俺のご主人様になれ!

秋山龍央

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第11話

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おれは家に帰った後、ジャージを着てから軽く走り込みにいった。
前までは2日に1回くらいのペースで近所を走り込みにいっていたのだが、最近は九澄とのあれやこれやがあり、サボり気味だった。そのせいか、身体がだいぶ重く感じたし、スピードも落ちた気がする。
体力を取り戻すという名目で、おれはいつもよりも長めに走ることにした。

……走っている間は、何も考えずに済むからな。



「ただいまー……」

いつもは30分ちょっとで終わらせる走り込みだが、今日は1時間を越えてしまった。
そのせいか、身体がだるい。
やっぱり普段からちゃんと体力つけないとダメだなぁ、なんて思っていると、リビングからひょっこりと姉貴が顔をのぞかせた。

「アンタ、なにしたの?」

……開口一番で、まったく意味がわからないんだけど。

「なにしたって、なにが?」
「アンタの部屋のスマホ。ずーっとバイブしてたよ? 音からしてめっちゃ電話とメール来てるみたいだった」
「えっ!?」
「あ、中身見たわけじゃないから。アンタがドア開けっぱにしてたから、ずっとブーブー言ってんのが聞こえちゃったんだからね」

姉貴の報告に礼を言いつつ、おれは慌てて自室へと駆け込んだ。
……こんな時間に、おれにそんなに連絡をしてくる人間なんて、たった一人しか思いつかない。

おれは学校から戻って一休みしてから、走り込みにいった。
走り込みの最中にスマホを持っていると地面に落としかねないし、それに、それがあるとどうしても九澄のことが意識にちらついてしまうから持っていかなかったのだが……。おれが走り込みに行ったのが18時で、今が19時30分だ。
確かに時間的には、九澄が仕事を終えておれに電話をかけられる時間ではあるが……でも、本当に九澄なのか? 橘先生はどうなったんだろう?

勉強机の上に置きっぱなしにしていたスマホを慌てて取り上げ、画面をつける。
そこに現れた通知画面に、おれは思わず「ひっ」と声を上げた。


不在着信: 59件
未読メール件数: 35件


……え、あの?
なにこれ、めっちゃ怖いんだけど。

これって見なかったことにしてもいいのかな?

だが、そんなわけにもいかないので、おれは恐々と九澄からのメールを開いてみることにした。
う、うん。とりあえず1件だけ見てみよう。もしかすると『気を遣ってくれてありがとうな! ドタキャンで悪いけど、また次回はよろしくな!』っていう感謝のメールなのかもしれないし。うん、その可能性もあるよな! だから、うん、勇気を出してメールを見るんだ自分……!

震えそうな指先を叱咤し、おれはメールをとりあえず1件だけ開いてみる。
そこには、


『殺す』


と、一言だけ書かれていた。


ええええぇ、マジ切れーーーー!?
な、なんで!? どうして!? ホワイ!?

あまりにも予想外の内容に、固まるおれ。その硬直を解いてくれたのは、おれの部屋を覗きにきた姉貴だった。

「なんだったん?」
「……えっと、ちょっと友達と喧嘩しちゃって」
「うわー、マジかよ。マジギレじゃん、相手」
「今からいってくる。多分、泊まりになるから、ばあちゃんに言っておいて」
「了解。どうせアンタが悪いんだろうから、ちゃんと謝ってきなよ?」
「うるせーよ」

いや、そうなんだろうか。
おれが……悪いのか?

「あ、帰りに『ミッドナイト★アゲハ』って雑誌買ってきてね。買い忘れちゃったんだよねー、今日」
「……分かったよ」

その頭の悪そうな名前の雑誌を、おれが買わなきゃいけないと思うと頭が痛いが、仕方がない。雑誌を買ってくるのと引き換えに、おれの泊まりの話を上手くばあちゃんにとりなしておいてくれるということなのだろう。
おれはため息を吐きつつ、九澄の家に向かうことにしたのだった。

……あー、もう。なんでこうなるかなぁ?



九澄のマンションに行く途中で、おれは九澄に「今から行く」とメールを打った。
本来は電話を1本いれた方が良かったのかもしれなかったが、ホラ。さすがのおれも、こんなブチ切れ状態の九澄と電話をする勇気はなかったというか……。

そのメールに対して返信はなかったものの、九澄はちゃんとそれを読んでいたらしい。
何故にそれが分かったかというと――今日の九澄は部屋ではなく、マンションのエントランスホールでおれを待っていたからである。

自動ドアを開けてエントランスホールに入ったおれは、ホールの片隅に置いてある応接セットのソファに九澄が座っているのを見つけて驚いた。
九澄はおれの姿を見ると、立ち上がり、こちらに来いとおれを手招きする。
……うわぁ、行きたくない。九澄の顔、グランドキャニオン並に眉間にシワが寄って、目尻も釣り上がって、誰がどう見てもブチ切れ状態だということがハッキリ分かるのだ。はしばみ色の瞳に宿る眼光は、その視線の鋭さだけで人が殺せそうなくらいである。
しかし、ここで帰るわけにもいかないので、おれは恐る恐る九澄に近寄る。

「一ノ瀬、お前なんで今日来ねぇんだよ。あァ?」

これまでに聞いたことがないくらいの低音のドス声で、九澄がおれに問いかけた。
それに対し、おれはおずおずと答える。

「い、いや……なんか橘先生といい雰囲気だったみたいだし。今日、ご飯食べにいく約束してたじゃん。断る雰囲気でもなさそうだったから、おれが邪魔しちゃ悪いかなと思って」
「……やっぱりアレ、見てたのか。あんなの社交辞令に決まってるだろ。ガキが余計な気まわしてんじゃねェよ」

舌打ちと共に告げられた言葉に、おれもさすがにムッとした。

この状況を見る限り、九澄が橘先生の誘いをどうにかして断ったのは分かった。
けれど、そんな言い方はないんじゃないか?

いや、おれが気を回しすぎたのは悪かったけど。
でも、1週間以上連絡がぱったりとなくなって。かと思ったらいきなり家に泊まりに来いとか言われて。で、橘先生となんか食事に行く話とかしてたりして。
おれの立場からしたら、九澄がおれに飽きたとしか思えない状況なんだから……気を回すのも当然だろ。そりゃ、最初から九澄がおれに飽きたらもうこの関係は解消するって話だったけど。でも、その……今のおれは、九澄に飽きられるのは嫌だと思ってるんだから、気を遣うのは当然だろ。

「それが言いたくておれを呼んだんだ? なら、もう用は済んだよな」
「ッ、おい、待てよ」

おれは九澄に背中を向けて歩き去ろうとした。
――が、九澄に背後から無理やりにガシリと肩を掴まれて、おれはその勢いのまま、身体を壁に押し付けられる。

「どこ行こうとしてんだ、一ノ瀬」

はしばみ色の瞳が、おれの顔を覗き込んでくる。
年齢差のせいもあって、九澄はおれよりも長身だ。だから上から押さえつけられるように肩を掴まれているこの状況だと、どうにも逃げられない。

「九澄先生……?」

九澄の顔は、どこか焦っているように見えた。
そしてその声も、威圧感こそある声だったが、不思議と、まるですがるような響きがあった。

が、九澄も自分のそんな声の調子に気づいたのか、すぐにその表情を消してしまった。
代わりに、おれの肩を掴む手の平にますます力が込められる。

「お前、俺が持ってる音声のこと忘れてるんじゃねェだろうな?」
「っ……」
「今、この場でスマホの操作一つで全世界配信することもできるんだぜ。お前だってそれは嫌だろう?」

……ずっと思ってたけど、この人よく教員免許とれたよね!!!!

日本の教員免許取得って精神鑑定とか、性格適性検査とか、そういうのないの?
ああ、でもこの人、教師になった目的自体はものすっごく真っ当なんだよなぁ……。

つーかさ。姉貴の持ってる少女マンガとかで「女子の憧れシチュエーション第1位★壁ドン!」っていうのをよく見るけどさ、本当に世の中の女子はこんなのが好きなの?
おれ、今まさに壁ドン状態だけど、身の危険しか感じないよ? 明らかに皆、恐怖によるドキドキを、恋に落ちたと勘違いしてるだけじゃない? 大丈夫?
あとコレ、おれが抱く方なんだよね? おれ、今から犯されるんじゃないんだよね?

「ったく……俺はこの1週間、お前に金曜から日曜まで調教プレイされたかったから、全部の仕事を片付けてきたんだぞ。なのに、勝手に勘違いしやがって……」 
「ちょっと待って、おれの予定を勝手に決めてない!? あと、泊まりって明日までじゃなくて、日曜もなの!?」

あ、よかった。やっぱりおれは犯す方ですね。

「ふん……橘先生が勝手に俺との食事を予定してこようが、知るかよ。お前とのプレイを優先するに決まってるだろうが」
「勝手に予定、って部分では、おれもアンタに言いたいことがあるけど……」

なおも九澄がブツブツ続ける文句に、なんだか肩の力が抜けてしまった。そして、自然とふふっと笑みがこおれる。
それは、九澄があんまりにもいつも通りだったことがおかしかったからでもあるし、九澄が橘先生よりもおれを優先してくれたことが嬉しかったからでもあった。

……うん、認めよう。

おれは――

「……ごめんね、九澄先生。お詫びにこの3日間は、アンタが満足するまで付き合うからさ」

おれは、この不器用な先生が好きなのだ。
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