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22 美しさの仮面(※ルーカス視点)
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四日目に気分よく部屋を出たら、友人二人は俺を置いて外出していた。ロビンに付き合って、ウィリアムまで湖に泳ぎに行ったらしい。
使用人の誰もが俺の体調を気遣ってくれるが、彼らはほとんど無表情で、それが義務だからそうしているように思えてならない。
ウィリアムとその父親は、あまり人間味のない男だ。
自己の気分が最優先で、他人の心などお構いなし。身の周りの人間を、神が配置してくれた駒だと本気で思っている節がある。
ただ言えるのは、父親のほう、サヴァチエ伯爵の領地経営は順調だと言う事。特に悪政というわけでもなく、税も高くも低くもない。警備は厳重だが、衛兵が悪さをすれば正しく罰せられる。
心はないが、悪人ではない。
息子とは大違いだ。
「さて、暇だな」
どこかでマルタと遭遇できないかなんて期待しながら城内を歩き回ったが、体調が悪くなってきて部屋に戻った。
すると、いた。
思いがけない人物が。
「……どうして、ここに……?」
ウィリアムの妻セレスティーヌが、ソファーで寝転んでいた。
メイドも連れず、一人で。
膨らみ始めた腹はモスリンの襞で覆われている。そこに手を当てて、妊婦らしく寛いでいたらしい。
俺に気づくと、むくりと起き上がった。
「ごきげんよう、マルクリー子爵。御挨拶が遅れてしまったけれど、構いませんね? 私たち、ままならない者同士ですもの」
「……」
「夫はこんな状態の私を放っておいて、ロビン卿と湖で泳ぐんですって。でも、心配はしていませんの。もう寝室をわけましたから、おかしな病気をうつされるような事はありませんし」
「……」
「といっても、今の内だけです。無事にこの子が生まれて私の体調が戻れば、また仲のよい夫婦に戻りますわ」
「……」
妊娠というより、発狂している?
ほとんど下着と変わらないような寝間着姿で、夫でもない男の部屋を訪ねるなんて。しかも一人でしゃべり続けている。楽しいのかわからないが、笑顔ではある。
……気味が悪い。
戸口で固まっていると、セレスティーヌが表情を変えた。
「ところで」
「?」
声音、表情。
突如として狂人ではなくなる。
セレスティーヌは激しい気質を顔つきで現し、睨むように俺を見あげた。
「忠告がありますの」
「……はあ」
油断ならない。
だが、妊婦となれば慎重に対応せらるを得ない。
「私、あなた方が到着した時、窓から見ていたんです。クラリッサ夫人が贔屓しているメイドに、夫が言い寄るのを」
「え?」
とぼけたふりをした。
セレスティーヌ。マルタの話をしに来たのか。身重の体を引き摺って。
嫌な女だ。
「そうですか? 気が付きませんでした」
「暑くて朦朧としてらしたのよ。それで、私へのお祝いを夫人に預けてくださったって聞いたわ。だから私が教えてあげなくてはと思ったの。あなたは気付いていませんのよ。それか、男だから軽く考えていらっしゃる」
「……何のことやら」
「夫人が贔屓にしているメイド。あれは碌な女ではありません」
なんだって?
それは君の事だろう、セレスティーヌ。
……という苛立ちを顔に出さないよう努める。
「ウィリアムに色目を使うような、身の程を弁えない穢れた生き物なのです」
聞くに堪えない。
それはマルタ個人への愛情があるかないかは関係ない。
醜い音が、不快だ。
「ああいう女は、貴族の男性に体を使って取入って、地位を得ようとしているのです。ちょうど今の私のように身篭りでもしたら、勝ったと踊り狂うような連中です」
「少し混乱しているようですね」
「そういう女ですから、手癖も相応に悪いのですわ。あなたが預けてくださったという私へのお祝い、きっと今頃、あの薄汚い鼠に汚されてしまいました」
「主治医はどこです?」
「盗んだかもしれません。きっとそうです。そうに違いないわ」
「人を呼びましょう」
俺は扉を開けて半身で廊下に出ると、声を張り上げた。
「おい! ここにセレスティーヌ夫人が来てるぞ! 誰かいないか!」
「あんな女の血が貴族の血筋を穢すような事はあってはならないのです」
「主治医を呼んでくれ! 妊婦はここに来てる!」
「ウィリアムはまだ分別があります。でも、マルクリー子爵。あのお祝いで味を占め、あなたを利用するかもしれませんわ」
数人の使用人が廊下の角から飛び出して、こちらに向かって走ってくる。
「こっちだ! 様子がおかしい!」
足音を聞いてか、それとも俺に念を押すためか。
セレスティーヌがソファーから立ち上がり、俺を見据えたままぬるぬると忍び寄って来る。
「……!」
その美しい顔。
この中には悪魔がいる。
醜悪で残忍な悪魔が、美しい仮面を被っているだけだ。
俺の心がすっと冷えた。
そして、すぐ傍に立ったセレスティーヌに俺は言った。
「心配無用ですよ。あの贈り物はほとんど、あなたへという建前で夫人に預けた恋人への贈り物です」
「!」
「俺は彼女を愛している。彼女が盗んだのはあなたの物じゃない。俺の心だ」
「若奥様!」
使用人たちが到着し、セレスティーヌの体に躊躇いがちに触れた。
セレスティーヌは一変して軽やかに笑う。
「お礼を言いに来ただけよ。私に懐妊祝いをくれたから」
「わかりましたから、ほら、お部屋に戻りましょう」
「ウィリアム様がお留守の間に何かあっては大変ですよ」
「ルーカス様、ありがとうございます。皆で血眼になって探し回っておりました」
「もし必要とお考えでしたら、ルーカス様のお口からウィリアム様にお伝えください」
セレスティーヌを無視して俺に話しかける使用人たちが心配しているのは、妊婦逃亡の連帯責任でクビになるかもしれないという事だ。
「ああ、うまく言っておく」
「ありがとうございます!」
「さあ、若奥様。行きますよ」
慣れない獣を誘導するように、使用人たちはセレスティーヌを囲んで帰るべき場所へと向かい、じりじりと進んでいく。
深い溜息を吐いてその集団を見送った。
その時。
セレスティーヌがふり向いて声を張った。
「利用されないで! 父のように!」
「──」
さっき冷えた心が凍てついた。
「私には腹違いの女のきょうだいがいたの! 父を誑かした平民の娘! 汚れた血を綺麗にするのは大変なのよ! 私がどれだけ苦労したと思っているの!? あなたは正しい選択をして!!」
使用人の誰もが俺の体調を気遣ってくれるが、彼らはほとんど無表情で、それが義務だからそうしているように思えてならない。
ウィリアムとその父親は、あまり人間味のない男だ。
自己の気分が最優先で、他人の心などお構いなし。身の周りの人間を、神が配置してくれた駒だと本気で思っている節がある。
ただ言えるのは、父親のほう、サヴァチエ伯爵の領地経営は順調だと言う事。特に悪政というわけでもなく、税も高くも低くもない。警備は厳重だが、衛兵が悪さをすれば正しく罰せられる。
心はないが、悪人ではない。
息子とは大違いだ。
「さて、暇だな」
どこかでマルタと遭遇できないかなんて期待しながら城内を歩き回ったが、体調が悪くなってきて部屋に戻った。
すると、いた。
思いがけない人物が。
「……どうして、ここに……?」
ウィリアムの妻セレスティーヌが、ソファーで寝転んでいた。
メイドも連れず、一人で。
膨らみ始めた腹はモスリンの襞で覆われている。そこに手を当てて、妊婦らしく寛いでいたらしい。
俺に気づくと、むくりと起き上がった。
「ごきげんよう、マルクリー子爵。御挨拶が遅れてしまったけれど、構いませんね? 私たち、ままならない者同士ですもの」
「……」
「夫はこんな状態の私を放っておいて、ロビン卿と湖で泳ぐんですって。でも、心配はしていませんの。もう寝室をわけましたから、おかしな病気をうつされるような事はありませんし」
「……」
「といっても、今の内だけです。無事にこの子が生まれて私の体調が戻れば、また仲のよい夫婦に戻りますわ」
「……」
妊娠というより、発狂している?
ほとんど下着と変わらないような寝間着姿で、夫でもない男の部屋を訪ねるなんて。しかも一人でしゃべり続けている。楽しいのかわからないが、笑顔ではある。
……気味が悪い。
戸口で固まっていると、セレスティーヌが表情を変えた。
「ところで」
「?」
声音、表情。
突如として狂人ではなくなる。
セレスティーヌは激しい気質を顔つきで現し、睨むように俺を見あげた。
「忠告がありますの」
「……はあ」
油断ならない。
だが、妊婦となれば慎重に対応せらるを得ない。
「私、あなた方が到着した時、窓から見ていたんです。クラリッサ夫人が贔屓しているメイドに、夫が言い寄るのを」
「え?」
とぼけたふりをした。
セレスティーヌ。マルタの話をしに来たのか。身重の体を引き摺って。
嫌な女だ。
「そうですか? 気が付きませんでした」
「暑くて朦朧としてらしたのよ。それで、私へのお祝いを夫人に預けてくださったって聞いたわ。だから私が教えてあげなくてはと思ったの。あなたは気付いていませんのよ。それか、男だから軽く考えていらっしゃる」
「……何のことやら」
「夫人が贔屓にしているメイド。あれは碌な女ではありません」
なんだって?
それは君の事だろう、セレスティーヌ。
……という苛立ちを顔に出さないよう努める。
「ウィリアムに色目を使うような、身の程を弁えない穢れた生き物なのです」
聞くに堪えない。
それはマルタ個人への愛情があるかないかは関係ない。
醜い音が、不快だ。
「ああいう女は、貴族の男性に体を使って取入って、地位を得ようとしているのです。ちょうど今の私のように身篭りでもしたら、勝ったと踊り狂うような連中です」
「少し混乱しているようですね」
「そういう女ですから、手癖も相応に悪いのですわ。あなたが預けてくださったという私へのお祝い、きっと今頃、あの薄汚い鼠に汚されてしまいました」
「主治医はどこです?」
「盗んだかもしれません。きっとそうです。そうに違いないわ」
「人を呼びましょう」
俺は扉を開けて半身で廊下に出ると、声を張り上げた。
「おい! ここにセレスティーヌ夫人が来てるぞ! 誰かいないか!」
「あんな女の血が貴族の血筋を穢すような事はあってはならないのです」
「主治医を呼んでくれ! 妊婦はここに来てる!」
「ウィリアムはまだ分別があります。でも、マルクリー子爵。あのお祝いで味を占め、あなたを利用するかもしれませんわ」
数人の使用人が廊下の角から飛び出して、こちらに向かって走ってくる。
「こっちだ! 様子がおかしい!」
足音を聞いてか、それとも俺に念を押すためか。
セレスティーヌがソファーから立ち上がり、俺を見据えたままぬるぬると忍び寄って来る。
「……!」
その美しい顔。
この中には悪魔がいる。
醜悪で残忍な悪魔が、美しい仮面を被っているだけだ。
俺の心がすっと冷えた。
そして、すぐ傍に立ったセレスティーヌに俺は言った。
「心配無用ですよ。あの贈り物はほとんど、あなたへという建前で夫人に預けた恋人への贈り物です」
「!」
「俺は彼女を愛している。彼女が盗んだのはあなたの物じゃない。俺の心だ」
「若奥様!」
使用人たちが到着し、セレスティーヌの体に躊躇いがちに触れた。
セレスティーヌは一変して軽やかに笑う。
「お礼を言いに来ただけよ。私に懐妊祝いをくれたから」
「わかりましたから、ほら、お部屋に戻りましょう」
「ウィリアム様がお留守の間に何かあっては大変ですよ」
「ルーカス様、ありがとうございます。皆で血眼になって探し回っておりました」
「もし必要とお考えでしたら、ルーカス様のお口からウィリアム様にお伝えください」
セレスティーヌを無視して俺に話しかける使用人たちが心配しているのは、妊婦逃亡の連帯責任でクビになるかもしれないという事だ。
「ああ、うまく言っておく」
「ありがとうございます!」
「さあ、若奥様。行きますよ」
慣れない獣を誘導するように、使用人たちはセレスティーヌを囲んで帰るべき場所へと向かい、じりじりと進んでいく。
深い溜息を吐いてその集団を見送った。
その時。
セレスティーヌがふり向いて声を張った。
「利用されないで! 父のように!」
「──」
さっき冷えた心が凍てついた。
「私には腹違いの女のきょうだいがいたの! 父を誑かした平民の娘! 汚れた血を綺麗にするのは大変なのよ! 私がどれだけ苦労したと思っているの!? あなたは正しい選択をして!!」
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