俺の名前を呼んでください

東院さち

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そんな未来も……(ifです)1

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『ロッティ様には、もはや昔の面影はなく……、立派な体躯の青年にお育ちされております。彼には何も告げず、そのままお連れいたします。エルフラン・アレナス・ギード』

 神学校に逃げたロッティ(ルーファス)を待つ自分の元に、エルフランからの伝書が届いた。鳩が届けたそれには、ロッティが昔の可愛らしい彼ではなくなったと書いてあった。

「……ロッティ――」

 私は、手につかない仕事に無理矢理向かい合い、渦巻くような思考から逃げた。

「殿下、そうは言いましても……。今年の作物は昨年の大雨の影響からまだ僅かに立ち直っておりません」
「時間が戻るとでも思っているのか! 嘆くくらいなら、水に強い作物の研究を促せ!」
「は、はいっ!」
「被害を受けた地域に特別減税することは決めている。王領の苗を運ぶように言え」
「わかりました!」

 冬が終わりに向かい、雪解けが始まった頃、長い大雨が続いた。川が溢れ、橋が流れ、濁流が農地を襲った。たまたまその地を訪れていたロッティの父親が巻き込まれて亡くなった時のことだ。一年ほど前のことだった。
 一年も経った、と言うべきか。家や畑を失った民がなんとか立ちあがって次に向かうのに十分な時間とは言えなかった。

「ロッティ……。もう、お前のあの姿は、夢でしかみることができないのか――」

 仕事の合間合間に失望と後悔が訪れる。それでも『時間は戻らない』ということは嫌ほど思い知った。
 それでも、ロッティを知る前の自分には戻れないということは、この三年間で否応なしに突きつけられた現実だった。


 七日間かけて、ロッティが自分の元に戻ってきた。二人のために建てた離宮で今は休憩しているという。

「「クリス様――」」

 迎えにいったエルフランとダリウスは同時に私の名前を呼び、口を閉じた。

「ロッティは?」
「健やかにお育ちです」
「今時いない好青年だな。元々頭は良かったようだけど、剣や槍の腕前も、うちの騎士にスカウトしたいくらいだ」

 あのときは、華奢な身体だった。腕にのせても負担に思わないほどだった。

「このまま、会わないで帰したらどうでしょう。彼は神官になるようです。現世の戸籍は抹消されますから、あなたの傷にはならない――」

 二人の意見は一致しているようだった。私の妻には相応しくない、のだろう。

「わかった――。だが、一度会いたい。あのときのことを謝りたい」
「はい。彼は、あなたのことを未だに憧れの存在としてみているようです。お会い出来ると聞いたら喜ぶでしょう」

 憧れ……か。もうロッティから見ても私はそういう対象ではないのかもしれない。

「今は何をしている?」
「長旅でしたから、お部屋で休んでいただいております」
「本当に疲れたよ」
「なら、夕方に私の部屋に連れてきてくれ。出来れば二人きりで会いたい」
「ですが……私たちがいたほうがよろしいのでは?」

 二人の心配そうな目に首を振る。

「私が逆上してもロッティは防げるだろう」
「それは絶対防げますが……」

 エルフランの言葉に、更に私の諦めが深まった。
 長旅の疲労の色の濃い二人には、休むように命じた。


 心の準備が必要だった――。三年間、何の情報も得られず、ただ待つことしか出来ずに募らせた恋心を捨てる……。自分がどれだけ愚かであったか知るために、私は離宮に戻った。
 この離宮は、三年前に建て始めた。ロッティと過ごすことを考えて設計まで手を出したものだ。
 三年後のこの日を待ちわびて、作らずにはいられなかったのだ。
 庭からロッティの部屋に入ることが出来るのは、庭で星を眺められるように作ったからだ。警備上どうかと思われたが、この離宮はその名の通り離れているため、ここにたどり着くまでにいくつも関門を作った。
 まだ離宮は私が時おり過ごすだけなので、人はあまり配置していない。庭にいる警備の騎士が頭を下げるのを横目にして、部屋に入った。
 イチゴの甘い匂いがした。
 一番最初にロッティが好きだといったその匂いに彼の笑顔を思い出す。たった一週間にも満たない間の思い出。
 ロッティは、覚えているだろうか、それとも、もう忘れてしまっただろうか。
 女々しい自分に苦笑が漏れた。
 何故、自分はエルフラン達にああ言ったのに、先に会おうとしているのかもよくわからない。さっさと自分の気持ちに止めを刺したいという自虐からか、どこかで期待する淡い想いからかもわからなかった。

 扉をそっと開けると、寝息が聞こえた。
 そこに、ずっと求めていたロッティがいると思うと苦しくなる。
 丸まって眠る姿は、遠目でみても、大きかった。
 側に寄ると、黒い髪が短く切りそろえられていて、凜々しい騎士がそこにいた。少しだけ日に焼けた顔、唇だけが柔らかそうだが、輪郭もあどけなさはない。

「まるで別人だ――」

 これなら、ローレッタの方が余程自分の好みだろう。

「誰――っ?」

 突然見開いた瞳が不審者である自分に向かい、一瞬後に緩められた。

「よく、気がついたな――」
「……クリス様……」

 その声はやはり知らないものだった。けれど、瞳にある感情は温かくて、喜びに満ちていた。

「……少し話がしたい――」
「あっ、はい。少々お待ちいただけますか。直ぐに着替えて」
「別にかまわん――」

 寝台から慌てて立ち上がった男は、自分と同じくらいの背の高さにしっかりとした筋肉がついた青年だった。文官である自分とは違うその身体には柔らかさなんてものはない。

「ですが……」

 羽織ったローブの前を結び、大人しく自分の後をついてくる男は、やはりロッティには見えなかった。

「私がいいと言っている」

 男は、私の言葉に少し躊躇ったあと、頷いた。

「クリス様は、何故ここに――」
「お前は、誰だ――」

 私は、一瞬たりとも見過ごすまいと、男をソファに座るように命じて、立ったまま見下ろした。

 男は私を見上げ、傷ついた瞳を隠さず、俯いた。

「俺は――、いえ、私は……ルーファスです」

 手を前で組み、断罪される罪人のように、男は静かに自分の名前を告げた。

「ルーファス――」

 私がその名を呼べば、はじかれたように顔を上げて男、いや、ルーファスは私を見つめた。その瞳が潤んでいた。

「クリス様……」

 恥ずかしそうにその顔を横に背け、私の名を大切なもののように呼ぶ。

「お前は、そんな大きな形になっても変わらないな――」
「クリス様は特別です」
「何が特別だ――。子供だったお前に手を出し、挙げ句に捨てたのだろう? お前の妹に婚約を申し込んだことは知っているのだろう?」

 ルーファスがどこまで知っているのかわからなかったが、私は尋ねずにはいられなかった。
 何が特別だというのだ、一番傷つけた、ということか?

 キョトンとしたルーファスの顔に訳もなく怒りがこみ上げる。ただの八つ当たりでしかないことは、重々承知しているのに。

「……クリス様は、優しかった。私に色んな感情を教えてくれました。私が、おろかだったというだけです。私が自分で抱いて欲しいと願ったんです、クリス様は叶えてくれただけ。そして、のぼせ上がった自分が恥ずかしい、それだけです」
「のぼせ上がった? お前が――?」
「私のことを愛しているとおっしゃったので……。それが閨の睦言だというのだと、気付かなかった。そういう意味では本当に子供だったのです」

 ルーファスの声は、心に刺さった棘の痛みを訴えるように震えていた。それが嬉しいと思った私は酷い男だ。

「ルーファス、それは本当のことだ。私はお前を愛していた」

 あえて過去形で言った。

「……ありがとうございます」

 ルーファスは何もかも飲み込んだ大人の顔で、穏やかに微笑んだ。
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