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23 笑う伯爵夫人
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ロビンがウィリアムと湖に泳ぎに行くということで、その雑用に回されそうになった。というのも、ウィリアムが私を名指したせいだ。
それで夫人が「どうしても外せない用事」で「マルタにしか任せられない」ので「絶対に連れて行かせない」と突っぱねてくれた。
ルーカスからの贈り物があってから、シモンヌも無表情ながら協力的。私がなにかしら訳ありの貴族令嬢だと思い始めているような節が、言葉遣いに現れていた。
「はぁ。勇ましいのはいいけれど、男の子って嫌ね」
本気でそう思っているのね、クラリッサ。
夏の太陽を元気ねと詰った時と同じ顔をしている。
どうしても外せない用事はいつも通りの刺繍。
せっせと針を動かしながら、夫人のお喋りに付き合う。
母を通した絆は感じなくもないけれど、やっぱり、同じ立場でお喋りするわけにはいかない。
──コンコン
軽いノックの音にシモンヌが対応する。
「奥様。御手紙です」
「あら。どなたかしら。この時期マーリンは忙しくて手紙どころじゃないはず……」
「……」
「……」
夫人なりの冗談かもしれないのよ。
だけど、私とシモンヌは反応できなかった。
でもシモンヌのほうが先に平常心を取り戻した。
すたすたとこちらに歩いてくると、夫人に手紙を手渡した。
「どうぞ」
「──」
夫人が静かに目を見開く。
もちろん、差出人を盗み見るような事はしない。
夫人から次の話題として提供されれば、話は別だけど。
「……ありがとう、シモンヌ」
「?」
らしくない、上の空の労い。
シモンヌはいつも通り、さっと深い会釈をして傍に控えた。
「……」
夫人が、手紙を読んでいる。
その間も、私は手を動かす。
やがて手紙を読み終えると、夫人は静かにそれを畳み、封筒に収めた。そして、静かな安堵の表情を浮かべる。
「……」
何か、いい事があったのね。
あなたがそうして、優しい性格だからではなくて、自分のために微笑むのを見ると、私はとても安心するの。
──コンコン
「?」
シモンヌが素早く対応する。
今日はどうも、頻繁に用事が舞い込む日らしい。
戸口で用件を聞いたシモンヌも、どこか腑に落ちない様子で戻ってきた。
「あの……奥様」
「なあに」
「少々失礼いたします。ルーカス様が、私をお探しとのことなので……」
「え?」
と、声に出したのは夫人。
私は少し意外だなとは思ったものの、なんとなく納得した。私への用件を取り次がせてしまう形に、なし崩しになってしまったのだ。少し申し訳ない。
「何かしら。ね?」
夫人もきょとんと私に目を向ける。
しばらくして戻って来たシモンヌから報告を受けても、夫人はきょとんとしていた。
「ルーカス様が、奥様と内密にお話ししたいとのことです」
「え?」
「できれば、その……マルタ抜きで」
「どうして? 一緒にいたらいいわ。そのほうがいい。マルタ、いいわね?」
私の立場では、ハイと頷くだけだ。
「はい」
「さようでございますか」
シモンヌ、そんな顔しないで。
無表情にそこはかとない呆れが滲み出ているわよ。
「では、マルタも同席とお伝えいたしますか? それとも奥様と二人だけでの密談という形で承っておいて、喜んでいただきますか?」
「喜ばせましょう」
「畏まりました」
ルーカスに返事をするため、また部屋を出ようという時。
シモンヌが意味深な一瞥をくれた。
まるで心配されているような気がした。
そしてほんの小一時間後、ルーカスは夫人の部屋へやってきた。入って来るなり私を目に留め、一瞬は驚いたみたい。でもすぐ夫人にさっぱりした挨拶を済ませ、話し始めた。
「実は今日、思いがけない事がありまして」
ルーカスの部屋にセレスティーヌが侵入して騒いだという話に、私は驚愕した。
私に対しての悪意だったはずなのに……
彼女はもはや、悪意そのものなのだ。
私以外にそんなことを言うなんて。
マルタは私だけれどイリスではないし、ルーカスなんて部外者だ。
いくらなんでも立場が悪くなるでしょうに。
まさか、それもわからないの?
妊娠して不安定なせい?
「……ふふっ」
夫人が小さな笑い声を洩らす。
「ふふ……っ、く、うふふ……」
「……奥様?」
無垢な笑い声は、とても自然で彼女らしい。
でも、私はその内側にある憎しみを知っていた。
だから、夫人が今とても可憐な乙女のように笑っているのは、悪意の為。
ルーカスも言葉を失っている。
そのセレスティーヌの後にこのクラリッサなのだから、気持ちはわからないでもない。
「……はぁ、可笑しい」
一頻り笑った夫人が、恥じらうように口元を隠した。
「あの人、自分を美しい蝶だと思い込んでいる。本当は醜い蛾だというのに」
「……」
「マルクリー卿、木のおばけをご存知?」
「……御伽噺に出てくるような、あれですか?」
「そう。自分を蝶だと思い込んだ蛾は、森を支配していると信じていて好き勝手飛び回るの。だけど最後は食べられてしまうのよ」
それで夫人が「どうしても外せない用事」で「マルタにしか任せられない」ので「絶対に連れて行かせない」と突っぱねてくれた。
ルーカスからの贈り物があってから、シモンヌも無表情ながら協力的。私がなにかしら訳ありの貴族令嬢だと思い始めているような節が、言葉遣いに現れていた。
「はぁ。勇ましいのはいいけれど、男の子って嫌ね」
本気でそう思っているのね、クラリッサ。
夏の太陽を元気ねと詰った時と同じ顔をしている。
どうしても外せない用事はいつも通りの刺繍。
せっせと針を動かしながら、夫人のお喋りに付き合う。
母を通した絆は感じなくもないけれど、やっぱり、同じ立場でお喋りするわけにはいかない。
──コンコン
軽いノックの音にシモンヌが対応する。
「奥様。御手紙です」
「あら。どなたかしら。この時期マーリンは忙しくて手紙どころじゃないはず……」
「……」
「……」
夫人なりの冗談かもしれないのよ。
だけど、私とシモンヌは反応できなかった。
でもシモンヌのほうが先に平常心を取り戻した。
すたすたとこちらに歩いてくると、夫人に手紙を手渡した。
「どうぞ」
「──」
夫人が静かに目を見開く。
もちろん、差出人を盗み見るような事はしない。
夫人から次の話題として提供されれば、話は別だけど。
「……ありがとう、シモンヌ」
「?」
らしくない、上の空の労い。
シモンヌはいつも通り、さっと深い会釈をして傍に控えた。
「……」
夫人が、手紙を読んでいる。
その間も、私は手を動かす。
やがて手紙を読み終えると、夫人は静かにそれを畳み、封筒に収めた。そして、静かな安堵の表情を浮かべる。
「……」
何か、いい事があったのね。
あなたがそうして、優しい性格だからではなくて、自分のために微笑むのを見ると、私はとても安心するの。
──コンコン
「?」
シモンヌが素早く対応する。
今日はどうも、頻繁に用事が舞い込む日らしい。
戸口で用件を聞いたシモンヌも、どこか腑に落ちない様子で戻ってきた。
「あの……奥様」
「なあに」
「少々失礼いたします。ルーカス様が、私をお探しとのことなので……」
「え?」
と、声に出したのは夫人。
私は少し意外だなとは思ったものの、なんとなく納得した。私への用件を取り次がせてしまう形に、なし崩しになってしまったのだ。少し申し訳ない。
「何かしら。ね?」
夫人もきょとんと私に目を向ける。
しばらくして戻って来たシモンヌから報告を受けても、夫人はきょとんとしていた。
「ルーカス様が、奥様と内密にお話ししたいとのことです」
「え?」
「できれば、その……マルタ抜きで」
「どうして? 一緒にいたらいいわ。そのほうがいい。マルタ、いいわね?」
私の立場では、ハイと頷くだけだ。
「はい」
「さようでございますか」
シモンヌ、そんな顔しないで。
無表情にそこはかとない呆れが滲み出ているわよ。
「では、マルタも同席とお伝えいたしますか? それとも奥様と二人だけでの密談という形で承っておいて、喜んでいただきますか?」
「喜ばせましょう」
「畏まりました」
ルーカスに返事をするため、また部屋を出ようという時。
シモンヌが意味深な一瞥をくれた。
まるで心配されているような気がした。
そしてほんの小一時間後、ルーカスは夫人の部屋へやってきた。入って来るなり私を目に留め、一瞬は驚いたみたい。でもすぐ夫人にさっぱりした挨拶を済ませ、話し始めた。
「実は今日、思いがけない事がありまして」
ルーカスの部屋にセレスティーヌが侵入して騒いだという話に、私は驚愕した。
私に対しての悪意だったはずなのに……
彼女はもはや、悪意そのものなのだ。
私以外にそんなことを言うなんて。
マルタは私だけれどイリスではないし、ルーカスなんて部外者だ。
いくらなんでも立場が悪くなるでしょうに。
まさか、それもわからないの?
妊娠して不安定なせい?
「……ふふっ」
夫人が小さな笑い声を洩らす。
「ふふ……っ、く、うふふ……」
「……奥様?」
無垢な笑い声は、とても自然で彼女らしい。
でも、私はその内側にある憎しみを知っていた。
だから、夫人が今とても可憐な乙女のように笑っているのは、悪意の為。
ルーカスも言葉を失っている。
そのセレスティーヌの後にこのクラリッサなのだから、気持ちはわからないでもない。
「……はぁ、可笑しい」
一頻り笑った夫人が、恥じらうように口元を隠した。
「あの人、自分を美しい蝶だと思い込んでいる。本当は醜い蛾だというのに」
「……」
「マルクリー卿、木のおばけをご存知?」
「……御伽噺に出てくるような、あれですか?」
「そう。自分を蝶だと思い込んだ蛾は、森を支配していると信じていて好き勝手飛び回るの。だけど最後は食べられてしまうのよ」
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