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 巨大な施設の正面入り口で、彼は母国語で電話をかけている。お兄さんと話しているのだろうと思っていたら、スピーカーからはっきりと日本語が聞こえた。

《わかった。西の通用口に回れ》
「……」

 聞き覚えのない声だ。
 彼は私の手を引いて施設をぐるりと回り、通用口と思われる鉄の扉の前まで移動した。施設の左翼の奥にあたる。鉄製の扉は彼の身長と同じくらいだから、2メートルくらいだろう。小さな電子ロックの音の後で、観音開きに開いた。私は背中から彼に守られていたので、扉を開けてくれた人と間近で対峙することになった。

 眼光の鋭い、とても高級そうなスーツ姿の男性が立っていた。

「悪ぃけど、あんたの知った顔は出払ってる」
「構いません」

 とにかく言いたい事があったので、私は大きく口を開けていた。すると彼が後ろからぐいと押して、建物の中に押し込まれた。すかさず扉が閉まり、電子音がロックを告げる。
 それから彼と見知らぬ男性がミーチャの母国語で話し始めた。私は上を向いて注意深く見つめて、彼がドイツ語で話そうと誘っているのを言葉の断片から聞きとれる。
 見知らぬ男性は私を見おろし、日本語で言った。

玄江くろえだ」
「古賀毬依です」
「知ってる」

 玄江は体を開き、私たちを奥へと誘った。
 ミーチャが私の腕や肩に触れ続けて、安心できるようにしてくれる。緊張はあるけれど、もっと大切な事が私たちにはあった。私は彼の指先をちょっとだけ握り返して、言った。

「ナイン」

 はっきりと言い放ち、続ける。

「私を優先してはだめよ」
「でも」
「いいの。ニコラが先」

 玄江が足を止めた。それから険しい表情で振り向く。殺されたと思っている仲間の名前が出たのだから、当然だ。彼はぼんやりと玄江の顔を眺めてから、私たちの共通言語となるドイツ語で告げた。

「ニコラが生きていると思う。僕は、まりえが正しいと思う」
「理由は」
「人に戻るための薬が欲しいんだ。薬は、なくならないように常備しなきゃ意味がない。だからニコラを殺す目的ではないわけだし、焼かれてなければそのうちちゃんと回復する。だから生きてる」

 玄江は表情を変えずに足を速めた。私は小走りになったけれど、なんなら走ってもよかった。横に並んだ私を見おろして玄江が語調を荒げた。

「推測って顔じゃねぇな。決め手は何だ」
「まりえにそんな口きくな」

 3人で話せるように言語を選んでくれたのに、彼が口を挟んでくる。こんな緊急事態だから私は平気なのに。

「ミーチャ」

 ぴしゃりと名前を呼んだ。

「私は大丈夫よ、あなたがいる。ニコラのことを伝えないと」
「伝える?」

 玄江が聞き返してくる。

「ここにクラウゼヴィッツ牧師がいるはずです。彼に伝えて、一緒にニコラを探してくれるようお願いしに来たんです」

 一瞬だけ意外そうに三白眼を見開いて、玄江は言った。

「クラウゼヴィッツに会ったら、あんたからお願いしろ。そいつは嫌われてる」
「えっ?」

 それは受け入れがたいけれど、ミーチャの緊張した様子を見ると確かにそうなのかもしれないと思う。でも大丈夫。私がいる。彼にはもう、私がいるのだ。

「もう一度聞くけど、なんで言い切れるんだ?」
「私が生きているから」

 それしか言うべき事はない。
 問い返しも、言い返しもしてこないから、かなり内情に詳しい立場のようだ。そのあと低く呻るように話し始めたので、私ではなくミーチャに言っているのだとわかった。

「まずい。宝をふたつ隠すには、兵が足りない。どちらかを持ち帰ればいい。奴らはそう思うだろう。もしくは、両方持ち帰ってもいい。ニコラの戦闘能力は?」
「高い」
「目が覚めたらここに来ると思うか?」

 ミーチャが守るように私の肩をがっしりと掴んだ。

「来るよ。あいつ・・・を追って来る」

 玄江が頷いた。

「ルートがおかしい。見てくれ」

 新しい名前と不吉な空気に、思わずミーチャの顔を見あげる。彼の緊張はすさまじかった。
 階を上がり通路を歩き、やがて人の唸り声が聞こえて来た。まるで精神病院の隔離病棟を思わせる異様な叫び方だ。玄江がおかしいとまで言った相手である事は確実だった。

 玄江が扉を開けると、そこは広い食堂だった。
 大柄な女性が押さえつけられている。艶やかな黒髪を振り乱し、目を剥いて、唇をまくり上げて。まるで動物のようで私は息を呑んで立ち竦んだ。

「ルートも僕が嫌いなんだ」

 ミーチャが背後で囁いた。
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