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44 あの日の声に呼ばれて
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扉が開く音がして、心臓が跳ねた。
その足音を、俺は知っている。何度も夢に見た、確かめたくて仕方なかった気配。
ゆっくりと顔を上げると、そこに――レオンが立っていた。
変わらない鋭さと優しさを宿した双眸。無造作に落ちた前髪の向こうにある、まっすぐな視線。呼吸を忘れるほどに、その姿が懐かしくて、温かくて、苦しくて。
「……ユリス」
その名を呼ぶ声が、震えていた。けれど、どこまでもやさしかった。
「……来てくれたんだ」
俺の声も、うまく出なかった。喉が詰まって、何を言えばいいのかわからなくて、それでも涙が出そうになるのを必死にこらえた。
「遅くなって、ごめん。ずっと……会いたかった」
レオンが一歩、近づいてくる。俺は思わず立ち上がっていた。何も言えないまま、ただその温度を確かめたくて、身体が勝手に動いた。
「レオン、俺――」
「その続きは、帰り道でゆっくり聞くよ。……一緒に帰ろう」
差し出された手は、温かかった。けれどその指先に、かすかに緊張が混じっていたことに気づいたのは、ほんの一瞬後だった。
直後、背後の窓ガラスが割れる音が響き、強烈な光が視界を焼いた。
「伏せろ!」
レオンが俺の肩を抱き、床へ引き倒す。鼓膜を打つ轟音とともに、煙が舞った。混乱の中、黒ずくめの影が窓から滑り込む。
「来たか……!」
レオンが歯を食いしばった。現れたのは、忘れもしない顔。鋭い銀髪、冷たい目、そして不気味なほど静かな笑み。
「……アルク」
俺の声が震えた。レオンが俺を庇うように立ちふさがる。
「お前……ここがどういう場所か、わかってて来たのか?」
「もちろん。ユリスに会うには、このタイミングしかないからな。ようやく揃った……あとは、連れて帰るだけだ」
「ふざけるな!ユリスは……フランは、俺と一緒に――」
「“フラン”……か」
その名が、俺の胸を撃ち抜いた。
アルクの口から“フラン”という名が出た瞬間、頭の奥で何かがひび割れた。砕けたガラスのように、封じていた記憶の欠片が一気に溢れ出していく。
白い部屋。冷たい鉄の机。拘束された手首。
ジュリオの笑顔、泣き声、引き裂かれる夜。火の手の上がる廊下。燃える鉄の臭い。助けに来た人の声。
――逃げろ、フラン!
あのとき確かに、俺の名を呼んだ声があった。
誰にも気づかれないように、こっそり研究棟の裏に回り、俺にそっとお菓子をくれた少年。いつも制服の袖を少し汚しながら、俺の肩に羽織ってくれた、あたたかな上着。
「寒くない?……俺の、使っていいよ」
幼い金の髪が、逆光の中で光っていた。
「君が元気じゃないと、ぼく……やだ」
まだ幼さの残るその声が、今のレオンの声と重なって聞こえた。
あれは、レオンだったんだ。
俺は、レオンを知っていた。
あの頃――フランだった俺の、唯一の味方だったのが。
「レオン……っ」
ぐらりと視界が歪んだ。脚がふらつき、気づけば膝をついていた。喉の奥から、得体の知れない叫びがせり上がってくる。
過去が、記憶が、音を立てて戻ってくる。
俺は、“フラン”だった。そして、レオンと出会っていた。あのとき、ただの「助けてくれた人」じゃなかった。唯一、俺のことを「人」として見てくれた、あたたかい光だった。
それを、俺は……忘れていた。
全身が震える。胸が焼けるように熱くて、痛くて、怖くて。
それでも、俺を見ていたのは――レオンの瞳だった。
「ユリス、大丈夫だ。俺が、ここにいる」
その声が、光のようだった。
痛みに沈みそうになる心を、ふわりと掬い上げてくれる。怖くて目を閉じそうになるたび、その声が、手が、俺を呼び戻してくれる。
「アルク、こいつはもうお前のものじゃない。二度と、手を出すな」
「ふむ……だがもう遅い」
言い終える間もなく、部屋に煙幕が投げ込まれた。視界が真っ白になり、咳き込みながらレオンが俺を抱き寄せる。
「逃げろ!」
再び、あの言葉。十年前と同じ声、同じ叫び。
でも俺は――もう、逃げない。
「一緒に、行く。レオンも、俺も」
「ユリス……!」
煙の中、何者かの手が俺たちを無理やり引き寄せた。腕に巻きつく拘束具の冷たい感触。だが今回は、レオンも一緒だった。
再び意識が薄れゆくその間際、手を握り合ったまま、俺たちは運ばれていく。
行き先はわからない。だが、その手は――確かに、温かかった。
誰も引き裂けない。もう、二度と。
その足音を、俺は知っている。何度も夢に見た、確かめたくて仕方なかった気配。
ゆっくりと顔を上げると、そこに――レオンが立っていた。
変わらない鋭さと優しさを宿した双眸。無造作に落ちた前髪の向こうにある、まっすぐな視線。呼吸を忘れるほどに、その姿が懐かしくて、温かくて、苦しくて。
「……ユリス」
その名を呼ぶ声が、震えていた。けれど、どこまでもやさしかった。
「……来てくれたんだ」
俺の声も、うまく出なかった。喉が詰まって、何を言えばいいのかわからなくて、それでも涙が出そうになるのを必死にこらえた。
「遅くなって、ごめん。ずっと……会いたかった」
レオンが一歩、近づいてくる。俺は思わず立ち上がっていた。何も言えないまま、ただその温度を確かめたくて、身体が勝手に動いた。
「レオン、俺――」
「その続きは、帰り道でゆっくり聞くよ。……一緒に帰ろう」
差し出された手は、温かかった。けれどその指先に、かすかに緊張が混じっていたことに気づいたのは、ほんの一瞬後だった。
直後、背後の窓ガラスが割れる音が響き、強烈な光が視界を焼いた。
「伏せろ!」
レオンが俺の肩を抱き、床へ引き倒す。鼓膜を打つ轟音とともに、煙が舞った。混乱の中、黒ずくめの影が窓から滑り込む。
「来たか……!」
レオンが歯を食いしばった。現れたのは、忘れもしない顔。鋭い銀髪、冷たい目、そして不気味なほど静かな笑み。
「……アルク」
俺の声が震えた。レオンが俺を庇うように立ちふさがる。
「お前……ここがどういう場所か、わかってて来たのか?」
「もちろん。ユリスに会うには、このタイミングしかないからな。ようやく揃った……あとは、連れて帰るだけだ」
「ふざけるな!ユリスは……フランは、俺と一緒に――」
「“フラン”……か」
その名が、俺の胸を撃ち抜いた。
アルクの口から“フラン”という名が出た瞬間、頭の奥で何かがひび割れた。砕けたガラスのように、封じていた記憶の欠片が一気に溢れ出していく。
白い部屋。冷たい鉄の机。拘束された手首。
ジュリオの笑顔、泣き声、引き裂かれる夜。火の手の上がる廊下。燃える鉄の臭い。助けに来た人の声。
――逃げろ、フラン!
あのとき確かに、俺の名を呼んだ声があった。
誰にも気づかれないように、こっそり研究棟の裏に回り、俺にそっとお菓子をくれた少年。いつも制服の袖を少し汚しながら、俺の肩に羽織ってくれた、あたたかな上着。
「寒くない?……俺の、使っていいよ」
幼い金の髪が、逆光の中で光っていた。
「君が元気じゃないと、ぼく……やだ」
まだ幼さの残るその声が、今のレオンの声と重なって聞こえた。
あれは、レオンだったんだ。
俺は、レオンを知っていた。
あの頃――フランだった俺の、唯一の味方だったのが。
「レオン……っ」
ぐらりと視界が歪んだ。脚がふらつき、気づけば膝をついていた。喉の奥から、得体の知れない叫びがせり上がってくる。
過去が、記憶が、音を立てて戻ってくる。
俺は、“フラン”だった。そして、レオンと出会っていた。あのとき、ただの「助けてくれた人」じゃなかった。唯一、俺のことを「人」として見てくれた、あたたかい光だった。
それを、俺は……忘れていた。
全身が震える。胸が焼けるように熱くて、痛くて、怖くて。
それでも、俺を見ていたのは――レオンの瞳だった。
「ユリス、大丈夫だ。俺が、ここにいる」
その声が、光のようだった。
痛みに沈みそうになる心を、ふわりと掬い上げてくれる。怖くて目を閉じそうになるたび、その声が、手が、俺を呼び戻してくれる。
「アルク、こいつはもうお前のものじゃない。二度と、手を出すな」
「ふむ……だがもう遅い」
言い終える間もなく、部屋に煙幕が投げ込まれた。視界が真っ白になり、咳き込みながらレオンが俺を抱き寄せる。
「逃げろ!」
再び、あの言葉。十年前と同じ声、同じ叫び。
でも俺は――もう、逃げない。
「一緒に、行く。レオンも、俺も」
「ユリス……!」
煙の中、何者かの手が俺たちを無理やり引き寄せた。腕に巻きつく拘束具の冷たい感触。だが今回は、レオンも一緒だった。
再び意識が薄れゆくその間際、手を握り合ったまま、俺たちは運ばれていく。
行き先はわからない。だが、その手は――確かに、温かかった。
誰も引き裂けない。もう、二度と。
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