。
 古い書物や、地球儀、それに鳥の絵が印象的な、父のそれとは違う書斎。

 夫の机に歩み寄りながら、私は言葉を発した。


「真面目な方なので、気持ちに偽りはないと思います」

「君を守らず見棄てるような男だ。誰からも愛された事がないのかもしれないな」

 
 呟きは個人的なもので、私へ同意を求めている雰囲気はない。
 

「ルート」


 徐に私の名を呼んで、立ち上がる。
 あの一件以来、私たちの間には確かに感情的な繋がりが芽生えていた。だから、こうしてふたりきりの夜にそっと名前を呼ばれるだけで、体が芯から熱を持ち、胸が高鳴り、なにかを期待してしまう。

 蝋燭の灯に照らされて、随分と年上の夫はどこか思いつめたように、それでいて包み込むように、優しい表情に陰影を刻む。


「私は君を守ると言った」

「はい」

「それはこれからも変わらない。脅威があろうと、なかろうと、この生涯を通し、死した後も君を守る。君の夫だからだ」

「……はい」


 傍まで来ると、彼は静かに私を見おろした。
 決して威圧的ではないのに、鋲をさされたように、身動きができなくなる。


「ただひとつ、訂正がある。ある発言を取り消したい」

「はい」

「恋は、ここだけにしてくれ」

 
 それは魔法のようだった。
 どちらともなく微笑んで、私たちは抱きあい、口づけを交わした。

 大きな彼の体に腕を回し、胸元に寄り添いながら彼を見あげる。
 安心して甘えられるのに、それ以上の喜びを期待してしまう。

 この気持ちに名前を付けるなら、間違いなく恋だった。


「この結婚は、神に誓った。だから今、改めて君に誓う。ルート、愛している。君の夫として、捧げられるものはすべて捧げる。君に、愛を誓う」


 再び唇か重なった。
 これほどまでに熱い愛を、私は知らなかった。

 
「私も誓います」


 重なり合う唇がわずかに離れた瞬間に、吐息と共に応えた。
 
 誓いは、生涯を通してのもの。
 今の私にできる事は少なく、限られているけれど、時間をかけてきっと……報いや感謝だけではなく、愛を伝えられるはず。

 なぜなら、確かに育まれた愛の種が芽吹く瞬間の熱さを私は感じたから。そしてその火種が、胸の奥深くで私を燃やし、私を生かし続けるから。

 共に歩んでいくのだ。
 私たちは、ふたりでひとつの人生を歩む。


「愛しています」


 この幸せにも、濃淡があるだろう。でも、どんな時も、言葉通り、病める時も健やかなる時も、悲しみに沈む日も、喜びの歌を歌う日も、この人と愛を育んでいこう。

 ほかでもない、私たちのために。


     
                               (終)
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