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6 この人には抗えない
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「あ」
ふいにアスター伯爵が低い声を洩らし、警戒するように振り向いた。
「?」
私は傾斜によって少し低い位置にいるし、そもそもアスター伯爵よりかなり小さい。ぐっと横に上半身を傾けて、視線の先を辿る。
「……」
橋。
そして森。
「来る」
「?」
なにが?
「気がする」
だからなにが?
「……、……」
そのとき、私は目の当たりにした。
アスター伯爵がじっと見据えて待っていた相手が、森の木々の間から、ザッと飛び出てその姿を現す瞬間を。
「ひっ」
カメロン侯爵夫人。
ヴァレンティナその人だった。
「シャロォォォォォン!!」
カメロン侯爵夫人がドレスをむんずと掴んで引き上げ、走り出した。
「来たぞ……牝豹め……」
「……!」
はっ、速いッ!
そして恐い!
美しい顔が険しいと、大迫力!!
「大丈夫。怯えなくていい。あれは君を心配して気が立っているだけだ」
「……ハィ」
声が裏返った。
「それにしても、なんて足が速いんだ」
たしかに。
「もういい年なのに」
アスター伯爵。
それは、女性には、言ってはならないセリフ……
「!」
まさか。
そんな事を言えるなんて……本当にカメロン侯爵夫人の弟なのでは!?
「……」
「オリヴィア。脱走防止策として君の手首を掴むよ」
「えっ」
アスター伯爵が、言葉通り私の手首をきゅっと掴んだ。
痛くないけれど、絶対に逃れられないような、たしかな力で。
「……」
アスター伯爵は橋の端から身を起こし、そこにもう片方の手を乗せて、カメロン侯爵夫人を待ち受けた。カメロン侯爵夫人はついさっきのアスター伯爵を彷彿とさせる見事な走りで、あっという間に傍に来た。
「はあ、焦った。オリヴィアを捕まえたのね。よくやったわ」
「よしてくださいよ、姉上。獲物じゃないんですから」
「みんな心配しているわ、オリヴィア。さあ、私と来て頂戴」
ちょっと長い階段をあがり切ったくらいの、わずかに弾む吐息。
風に靡いたはずの後れ毛も、滑らかに肌に沿っている。
清らかな朝陽の中。
美しい森と、美しい白い橋と、美しくなだらかな川を背に立つ、美しいカメロン侯爵夫人……とアスター伯爵。ふたりは妖艶すぎて、朝があまり、似合わない。
まるで神秘的な絵画のようだった。
「今は繊細な時期なんですから、もっと優しく──」
「煩い。ねえ、オリヴィア。恐がらなくていいのよ? みんな、あなたの味方」
よしよし、と。
またもや幼子に対するような優しさで、髪を撫でられる。
今度はカメロン侯爵夫人に。
……言われてみれば……どことなく……似て……いなくもない……
なにより類稀なる華やかさという点では、アスター伯爵と同じ人種だと思えた。
そんなカメロン侯爵夫人が、慈愛に満ちた眼差しで私の顔を覗き込んだ。
「だけど、きちんと後始末をしなければいけないわ。それに、泣いているお母様や今にも泣きそうな赤くなったり青くなったりしているお父様に、早く元気な顔を見せてあげて。──ったく、いつまで握ってるの!」
「いだっ!」
カメロン侯爵夫人が、アスター伯爵の手を叩いた。
そしてまた、私を、慈愛に満ちた眼差しで見つめ、腕を摩ってくれた。
「痛……まったく、なんて馬鹿力だ」
「減らず口を閉じなきゃ次は鼻を衝くわよ」
「いいけど、せめて僕のほうを見て言ってくださいよ。オリヴィアが怯える」
「大丈夫よ、オリヴィア。シャロンに変な事されてない? 言うほど悪い子じゃないのよ? でも少し厚かましいところがあるから」
「……」
これはたぶん、姉弟だ。
「厚かましいって、あのねぇ……僕のお節介で結婚しといて──」
「はいはい! わかりましたッ!! 今はオリヴィアの時間なの。さ、オリヴィア。帰りましょう」
「はい」
私ははっきりと頷いて答えた。
この人には、抗えない。
間違いない。
ふいにアスター伯爵が低い声を洩らし、警戒するように振り向いた。
「?」
私は傾斜によって少し低い位置にいるし、そもそもアスター伯爵よりかなり小さい。ぐっと横に上半身を傾けて、視線の先を辿る。
「……」
橋。
そして森。
「来る」
「?」
なにが?
「気がする」
だからなにが?
「……、……」
そのとき、私は目の当たりにした。
アスター伯爵がじっと見据えて待っていた相手が、森の木々の間から、ザッと飛び出てその姿を現す瞬間を。
「ひっ」
カメロン侯爵夫人。
ヴァレンティナその人だった。
「シャロォォォォォン!!」
カメロン侯爵夫人がドレスをむんずと掴んで引き上げ、走り出した。
「来たぞ……牝豹め……」
「……!」
はっ、速いッ!
そして恐い!
美しい顔が険しいと、大迫力!!
「大丈夫。怯えなくていい。あれは君を心配して気が立っているだけだ」
「……ハィ」
声が裏返った。
「それにしても、なんて足が速いんだ」
たしかに。
「もういい年なのに」
アスター伯爵。
それは、女性には、言ってはならないセリフ……
「!」
まさか。
そんな事を言えるなんて……本当にカメロン侯爵夫人の弟なのでは!?
「……」
「オリヴィア。脱走防止策として君の手首を掴むよ」
「えっ」
アスター伯爵が、言葉通り私の手首をきゅっと掴んだ。
痛くないけれど、絶対に逃れられないような、たしかな力で。
「……」
アスター伯爵は橋の端から身を起こし、そこにもう片方の手を乗せて、カメロン侯爵夫人を待ち受けた。カメロン侯爵夫人はついさっきのアスター伯爵を彷彿とさせる見事な走りで、あっという間に傍に来た。
「はあ、焦った。オリヴィアを捕まえたのね。よくやったわ」
「よしてくださいよ、姉上。獲物じゃないんですから」
「みんな心配しているわ、オリヴィア。さあ、私と来て頂戴」
ちょっと長い階段をあがり切ったくらいの、わずかに弾む吐息。
風に靡いたはずの後れ毛も、滑らかに肌に沿っている。
清らかな朝陽の中。
美しい森と、美しい白い橋と、美しくなだらかな川を背に立つ、美しいカメロン侯爵夫人……とアスター伯爵。ふたりは妖艶すぎて、朝があまり、似合わない。
まるで神秘的な絵画のようだった。
「今は繊細な時期なんですから、もっと優しく──」
「煩い。ねえ、オリヴィア。恐がらなくていいのよ? みんな、あなたの味方」
よしよし、と。
またもや幼子に対するような優しさで、髪を撫でられる。
今度はカメロン侯爵夫人に。
……言われてみれば……どことなく……似て……いなくもない……
なにより類稀なる華やかさという点では、アスター伯爵と同じ人種だと思えた。
そんなカメロン侯爵夫人が、慈愛に満ちた眼差しで私の顔を覗き込んだ。
「だけど、きちんと後始末をしなければいけないわ。それに、泣いているお母様や今にも泣きそうな赤くなったり青くなったりしているお父様に、早く元気な顔を見せてあげて。──ったく、いつまで握ってるの!」
「いだっ!」
カメロン侯爵夫人が、アスター伯爵の手を叩いた。
そしてまた、私を、慈愛に満ちた眼差しで見つめ、腕を摩ってくれた。
「痛……まったく、なんて馬鹿力だ」
「減らず口を閉じなきゃ次は鼻を衝くわよ」
「いいけど、せめて僕のほうを見て言ってくださいよ。オリヴィアが怯える」
「大丈夫よ、オリヴィア。シャロンに変な事されてない? 言うほど悪い子じゃないのよ? でも少し厚かましいところがあるから」
「……」
これはたぶん、姉弟だ。
「厚かましいって、あのねぇ……僕のお節介で結婚しといて──」
「はいはい! わかりましたッ!! 今はオリヴィアの時間なの。さ、オリヴィア。帰りましょう」
「はい」
私ははっきりと頷いて答えた。
この人には、抗えない。
間違いない。
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