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17 夏が来て、そして……
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手紙にあった通り、嵐のあとから急に暑くなった。
でも……散々脅されたわりに、それほどでもないというのが本音だ。
「あら、太陽が。元気ね」
夫人までふざけているのか、窓辺でそんな事を言っていた。
ロビンとルーカスは毎年、互いに調整して同日こちらに到着するらしい。
あと十日。九日。八日……そんなふうに毎日考えてしまうのが心底悔しいのに、どこか甘酸っぱい気持ちで物思いに耽ってしまう私がいた。
そしてそういう私を見て、ダーガはにやにや笑い、夫人もしたり顔で微笑んだりする。
やめてほしい。
ルーカスと私には計画がある。
浮ついた気持ちで夏を待ち侘びる仲ではない。
あと二日という晴れた初夏の昼下がり、城内がふいに慌ただしくなり、夫人が呼び出された。サンルームに残された私たちは後から事情を知らされる。
初めての妊娠である若奥様セレスティーヌが体調を崩したとの事。
「……」
嫌な気持ちになった。
セレスティーヌは未来のフォンタニエ伯爵を産むかもしれない。娘なら、この夫妻は格上の相手に嫁がせようと画策するかもしれない。
いずれにしても、セレスティーヌは順風満帆。
体調を崩してやっと苦労の一つでもすると思えば、もっと気分が晴れてもいいはずだった。憎い腹違いの妹。私から全てを奪っていった、性格の悪い残忍な女。
でも……お腹の子に罪はない。
無事に産まれてほしい。
父にとって初孫だし、私は、たとえこの先こどもを産んだとしても父に会わせられる保証はない。そもそもそんな予定すらない。
だから、あれほど憎んだセレスティーヌを心配してしまって、激しく悔しい。
若奥様がセレスティーヌでなければよかったのに。
「……あぁ」
くだらない事を考えてしまった。
翌日になると、セレスティーヌのために主治医が続き部屋で寝泊まりするようになった。
「ここの坊ちゃんは青い血でも流れてるのかね。若奥様を脅した上に、しばらく寝室を分けるそうだよ」
夜、寝支度を整えながらダーガが呆れた声で言った。
「そして明日からは友達と夏を満喫するのよ」
なんて最悪な夫。
ウィリアムが相手という事については、ざまあみろと言ってやりたい。
でも、互いに愛を求めていない夫婦だとしたら、痛くも痒くもないのよね。セレスティーヌ……しぶとい女。
「ああ、やった。ついに明日だね!」
「……」
話題が変わってしまった。
ダーガが目を爛々とさせて私のほうを見て笑う。なんとまあ、噂好きのメイドに成り下がったこと。女囚の中では誰も逆らえない恐ろしい狂人ダーガ様だったのに。
私のせいね。
「香水のあと、手紙ばっかしでなんもくれなかったから。きっとその分いい物を持って来るよ」
「物を貰っても困るわ。狭い部屋なんだから」
「私が大部屋に移るのが先か、マルタが個室を与えられるのが先か」
「寝ましょう。物を貰えないとしても、喧しいカロン伯爵令息は来るのよ。忙しくなる」
「あんなのどうでもいいよ」
ダーガの中でロビンの株が下がっている。
ルーカスのように手紙や贈り物を寄こすという事もなく、私たちの間には全く何もないから、つまらないらしい。
──マルタ。僕と一緒においで?
──君が、好きなんだ。
「……」
今日、今、やっと思い出した。
メイドのマルタはカロン伯爵令息ロビン・ヴァールグレーンに告白されたという事を。
──あれは運命だったんだ。
「……」
あの瞬間の記憶が蘇る。
「……あ」
──夏、いらっしゃるまでに……お考えになってください
──私が……ロビン様と、そういう運命なのか……
「!」
パシンと額を叩いた。
「マルタ?」
ダーガの声がひっくり返る。
しまった。
本当に忘れていたわ。
面倒な種を撒いてしまった。
「どした?」
「……蚊が、止まった気がして」
「ああ、ハッカを貰ってこなきゃね」
「そうね」
それに自覚してしまった。
ルーカスの事で頭がいっぱいだった。
完全に掌の上で転がされている。
──俺を待てるか?
──誰の物にもなるな。
「……っ」
ああ、嫌。
胸が苦しい。
顔が火照って、とても気まずい。
明日なんて永遠に来なきゃいいのに。
「おやすみぃ~」
ダーガがわざといやらしく笑いながら言って、ランプの灯を消した。
甘く優しい夜の闇に囚われる。
私は夫人から、二人を出迎えるように言われている。
当然、他の使用人たちに紛れて、メイドの一人として。
今夜寝て、起きたら身支度を整えて、朝の掃除をして、夫人の横で刺繍をして……そして……
「枕に顔を埋める夜が、生身の男の胸に顔を埋める夜に」
「やめてよ!」
強めに言っても、ダーガは軽く笑うだけ。
何より手に負えないのは、揶揄ってくるダーガよりずっと厄介なルーカス本人。そして彼と再会しなければいけない、私自身かもしれない。
でも……散々脅されたわりに、それほどでもないというのが本音だ。
「あら、太陽が。元気ね」
夫人までふざけているのか、窓辺でそんな事を言っていた。
ロビンとルーカスは毎年、互いに調整して同日こちらに到着するらしい。
あと十日。九日。八日……そんなふうに毎日考えてしまうのが心底悔しいのに、どこか甘酸っぱい気持ちで物思いに耽ってしまう私がいた。
そしてそういう私を見て、ダーガはにやにや笑い、夫人もしたり顔で微笑んだりする。
やめてほしい。
ルーカスと私には計画がある。
浮ついた気持ちで夏を待ち侘びる仲ではない。
あと二日という晴れた初夏の昼下がり、城内がふいに慌ただしくなり、夫人が呼び出された。サンルームに残された私たちは後から事情を知らされる。
初めての妊娠である若奥様セレスティーヌが体調を崩したとの事。
「……」
嫌な気持ちになった。
セレスティーヌは未来のフォンタニエ伯爵を産むかもしれない。娘なら、この夫妻は格上の相手に嫁がせようと画策するかもしれない。
いずれにしても、セレスティーヌは順風満帆。
体調を崩してやっと苦労の一つでもすると思えば、もっと気分が晴れてもいいはずだった。憎い腹違いの妹。私から全てを奪っていった、性格の悪い残忍な女。
でも……お腹の子に罪はない。
無事に産まれてほしい。
父にとって初孫だし、私は、たとえこの先こどもを産んだとしても父に会わせられる保証はない。そもそもそんな予定すらない。
だから、あれほど憎んだセレスティーヌを心配してしまって、激しく悔しい。
若奥様がセレスティーヌでなければよかったのに。
「……あぁ」
くだらない事を考えてしまった。
翌日になると、セレスティーヌのために主治医が続き部屋で寝泊まりするようになった。
「ここの坊ちゃんは青い血でも流れてるのかね。若奥様を脅した上に、しばらく寝室を分けるそうだよ」
夜、寝支度を整えながらダーガが呆れた声で言った。
「そして明日からは友達と夏を満喫するのよ」
なんて最悪な夫。
ウィリアムが相手という事については、ざまあみろと言ってやりたい。
でも、互いに愛を求めていない夫婦だとしたら、痛くも痒くもないのよね。セレスティーヌ……しぶとい女。
「ああ、やった。ついに明日だね!」
「……」
話題が変わってしまった。
ダーガが目を爛々とさせて私のほうを見て笑う。なんとまあ、噂好きのメイドに成り下がったこと。女囚の中では誰も逆らえない恐ろしい狂人ダーガ様だったのに。
私のせいね。
「香水のあと、手紙ばっかしでなんもくれなかったから。きっとその分いい物を持って来るよ」
「物を貰っても困るわ。狭い部屋なんだから」
「私が大部屋に移るのが先か、マルタが個室を与えられるのが先か」
「寝ましょう。物を貰えないとしても、喧しいカロン伯爵令息は来るのよ。忙しくなる」
「あんなのどうでもいいよ」
ダーガの中でロビンの株が下がっている。
ルーカスのように手紙や贈り物を寄こすという事もなく、私たちの間には全く何もないから、つまらないらしい。
──マルタ。僕と一緒においで?
──君が、好きなんだ。
「……」
今日、今、やっと思い出した。
メイドのマルタはカロン伯爵令息ロビン・ヴァールグレーンに告白されたという事を。
──あれは運命だったんだ。
「……」
あの瞬間の記憶が蘇る。
「……あ」
──夏、いらっしゃるまでに……お考えになってください
──私が……ロビン様と、そういう運命なのか……
「!」
パシンと額を叩いた。
「マルタ?」
ダーガの声がひっくり返る。
しまった。
本当に忘れていたわ。
面倒な種を撒いてしまった。
「どした?」
「……蚊が、止まった気がして」
「ああ、ハッカを貰ってこなきゃね」
「そうね」
それに自覚してしまった。
ルーカスの事で頭がいっぱいだった。
完全に掌の上で転がされている。
──俺を待てるか?
──誰の物にもなるな。
「……っ」
ああ、嫌。
胸が苦しい。
顔が火照って、とても気まずい。
明日なんて永遠に来なきゃいいのに。
「おやすみぃ~」
ダーガがわざといやらしく笑いながら言って、ランプの灯を消した。
甘く優しい夜の闇に囚われる。
私は夫人から、二人を出迎えるように言われている。
当然、他の使用人たちに紛れて、メイドの一人として。
今夜寝て、起きたら身支度を整えて、朝の掃除をして、夫人の横で刺繍をして……そして……
「枕に顔を埋める夜が、生身の男の胸に顔を埋める夜に」
「やめてよ!」
強めに言っても、ダーガは軽く笑うだけ。
何より手に負えないのは、揶揄ってくるダーガよりずっと厄介なルーカス本人。そして彼と再会しなければいけない、私自身かもしれない。
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