えっと、幼馴染が私の婚約者と朝チュンしました。ドン引きなんですけど……

百谷シカ

文字の大きさ
10 / 14

10 カメロン侯爵夫人の美容法

しおりを挟む
 招待客が続々と見送られていく中で、フラムスティード伯爵家の馬車だけは裏門に回され、当主ではなく従僕と門番に急かされる形で退散したらしい。

 もう二度と、モイラと顔をあわせる事はない。
 幼馴染としての絆は喪われた。
 美しい思い出は全て、汚れて、砕け散ったのだから。

 私は父がアスター伯爵の招待を受けた事もあって、滞在が若干延びている。

 そしてフラナガン伯爵家もまだ滞在していた。
 カメロン侯爵立ち合いのもと、私とレニーの婚約解消手続きを進めているのだ。
 汚らわしいレニーの事を考えただけで虫唾が走る。


「嫌な過去は忘れるに限るよ」


 向かい合って長椅子に座るアスター伯爵が、紅茶のカップを置いて微笑んだ。


「恋には恋。君は人生を楽しむべきだ」

「ありがとうございます」

「池のボートで中州に連れて行ってくださるそうよ。楽しみね、オリヴィア」


 母がいちばん浮かれている。
 父と母はアスター伯爵の破廉恥な噂が根も葉もない作り話だと納得したようで、今ではすっかり信頼していた。

 そして私も、親切で頼もしい伯爵に、少なからず心を寄せ始めていた。
 といっても、信頼と感謝という類の感情だ。


「さて。そろそろ私たちも支度にかかりましょうか」

「はぁい!」


 母が、浮かれている。

 そして帰り支度を整えた頃、アスター伯爵が部屋まで迎えにきてくれた。
 

「日帰りは難しい距離だから、夕方前に出て夜に宿で一泊し、朝のんびり出発して夜までに帰るのが習慣なんだ」

「そうですか」

「平坦な道だから、行き来する分には楽しい旅だけどね」

「はい」


 話しながら、私たち一家は侯爵夫妻の部屋へと案内された。
 改めてきちんとお礼を言わなければならない。

 とんでもない醜聞の渦中にいながら、泣いているうちにほとんど片付けてもらってしまった。その上、伯爵とその姉上には励ましてもらった。
 だから今、笑顔になれる。


「さて、しばらくのお別れですよっと」


 アスター伯爵が扉に手をかけ、私はドレスの襞を直し息を整えた。
 背後で父も咳払いをし、母も私と同じ動作をしているのが音でわかった。

 扉が開いた。


「エェーーーーオエオエオエオエオ」

「……」


 カメロン侯爵夫人に、言葉を失う。


「やあ、姉上。と義兄上」

「やあ、シャロン」


 アスター伯爵とカメロン侯爵は普通。


「エーーーオーーー」


 カメロン侯爵夫人は両手で胸の上辺りを押さえ、ぐっと仰向いて天井に舌を突き出して首を晒して……うまく説明できないけれどエオエオ言っている。


「まあ」


 母は楽しそうだ。
 振り向くと、父は口を覆いあらぬほうを向いていた。


「ほら、ヴァレンティナ。デラクール伯爵家御一行が挨拶にみえたよ」

「んんっ」


 夫には従順なカメロン侯爵夫人。
 咳払いしてから、笑顔をこちらに向けた。


「ごめんなさいね。今日はしかめっ面ばかりしていたものだから」

「……」


 だから、エオエオ……


「顔の、筋肉を、こう、活発に動かしておく事が、若しゃの秘訣なんでしゅのよ」

「まあっ♪」


 唐突に百面相を始めたカメロン侯爵夫人を、母が真似る。
 

「笑ったら笑ったで頬に皴ができますからね。動かさないと」

「ハハハハハッ!」


 カメロン侯爵しか言えない軽口に、アスター伯爵が爆笑している。
 母をやめさせたいけれど、カメロン侯爵夫人が寄ってきて指南を始めてしまったので、そうもいかない。


「ああっ、なんだか顔がポカポカしてきましたわ!」

「そうでしょう? 朝夜と欠かさずなさる事をおすすめするわ。鏡を見ると違いがよくわかりますの」

「そして笑える」

「ハハハハハッ!」


 母とカメロン侯爵夫人とカメロン侯爵とアスター伯爵は、楽しそう。
 父は爆笑をこらえ、私は戸惑っている。


「ああ、ほら。姉上。オリヴィアが困っています」

「いいのよ、オリヴィアにはまだ必要ないんだから」

「お美しいわけですわ! カメロン侯爵夫人は美容の達人ですのね!」

「このほかに日中は4時間の器械体操をしておりますの」

「4時間!? 大変。真似できるかしら」

「まずは10秒から初めてみて。それが1分、5分、そして10分と延びていき、20分もできるようになれば勢いがついてもっともっとと延ばしていけますわ」


 カメロン侯爵夫人は励ますのがうまい。
 母はすっかり、目を輝かせて拳を握りしめている。


「おや、意気投合しましたな」

雲梯うんていを買わなくては」


 カメロン侯爵に父が大真面目に答えた。


「さしあげますよ。いくつか使わずにしまい込んでいるのがあります」


 カメロン侯爵は優しい方だ。


「だっていくつも取り寄せて使い心地を確かめなきゃ、お気に入りは見つけられないじゃあありませんこと?」

「まあっ、こだわっていらっしゃるのね! 素敵!!」


 母はあちら側だった。
 

「でもいきなり雲梯は難しいのでは?」

「まずは目標にしてみて。日頃から簡単にできるのは階段ですの。暇を見つけては階段を上ったり下りたり上ったり下りたり。散歩より足腰に効きますわ」

「それならできそうですわ!」

「疲れはゆっくりお風呂で癒してくださいまし。ミルク風呂で」

「まあっ」


 挨拶をよそに打ち解ける母とカメロン侯爵夫人を眺めていたら、ふいにアスター伯爵が優しい眼差しで私を捉えた。


「……」


 励ましでもなく、言葉もなく。
 ただ微笑んでいる。

 それがなぜか、とても、嬉しかった。
しおりを挟む
感想 60

あなたにおすすめの小説

貴方の事なんて大嫌い!

柊 月
恋愛
ティリアーナには想い人がいる。 しかし彼が彼女に向けた言葉は残酷だった。 これは不器用で素直じゃない2人の物語。

【完結】順序を守り過ぎる婚約者から、婚約破棄されました。〜幼馴染と先に婚約してたって……五歳のおままごとで誓った婚約も有効なんですか?〜

よどら文鳥
恋愛
「本当に申し訳ないんだが、私はやはり順序は守らなければいけないと思うんだ。婚約破棄してほしい」  いきなり婚約破棄を告げられました。  実は婚約者の幼馴染と昔、私よりも先に婚約をしていたそうです。  ただ、小さい頃に国外へ行ってしまったらしく、婚約も無くなってしまったのだとか。  しかし、最近になって幼馴染さんは婚約の約束を守るために(?)王都へ帰ってきたそうです。  私との婚約は政略的なもので、愛も特に芽生えませんでした。悔しさもなければ後悔もありません。  婚約者をこれで嫌いになったというわけではありませんから、今後の活躍と幸せを期待するとしましょうか。  しかし、後に先に婚約した内容を聞く機会があって、驚いてしまいました。  どうやら私の元婚約者は、五歳のときにおままごとで結婚を誓った約束を、しっかりと守ろうとしているようです。

【完結】私よりも、病気(睡眠不足)になった幼馴染のことを大事にしている旦那が、嘘をついてまで居候させたいと言い出してきた件

よどら文鳥
恋愛
※あらすじにややネタバレ含みます 「ジューリア。そろそろ我が家にも執事が必要だと思うんだが」 旦那のダルムはそのように言っているが、本当の目的は執事を雇いたいわけではなかった。 彼の幼馴染のフェンフェンを家に招き入れたかっただけだったのだ。 しかし、ダルムのズル賢い喋りによって、『幼馴染は病気にかかってしまい助けてあげたい』という意味で捉えてしまう。 フェンフェンが家にやってきた時は確かに顔色が悪くてすぐにでも倒れそうな状態だった。 だが、彼女がこのような状況になってしまっていたのは理由があって……。 私は全てを知ったので、ダメな旦那とついに離婚をしたいと思うようになってしまった。 さて……誰に相談したら良いだろうか。

【完結】新たな恋愛をしたいそうで、婚約状態の幼馴染と組んだパーティーをクビの上、婚約破棄されました

よどら文鳥
恋愛
「ソフィアの魔法なんてもういらないわよ。離脱していただけないかしら?」  幼馴染で婚約者でもあるダルムと冒険者パーティーを組んでいたところにミーンとマインが加入した。  だが、彼女たちは私の魔法は不要だとクビにさせようとしてきた。  ダルムに助けを求めたが……。 「俺もいつかお前を解雇しようと思っていた」  どうやら彼は、両親同士で決めていた婚約よりも、同じパーティーのミーンとマインに夢中らしい。  更に、私の回復魔法はなくとも、ミーンの回復魔法があれば問題ないという。  だが、ミーンの魔法が使えるようになったのは、私が毎回魔力をミーンに与えているからである。  それが定番化したのでミーンも自分自身で発動できるようになったと思い込んでいるようだ。  ダルムとマインは魔法が使えないのでこのことを理解していない。  一方的にクビにされた上、婚約も勝手に破棄されたので、このパーティーがどうなろうと知りません。  一方、私は婚約者がいなくなったことで、新たな恋をしようかと思っていた。 ──冒険者として活動しながら素敵な王子様を探したい。  だが、王子様を探そうとギルドへ行くと、地位的な王子様で尚且つ国の中では伝説の冒険者でもあるライムハルト第3王子殿下からのスカウトがあったのだ。  私は故郷を離れ、王都へと向かう。  そして、ここで人生が大きく変わる。 ※当作品では、数字表記は漢数字ではなく半角入力(1234567890)で書いてます。

【完結】新婚生活初日から、旦那の幼馴染も同居するってどういうことですか?

よどら文鳥
恋愛
 デザイナーのシェリル=アルブライデと、婚約相手のガルカ=デーギスの結婚式が無事に終わった。  予め購入していた新居に向かうと、そこにはガルカの幼馴染レムが待っていた。 「シェリル、レムと仲良くしてやってくれ。今日からこの家に一緒に住むんだから」 「え!? どういうことです!? 使用人としてレムさんを雇うということですか?」  シェリルは何も事情を聞かされていなかった。 「いや、特にそう堅苦しく縛らなくても良いだろう。自主的な行動ができるし俺の幼馴染だし」  どちらにしても、新居に使用人を雇う予定でいた。シェリルは旦那の知り合いなら仕方ないかと諦めるしかなかった。 「……わかりました。よろしくお願いしますね、レムさん」 「はーい」  同居生活が始まって割とすぐに、ガルカとレムの関係はただの幼馴染というわけではないことに気がつく。  シェリルは離婚も視野に入れたいが、できない理由があった。  だが、周りの協力があって状況が大きく変わっていくのだった。

魔性の女に幼馴染を奪われたのですが、やはり真実の愛には敵わないようですね。

Hibah
恋愛
伯爵の息子オスカーは容姿端麗、若き騎士としての名声が高かった。幼馴染であるエリザベスはそんなオスカーを恋い慕っていたが、イザベラという女性が急に現れ、オスカーの心を奪ってしまう。イザベラは魔性の女で、男を誘惑し、女を妬ませることが唯一の楽しみだった。オスカーを奪ったイザベラの真の目的は、社交界で人気のあるエリザベスの心に深い絶望を与えることにあった。

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

婚約した幼馴染の彼と妹がベッドで寝てた。婚約破棄は嫌だと泣き叫んで復縁をしつこく迫る。

ぱんだ
恋愛
伯爵令嬢のオリビアは幼馴染と婚約して限りない喜びに満ちていました。相手はアルフィ皇太子殿下です。二人は心から幸福を感じている。 しかし、オリビアが聖女に選ばれてから会える時間が減っていく。それに対してアルフィは不満でした。オリビアも彼といる時間を大切にしたいと言う思いでしたが、心にすれ違いを生じてしまう。 そんな時、オリビアは過密スケジュールで約束していたデートを直前で取り消してしまい、アルフィと喧嘩になる。気を取り直して再びアルフィに謝りに行きますが……

処理中です...