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18 揺らぐ記憶の底
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その夜、部屋に戻るのが少し遅くなった。ベッドに潜り込んだものの、眠気はまったく訪れなかった。
天井を見つめながら、何度も思い返す。
ページの隅に、小さく書かれていた名前――ジュリオ。
その文字を見た瞬間、心臓がわずかに跳ねた。懐かしいような、切ないような、名前の響きが胸の奥をかすめていく。
(……まただ)
指先に触れる前に、水面の記憶が揺れて消える。思い出せそうなのに、何も掴めない。
「どうかしたか?」
隣のベッドから、レオンの低い声が聞こえた。
「……なんでもない」
「そうか」
レオンはそれ以上は何も言わなかった。けれど、彼がこちらに意識を向けているのはわかる。
こういう時、レオンは余計なことは言わない。でも、ちゃんと“そばにいる”ことだけは伝えてくる。それが時々、無性にありがたかった。
ジュリオ――その名前が、頭の中で何度も繰り返される。
なぜそれだけが記憶の底に引っかかっているのか。ぼんやりと浮かぶのは、小さな手、暗い部屋、薬のにおい、そして誰かの泣き声。
その誰かが、ジュリオなのか――確信はない。ただ、その名前を見たとき、胸がきゅっと痛んだことだけは、はっきり覚えている。
気づけば、ベッドから出ていた。窓辺に立ち、夜の冷たい空気を吸い込む。
それでも、心のざわめきはおさまらない。
「……ユリス」
振り返ると、レオンが立っていた。薄暗い部屋の中で、彼の声だけがやさしく響く。
「おまえが急に出ていくのが見えてさ。なんか、気になって」
「ごめん、起こした?」
「別に。どうせ俺も浅かったし」
レオンはそう言って、俺の隣に立つ。肩が少しだけ触れ合う。
「ジュリオって名前……引っかかってるんだろ?」
その名前を、レオンが口にした瞬間、胸がちくりと痛んだ。
「……わかる?」
「わかるよ。おまえ、顔に全部出るからな」
冗談めいた言い方だったけど、声はやさしかった。
「……きっと、俺、あの名前をどこかで……本当に知ってた。でも、何も思い出せない。頭の中に霧がかかったみたいで、何も見えないんだ」
「無理に思い出さなくていいよ。思い出したいなら、焦らずでいい」
レオンの言葉は、いつだってそうだ。俺の内側に踏み込むことなく、でも手を引いてくれる。
「……ありがと。レオンは、優しすぎる」
「別に優しくしてるわけじゃない。おまえが、放っておけないだけ」
レオンはそう言って、少しだけ身を寄せた。手が伸びてきて、俺の前髪をそっとかきあげる。
「なあ、レオン。もし……記憶を取り戻した俺が、今の俺と違ったら………」
そこまで言って、言葉がつかえた。
「お前は、どう思うのかな……」
レオンは答えなかった。でも、ふわりと俺の額に唇が触れた。
それが答えだった。
「おまえはおまえだよ。俺は、今のおまえが好きだ」
その声は、迷いなく、やさしかった。
なぜだろう。涙が出そうになるのを、ぎりぎりでこらえた。
「……うん。俺も、そう思いたい」
レオンが少しだけ笑って、俺の手を取る。あたたかい。手のひらの温度が、じわりと心に染みた。
「ほら、もう寝よう。風邪ひくぞ」
「おまえが言う?」
「言うさ。おまえは俺の、面倒見る義務があるからな」
冗談めかしてそう言って、レオンは俺をベッドへ押し戻した。
灯りを消すと、再び暗闇が降りてくる。でも今度は、少しだけ怖くなかった。
隣にはレオンがいて、彼の体温がすぐそこにあって――。
俺は、目を閉じることができた。
(ジュリオ……)
記憶の底で揺れる名前を、もう一度だけ心の中で呼んだ。
天井を見つめながら、何度も思い返す。
ページの隅に、小さく書かれていた名前――ジュリオ。
その文字を見た瞬間、心臓がわずかに跳ねた。懐かしいような、切ないような、名前の響きが胸の奥をかすめていく。
(……まただ)
指先に触れる前に、水面の記憶が揺れて消える。思い出せそうなのに、何も掴めない。
「どうかしたか?」
隣のベッドから、レオンの低い声が聞こえた。
「……なんでもない」
「そうか」
レオンはそれ以上は何も言わなかった。けれど、彼がこちらに意識を向けているのはわかる。
こういう時、レオンは余計なことは言わない。でも、ちゃんと“そばにいる”ことだけは伝えてくる。それが時々、無性にありがたかった。
ジュリオ――その名前が、頭の中で何度も繰り返される。
なぜそれだけが記憶の底に引っかかっているのか。ぼんやりと浮かぶのは、小さな手、暗い部屋、薬のにおい、そして誰かの泣き声。
その誰かが、ジュリオなのか――確信はない。ただ、その名前を見たとき、胸がきゅっと痛んだことだけは、はっきり覚えている。
気づけば、ベッドから出ていた。窓辺に立ち、夜の冷たい空気を吸い込む。
それでも、心のざわめきはおさまらない。
「……ユリス」
振り返ると、レオンが立っていた。薄暗い部屋の中で、彼の声だけがやさしく響く。
「おまえが急に出ていくのが見えてさ。なんか、気になって」
「ごめん、起こした?」
「別に。どうせ俺も浅かったし」
レオンはそう言って、俺の隣に立つ。肩が少しだけ触れ合う。
「ジュリオって名前……引っかかってるんだろ?」
その名前を、レオンが口にした瞬間、胸がちくりと痛んだ。
「……わかる?」
「わかるよ。おまえ、顔に全部出るからな」
冗談めいた言い方だったけど、声はやさしかった。
「……きっと、俺、あの名前をどこかで……本当に知ってた。でも、何も思い出せない。頭の中に霧がかかったみたいで、何も見えないんだ」
「無理に思い出さなくていいよ。思い出したいなら、焦らずでいい」
レオンの言葉は、いつだってそうだ。俺の内側に踏み込むことなく、でも手を引いてくれる。
「……ありがと。レオンは、優しすぎる」
「別に優しくしてるわけじゃない。おまえが、放っておけないだけ」
レオンはそう言って、少しだけ身を寄せた。手が伸びてきて、俺の前髪をそっとかきあげる。
「なあ、レオン。もし……記憶を取り戻した俺が、今の俺と違ったら………」
そこまで言って、言葉がつかえた。
「お前は、どう思うのかな……」
レオンは答えなかった。でも、ふわりと俺の額に唇が触れた。
それが答えだった。
「おまえはおまえだよ。俺は、今のおまえが好きだ」
その声は、迷いなく、やさしかった。
なぜだろう。涙が出そうになるのを、ぎりぎりでこらえた。
「……うん。俺も、そう思いたい」
レオンが少しだけ笑って、俺の手を取る。あたたかい。手のひらの温度が、じわりと心に染みた。
「ほら、もう寝よう。風邪ひくぞ」
「おまえが言う?」
「言うさ。おまえは俺の、面倒見る義務があるからな」
冗談めかしてそう言って、レオンは俺をベッドへ押し戻した。
灯りを消すと、再び暗闇が降りてくる。でも今度は、少しだけ怖くなかった。
隣にはレオンがいて、彼の体温がすぐそこにあって――。
俺は、目を閉じることができた。
(ジュリオ……)
記憶の底で揺れる名前を、もう一度だけ心の中で呼んだ。
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