上 下
23 / 33

23 笑う伯爵夫人

しおりを挟む
 ロビンがウィリアムと湖に泳ぎに行くということで、その雑用に回されそうになった。というのも、ウィリアムが私を名指したせいだ。

 それで夫人が「どうしても外せない用事」で「マルタにしか任せられない」ので「絶対に連れて行かせない」と突っぱねてくれた。

 ルーカスからの贈り物があってから、シモンヌも無表情ながら協力的。私がなにかしら訳ありの貴族令嬢だと思い始めているような節が、言葉遣いに現れていた。


「はぁ。勇ましいのはいいけれど、男の子って嫌ね」


 本気でそう思っているのね、クラリッサ。
 夏の太陽を元気ねと詰った時と同じ顔をしている。

 どうしても外せない用事はいつも通りの刺繍。
 せっせと針を動かしながら、夫人のお喋りに付き合う。

 母を通した絆は感じなくもないけれど、やっぱり、同じ立場でお喋りするわけにはいかない。

 ──コンコン

 軽いノックの音にシモンヌが対応する。
 

「奥様。御手紙です」

「あら。どなたかしら。この時期マーリンは忙しくて手紙どころじゃないはず……」

「……」

「……」


 夫人なりの冗談かもしれないのよ。
 だけど、私とシモンヌは反応できなかった。

 でもシモンヌのほうが先に平常心を取り戻した。
 すたすたとこちらに歩いてくると、夫人に手紙を手渡した。


「どうぞ」

「──」


 夫人が静かに目を見開く。

 もちろん、差出人を盗み見るような事はしない。
 夫人から次の話題として提供されれば、話は別だけど。


「……ありがとう、シモンヌ」

「?」


 らしくない、上の空の労い。
 シモンヌはいつも通り、さっと深い会釈をして傍に控えた。


「……」


 夫人が、手紙を読んでいる。
 その間も、私は手を動かす。

 やがて手紙を読み終えると、夫人は静かにそれを畳み、封筒に収めた。そして、静かな安堵の表情を浮かべる。

 
「……」


 何か、いい事があったのね。
 あなたがそうして、優しい性格だからではなくて、自分のために微笑むのを見ると、私はとても安心するの。

 ──コンコン


「?」


 シモンヌが素早く対応する。

 今日はどうも、頻繁に用事が舞い込む日らしい。
 戸口で用件を聞いたシモンヌも、どこか腑に落ちない様子で戻ってきた。


「あの……奥様」

「なあに」

「少々失礼いたします。ルーカス様が、私をお探しとのことなので……」

「え?」


 と、声に出したのは夫人。

 私は少し意外だなとは思ったものの、なんとなく納得した。私への用件を取り次がせてしまう形に、なし崩しになってしまったのだ。少し申し訳ない。


「何かしら。ね?」


 夫人もきょとんと私に目を向ける。
 
 しばらくして戻って来たシモンヌから報告を受けても、夫人はきょとんとしていた。


「ルーカス様が、奥様と内密にお話ししたいとのことです」

「え?」

「できれば、その……マルタ抜きで」

「どうして? 一緒にいたらいいわ。そのほうがいい。マルタ、いいわね?」


 私の立場では、ハイと頷くだけだ。


「はい」

「さようでございますか」


 シモンヌ、そんな顔しないで。
 無表情にそこはかとない呆れが滲み出ているわよ。

 
「では、マルタも同席とお伝えいたしますか? それとも奥様と二人だけでの密談という形で承っておいて、喜んでいただきますか?」

「喜ばせましょう」

「畏まりました」


 ルーカスに返事をするため、また部屋を出ようという時。
 シモンヌが意味深な一瞥をくれた。

 まるで心配されているような気がした。

 そしてほんの小一時間後、ルーカスは夫人の部屋へやってきた。入って来るなり私を目に留め、一瞬は驚いたみたい。でもすぐ夫人にさっぱりした挨拶を済ませ、話し始めた。


「実は今日、思いがけない事がありまして」


 ルーカスの部屋にセレスティーヌが侵入して騒いだという話に、私は驚愕した。

 私に対しての悪意だったはずなのに……
 彼女はもはや、悪意そのものなのだ。

 私以外にそんなことを言うなんて。
 マルタは私だけれどイリスではないし、ルーカスなんて部外者だ。

 いくらなんでも立場が悪くなるでしょうに。
 まさか、それもわからないの?
 妊娠して不安定なせい?


「……ふふっ」


 夫人が小さな笑い声を洩らす。


「ふふ……っ、く、うふふ……」

「……奥様?」


 無垢な笑い声は、とても自然で彼女らしい。
 でも、私はその内側にある憎しみを知っていた。

 だから、夫人が今とても可憐な乙女のように笑っているのは、悪意の為。

 ルーカスも言葉を失っている。
 そのセレスティーヌの後にこのクラリッサなのだから、気持ちはわからないでもない。


「……はぁ、可笑しい」


 一頻り笑った夫人が、恥じらうように口元を隠した。


「あの人、自分を美しい蝶だと思い込んでいる。本当は醜い蛾だというのに」

「……」

「マルクリー卿、木のおばけをご存知?」

「……御伽噺に出てくるような、あれですか?」

「そう。自分を蝶だと思い込んだ蛾は、森を支配していると信じていて好き勝手飛び回るの。だけど最後は食べられてしまうのよ」
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

イアン・ラッセルは婚約破棄したい

BL / 完結 24h.ポイント:31,083pt お気に入り:1,593

妹と違って無能な姉だと蔑まれてきましたが、実際は逆でした

恋愛 / 完結 24h.ポイント:489pt お気に入り:5,360

幼馴染の企み

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,973pt お気に入り:31

【完結】記憶を失くした貴方には、わたし達家族は要らないようです

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,563pt お気に入り:3,799

女装魔法使いと嘘を探す旅

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:134pt お気に入り:8

待ち遠しかった卒業パーティー

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7,501pt お気に入り:1,299

処理中です...