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しおりを挟む彼のプレゼントを見つけて、壊れてしまった。
私だって、こんな身体じゃなければ彼といたい。言葉なんて覚えればいい。海なんて渡ればいい。好きになってもらう努力をしたい。彼ともっと話をしたい。彼を知りたい。
夜風に当たると頭が冷えた。何を馬鹿なこと。彼が特別な意味を込めて贈り物をくれたと思っているの? 彼にとっては、子どもにお菓子をあげるのと同じ感覚かもしれない。何を勘違いしてるの。自分もさっき、クッキーをあげたでしょう?
通りの途中で、彼が私を見つめていた。待ってくれている。
お礼を言うだけ。それだけよ。
「ミーチャ」
ごまかして笑う。彼がくれた、花のコサージュ。土台の葉の部分が深い緑色で、小さな黄色い花は三つ。葉の部分が刺し色になっているおかげで、彼が今日見立ててくれたワンピースにもよく似合う。私の持っている服にも、合う。
私が好きな色を、わかってくれている。
彼の前に立ち、彼の眼差しをうけ、彼のくれた花を抱きしめた。
風が冷たい。私は、寒くてふるえているだけ。
「ありがとう。スパスィーバ。とても嬉しいわ。大切にする」
彼の影がおりた。暗い瞳が思いつめたように私を見つめる。夜になるとその色はわからない。面倒な女をひっかけたと後悔しているのかもしれない。そうしたら、私はただ平気なふりをすればいい。
「それだけよ。引き止めてごめんなさ」
優しく抱きしめられる。胸が痛くて、目をとじた。彼の体温が伝わってくる。寒いせいで、はっきりと伝わってくる。
大きな手が頬と顎と耳を覆う。嗚咽がもれた。彼のくちびるが、息をふさいだ。
私のせい。私が、物欲しげに泣いて追いかけたせい。彼は流されただけ。彼が好きなのは別の女性だとわかっている。それでも、彼のくちびるが深く、労わるようなキスをくり返す。優しいキス。ぬくもりに溶けてしまう。彼の尖った鼻先が頬にあたる。彼の吐息が、私のなかに落ちていく。
どん、と、胸が鳴った。
彼がキスをやめた。彼は、深く傷ついた表情で、とても近くから私を見つめていた。やっぱり。そうよね。間違えただけよね。傷ついたけれど、私は、平気なふりをした。でも彼は、過ちを後悔したのを私に知られて、更に傷ついてしまったようだった。
縋りつくように私を抱きしめながら、彼は膝から崩れ落ちた。彼は知っているのだ。本当にキスをしたい人に想いが届かないことを。彼の痛みは、よくわかる。
私の腰を抱いて、おなかに顔を埋めて彼は泣いている。私は自分がかわいそうなのか、彼がかわいそうなのかわからない。たぶん私たちがかわいそうで泣いているのだ。私が泣いているせいで、彼は罪悪感まで抱かなければならない。それだけは間違っている。私は、彼にとって過ちのキスでも、嬉しい。淋しいけれど、嬉しいのだから。
「いいのよ」
彼の、短い髪を撫でる。もう片方の手で彼がくれた花を握っていた。
その指に、彼の指が、絡まる。
「ミーチャ?」
何かおかしな気がした。
彼は息を止めて、私の手の甲にくちびるをおしつける。彼の流す熱い涙が、私の肌を濡らした。ふるえるくちびるから熱い息がもれる。彼はその涙がおちつくまで、とても長い間、動かなかった。
私は、もう寒くなかった。
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