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初日が成功し、飛び込みの取材も終え、私たちは夕食を囲んでいた。言いだしっぺは日高。精をつけようと、焼肉かエスニックで意見が割れて、劇場そばのタイ料理専門店に落ち着いたのが1時間前、みんな出来上がっている。私は帰ろうと思ったけれど、長谷に縋るように引きとめられて、流された。もちろん、みんなといるのは楽しい。それにミーチャもいる。もちろん、初日は静かに反省したいというタイプの演者さんもいて、加納は早々に帰ってしまった。ダンサーの女の子のなかにも、体力が続くか不安だと言って、中日まで静かに様子を見るという子も何人かいた。子役は全員、お母さんのお迎えでいっせいに帰った。今頃はもう夢の中だ。ポルトノフ氏は約束があるらしく、意外だったけれど雲田さんも帰った。
はじめは、箸の持ち方だった。丸テーブルを3つ占拠して、勝手に席を移りながらほとんど宴会のようになっていた。私はもともと騒ぐほうでもないし、興奮しているせいか食欲もあって、楽しそうなみんなを眺めて楽しんでいたのだ。油断していた。隣に、突然、ミーチャが座った。右側。急に、右半分の体温があがって、じわじわと全体をあたためていく。頬が熱い。顔が赤いといわれたら、酔ったことにすればいい。飲んでないけど。
「まりたん。おいしい?」
ちょうど口に豆料理が入ったところで、私は斜めに見あげながら何度も頷いた。メニューがまったく読めないけれど、大豆とセリのような葉もの野菜と鶏肉の炒め物で、香辛料がきいていとても美味しかった。
低く嗄れたような声で拙い日本語をぽつぽつと話す彼は、とても可愛い。甘えん坊の大型犬といるみたい。それも、特大の。
「ぼくも」
握った拳から、箸がX字に飛び出していた。機嫌をとるように、少し肩をすくめて笑う。くしゃっと目尻に皺ができた。
「ぼくも。まりたん。たべる」
おかしな意味に聞こえるけれど、もちろん彼にそんなつもりはない。にこにこしながらXの拳を私に寄せる。箸の使い方が知りたいのね。
「豆でいいの?」
「ぼくたべる」
彼が屈みこみ、肩がふれる。男性と子どもは基礎体温が高いというけれど、逞しい弾力からは熱がそれほど感じられない。注意深く探ると、お酒の匂いもなかった。日高でさえ鼻を赤くしているのに。
彼は白いセーターを着ている。ごぼしたら、しみになってしまう。近くのナプキンを取り、私はまず自分の襟に角をさして前を覆った。もう一枚を彼に、笑って促す。彼も笑いながら何か言って、前を隠した。
「こうよ」
右のてのひらを立てて、水平にそろえた箸を垂直に、親指と人差し指の股にはさむ。
「ダーァ~」
「次は……」
人差し指だけ立てたまま、中指、薬指、小指を丸め、親指を薬指の第一関節に寄せた。彼の手は大きく節くれだっている。爪まで、幅広で逞しい。見比べていると、どきどきした。
「つぎわぁ」
「次は」
箸の、上の一本をあげ、親指と人差し指でつまむ。最初、親指と人差し指の腹同士でつまんだために、彼の上の箸はそこを軸にねじれてしまった。ぼんやりと唸り、左手で調節しているけれど、なかなかうまくいかない。私は自分の手を彼の前へ出し、角度を変えながら、関節と関節の間の、曖昧な、しっくり来るポイントを示す。彼は何か言って、くしゃっと笑った。
頬が熱い。平気なふりは、得意。
「できる?」
「たべる」
「そうね、がんばって」
「がんばってぇ、たべるぅ」
かけ声にあわせて、彼は山を越えた。
「上手」
最後に、中指をあげて上の箸を支えれば、形は完成。感激の声をあげる彼を見て、私も嬉しくなった。上の端だけ動かすと、彼が真似る。でも彼は、車のワイパーのように、手首をしならせてすべてのゆびを動かしてしまう。動きはなめらかで、少しいやらしいけれど、手には小さすぎる箸が踊っているからおかしい。
「違うの。待って」
私は左手で上の箸をつまみ、上だけよ、と言いながら動かしたあと、下の箸をおさえた。もちろん自分の。彼はくしゃくしゃの笑顔のまままったりと何かを言って、目を寄せて箸を見つめる。そのうち、こよりを捻るような手つきになってしまったので、私は一度箸を置いた。
「こうよ。こう」
指を握った手を縦にして、人差し指と中指だけ、浅く上下に動かす。彼も箸を置いて、真似る。
「ンン~?」
リズムを刻む二本の指につられ、薬指がぴくんと跳ねた。私は自分の、薬指と小指を握った。彼もまた、真似る。私たちは顔の前で手を握り、ひたすら人差し指と中指を動かした。こうなると、まるで忍者ごっこみたい。おかしくて笑う私とは逆に、彼は夢中になって、笑みを消した。
ああだめ、息が。
はじめは、箸の持ち方だった。丸テーブルを3つ占拠して、勝手に席を移りながらほとんど宴会のようになっていた。私はもともと騒ぐほうでもないし、興奮しているせいか食欲もあって、楽しそうなみんなを眺めて楽しんでいたのだ。油断していた。隣に、突然、ミーチャが座った。右側。急に、右半分の体温があがって、じわじわと全体をあたためていく。頬が熱い。顔が赤いといわれたら、酔ったことにすればいい。飲んでないけど。
「まりたん。おいしい?」
ちょうど口に豆料理が入ったところで、私は斜めに見あげながら何度も頷いた。メニューがまったく読めないけれど、大豆とセリのような葉もの野菜と鶏肉の炒め物で、香辛料がきいていとても美味しかった。
低く嗄れたような声で拙い日本語をぽつぽつと話す彼は、とても可愛い。甘えん坊の大型犬といるみたい。それも、特大の。
「ぼくも」
握った拳から、箸がX字に飛び出していた。機嫌をとるように、少し肩をすくめて笑う。くしゃっと目尻に皺ができた。
「ぼくも。まりたん。たべる」
おかしな意味に聞こえるけれど、もちろん彼にそんなつもりはない。にこにこしながらXの拳を私に寄せる。箸の使い方が知りたいのね。
「豆でいいの?」
「ぼくたべる」
彼が屈みこみ、肩がふれる。男性と子どもは基礎体温が高いというけれど、逞しい弾力からは熱がそれほど感じられない。注意深く探ると、お酒の匂いもなかった。日高でさえ鼻を赤くしているのに。
彼は白いセーターを着ている。ごぼしたら、しみになってしまう。近くのナプキンを取り、私はまず自分の襟に角をさして前を覆った。もう一枚を彼に、笑って促す。彼も笑いながら何か言って、前を隠した。
「こうよ」
右のてのひらを立てて、水平にそろえた箸を垂直に、親指と人差し指の股にはさむ。
「ダーァ~」
「次は……」
人差し指だけ立てたまま、中指、薬指、小指を丸め、親指を薬指の第一関節に寄せた。彼の手は大きく節くれだっている。爪まで、幅広で逞しい。見比べていると、どきどきした。
「つぎわぁ」
「次は」
箸の、上の一本をあげ、親指と人差し指でつまむ。最初、親指と人差し指の腹同士でつまんだために、彼の上の箸はそこを軸にねじれてしまった。ぼんやりと唸り、左手で調節しているけれど、なかなかうまくいかない。私は自分の手を彼の前へ出し、角度を変えながら、関節と関節の間の、曖昧な、しっくり来るポイントを示す。彼は何か言って、くしゃっと笑った。
頬が熱い。平気なふりは、得意。
「できる?」
「たべる」
「そうね、がんばって」
「がんばってぇ、たべるぅ」
かけ声にあわせて、彼は山を越えた。
「上手」
最後に、中指をあげて上の箸を支えれば、形は完成。感激の声をあげる彼を見て、私も嬉しくなった。上の端だけ動かすと、彼が真似る。でも彼は、車のワイパーのように、手首をしならせてすべてのゆびを動かしてしまう。動きはなめらかで、少しいやらしいけれど、手には小さすぎる箸が踊っているからおかしい。
「違うの。待って」
私は左手で上の箸をつまみ、上だけよ、と言いながら動かしたあと、下の箸をおさえた。もちろん自分の。彼はくしゃくしゃの笑顔のまままったりと何かを言って、目を寄せて箸を見つめる。そのうち、こよりを捻るような手つきになってしまったので、私は一度箸を置いた。
「こうよ。こう」
指を握った手を縦にして、人差し指と中指だけ、浅く上下に動かす。彼も箸を置いて、真似る。
「ンン~?」
リズムを刻む二本の指につられ、薬指がぴくんと跳ねた。私は自分の、薬指と小指を握った。彼もまた、真似る。私たちは顔の前で手を握り、ひたすら人差し指と中指を動かした。こうなると、まるで忍者ごっこみたい。おかしくて笑う私とは逆に、彼は夢中になって、笑みを消した。
ああだめ、息が。
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