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チロル・クラート

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「ふぅ……。不浄の神は随分と辺鄙なところにお住まいなのねぇ」


 不本意ながらも聖女認定審査を最高評価で通過してしまった私は、不浄の神に認められるために……、厳密に言えば不浄の神に拒絶してもらうために、馬車で2日間ほどかけて不浄の神の社に足を運んだ。


 不浄の神の神殿は、人里離れた森の奥に存在していた。 

 神様の場所は基本的に公開されてないから今まで知らなかったけど、不浄の神が居る割には雰囲気の良さそうな場所じゃない?

 森の静謐な雰囲気に、少し崩れかけて森に飲まれかけている神殿の姿が妙にマッチしているように感じる。


 狙って醸し出している雰囲気ではないのでしょうけれど、なんだか少し楽しくなってきたわねっ。


「クー。貴女は中に入っちゃ駄目よ? この先に立ち入れるのは聖女だけなんだから」

「でもっ……! ここはちょっと異常すぎるっ。こんな場所にチロルを1人で入らせるわけにはっ……!」

「神の住まう場所なんだから、異常なのは当たり前でしょ。それでなくてもクーと神を対面させるわけにはいかないって、分かるわよね?」

「ん……。分かった……。分かってる……」


 悔しそうに俯くクーの頭を、心配しないでと優しく撫でる。


 神様の場所が公開されていないのは、聖女以外の者が不必要に神殿に近付くと、体調に悪影響を及ぼす場合があるためだ。

 とは言っても、シルヴェスタ王国だけでも100近くの神々の神殿が存在しているわけだから、知られてる場所は結構知られていたりするんだけどね。


 正式に聖女に認定されるには、神に直接認められる必要がある。

 しかし殆どの神は人の前に姿を現すことがない。

 ならばどうやって神に認められたと判定するのかと言えば、それぞれの神を祀る神殿の最奥に到達し、その場に漂う神気を身に宿せば、晴れて正式な聖女として認定される。


 神気ってなに? って感じなんだけど、教会の偉い方は神々の纏う神気を感じ取ることが出来るらしく、嘘をついて聖女になろうとしても不正は一切通じないという噂だ。

 神にこそ認められたい聖女候補者は、嘘を吐くまでも無くみんな最奥を目指すみたいだけどね。


 これからお会いする不浄の神は、人の悪しき心を喰らってこの世に平和を齎していると言われていて、とても偉くて重要な神様という位置付けだ。


 だけど不浄の影響が強いのか、聖女の交代が激しい神様としても有名なのよね。

 代替わりして解放された聖女たちも、不浄の神の事はあまり語りたがらないとも聞く。


 さぁて、いったいどれだけ気難しい神様なのかしら?


「それじゃ行ってくるわね。大人しく待ってなさいよー?」

「……うん。私が中に入れないのはその通りだから。でも、ちゃんと無事に帰ってきて」

「言われるまでもないわっ。クーこそ私が戻るまで森で1人なんだから、怪我なんてしないように気をつけるのよ?」 


 不安げなクーに背を向けて、不浄の神の神殿に足を踏み入れた。




「う~ん……。聖女が常に管理している割には荒れている気がするわねぇ」


 石材で構成された神殿は何処も苔むしていて、掃除など長らく行なわれた形跡が無い。

 柱や壁が欠けている場所も多く、床に敷き詰められた巨大な岩にも、随所に大きな亀裂が入っていた。


 でもなんだろう。この荒れ方、案外悪くないんじゃない? なんとなく歴史を感じる。

 これは荒れているのではなく、朽ちていると言うべきなのかしら?


「照明になるようなモノは持ち込んでいないのだけど……。それでも視界に困らないのは、流石は神の神殿といったところかしら?」


 真っ暗なはずなのに、なぜか視界が確保できる石造りの朽ちた神殿を進んでいく。


 流石に森の中だけあって、植物による侵食も激しいわ。

 これはこれで趣があって素敵だけど、ちゃんと手入れしないと崩れかねないわね。


 これはちょっと本格的に補修しないと……って、私1人で補修しなきゃならないの? ここ全部……?


 補修の事を考えると頭が痛いけれど、それでも私は少なからずワクワクした気持ちを抱いていた。

 美容について学んでいるうちに各地の歴史や文化にも触れた私にとって、歴史を感じる建造物というだけで好奇心を刺激するには充分だったのだ。


「ふっふ~ん。面倒臭そうではあるけど、逆に手の入れ甲斐はありそうねっ」


 もはや不浄の神との顔合わせに来たことなどすっかり忘れて、私は完全に観光気分に浸っていた。


 けれどそんな私に冷や水を浴びせるが如く、突如聞き慣れない声が神殿内に響き渡った。


(お前は、誰だ……?)

「……えっ?」


 突如神殿の奥から、生暖かい風と共に、地の底から轟くような声が耳に届く。

 今のが……、不浄の神の声?


「……突然の訪問、失礼致します」


 とにかく、神に問いかけられているのだから、応えなければ失礼よね?

 円滑なコミュニケーションは挨拶から、よ! 相手が古の神であっても、怯むな私っ!


「私の名はチロル・クラート。この度不浄の神の新たな聖女として、この神殿の管理を任されました。至らぬところも少なくないかと思いますが、どうぞ宜しくお願い致します」

(新しい聖女……? 前任の者は辞めたのか……)

「……ええ。その為に私が新たな聖女として派遣されたのです」


 不浄の神は前任者が聖女の任を退いたことを知らないの?

 貴方が前任者を拒絶したから、私に厄介事が回ってきたと思ってたんだけど……。


「前任者には会うことが出来なくて、引継ぎなども行えませんでした。そこで神様にはお手数ではありますが、聖女への要望などをもう1度私に教えて頂きたいと思うのです」

(引継ぎ……? 要望……?)


 ますはお話を聞いて、お客様が求めている物を理解するのは基本よね。

 相手は神様。人間とは求めるもののスケールが違うかもしれないけれど、これでも私は王国一の大商人チロル・クラートですもの。あらゆる物を用意してみせるわっ。


 商売人の心得として、お客様は神様だと思いなさいって教え込まれてきた。

 だったら神様がお客様だって、ありとあらゆる要望に応えて見せてこその商売人よねっ。燃えてきたーっ!


(要望など何もない……。聖女に役目などない。好きに過ごせ……)

「……は? 好きに過ごせ、ですか?」


 ちょっと、なに言ってるのよ神様!? せっかく燃えてきたところだっていうのに!

 何この方、ひょっとしてサイレントクレーマーって奴!? 要望を伝えてくださらないお客様が、商人にとっては1番厄介なのよねっ……!


「聖女たるもの、神の要望に可能な限り応え、誠心誠意お仕えするものだと教わってきたのですが……。私にして欲しい事は無いと仰るのですか?」

(くどいっ! 聖女に期待するものなどないっ! 我に関わらず好きに過ごせと言っているのだっ……!)


 神殿の奥から生温い突風と共に、怒りに満ちた声が響く。

 あーこういうお客様ってちょいちょい居るわよね。拗らせちゃった系みたいな? そう思ったら、なんだかこの神様に親近感が湧いてきた。


「……好きに過ごしていいと仰いましたね?」


 神様ってばー。このチロル・クラートに軽々しく好きにしろだなんて言っちゃあいけませんよー?

 だって私、この世界のありとあらゆる全てを好き勝手にするつもりの女なんですからねー?


「それではこのまま神殿の奥まで見学させてもらっていいですか? 私、こういう風情ある建造物って好きなんですよねー」

(……………………は?)

「ぶふっ」


 神様の呆け声があまりにもおかしくて、ついつい吹き出してしまったわ。

 いけないいけない。私としたことが。お客様の前で粗相をしてしまうなんて。
 

 ……あれ? 私ってば、いつの間にお客様を相手している気になっちゃったんだろ? まあいいわ。


「失礼致しました。私、歴史などに関心が御座いまして、この神殿に興味があるのです」


 一旦気持ちを落ち着けて、改めて仕切り直す事にする。


 粗相をしてしまった事実は無くせないけれど、お客様の記憶から消し去ることは可能なの。

 そう。粗相の記憶が無くなるほどに情報を畳み掛ける事によってねっ!


「こちらの神殿はとても古い建造物に見えます。なので神様にお許し頂けるのであれば、もっと奥の方まで見学させて頂いて宜しいですか?」

(お前、正気か……? 不浄の神たる私に近付くということは、それだけ不浄な力にその身を蝕まれるということだぞ? 脆弱な人の身で耐えられるモノではないっ!)

「ご心配頂きまして誠にありがとうございます。でしたら体調不良を感じましたらすぐに戻りますね。ご忠告痛み入りますわ」

(体調不良を感じたら手遅れなのだっ! なんでここまで止められているのに、危険を冒してまで奥に進もうとするのだっ!?  お前、ちょっとおかしいぞっ……!?)


 はっ! 私がおかしいのなんてとっくに自覚済みよ!

 美男美女に囲まれた普通顔なんて、開き直らなきゃやっていけないのよっ!


 どう足掻いても容姿だけは変えられない。なら他の全てを変えればいいっ!

 どうしようも出来ない自分の容姿以外は、常に自由で居たいのよっ、私はねっ!


「ふふ。聖女に認定される方の多くは高貴な身分の出身ですから。私のような卑しき身分の女などを目にする機会が少なくて、物珍しく映っているだけでございましょう」

(ちょちょちょ待て待て待て!? なんで会話しながらもドンドン進んでくるのだっ!?)


 え? だって好きにしていいって言ったのは神様の方じゃない。

 私は神殿の最奥に行かなきゃいけないのに、こんなところに突っ立ってても仕方ないでしょ?


(お前は躊躇とか恐怖心とか持ち合わせていないのかっ!? むしろお前の存在が恐ろしいのだがっ!?)

「ふふ。誰にも迷惑をかけない自己責任の範疇でしたら、誰にも私の歩みは止められませんよ。それがたとえ不浄の神であってもね?」


 時には歩みを止めることも必要でしょう。

 進むべき道を探してから、ゆっくりと踏み出す人も居るでしょう。


 だけど立ち止まっていても、現実は何も変わらなかった。

 蹲っていても、私が望むものをくれる人は現れなかった。


 だから私は足を止めないの。

 いつだって自分の進みたい方向に、自分の欲しい物を目指して一直線に、最短距離を突っ走りたいの!


「貴方は好きにしていいと仰った! そして私は奥に進みたい! 何1つ問題は御座いませんわ!」

(問題しかないからなっ!? お前、不敬って言葉を知ってるかっ!? 危険とか不安って言葉を聞いたことはあるかっ!?)

「ふふふ。危険と不安なんて踏み砕いて差し上げますわ。その程度の覚悟も無しに、商売の世界に身を投じたりは致しませんから」

(お前のどこが聖女だよっ!? 戦乙女でももう少し躊躇うわっ!! お前の生きる商売の世界って、血で血を洗う地獄みたいな世界なのかっ!?)

「……っ」


 神様が喋る度に、生温い風が吹き抜ける。

 なんとなく不快感を伴う風。ひょっとしてこれが不浄の力なのかしら?


 ……でも。うん、意外と大したことないわね?

 確かになんだか風が吹き抜けるたびに、お腹の奥からどす黒い感情が湧きあがって来そうになるけど、こんなのとっくに経験済みだわ。


 自分の中に巣食う悪意なんて、とっくに私の制御下よ。

 そうじゃなければ、とても商売人なんてやってられませんって。


「あら。いくら神様だからって、15歳の乙女に対して戦乙女は酷くありませんこと? まぁ多少は剣も扱えますけど」

(扱えるのかよっ!! お前のどこが聖女だよっ!? お前のような聖女がいるかぁっ!!)

「まぁまぁ神様、一旦落ち着きましょう? 神たる貴方がそんなに取り乱すものではございませんわ」

(原因のお前が言うんじゃないっ!! 何なのだお前はっ!? 聖女っていうか、そもそも本当に人間なのかっ!?)


 拗らせ系のお客様ってこちらの話を聞いてくれませんからね。

 拗らせ系にはこじ開け対応させてもらいますわよ。


 そちらが私の話を聞いてくださらないなら、私だって神様の言う事を聞く必要はありませんわよね?


「不浄の神様。私の体を心配してくださっているのは分かります」

(それが分かっているのなら、これ以上……)

「でも、私の体は私のものですわ。神様よりも私の意志に付き合ってもらうのは当然のことですよ。たとえ行き着く果てが地獄であろうともねっ!」

(お前が15の乙女とか嘘だろう!? お前は戦争帰りの歴戦の兵士かなにかだろうっ!? 15の乙女がそんなに覚悟決まってるわけないだろうがっ!!)

「あらあら神様。それは世の女の子を侮っておられますわ。世の女性は意中の殿方に選ばれるため、並々ならぬ覚悟をその身に秘めて日々を生きているものですよ?」

(お前が世の女性を語るんじゃないっ!! 謝れっ!! 世の中の全ての女性に謝るべきだぁっ!!)


 神殿は奥に行くほど地下に向かって伸びているようだ。

 私はいつの間にか大きな石畳の階段を、神様と会話しながら下っている。


 まるで地の底にまで繋がっているかのような、底の見えない暗闇の穴。

 でもこの奥から神様の声が響いてくるので、私はいまいち恐怖を感じなかった。


「神様はこの先にいらっしゃるんですよね? なんだか普通に辿り着けてしまいそうですけど……」

(いつの間に拒絶の階段まで!? なんで人の身でそこまで進めるのだっ!?)

「んー、何でと言われましても」


 私の眼の力は使っていない。使うまでもない。


 この程度の悪意には日常的に晒されている。

 そしてこれ以上の悪意を、産まれた時から宿しているもの。


「ここまで来たら神様の顔も拝見したいと思いますし、奥に着いたらお茶でも出してもらえます?」

(出すわけないだろ!! なんで神に対してもてなしを期待しているんだっ!!)


 何気にツッコミ気質の神様だから、ちょっと親近感湧いちゃってるのよねぇ。

 最も気難しい神の1柱なんて言われていたけど、なかなかどうして楽しい神様じゃない。


(人が奥まで来てはいけないんだっ!! 人の身で俺の穢れに触れる事は出来ないんだよっ!!)

「……神様? いったいどう……」

(頼むからっ!! 頼むから戻ってくれっ!! 俺はもう誰も死なせたくないんだっ!!!)


 神様の態度が変わっていく。

 忠告から警告に、警告から懇願に。
 

 ……古の時代より存在する神々ですもの。きっと色々なことがあったのでしょう。

 私などには到底想像も出来ないご苦労も、数え切れない悲劇も体験されてきたことでしょう。


 ――――でもね神様。


「貴方が私と誰を比べているのかは存じませんが、私を見縊ってもらっては困りますね」

(なっ……)

「私はチロル・クラート。両親に頂いた体は私の望んだ容姿ではありませんでしたけれど、誰に望まれなくても私だけは、私自身だけはこの体と死ぬまで付き合っていくと決めたんです」


 私は自分の望んだ容姿を持って生まれることは出来なかったけれど、私の体はいつだって私の努力に応えてくれた。

 私の心に付き合って、私の体はいつだって無茶をしてくれた。


 だから私は、私の体を愛している。愛するこの体を害そうとする全てを、心の底から憎悪する……!


「人々の負の感情? そんなものとっくに消化済みです。他人如きの悪感情でこの私の心が折れると言うのなら、試して御覧なさいな不浄の神っ!!」

(なんで俺とお前で対決するみたいになってんだよっ!? お前始めの挨拶から今に至るまで、何から何までおかしいだろっ!!)

「ふっふっふー。多少言動がおかしくても、勢いで誤魔化せばどうとでもなるものです」

(どうにもならないんだよっ!! 俺の抱える不浄の澱みは、人の身で耐えられるものじゃないんだぁっ!!)

「ふっ、何を仰るのです不浄の神よ。貴方は人の負の感情を喰らう神だと聞いておりますよ。ならば貴方の言う不浄の澱みとやらも、大元を正せば人の感情で御座いましょう?」


 いつしか私は階段を下り終えていたらしく、目の前には石で出来た分厚そうな扉があった。

 どうみても私の細腕で動かせるようには見えないけれど……。なんだか内側から何かがあふれ出しそうな感じね?


「私はここに至るまで、ずっと自分自身を否定し続けて生きてきました。自分自身に絶望し続けて生きてきました。自分を変える為に、自分を克服するために、あらゆる努力と挫折を味わってきたつもりです」

(と、突然何の話を……)

「その上で私は自分自身を受け入れたんです。世界中の誰に否定されようとも、絶対に私だけは私のことを愛してみせるとね!」


 私の眼には、扉の向こうに地獄のような闇が広がっているのが見えた。

 そしてその中心で、誰かが地獄の闇に蝕まれているのが見えた。


「生死なんて賭けていない、他人から見れば甘っちょろい人生だったという人も居るでしょう。でもあの時の私は本気だった! 全力だった! 全身全霊を尽くして、私自身と向き合ってきたっ!!」


 目の前の扉に両手を当てる。

 ……不思議ね。今にも内側から何かが溢れてきそうなのに、私がちょっと押すだけでこの扉は開いてしまいそう。


「不浄の力がなんだというのです! 私以上に自分と向き合った者がいると言うのならかかってきなさい! このチロル・クラートが、真っ正面から叩き潰して差し上げますわーーっ!!」

(ダメだーーーっ!! その扉を開いちゃダメだーーっ!!)


 神様の制止を振り切って、目の前の石で出来た扉を開け放つ。
 
 その瞬間、私の視界は闇のように深い黒に塗り潰されてしまうのだった。
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